カテゴリ:東京都内のお散歩・見物( 362 )

深川七福神めぐり 2/2

さて、七福神とは関係ないお寺、霊厳寺(れいがんじ)に寄った。(移転してくる前は、霊岸島にあったらしい)
広々とした境内で、江戸時代の偉人のお墓があるようだし、また、江戸六地蔵の一つがあった。
私はこの七福神巡りで、新宿・品川のお地蔵さんに会うことができたのから、これで、七福神巡りでお会いできたお地蔵さん三体目。
(但し、新宿・品川は、七福神巡りのお寺であったが、この霊厳寺はそうではない)
(他、東浅草の東禅寺のお地蔵さんには自力で辿りついている)
六地蔵のうち、一つは現存しないとのことで、後、巣鴨のお地蔵さん(とげぬき地蔵ではない)のところに行けば、フィニッシュ、早く行ってしまおう。


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龍光院に祀られていた毘沙門天様、木像かな、とてもきれいな毘沙門天像。


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清澄通り沿い、門仲につくちょっと手前に見える、深川えんま堂、カラフルなお寺さん。
リンク先を読んだら、中にもカラフルな閻魔様がいて、コンピュータ制御らしい、何だか、進んだお寺みたい。(笑)
1月16日は縁日のよう。

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冬木弁天堂は、お堂が二階にあるのだが、上がったところに、お参りに来た人たちのためであろうか、昔の石炭ストーブがあった。
わ、懐かしい、こういうストーブは小学校までだったかな、使ったことはある。
給食の時間になると、先が割れたスプーンにパンを刺して、持っている手を伸ばし、このストーブにかざして、パンを焼く頭の良い男の子たちを思い出した。

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最後は、富岡八幡宮。
やはり、今年は空いていた。
省かず、富岡八幡宮にお参りしたというのは、良く聞こえなかったが、マイナスとマイナスがぶつかると、プラスに転ずるとか、説明された。(笑)
それにしても、富岡八幡宮は余りに敷地も広いし、巨大なお神輿もすごいし、圧倒的。
皆、神社の人は何事もなかったようにそれぞれの仕事をしていたけれど、どうなるのでしょう?


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で、富岡八幡宮で終わると思い切や、時間も余ったことだしと、隣の成田山の深川不動堂に行くことにした。
こちらは、押し合いへし合いで混んでいた。

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私の場合、友人や親せきと門仲に来ると、富岡八幡宮と深川不動堂は並んでいて、門仲駅から行くと、深川不動堂の方が駅に近いし、参道沿いに食べ物屋さんやお土産屋さんがあるので、自動的に、不動堂の方に吸い込まれて行くのだ。
では、その後、富岡八幡宮に行くかというと、深川不動堂も大きいし、参道沿いのお店にも見るべきものがあるので、深川不動堂で満足して、富岡八幡宮までに行くことはないことに気づいた。
では、行ったことがないかというと、佐川急便が寄進したという巨大なお神輿を見たことがあるから、一度くらい行ったことがあるみたいだ。

信じられない悲惨な事件であった、今後どうなるのだろう?

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by mw17mw | 2018-01-13 22:46 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

深川七福神めぐり 1/2

先週の土曜日に、「深川七福神めぐり」の会に参加させていただいた。
もう何回目になるだろう、最初が北千住、他には神楽坂、新宿、東海(品川)、小石川に行った記憶がある。
この会は、ずっと以前からあるらしく、私は北千住からなので、初期の頃、巡ったという浅草・日本橋・谷中・隅田川なぞの一番有名どころに行っていないのだ。
(ま、どちらにしろ、私は余り七福神に興味があるわけではなく、お寺とその周囲の風景、すなわち、街歩きが好きで参加している)

今回の深川七福神めぐりは、駅で言ったら、大江戸線と都営新宿線の森下から清澄白河経由で、最後、門前仲町に南下して終わりと言うコース。
どんなにゆっくり歩いても2時間で終わってしまうという短いコースらしい。(一番短いのは日本橋らしい)

ルートは、深川神明宮(壽老人)→深川稲荷神社(布袋尊)→龍光院(毘沙門天)→圓朱院(大黒天)→心行寺(福禄寿)→冬樹弁天堂(弁財天)→富岡八幡宮(恵比寿神)とのこと。
(地図は、深川七福神めぐりの地図を参考にしてください)

全体の印象なのだけれど、結構小振りで、しかも、最近建て直した新しいお寺や神社が多く、お参りをし、ご朱印やスタンプをいただくだけの寺社仏閣が多いイメージ。(最後、富岡八幡宮は巨大だけれど)
意外性がないし、街並みも昔の面影が殆ど残っていなかったように感じた。

深川地区は、私全く知らない地域と言うわけではなく、ホームセンターのコーナンがあるので、清澄白河には、たまに行って、その後、一人でウロチョロ見物したり、清澄白河から森下・両国経由で帰ったりした時期もあるので、少しは事情がわかっているつもりだったし、境内が広くて、古い建物のお寺も多かった覚えもあるのだが、そういうお寺は殆ど参加していないようだった。
それでも、深川地区には、本当に沢山のお寺があって、びっくり。
主には明暦の大火の後、移転してきたお寺らしいが、浅草地区より数では上回っているような気がした。(小さなお寺が沢山ある感じ?)

