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天性の「美味しい!状態に執着心」がある東京下町に棲息するおばさんのお料理・お菓子・道具・食材の他、散歩の記録を綴った日記です。by真凛馬


by mw17mw

カテゴリ:東京都内のお散歩・見物( 428 )

2019鳥越祭りスナップ

今年は、本社が我が家の近所を通ったので、短い時間だったが、見に行った。
まずは、天狗さん、本名は、猿田彦さん。
何でも、猿田彦さんについては、何度説明を聞いても覚えられない。
何でも、芸能の神様とか、先導役をする神様とか...。

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この猿田彦さんの特徴は、長い杖をついているとは言え、一本刃の下駄で歩くこと。
これは、日ごろ訓練していないと、うまく歩けないらしい。
昔は、そこら辺の人を雇って天狗さんに仕立てているのではと言われていたが、一本下駄で歩ける訓練をしている専門の芸人でないと歩けないとのこと。(一日中々人が歩いているのか、途中で交代しているのか等はわからない)

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鳥越神社の白い半纏を着ているお兄さんたちが持っている長い竹の竿は、鳥越本社の通り道でお神輿に引っかかりそうな電線を上にあげるもの。

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1枚くらい、本社の画像を...
(本当は動画を上げたいのだが、できないので)

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今年のお馬さんは、小さく可愛いタイプであった、足首の太さが特徴的で、小ささから言っても、もしかしたら、日本古来の馬?
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お馬に乗っている神主さんに赤い傘をさす係のお兄さんは、その他、馬で進む道と一般通行人の進む道をロープで分ける際にも手伝っている働き者であった。

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後ろからついて行くこの一輪の道具やしゃべるを持って歩く人は、勿論、お馬さんのお世話係。砂とか、持って、お馬さんの落とすものを始末して歩く、ご苦労さん。

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本社の渡御には、色々な人が長い行列を作ってにぎやか。
こちらは、町内みこし、それでも、笛や太鼓の生演奏だもの、盛り上がる。
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<おまけ>
お祭りの間、上野のタジマヤに行く用があって、いつも通り、日暮里-錦糸町のバスが通る道より一本北を走ったら、何と、「朝倉彫塑館収蔵庫」という建物があってびっくり。
へ~、朝倉彫塑館には、彫塑館に入りきらないくらいの朝倉さんの作品があるのだ、きっと。
東京都台東区竜泉2丁目6−13
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by mw17mw | 2019-06-13 14:55 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(3)
そういうわけで、お昼を浅草橋で食べた後、チャリで東博に向かったのだ。

<東博内のキッチンカーとお弁当>
切符を見せて、中に入ると、平成館に行くまでの道に、キッチンカーが二台止まっており、一台が「エジプト料理 コシャリ」のキッチンカーで、もう一台はハイチ料理のキッチンカー。(写真を撮らなかったことは失敗)
(エジプト料理のコシャリは、まさしくこの記事の主人公の人のキッチンカーに間違いない。ハイチ料理は、「ハイチ料理 キッチンカー」で検索すると、既に組織化され、都内を何台かの自動車で回っているみたい。しかし、確か、豚肉のグリオという料理と、海老と魚の三種類のお弁当を扱っていた記憶があるので、リンクしたページと同じキッチンカーと思う。)

そういえば、前回東博に来た時にもキッチンカーがあったような気がするが、今回初めて、好奇心の目でみたら、この2つ、他では中々見かけない料理だったし、両方とも安かったし、ベンチやテーブルが出ていたから、ここで食べればよかったなと思う。
(きっと平日は、有楽町の国際フォーラムの前とかアキバの新しいビルの前なぞに、キッチンカーが出ていると思うが、土日祭日は、人出の多い国立博物館内で営業しているのかも。)
東博のレストランというと、私は法隆寺館の中の「オークラ」しか行ったことがないのだが、ここって、高い割には冴えないレストランだったので、東博でランチを食べるという気が起きなかったのは失敗であった。

ただ、残念なのは、この東博内のキッチンカーの日程を検索したが、どこにも出ていないことで、今後も、土日祝日に東博に行ったら、キッチンカーはいそうな気がするが、どんな料理か、行ってみないとわからないのはつまらない。

また、平成館の中に入ったら、向かって左側の大講堂の奥に鶴屋吉信の売店があるのだけれど、その看板を見たら、「たん熊北店謹製お弁当594円」がその日は売り切れだったけれど、売られていることがわかった。(下の画像右下の折詰がそれにあたると思うのだけれど、その下にある太巻きみたいなお寿司は何なのだろう?)

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あ~あ~、あんな焼き鳥のタレ味の親子丼を食べるくらいなら、お腹を空かせて、東博に行けば良かったと後悔。
東博の欠点としては、有料の入場券を持っていないと、敷地に入れないこと、今度はいつ行けるか。

<東博のソファは、豪華に大きくゆっくり気分転換ができる>
まずは屋外の平成館に行くまでの道沿いに、寄附された方の名前入りの木のベンチが並んでいて、緑の木々が多いせいか、カンカン照りに光が当たらないところを探せば、そよ風くらいの風が吹いて、ベンチに座って読書をするととても気持ちが良い。
(今回、私は展示物を見る前に、屋外のベンチに座って、30分くらい、読書してから、平成館に入ったが、これも気持ちが良かった。)

平成館で国宝級の仏像が多い東寺展を見た後は、せっかく東博に来たのなら、他の場所では中々味わえない、広くて天井の高い空間で、豪華なソファに座って、読書をしたいと思った。
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一番の読書に向く場所は、平成館1Fから本館へ向かう継ぎ目のところにある、庭に突き出しているガラス張りの1/4円型の曲がり角。
庭は見えるし、外からの光も気持ちが良いし、最高。
そこには、柱を真ん中にして円状に大きな一人用か二人用のソファが並べられていて、ここの居心地の良さは有名だからか、滅多に空いていることがない。
本を持っていない人は、スマホをチャカチャカいじっているし、どう考えてもすぐにはどいてくれないだろうというのは見えている。
(後から調べたら、東博内部は、無料wi-fiが繋げるみたい)

仕方がないので、次に私がお勧めと思っている「平成館の2階に上るエスカレーターの右側にある考古展示室前の長い廊下の両脇にこれまた豪華な立派なソファが並んでいるところ」があり、こちらは外の景色は見えないが、廊下の幅も広い上に、平成館の一階の天井は本当に高くて気持ちの良い空間。(高い天井までの壁沿いに「寄贈者・寄附者」の名前の細長いプレートがずらっと飾ってあった。)
こういう寄附される方々の厚意で、素敵なソファで読書できるのかも知れない、感謝。
こちらの方がソファの数が多いし、目立たないのか、結構空いていて、最後また30分くらい一人用のソファでゆったりと読書をしてきた。

もし、ここも混んでいたら、鶴屋吉信の売店がある大講堂の中の半分くらい手前のソファが、鶴屋吉信で何かを買わない人でも誰でも使えるようになっているので、全て混んでいたら、最後、ここかなと思った。(ここは前2つに比べると、ソファが余り良くないが、それでも、天井まで高い空間だし、3時頃で殆ど人がいなくて、中々良さそうだった。)

確か、先日、本館に行ったら、同じようなゆったりしたソファが置いてある部屋があったような記憶があるのだが、今、思い出せないし、人に聞いたら、法隆寺館や東洋館にも、静かに読書するのに向いている場所があるとか。
今度探検いたしたい。

ま、東京国立博物館は必ず入場料を払うことになるが、例えば、国立西洋美術館の睡蓮という喫茶店の横の方に無料で利用できるソファがあったかと思う。
また、都美術館はすぐには思い浮かばないが、通常、一番大きい美術展の入口となる一階の一番奥の部屋の左側にビデオが置いてあって、その前に、背もたれのないソファが3列くらい並んでいて、催し物があるときは繰り返しその美術展に関連するビデオを流しているが、ここなんかも、入場券を見せなくても見ることができる場所。
催し物がない時は、ここで本を読めるのかな?

跡、国際子ども図書館の1Fに庭に面して、机と椅子が並んでいて、利用の仕方に制限がなかったような...、今でも変わっていなければ、利用価値大。

by mw17mw | 2019-05-09 14:59 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(2)
滝野川からの道をただただ直進すると、建て替えられたビルが増え、街が何となくにぎやかになってくるのがわかった。
そこからちょっと曲がったところが、JRの埼京線板橋駅であった。
板橋駅のところくらいが昔の板橋宿の終点になるのだろうか、板橋に親戚も友人もいない私にとっての初めての板橋宿。
(国道17号沿いでは、都営三田線の駅の出口くらいは見たことがあった。)