で、古くから残っている建物もその隣に近代的な建物が一緒に写り込んだり、余り気に入らなかった写真がなかったので、今回は、七福神以外の景色をご紹介。

森下駅で待ち合わせした後、深川神明宮でお参りした後、七福神の神社ではない芭蕉稲荷神社に向かう途中に、「芭蕉記念館」があった、立派な建物。
小学生からの俳句の普及に努めているみたい。


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芭蕉稲荷神社の近くの隅田川沿いに急な上り階段があり、それを上っていくと、芭蕉の像があった。
どうも、ここは、「芭蕉庵史跡展望庭園」という名前の場所らしい、芭蕉庵があったのね、きっと。
松尾芭蕉が深川に住んでいたことは有名だが、ここから船で北千住まで行って、そこから、奥の細道への徒歩の旅に出たのかな?←調べたら、正解でした!


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その後、隅田川より一本東の道を南下していくと、萬年橋という橋があって、そこには、清洲橋が「ドイツのケルン氏に架けられたライン河の吊り橋をモデルにして作られた」と書いてあった。
しっかし、ライン川の吊り橋を知らないと、本当かどうかもわからないし、イメージが沸かない。

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確かに、清洲橋は、遠くから見るときれい。
いつも、渡るだけで利用しているが、外から見るのは初めてかも知れない。
ペンキが塗ってある橋だから、軽く見ていたけれど、形は素敵。(ただ、ライン川の吊り橋の実像が知りたい)

清洲橋は隅田川にかかる橋で、萬年橋は、小名木川にかかる橋、下の画像は、その隅田川と小名木川が交わる場所から写したもの。

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そこを渡って、深川稲荷神社でお参りした後、更に南下した。
清洲橋通りの一本北側の道沿いに相撲部屋が沢山あるのだが、今回、そのもう一本北側(森下駅寄り)に、高田川部屋と尾車部屋がある通りを紹介してくださった。
また、元々の相撲部屋が沢山ある通りから、寺尾の錣山部屋のあるところまで歩いたのだが、私が一人で色々な相撲部屋を見て回った時のブログと比べると、「元北の湖部屋である山響部屋」の看板が外され、真っ暗であった。(東砂に移転したみたい、貴乃花部屋の近所?)


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by mw17mw | 2018-01-11 16:49 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」を見て

今日は、年末に金券ショップでとても安くなっていたから買っておいた「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」を都美術館に見に行って来た。
この展覧会は、1月8日までなので、私が入場券を買ったときは、一か月を切っていたので、安かったみたい。


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上から目線かも知れないけれど、まあまあ良い展覧会で、気に入った絵も数点できたけれど、う~ん、主題に沿って見るのは私にとって難しかった。
確かにゴッホは浮世絵に影響を受けているのだけれど、浮世絵の構図とか描き方の特徴をきっちりわかっていて、ゴッホの絵も特徴を確実につかんでいないと、どこが浮世絵の影響かわからないところが多かった。(解説がある絵は「あ~なるほど」と思うけれど、でも、しつこい、ずっとずっとどの絵にも浮世絵の影響を細かいところに求めている)
私のように、浮世絵もゴッホの絵も適当に、「これがいい」「あれがいい」と見る程度の人間には、全ての細かいことはわからなかった。
(途中で、それが不愉快になって、音声ガイドを借りて来たが、音声ガイドも全部を説明してくれないし、借りなくても良かったかも)

先程書いたように、今まで知らなかった絵の中で気に入ったものもできたのだが、見終わって、心に浮かんだのは、「やはり、ゴッホは、星月夜が一番好き」と思った。
そして、美術館のショップに星月夜の同じ大きさの複製があったのだが、28万円だって...すごい。

で、その絵を見ていて、色々なことを思い出した、私は本物をニューヨークの近代美術館で見たことがあって、とても良かった、それは本当に覚えている、もう25年くらい前の話だけれど。
また、ご存知の方も多いかも知れないけれど、もう45年くらい前になるのだろうか、アメリカのドン・マクリーンというシンガーソングライターが、「ヴィンセント」という歌を出していて、歌詞の意味もわからないのだけれど、ゴッホに話しかけるような優しさと美しさに溢れる曲で、「Starry starry night」という星月夜という言葉から始まる歌詞から、アメリカ人もこの星月夜の絵が好きなんだ(当たり前だよね、MOMAにあるくらいだから)、この絵からイマジネーションを感じて、曲を作ったのだと、この歌が好きになった。

で、家に帰ってから、youtubeで探したら、絵つき、歌詞つきの素敵な動画が見つかった。
まだ、英語を訳していないけれど、ご紹介。
とても優しくて美しい曲。

この星月夜という絵は、今や、この曲とセットだと思う。
youtubeの視聴回数も1100万回を超している、未だに人気があるのだろうか?(コメントが皆英語だから、やはり、アメリカで人気があるのかな)