印象としては、ただただ土地が広い、きっと、田んぼの中に線路と駅を作った感じ。
この中山道ウォークの初めに案内の方から、「街道沿いに町があって、そこから少し外れると、畑と村になるって」聞いたが、板橋駅周辺はそんな感じ。

そして、板橋宿は、江戸時代の宿場の中で2番目に長い宿場。何でも、2.2kmあるらしい。
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明日、板橋駅前の話をするが、板橋駅を出発して、中山道に戻り、北へ進む。
何でも、板橋宿というのは、上宿、仲宿、平尾宿に分かれるそう。(勿論、北の方から上、仲、一番南は下ではなく、平尾宿と呼ばれているそう)
板橋宿はもちろん北の方から発展していったが、どんどん、東京に近い方のみに広がっていったとのこと。

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旧中山道は、多分国道17号の白山通りに一旦分離される。
そこまでが「平尾宿」で、大きな国道を渡ったところから、「仲宿」が始まった。
仲宿の中山道はとても長いのだけれど、どうもそのうちの南半分は、住所が「板橋区板橋」、北の方は「板橋区仲宿」のよう。
また、その近くに、加賀藩前田家の下屋敷があったとのことだが、その面積が21万坪だったとか。(地名に藻板橋区加賀が残っている)
何でも、江戸時代、江戸で土地を一番持っていた大名は、島津家で、二番目が前田家とのこと。
(私からすると、その他、細川さんがやたらに東京に土地を持っているような気がする)
前田家は、石川県から参勤交代で江戸に上るわけだが、どこかで、中山道に入り、板橋宿近くの下屋敷で一旦、旅の疲れを取り、その後一日で本郷の上屋敷に入ったのだろうとか想像できて、面白かった。

仲宿ももう古い建物は全然なくて、建て替えが進んでおり、所々、昔のお寺なぞを巡る以外は、昔の香りが全然ないのだが、仲宿は、若い世代の住民が多いのか、商店街が「観光地化された商店街」ではなく「生活感溢れる、食料品が安い商店街」で、素敵であった。住みやすそうな地域。

しかし、後5年早く来ていれば、昔からの建物が少しは見られたらしい、残念。

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ここはどこだかわすれたが、中山道の69次の宿場の名前が埋め込まれた公園。
日本橋を出て一つ目の宿場が「板橋宿」で、次は、「蕨」。
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板橋区の「いたばしかんこうセンター」
とても立派で、資料が揃っていた、一時休憩する椅子もあったかな?
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これが地名の由来となった「板橋」ここが「仲宿」と「上宿」の境となるそう。
江戸時代は板の橋だったから、板橋だったのだろうが、そこを、和宮の3万人の行列を渡って、問題がなかったと思うと丈夫。

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板橋は、「石神井川」に架けられた橋。
この石神井川はとてもきれい。
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何か、最後、歩いてこなすことが自分の中で目的になってしまったこと、お寺以外に古い物が残っていなかったことが残念。

そうだ、北千住のやっちゃばのように、新しい建物の前に、「江戸時代は何屋があったか」という立て札でもあったら、もっと興味は沸いたと思う。


by mw17mw | 2019-05-02 12:00 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)
中山道は、巣鴨地蔵通り商店街を抜けて、今の町名でいう西巣鴨に出た後、少し進むと、池袋と飛鳥山を結ぶ道路に出るのだが、そこを渡ると、北区滝野川に入る。

下の画像は、大正大学の裏にあたる中山道なので、西巣鴨で、そこに写っている昔の木造家屋は、江戸時代からの種苗屋さん。
何でも、ここら辺から滝野川あたりの江戸時代の産業は、種屋さんだったとか。

参勤交代で故郷と江戸を往復する武士たちは、やはり、故郷への土産を用意せざるを得ないのだが、嵩や重さのあるものはだめ、高いものはだめとなると、圧倒的に持っていく方ももらう方も喜んだ江戸のお土産が、「農産物の種」と「切り絵地図(もしくは浮世絵?)だったとか。(版画の多色刷りの技術は大都市に限ったもので、地方にはなかったとか)

で、以前、「駒込の特産物はナス、滝野川は、滝野川ごぼうとか滝野川にんじんの産地」と聞いたことがあったが、その他、農作物の種屋さんが沢山あったのだそうだ。(何でも、駒込は、土が浅く、滝野川は深かったので、ナスとごぼうの差が出たとか)