もし、良かったら、是非、「ヴィンセント」の方だけでも、視聴していただけると嬉しいです。




この歌を作詞作曲して歌っているドン・マクリーンは、Wikiを読んだら、この曲と「American Pie」という歌ともう一曲しかヒットがないみたい。(ただ、ヒットを狙って歌手をしているというより、どちらかというと、ボブ・デュランのように自分の世界を歌う人)
こちらの方は、視聴回数7600万回とのことで、ここに載せる。
こちらも歌詞付きだけれど、こちらの英語は本当に難しいようなことをWikiに書いてあるので、きっと私は時間ができても、訳さないと思う。



展覧会場を出たら、会場入り口横で、ゴッホの11分のビデオが繰り返し、流れていた、これは中々わかりやすかった。(素人向き)
(入場しなくても見られます)


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by mw17mw | 2018-01-03 20:26 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(2)

新国立美術館の「安藤忠雄展」

初め、全然興味がなかったし、安藤忠雄さんについて、殆ど何も知らなかったのに、テレビでロングインタビューを見て、また、安藤忠雄の作品を見たことがないと思っていたら、上野の国際子ども図書館のリニューアルの設計が安藤忠雄であると教えられ、俄然興味が湧き、金券ショップで、切符が後数枚であったこともあり、買ったので、先週、新国立美術館に行って来た。(下の画像は、新国立美術館から、ミッドタウンを見たところ)

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上野の国際子ども図書館は、ルーブル美術館のガラスのピラミッドを使ったリニューアルの骨子のパクリとは思うけれど、そのセンスは、あの古い図書館にぴったりで好き。(後、身近なところでは、東大の福武ホールも安藤忠雄さんらしいが、こちらは余り何も感じない。その他、浅草に安藤忠雄さんが設計した住居が一軒あるみたい)

安藤忠雄って、何も知らなければ、だみ声の大阪弁の元気なおっちゃん風なのだけれど、実はすごいのね、というのが今回安藤忠雄展を見た感想。

ま、大阪生まれで、大阪の工業高校を卒業して、建築の教育は受けたことがなく、就職した建築事務所で学んだことで、一級建築士の資格を取り、独立して、今や、世界中にひっぱりだこの建築家とのこと。

余りに色々な作品を見ていて、何ていうのか、もし、私が建築家になれたら、一つ素敵なものを設計したら、それだけで嬉しくて満足して、そこにずっと留まってしまうと思うのだが、それは、凡人だからなのだ。
安藤忠雄さんは、やはり、天才とか建築界の巨人なのだろう、一つの到達点に留まることができないで、ずっとずっといくらでも先に進んでいくしかない人のようだ。
それに、もう一つすごいなと思ったのは、若い男女が沢山見に来ていて、それが日本人だけでなく、東洋人、西洋人、色々な人がいたし、聞こえてくる言語も様々、皆、建築を学んでいる人なのかなと思うと、世界中の若い人が憧れて見に来る人であること。

だから、展示されている個人の家から公共施設から膨大な数で、見るのが大変。

現在、安藤忠雄さんは、病気のため、胆のう、膵臓、脾臓を摘出してそれでも元気で世界中で活躍されているとのこと、とにかくすごい。

下の画像は、安藤忠雄さんの初期の傑作、光の教会。
今、我が家の近所のお寺が、ビル丸ごと墓所というものを建てたのだが、その表面は、下のように十字架にはできないので、一本真ん中に上から下まで直線が一本刻まれており、夜になると光っている、私からすると、パクリだと思うけれど、どんなものだろう。(パクリやすいデザイン)

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安藤忠雄展は、12月18日(月)まで。

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by mw17mw | 2017-12-16 16:50 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

乃木坂見物

新国立美術館に「安藤忠雄展」を見に行った話は明日書く。
見終わって、東京ミッドタウンの方に行ったけれど、食べたいお店があるわけではなし、変に食料品を見てしまうと、ダイエット中に手が伸びそうなので、ミッドタウンにも近寄らず、左に曲がって、外苑東通りを歩いて、千代田線の乃木坂駅に向かった。
そちらの方で知っているのは、左側にある桂由美さんのブライダルハウスくらい、後、一軒ステーキハウスがあるのだが、先日テレビで、そのステーキハウスは芸能人御用達の高級なお店だと知ったくらいの知識。

で、千代田線の乃木坂駅は地下なので、そちらに歩いて行ったら、外苑東通りを挟んだ右側前方に、古めかしいレンガ造りの平屋が見えて来た。


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今まで気づかなかったけれど、あんなところに、いかにも戦前、多分、関東大震災前に作られたと思われる煉瓦造りの施設があるのだ~、何だろう?
十字架がないから、教会ではないし、変電所にしては小さすぎる、全然わからないと、大通りを渡って、近寄ったら、何と、そこは、乃木希典さんの旧邸で、煉瓦造りの施設はその一部であった。
何だか、無料だったし、門から中に入ってみた。


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もしやして、乃木将軍は、明治天皇が崩御した時に、奥さんとともに殉死されたけれど、この場所のようだ。
今は、港区が管理しているらしいが、全く有名ではないし、乃木希典さんのwikiにも書いていないから不思議だが、やはり、人が殉死している場所と言うことだからだろうか。