昔はこの種子屋さんのお宅のような建物がずっと並んでいたのだろうが、今となっては、最後の一軒かも。

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少し歩くと、池袋と飛鳥山を結ぶ道路に出て、池袋方面に少し行ったところに「千川上水公園」に案内され、説明を受けた。
1696年(元禄9年)に江戸幕府将軍徳川綱吉により上水開削が命じられて、玉川上水から分水する形で作られた22kmの上水。
上野・本郷までの水を潤していたが、今は暗渠。

案内の方から千川上水のレクチャーを受け、この巣鴨より北側は、中山道が整備されていたこと、千川上水があったことで、その後の産業の発展が決まったとのこと。
明治時代以降、王子や赤羽には、大砲や鉄砲を作る軍需工場が沢山できたが、それらは、千川上水の豊富な水源があったからとのことであった。

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千川上水の説明も終わり、再度中山道に戻ったが、滝野川に入ると、大きな土地の家というか会社が多かった。
ある建物の前に止まったのだが、そこは何と亀の子束子の会社であった。
その日は土曜日だからシャッターが下りていたが、平日なら、売店となっていて、亀の子束子を買うことができるそう。
(亀の子たわしは今でこそあって当たり前だし、最近はとんと見なくなってきたのものだけれど、戦前なぞは、画期的発明品でバカ売れしたらしい。)
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そのまま歩いて行くと、大きなマンションや駐車場が増えて行く。
その中に「滝野川種苗」という大きなビルが出てきて、「あ、本当だ、滝野川の種屋さんだ」と思ったのは一瞬。
すぐに、玄関に貼られた「休業のお知らせ」にがっかりする。その日付も5月であったから、去年より前の5月には休業に入ってしまったらしい。
この先、中山道沿いに、種苗会社の看板を見ることはなかった、残念。
案内の方の説明によると、大きな敷地のマンションや駐車場は、元種苗屋さんの土地だった可能性が高いとのこと。
時既に遅し、種苗屋さんがずらっと揃っている時の滝野川に来てみたかった。
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滝野川の広い道を歩いて行くと、ぽつんぽつんとお店がある、下の画像は、いなり寿司と海苔巻きのお店。
昔は我が家の方にもこういうお店があったのに、今はもうない、懐かしかったので、パチリ。(あると便利なのだが)

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この先、板橋駅にたどり着くと、街の雰囲気がまた一変する。


by mw17mw | 2019-04-30 21:37 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(2)
昔の巣鴨駅前の話書き忘れを2つ先に

<福福まんじゅうと福嶋家>
私にとって、巣鴨駅の思い出というのは、駅の真向かいにあった「福福まんじゅう」という蒸し器の水蒸気が白く上っているお店。
18歳の時見た時からずっとあったけれど、いつだったか、比較的最近見たら、そのお店がなくなっていた。
そうだよね、巣鴨駅だって、いつまでも木造の昔の商売を続けられる場所ではなくなっているのかもと思い、きっと、商売畳んで土地を売ってしまったのかと思っていたら、この前中山道ウォークの待ち合わせの場所から福福まんじゅうのお店が見えたのだ、あ、まだ、続いていたのだ。
(下の画像のビル一階の一番右、黄色い看板のお店)

案内の方に「福福まんじゅう、古いですよね、まだ、あって嬉しい」と話したら、割と冷めた感じで、「ま、戦後すぐのお店だから、古いと言えば古いけれど...」という反応。
後からの説明を聞くと、巣鴨の中で「古いお店」というと、白山通りに面している福島家という和菓子屋さんなのだそうだ。(場所は変わっているみたいだが)
(江戸時代からのお店で、その頃の逸話は、「福島家(江戸からの和菓子 巣鴨食文化散歩4)」 というブログが見つかった。)

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<徳川慶喜のお屋敷があった町>
徳川慶喜が大政奉還後、紆余曲折の後静岡で30年蟄居した後、東京に戻ることが許され、一番最初に住んだのが、巣鴨駅前だった。
場所から言うと、現在だと、巣鴨信金本店の隣にAPAホテルができたのだが、そこから後ろの広大な土地が徳川慶喜家だったとのこと。

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その話をすると長くなるので、また別に書くが、多分明治30年くらいに巣鴨にお屋敷を持ったのだと思うけれど、そこで、慶喜さんは鶴を飼っていたとのこと。
え、動物園でもないのに、鶴みたいな大きな鳥を飼うなんてやはりすごいと思うと同時に、巣鴨も今から120年くらい前まで、鶴を飼える環境だったことが素晴らしい。
(徳川慶喜は、巣鴨に山手線が通ることを嫌い、4年で、文京区の小日向の方に引っ越してしまい、そちらに30年住んだらしい)