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「乃木坂」というのは、乃木将軍が住んでいたから乃木坂という名前になったことは知っていたが、まさか、その旧邸が残っているとは思わなかったのでびっくり←知らないし、だれからも聞いたことがなかった。(乃木将軍が殉死されて、乃木神社から外苑東通りに出る坂道の名前が乃木坂になったとのこと)

この家の中は、9月12日、13日のみ無料で一般公開されるらしい。
それ以外の日は、家の周りに渡されている廊下伝いに窓の外から、中を見ることができる。

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この建物は、高いところに建てられ、そこから下に行く斜面が続いているのだが、そこは昔庭、今は「乃木公園」となっているらしい。
一番下に鳥居が見えたので、そこが乃木神社かと思ったけれど、家に帰って、地図を見たら、乃木神社は、この邸宅と庭の敷地の隣にあるみたいだ。
実は、今回はそこまで、見に行かなかったのが、ちょっと失敗。

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というのは、家に帰ってGoogle Mapを見たら、その乃木神社の東側すぐに、「ジャニーズ事務所」があるみたいなのだ。
別にわざわざ探しに行く気はないし、誰かに会いたいという気は全然ないのだけれど、何かのついでに、見ることができるものなら、どこにどんな建物であるのか、見たかった。
今度、新国立美術館に行ったら、絶対、ジャニーズ事務所を見て来よう。(笑)

あ、そうそう、先程私の目を引いた煉瓦の建物は、明治時代の厩であった。


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by mw17mw | 2017-12-15 17:10 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

岩本町・東神田ファミリーバザールで、箸と皮の手袋

もう終わった話で申し訳ないのだが、12月3日に、岩本町・東神田ファミリーバザールが開かれていたので、行って来た。
そうしたら、ずっと出店していた、バザール会場沿いに本社がある貝印が出店をしなくなっていたのだ、びっくり。
良くわからないけれど、このファミリーバザールは、他所からその日だけワゴンを出すお店が増え、貝印さんも、普通の大きい会社だから、場所をそういう店に譲って、自分の社員を日曜出勤させるのを控えるようになったのかも知れない。
数年前までは、貝印の隣が、ナスステンレスという会社で、ここも、お鍋なぞを出していたが、どこかに、引っ越してしまった。
何だか、台所道具がめっきり減ってしまったのが残念。(貝印さんには、昔とても良い買い物をさせてもらった思い出がある)

このバザールは、私の親戚たちを案内したら、ここで買い物をするのが気に入ったみたいで、遠くからわざわざ来る人も多い。
秋葉原駅から歩いてすぐだし、細かいものを安く売っているから、今年もこの時も、来ていたのかも知れない。

私も最近は、新しいものを探しに来るというより、生活必需品を買いに行く、冬は、箸と皮の手袋。
(そういう意味では、常設のお店は不要なのかも、一年に何度かの市で十分かも)

夏は、5月の最終土日、6月は最初の土日、冬は、11月最終の土日と12月の最初の土日に開かれるのだが、いつ行っても、清洲橋通りの橋くらいのところに、木製品のお椀やお箸、お弁当箱を打っているワゴンがいつも出ているので、ここで、塗りの箸を買う習慣がついてしまった、一組300円?
私は親に習い損ねているのだけれど、塗りの箸って、どうなったら、寿命?
私は下の写真の左側のように、箸先の塗りが剥げてきたら終わりかなと思っているが、正解でしょうか?(写真の右側4本は今回買った箸)
後、つまらない話だが、昨年は、同じような赤い箸を3組買って使ったら、洗って、水切りに差しておくと、どれとどれがセットがわかりにくかったので、今年は、別々の色を買ってみた。


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それと、皮の手袋なのだが、私が買い物に行く範囲では最近見なくなっていた。
確かに100キンには手袋があるけれど、風が通ってしまうような布のものばかり。
やはり、自転車に乗る時なぞ、風を通さない皮の手袋でなくてはと思う。
しかも、私はしょっちゅう手袋をなくすタイプだし、シーズンが終わった後、手入れ法が良くわからず、適当に閉まっておくと、ゴワゴワになっていて、使い物にならなくなっていたり...結局今シーズンに使える皮の手袋が手元になかったのだ。

でも、この岩本町・東神田ファミリーバザールは私を裏切らず、安い皮の手袋のワゴンが沢山出ていた。
全部端から端まで見てから買えば良かったのに、気分で、安いお店を見つけては手袋を3つ、写真には取らなかったけれど、長いスカーフを一枚買って、3千円ちょっとだったかな?
手袋は、680円、800円、もう一つは値段を忘れた。
下2つは、黒色で、普段、自転車に乗ったりするときとか作業用、一番上は、紺色でボンボンがついているので、余所行き用。


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一応2,980円という札が付いている本革の手袋が千円以下なのだけれど、これは、きっと問屋さんが今年の売れ残りを売っているからかなと想像しているが、本当はどうだかわからない。