話を巣鴨地蔵通り商店街に戻すと、地蔵通り商店街の真ん中くらいである巣鴨郵便局から、来た道を振り返って写したもの。
半分まで来なくても、少し歩くと、お店と人が少なくなる。

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ここまで来るとき、何でも、地蔵通り商店街では、ときわ食堂が一番人気があって、昔一軒のお店だったのに、隣に空いたお店ができたので、そちらもときわ食堂になったとか。
ときわ食堂って、浅草、入谷、合羽橋本通りにある大衆食堂けれど、それらのお店と似たような内装でありながら、きれいで、にぎわっている感じ。
でも、きっと、出てくるものは、そこそこのお値段でそこそこの美味しさではないかと思ったのだ。

ときわ食堂人気が一番と言うのは、巣鴨地蔵通り商店街が、リピーター客で成り立っている商店街だからこその現象だと思った。
リピーターが、しょっちゅう、歯医者だ、薬がなくなったと言っては通う商店街だからこそ、お昼は安くてそこそこ美味しいものに手が伸びるのだろう。
その点、浅草界隈は、リピーターではなく、常に新しい一見さんが来ることを前提とした観光地だから、ちょっと高くて見栄えするお店がにぎわうのだろう。

もうちょっと歩いて行くと、「充味(みつあじ)」という魚料理のお店が見えてきて、テレビで紹介された写真が沢山貼ってあったのだ。
どうも周囲の人に聞くと、このお店は確実に美味しいらしいが、やはり、地蔵通りの入口からちょっと遠いのが欠点。
いつか行ってみたい。(大正大学の上か、このお店か悩むところ)

<明治女学校跡>
都電の庚申塚駅の近隣は、住所でいうと、「豊島区西巣鴨」らしい。
案内されるがまま、路地に入っていくと、ちょっと小高くなったところに、低層の素敵なマンションが二層ある他、豊島区の特養老人ホーム、区民ひろば西巣鴨第二という施設が揃っていた。
低層の素敵なマンションの隙間から遠くが見えたが、どうも、そこは今歩いてきた道より一段高くなっているのか、下の方に景色が広がっているのがわかった。
で、そのマンションは東大の国際学生寄宿舎なんだって、へ~、良いところに良い物件を持っている東大。
区民ひろば西巣鴨第二と言う建物の前に、「明治女学校跡」という碑があった。
何でも、明治女学校というのは、1885年から1909年まで24年間存在した女学校で、当初、飯田橋にあったものが、1892年に麹町六番町に移転した後、1896年失火で建物を失った跡、この西巣鴨に1897年に移転し、そこでは人が集まらず、閉校が決まったとのこと。
(ということでこの学校の一番輝いていたときは、この地に移ってくる前だったらしい。)
東大の寄宿舎、特養ホーム、区民ひろば、全て合わせて3千坪、全て、明治女学校の敷地だったらしい。

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それにしても、明治女学校って、知らなかった。
今まで東京で一番古い女学校は共立女子で、二番目が文京学院とか覚えていたが、それは、「今でも残っている学校」でということだったのかもしれない。
(と書いたが、その知識は全くでたらめであった、正しい女学校の設立順については、wikiの女学校に詳しいことがわかった。ご興味ある場合は、wikiを参考にしてください)

明治女学校は、生徒も一流なら、先生も一流ですごかったらしい。
自由学園を創った羽仁もとこは、自分の娘を入れたい学校がないから自由学園を創ったとのことだったが、だったら、本人はどこの学校を出たか不思議だったのだ。(調べもしなかったが)
そうしたところ、羽仁もと子さんは、この明治女学校の出身であった。

その他、今回この女学校の紹介をしてくださった方によると、教頭の若松賤子(わかまつしずこ)という人の本を読んで、憧れ、樋口一葉が小説を書くようになったとか、(原文のままではないが)聞いて、がぜん興味が湧いた。