おしゃれさんには無理かも知れないけれど、普通以上のもので良ければ、ここで手袋を買うのが安いと思う。

ここで買い物をした後、馬喰町の横を通って、清澄白河のコーナンに向かったのだが、馬喰町でも、素人向けのバーゲンが開かれていて、すごい人出であった。(調べたら、年に一日だけみたいだからということもあって、混んでいたのかな?)
あら~、今まで馬喰町でこういう催し物あったっけ?と思ったが、とにかくすごい人出。
馬喰町が本気になったら、岩本町真っ青という感じの人出であった。
傍目から見た感じでは、洋服が欲しかったら、横山町・馬喰町「大江戸問屋祭」へ、私のような手袋とか靴下とか細かいものが欲しいなら、岩本町・東神田ファミリーバザールかなと思った。
来年は、横山町・馬喰町にも、行ってみよう。

さて、昨晩は、バングラデッシュ居酒屋でカレーをたくさん食べて来てしまったので、今日は、断食ではないけれど、食べる量を減らさなくてはいけない日。
これから、1か月前くらいに、つい買ってしまった安藤忠雄展の前売り券があるので、新国立美術館に行くのだが、飴で持っていって、何も食べないで帰ってこようと思う、頑張ってきます。(笑)

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by mw17mw | 2017-12-10 11:24 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

初めて見る六義園の「紅葉と大名庭園のライトアップ」

私は数度六義園に行ったことがあるのだが、余り好きではないと思っていた。
自分で勝手に順路の札を頼りに見て歩いただけなのだが、ただ広いだけで面白くないという印象を持っていた。

そうなのだけれど、今日は、六義園でバイトしている知り合いに届け物をしたく、ついでに、有名な紅葉のライトアップも見てきたら、この庭園、紅葉があるかないかで、全然きれいさが違ったし、この催し物の間、駒込駅のはす向かいにある染井門が開けられ、そこから入れるのだ。

山手線の駅から徒歩2分で、広々したお庭の紅葉を楽しめるって、すごい!
(でも、この庭園を見ながら、皇居の東御苑とか、古河庭園にも行きたくなってしまった。ただ、便利さから言ったら、六義園がベスト)


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いつもは、ぐるっと不忍通り近くまで行って正門から入るし、私も正門からの回り方しか知らなかったが、染井門から入ると、また、歩く道が違うみたいで魅力的であった、入場料300円。

実は、先週行こうかと知り合いに様子を聞いたら、「今年のもみじは何だかきれいではない」とのこと。
だったら、一週遅らせた方が良いかと今日にしたのだが、ま、すごい紅葉とまで行かなかったけれど、ところどころ、赤い葉っぱがきれいであった。

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私は、ライトアップにも興味はあったが、まずは、明るい状態で紅葉が見たいと思い、午後4時くらいに行ったのだ。
多分、5時近くなると、相当太陽光は暗くなるだろうからと計算したのだが、余り当たらなかった。
でも、六義園のもみじを見るのは初めてだし、ま、昼間のもみじを見ておく必要なあると思う。
所々に警備員さんが立っていて、誘導してくれる。
事故防止だからだろうか、結構、昼間でも通行禁止のロープを張られているところが多々あったし、ライトアップが始まる前には、灯りが少ない場所なぞ、もっと通行禁止になるみたいだった。


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でも、明るいうちは、一方通行は少ないし、高いところから、池を見たり、できて、楽しかった。

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この景色は、六義園の中で一番高い「藤代峠」の上からみたもの。


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染井門から、池の周囲を歩いてから、正門に向かったのは、4時半くらいで、その頃から、ライトアップが始まった。
その時間くらいに知り合いに会えて「これから、ライトアップを見てから帰る」と伝えたら、「ライトがついても、きれいではないのだ。やはり、どっぷり夜にならないと、ライトアップが映えない」と教えてくれた。
叔母と別れて、警備員さんが誘導する方に回ったら、そこからは、一方通行、元には戻れなくて、しかも、どこを歩いているか全然わからなかった。
それでも、お団子屋さんなぞがあるところに、無料休憩所みたいなところがあり、茶店の台が空いていたので、そこに座って、30分くらい時間を調整して、日が暮れるのを待って、まだ、ちょっと暗さが足りない5時15分に短気なので、立ち上がってしまった。

そうして、人の波にくっついて回ったのだが、突然、人工的なお水みたいな青いところが出てきた、でも、幻想的できれい。
よくよ~く見ると、ここは、お水が流れていない地面に、青いライトを当て、ミストを発生させているみたい。
(ただね、私のiPodのカメラの性能が悪くてごめんなさいね、暗いところは写らないみたい)

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私のカメラでは、この程度の色にしか写らないけれど、実際はもっと赤が強くて、どこを歩いていても、きれいだった。
回るコツがわからなかったので、どうも、池の周りのライトアップを見損なったと思ったのだが、再度、池の方に行くと、一方通行なので、今見て来たところも全て再度見ることになるので、今年は諦めて、染井門から出てきてしまった。

染井門には、これからライトアップを見ようとする人たちで溢れていた。
何でも、昼間よりライトアップの方が人気があるみたい。

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何て、記事を載せたが、六義園のライトアップは、12/6の水曜日までらしい。
見る価値あると思う。


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by mw17mw | 2017-12-02 20:51 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

ついでに大森貝塚

せっかく、大森まで来たので、川端龍子記念館の他、もう1か所くらい行こうかと思っていた。
川端龍子記念館で、大田区郷土博物館のポスターがあり、そこもいいかと思ったけれど、若干歩く、また、品川Iさんに、池上本門寺に行けば、川端龍子の絶筆となる天井絵の龍が見られると勧められたが、川端龍子記念館から池上本門寺までも相当の距離がありそうだし、その界隈は碁盤の目状ではないので、初めての者は迷うかも知れない、また、池上本門寺から東急池上線の池上駅までだって、15分や20分かかるから、こりゃ、相当歩くことになりそうと諦めて、駅前の地図で見る限り、大森貝塚が近そうなので、そこに寄って帰ることに決めた。
大森貝塚って、歴史の教科書で名前は知っているが、行ったことないもの。

バスで大森駅前に到着し、降りると、結構色々な近隣地図が貼ってあって、それを見る限り、川端龍子記念館のところのバス停でバスを待っていたのだが、その近くに、川端康成とか石坂洋二郎の家があったとわかる。(と言っても、今、そのままの家はないのだろうけれど)
ま~ね、あのバスでしか行けない地域、画家とか作家とか、静かな中で作業をし、歩かない職業の人の住まいに向いているかも。

ということで、地図を見ると、大森駅から、東京に戻る方向に歩くと、すぐに大森貝塚があるみたい。
歩き出すと、大森駅から蒲田の方向に向かう池上通りの両側にはびっしり商店が並んでいたのに、大森駅から大井町駅に向かう方向には、商店が余りなく、大規模開発が施され、大きなオフィスビルやマンションの他、基本は住宅地であった。

結論から言うと、大森駅から大森貝塚に行くのは良くないと思う。

何の下調べもなく「大森貝塚は実は2箇所あって、品川区と大田区にある」と聞いて、ま、行くだけ行ってみようとでかけたのだが、すぐに、下記道しるべがあった。(下の方に小さく、「国史跡大森貝塚は品川区にもあります。(この先300mを右) 品川区立大森貝塚遺跡庭園内」と書いてあったので、そうか、まずは、大田区の貝塚を見てから、300m先だったら、品川区にも行こうと思ったのだ。)


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池上通りから、脇のビルの間の「史跡大森貝塚→」を目印に、階段を下りて行くのだ、何があるのだろうとドキドキ。


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ビルの脇の階段を下りて行くと、本当にJRの線路の横に出て、そこには、下のような記念碑があるだけ....とてもとてもがっかり、私が見たいのは、貝塚であって、記念碑ではないのだ!と言いたくなった。
これが、大田区の大森貝塚の全容らしい。

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あ~あ~、別に罠にはまったわけではないけれど、何だか、とてもがっかり。
気を取り直して、300m歩くと、「品川区立大森貝塚遺跡庭園」が右側に見えて来た。(しかし、下手な写真、品川区立の品と、大森貝塚の大が切れている。)


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また、ここで、入口の近辺の立札に、「出土物は、390m先の品川歴史館で見ることができます」と書いてあったのかな、その時、そこに地図があったか、自分で調べたか忘れたが、そこまで行くともう大井町駅に近いところであった。

そうして、庭園の中に入って、案内板を見て、謎が解けた。
下の画像に赤い星印をつけたところが、先程行った記念碑のあるところで、そこが大田区であり、この大森貝塚遺跡庭園の殆どは品川区であるとのこと。
そうなのだ、大田区の遺跡は、品川区の庭園の一部なのだ、多分品川区の庭園からも、行ける案内図になっているけれど、実際は、通り抜けられず、先程の池上通りからビルの間を入って行かないとたどり着けないのかも知れない。

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どんな庭園か、歩いてみたが、人工的に作ったものや広場ばかりで、何ていうか、「近隣の小学生が団体で先生に連れられて、遠足や社会科見学で来た時に、使いやすい、説明しやすい仕様にできている」庭園。
大人の場合、散歩に来るには良いけれど、大森貝塚について学びたいと思って来ても、満足できないと思う。

ただね、今回歩いてみて、この貝塚が、京浜東北線を東京方面から大森駅に向かって走る電車の車窓から、大森駅の本の手前に見える位置にあることがわかったことが収穫かな。(とか言いながら、大森駅からその電車に乗って帰ったのに、すっかり、チェックするのを忘れていた。)

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庭園内をくまなく歩いたわけではないので、これだけではないかも知れないが、私が今回見つけた「貝塚」の展示は、下の画像のみ。
ま~ね、本郷の弥生町に行ってもあるのは、「弥生式土器発掘ゆかりの地の碑」しかないものね、こんなものかも知れない。


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大人は、きっと、大井町駅の品川歴史館から見て行った方が良いような気がする。
ただ、トリップアドバイザーの大森貝塚遺跡庭園のページの画像を見ると、この庭園も、もっとゆっくり見れば、もっと色々なものに巡り合えたかと言う気もする。

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by mw17mw | 2017-11-30 17:48 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