若松賤子さんって、32歳の短い人生の中、波乱万丈な生涯を送りながら、全く外国に行ったこともないのに、西洋人の英語塾で、英語も外国の習慣を覚えて、小公女とか小公子を翻訳したとのこと、びっくり!(そういう翻訳って、村岡花子さんが先駆者ではなかったのだ、明治の頃、既にそれができた人がいたのだ。
簡単に書きようがないのだが、会津藩の藩士の子供として生まれ、会津戦争で敗れ、母を失い、父は行方不明の身の上のところ、横浜の商人の養女になり、横浜で、フェリス女学院の前身である英語塾で教育を受けたとのこと。
その後、キリスト教徒にもなり、結核にもなり、結婚もし、子供を3人もうけて、しかも、明治女学校の教頭もし、翻訳及び文学活動をしていたとのこと。
確かに、明治の女、しかも会津の女、すごい...。(もっと、書くと、夫であった巌本善治のwikiを読むと、彼女の生んだ三人の子の娘にバイオリニストの巌本真理がいたりして、またまたすごいと思う)

詳しいことはまだわからないが、明治以降、日本の才女というと、樋口一葉が上げられるけれど、この若松賤子さんという人ももっと取り上げられて然るべきと思うが、余りに短い人生、自分で考えた文学より翻訳が良かったということで、取り上げにくかったのか?
今回、この若松賤子さんを知りえたことが一番の収穫。


by mw17mw | 2019-04-29 23:58 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(4)
今回、中山道ウォークに何気なく参加させていただいたのだが、「中山道の終点が京都」という知識が、私の頭には全然なかった。日本史、大学受験の科目に選ばなかったし、暴力、人殺しが嫌いだから、時代劇ものは、見ないし、余程のことがないと読まないしで、スポっと当たり前の常識が欠落していたことがその時わかった。(どこが終点と思っていたかと言うと、木曽くらい?)

そして、巣鴨駅から中山道を歩くとなると、何と、巣鴨地蔵通り商店街こそ、昔の中山道なのだって。

ということで、初日は、地蔵通り商店街を歩くことをメインに、中山道や巣鴨のの昔の話を聞いた。

地蔵通り商店街は、自分でも何度か歩いたことがあるし、おばあさんの原宿という賑わいで、だいたいわけがわかっていると思っていたが、結構知らないことが多くて楽しかった。

江戸時代、巣鴨は、中山道の立場(たてば 休憩所)として栄えていたが、その当時、「お地蔵さん」は、とげぬき地蔵ではなく、眞性寺という中山道の入口のお寺に作られた江戸六地蔵のお地蔵さんしかなく、皆、中山道から旅に出る人たちはこのお地蔵さんに旅の安全を祈ったものとのこと。
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で、高岩寺というとげぬき地蔵のあるお寺は、何と、江戸時代は、神田明神の裏手にあったものが、明暦の大火で建物を焼失し、今の上野駅の向かい側岩倉高校のところに移ったらしいが、それも明治に入り、明治24年に上野駅の整備に伴い、今の巣鴨に移ったらしい。
それまで、結構人気のある寺であったが、巣鴨に移ってからは参拝者が減ってしまったところ、明治36年の山手線巣鴨駅開業を機会に、高岩寺さんの努力もあって、「とげぬき地蔵」の後利益が広まり、段々、昔の賑わいを取り戻したのだとのこと。
何も知らないければ、きっと「とげぬき地蔵」は昔からの信仰に守られていると思うけれど、お寺側の努力の話を聞くと、偉いと思う。

また、つまらない話だけれど、この巣鴨地蔵通り商店街で一番多いお店の業種は何でしょう?と言われたけれど、わからなかった。
お饅頭屋?とも思ったが、実は、「歯医者さん:と「薬局」なのだって。
そうか、「とげぬき地蔵」に毎週お参りに行くというと、周りの人があきれるかも知れないが、「老人に優しい歯医者にいくついでにお参りに」とか、「地蔵通りの薬局は老人向けの商品が揃っている」というと、行きやすいのかも知れない。

勿論お饅頭屋さんというか、お饅頭やお赤飯、おにぎりを売る他、軽食もできる甘味処も併設しているお店がぎっしり、いいな~、今度食べたいが、どこも混んでいて入れるかなと言う感じ?

下の画像は、高岩寺にある高島易断さんのところに貼ってあった「尊王志士46名」の画像。
歴史的には、フルベッキ群像写真の44名の志士たちという写真らしきもの。真贋良くわからないというけれど、これって、本物ではないような気がする。
昔、この写真を撮る場合、全員10分か身動きしないと写真に納まらなかったらしい、それを考えても、切り貼りした画像かなと私は思う。(リンクしたページをクリックすると、名前がはっきりする)

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高岩寺を出て、旧中山道を進んでいくと、庚申塚という都電の駅に出るのだが、その間半分くらいはとても賑やか。
しかし、半分くらいからお店も歩く人の数も減っていく。
そして、案内してくださった方のお話によると、「来るのが遅すぎた、そこの新しい花屋さんは、以前、自家製の味噌を作っているお店だった」とか、もう、昔の商売をやめてしまったお店が相当あって、もう昔の姿は見れないのだって。

地蔵通り商店街は、既に地元民のための商店街ではなくなっており、他所から来る観光客が目当てで、全国から集まったお土産物やお菓子のお店ばかりになっていた、ま、仕方ないか。

あ、そうそう、これはとても大切な話なのだけれど、京都に行くのに、東海道以外、中山道というルートがあったは、東海道だと、天竜川とか、大きな川を渡る必要があり、女性には向かないルートであったからとのこと。

で、中山道が1600年以降徳川家康の命令で整備されて以来、有名なのは、新選組が京に上った時と、皇女和宮の降嫁のとき、3万人の行列で、中山道を下ってきたこととのこと。
特に、皇女和宮のお輿入れのときは、3万人が2か月をかけて京から江戸に移動するわけで、それらの人が眠ったり休んだりする施設が必要なこともあり、中山道全て、道沿いにどのような大きさの家があって、誰が住み、他に人を泊める余力があるかなぞ調査をした記録(江戸時代末期の中山道の姿)が完ぺきに残っているそうだ。


by mw17mw | 2019-04-28 12:19 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)
今年は、としま案内人駒込・巣鴨というボランティア団体が主催する「ソメイヨシノの里 駒込・染井を訪れる」桜ツアーに申し込んで、参加することができた。

実は、私は、50年近く前、合格した大学に行くには、巣鴨駅か駒込駅からだと、絶対、染井霊園を通らなくてはならなかった。
だから、何度も何度も中を歩いたことはあるのだが、詳しい人に案内してもらったことはなかったのだ。
だから、何も知らず、家の人に聞いても「染井霊園は、ソメイヨシノの発祥の地」というくらいの知識、また、芥川龍之介のお墓があることくらいしか知らず、ただ緑が多い雑司が谷みたいな墓地とか、痴漢がいたみたいな印象しかなかったのだ。(笑)
その頃、案内してくれる人がいたら、印象がまた違ったであろう。

(以下、私は桜の専門家でもないし、駒込・巣鴨の方の歴史研究家でもないので、間違いも書くかも知れない、その程度の文章と思って読んでください)

で、今回は、駒込駅前で集合して、最初の一時間は、豊島区駒込の方に行き、妙義神社・旧丹羽家住宅蔵・染井よしのさくらの里公園とか、江戸時代、豊島区駒込にあったという多数の植木屋さんの集合体の面影、駒込に残るその方たちのお墓、ソメイヨシノに関しても残っている資料を展示している場所を案内してくださった。

だから、実は、この桜ツアーに加わる前日まで、テレビでは、「現在、昔植えられたソメイヨシノに寿命が来て、今度はどの品種を植えるか、検討している地域が多い」みたいな話題を沢山放送していたので、見ていた。
何でも、桜も連作は良くなく、ソメイヨシノの後は、他の品種の方が望ましいとのこと。
そのテレビを見ていて、納得していて,ソメイヨシノはどんどん減って行き、日本の桜は、違う品種の時代に突入するのだと思っていた。
しかし、それが駒込に来て、沢山のソメイヨシノを見せられ、としま案内人の方にソメイヨシノの美しさをレクチャーされると、「そんなことはないのだ、桜と言ったら未来永劫ソメイヨシノしかありえない」と簡単に洗脳されてしまう。(笑)

とにかく、駒込駅の巣鴨に近い方の改札付近は、ソメイヨシノだらけ、きれいだけれど。
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こちらの画像は、ソメイヨシノと関係ないのだけれど、妙義神社という豊島区で一番古い神社の上から写した写真。
何でも、妙義神社は現在隣の土地に神社を立て直しているとのことで、隣が空き地になっていた。
空き地の向こうに見える右側の赤っぽい屋根の建物は、女子栄養大学の短大?左側の黒っぽい屋根に十字架の建物は、中央聖書神学校なのだって。(私はその存在すら知らなかった。)

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豊島区駒込という住所の地域は、殆ど区画整理をされていない地域で、一人で中に入ったら、迷子になることは必至。
そこを詳しい方が案内してくださったので、すいすい進めた。
西福寺だったか、昔の植木屋さんのお墓があるお寺を見学した後、小学校に案内される。