大田区立龍子公園

龍子公園と名付けられた旧龍子の住宅のあった場所は、敷地770坪あり、その中に、昭和20年8月13日の空爆で吹っ飛ばされた住居の跡にできた池や、龍子さんのアトリエ、客間・仏間などがある他、草木が沢山植えられた庭がある。(美術館の方は570坪と教えてくださった気がする。)

しかし、龍子は、どうやってお金を稼いで家族を養って暮らしていたか以前から不思議だったのだが、そのうえ、こんな770坪の土地や上物を建てるお金を稼いだわけで、余計不思議だった、画家ってそんなに儲かるの?
それについて、説明の方によると、「若い時、会場藝術に行く前に、小さな絵を沢山描いては売って、稼いだらしい」とのこと。
そのお金を溜めて、この土地を買い、家を建て、会場藝術を始めたとのこと、ふ~ん、それでもすごい。
お宝探偵団なぞで明治から戦前くらいのその当時は無名であった画家の話が出ると、中々認められないまま亡くなったり、大抵は貧乏だったり、病気になったりする場合が殆どで皆不幸であるが、龍子さんは、本当に自分の才能と腕だけで、これだけの財を成したから、すごい。
説明の方が、普通の人より、気持ちが強い人であったと評していた。
(そうそう、夏に龍子に関するEテレの番組を見たら、「画家としては珍しく病的なところがなく、完全に健全な精神の人であった」と言っていたかな?
家庭を愛し、絵を愛し、精神的に病的なところや弱いところがない人だったとか、言っていたような覚えがある)

戦前の住まいがあったところは、終戦の2日前に空爆で全滅、龍子はその時不在で無事であった。
その爆撃の惨状を見て、菜園に爆弾が落ちた風景に置き換えて「爆弾散華」という絵を描いた。(でも、リンクした記事を読むと、使用人二人が爆死しているのだが、芸術家は悲惨なものを悲惨なまま描けないのだろう。あくまでも美しさの中で悲惨さを暗示するのが精いっぱいなのかも。)
その家は建て直されることなく、全てを片付けた後、空き地にしておいたら、水が出て、空き地は池になってしまったとのこと。
「爆弾散華の池」という立札が立っている。

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その後、勿論、家の中には上がれなかったが、広いアトリエや客間、仏間を外から案内していただいたが、どこもかしこも、手を抜かない造りで、この家を作ったり、手入れをした大工さんがこの家に携わることを嫌がったと言うが、わかる気がする。
こういう芸術家が自分の家を作る時、全く妥協をしなかったろうし、少しでも良くしようと注文が多かったと思う。

そういうお話を聞いて、この家に対する龍子さんのこだわりを見ていたら、芸術家が思う通りに作った住居と言うことで、谷中の朝倉彫塑館が頭に浮かんだ。
で、家に帰ってから調べたら、朝倉文夫は、1883年(明治16年)3月1日 - 1964年(昭和39年)4月18日、川端龍子は、1885年(明治18年)6月6日 - 1966年(昭和41年)4月10日)と、二つ違いで、同じ年で亡くなっていて、本当に同世代、同じ東京で活躍していたのだとわかった。
二人とも地方から東京に出てきて、彫刻と絵画と分野は違ったけれど、若いうちから才能を認められ、成功した芸術家。
朝倉文夫は、確か、美術学校の教授だったから、あの谷中に住み、狭い土地(と言っても、台東区の中のお屋敷の土地としては広いが)を色々工夫して暮らしたのかな?
その点、川端龍子は自由だったから、広い敷地を求めて大田区に来たのかなとか想像した。
狭い台東区の土地に住み、3階建ての屋上に庭がある洋館・和風建築も3階建てを造り、猫を愛した朝倉文夫と、広い大田区の敷地に平屋建ての和風建築を作って住み、犬を愛した川端龍子、何だか、対象的な気もするが、芸術家が妥協しないで作ったお家はどちらも魅力的すぎる...。

しかし、770坪の殆どは植物が生えているお庭であり、羨ましいほどの風情。
客間から見える庭は、桜と梅の木が見え、秋には紅葉も楽しめるように、木が植えられているとのこと。


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これは、確か、アトリエと客間がある建物かな?
多くの人が入るように設計されていない770坪の敷地なので、全体が写るように写真が撮れないところが残念。



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下の画像の右側は、アトリエは板の間で、床に紙を置いて中腰で描くのかな?
「岡本天心」という映画でも、弟子たちが皆、板の間だったか、畳の間だったか、忘れたが、皆、床に向かって絵を描いていたっけ、日本画は、座ったまま床に向かって描くものなのかも。

この庇は西側のものなので、西日が入らないように、庇が深いとのこと。
この編み方は、網代編み?(いい加減です)


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客間の奥に明り取りのガラスがあった。
この時、説明者一人に対し、参加者が多過ぎて、ここらへんになると、説明が聞こえなかったことが残念。
また、もう一つ聞き損ねた説明は、確か、洋画家を目指していた龍子が若い時にアメリカに渡った時、アメリカで、「平治の乱絵巻」を見て、感銘を受け、日本画に転向したということ、チラッとしか聞けなくて残念。


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元々信心深い人だったのか、古い仏像を安置して、朝夕に龍子が拝みに来ていた仏間。
何でも、龍子は、6人の子どもに恵まれたが、うち3人を先に亡くした上に、奥さんも先に亡くなっているとのこと。
襖は、現在は、イミテーションではあるが、俵屋宗達作のもの。

そういえば、朝倉彫塑館も数年前の耐震工事で改悪されてしまって、今は説明がないのだけれど、昔は、「朝倉文夫が朝な夕なに「仁・義・礼・智・信」と名付けた庭の池の巨石を眺めては自分を戒めていたと書いてあったが、やはり、この世代だけではないかも知れないが、芸術家は、見えないところで、朝な夕なに、自分を戒めながら、良い作品を生み出しているのだろう。


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ということで、30分くらいかけて、庭内を案内していただいた、もっとゆっくり見たかったから、また、ケララの風Ⅱのカレーを食べがてら出かけよう。


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by mw17mw | 2017-11-28 15:36 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

大田区立龍子記念館で没後50年特別展「龍子の生きざまを見よ!」

龍子記念館へは、JR大森駅西口(山王方面)から東急バス4番「荏原町駅入口」に乗って、「臼田坂下」下車、徒歩2分とのこと。
(他、都営地下鉄・浅草線 西馬込駅南口から、徒歩15分、もしくはバスで行けるらしい)

大森駅前からのバスの本数は多いようで、すぐに乗れた、臼田坂下までは、5,6停留所くらいの距離?
しかし、駅前から池上通り沿いの商店街を見ていると延々とお店が続いていたし、何というか、そこにコンビニが余りないのが目立った。
我が家の方だったら、1バス停留所に、2,3のコンビニがあるのに、こちらは、本当に駅近くにしか見なかった気がする。
何故だろう?一つひとつの商店の規模が小さくて、コンビニには向かないのかな?

で、次は、臼田坂下ですと放送があり、そこで下りたけれど、それ以上、どう行けばたどり着くのかノーアイディア。
でも、バス停で下りて、そのまま道なりに進むと、下のような小さな看板と地図があったので、それに従って行ったら、到着。
バス停から2つめの路地に入って(その路地にまた同じ看板があるので、その路地だとわかる)、2,3分かな?

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また、龍子記念館の界隈は庭がある敷地が大きい家も多く、静かで古くからの良い住宅地なのだと思った。
きっと、都営浅草線の西馬込からも大森駅からも遠いということで、まだ、再開発の魔の手が入って来ていないで、高層のマンションが殆どないみたいで、昔ながらののんびりした感じが良いところであった。
このまま、電車が通らず、交通不便のままの方が良い地域のような気がする。

路地を進んでいくと、まず、見えたのが、龍子公園の玄関。
狭い路地の左側に大きなコンクリート造りの記念館、右側に、元住居跡の公園があるみたい。

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この公園は、門に鍵がかかっているが、一日三回、美術館の受付に集合すると、係りの人が案内してくれるという形で、入場できる。


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元々、2時に公園を見学できればと思って、時間を逆算してこの美術館に来たのだが、規模がわからず、作品を見るのに2時間と思って来たのだが、一時間で十分な規模であった。

この美術館も龍子が、文化勲章を受章した時に自分で作ったものを、死後、遺族が大田区に寄贈したとのこと。

何でも、この龍子記念館のある一帯は、低地で、水が出やすいとのことなので、美術館は高床式になっていて、一階は空間。
美術館の一角にススキが沢山生えていて素敵と思ったが、もうすぐ刈り取られるそう。(残念)


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ここが入口。
通常は入場料200円だが、12月3日まで、特別展が開かれているので、500円。


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夏の山種美術館の川端龍子展を見た時、国立近代美術館蔵とか、確か東博蔵のものとかも展示され、当然大規模だったけれど、龍子記念館のような区立の美術館では、いくら没後50年とは言え、そういう大きな美術館の大きな作品を揃えられるのかしら?と疑問に思っていたけれど、実際見に行ったら、山種美術館は相互に貸し出しということらしく、山種所蔵の絵を展示してあったが、その他は、大きなところの貸し出しはやはりなかったよう。

だから、川端龍子のダイナミックな会場藝術の素晴らしさを展示するという点では、山種の没後50年の方が作品が揃っていてその偉大さがわかりやすかった。
こちらの区立龍子記念館の没後50年美術展は、「画業とともにその内面に迫る」という副題がぴったりの展覧会であった。
こちらは、それはそれなりに会場藝術として素晴らしさを伝える作品もあったけれど、その他、龍子の家族に対する愛、愛犬に対する愛、仏に対する信仰心が見るものに伝わる作品が多かったところが良かった。
また、明日書くけれど、龍子公園という、川端龍子が設計した建物、庭なぞも見られて、全体で、龍子の色々な面を伝える良い美術館になっていると思う。

また、龍子が大切にしていた仏像三点が展示されていた。
(この三点以外、今、運慶展に展示されている東博所蔵の「毘沙門天立像(重文)」が、元は、龍子所蔵のものだったとか、仏間の襖が俵屋宗達作の物ものとか、すごい←勿論今展示されているのはイミテーション)

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by mw17mw | 2017-11-27 21:07 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)