東京の桜の開花宣言は、靖国神社の標準木の花が5輪咲くかどうかで決まるとのことだが、豊島区は、独自に駒込小学校の校庭にあるソメイヨシノを標準木を決めていて、豊島区独自でソメイヨシノの開花宣言をしているのだって。(笑)

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次は、旧丹羽家という、大きな植木屋さんであったお家の蔵や武家の門を移築した広場、蔵の中には、ソメイヨシノに関する昔の書物などを展示している。
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その次に、「染井よしの桜の里公園」に案内された。
そこも沢山のソメイヨシノの木があって、見事だった。
そして、今でも、多分、豊島区が、大島桜にエドヒガシを接ぎ木して、数年に一度植え替えるという作業を繰り返して、ソメイヨシノを育てているという地域があったのでびっくり!
災害に遭って、ソメイヨシノが枯れてしまったという地域に、送るために育てているとのこと、熱い!
(下の写真が下手でごめんなさい)

とにかく、豊島区が「ソメイヨシノはおらが地域が作った名産品、ソメイヨシノの発祥の地を名乗れるのは豊島区だけ!」と熱いことは良くわかったし、昔に比べて、そのことに関する施設の整備も完了したみたい。

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この後、染井霊園に向かったが、染井霊園の桜も本当にきれいだった。
(こちらは、桜の話より、誰のお墓があるみたいな説明であったので、このブログでは割愛)
染井の里と言われた植木屋さんの住居は、染井霊園になる前の染井の里にあったみたいだが、何でも、高台で、周囲は崖だったので、日当たりが良くて、植木に向いていたそうな。

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このツアーに参加させていただき、本当に良かったことは、長年の謎が解けたこと。
良く、江戸時代、染井の里には、沢山の植木屋さんが住んでいて、ソメイヨシノも、染井の里で開発されたと聞く。
しかし、今の時代、染井・駒込に全く植木屋さんがいなくて、これはどうしたものか、ま、どんどん都市化が進んでいったわけで、今、植木屋さんがいないのはわからないわけではなかったが、本当に江戸時代植木職人が集合して住んでいたのかわからなかったのだ。

そうしたら、今回の桜ツアーで色々教えていただいて、なるほど、その話は確かに事実らしいと思えたのだ。

その植木屋さんのお得意さんは、参勤交代で江戸に来て少なくとも上中下屋敷を持っていた大名家で、そこには、必ず大名庭園があったわけで、江戸時代、江戸中の大名庭園は、千あったと言われたくらい多かったので、多くの植木職人は皆潤っていたらしい。
それが明治維新で、大名制度が廃止され、大名屋敷・庭園は売られてしまって、潰されて行った。
そんな中、染井の植木屋さんたちは、明治維新で、今までの商売が成り立たなくなり、全員が全員というわけではないのだろうが、現在の埼玉県川口市の安行(あんぎょう)という地域に移住したのだそうだ。

それで私の頭の中は話が通った。
十年以上前になるけれど、自動車で長野県から帰って来た時に運転している人が下りるインターを間違えて、多分、川口で下りてしまったのだ、そうしたら、迷い込んだ地域が、どこの道を通っても、人間の背丈くらいの植木の大きな庭に囲まれた家ばかりで、そこは安行という植木屋さんが沢山ある地域であることを偶然知った。

としま案内人の方に確認したら、安行は、駒込から移住した植木屋さんの明治以降の移住先とのこと、とても納得。
今でも、駒込界隈で、植木に関する催し物があると、安行の人たちが手伝いに来てくれるそうな、安行の人たちも、駒込から移住してきたので、駒込が祖先の土地であるという自覚があるとのこと。

wikiで、「安行(川口市)」を検索すると、地理のところに「鉄道開通以前は園芸農業が発達していた地域で多くの自然が現存していた。また、安行地区の南部は埼玉県立安行武南自然公園の区域でもある。安行は植木の産地としても知られ、埼玉県植物振興センターが所在する。安行地区の北部は南部とは対照的に平坦な土地が多い。」なんて、駒込との関係には触れていないし、なぜ、園芸農業が発達したかについては触れずに、つれないことしか書いていない。
誰も、安行がどうして植木屋さんが沢山いる地域になったかなんて、関心ないのかな?
私なぞ、今回知りえたことは結構面白かった。

by mw17mw | 2019-04-06 22:56 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)
今年、桜見物に偶然二度行くことになった。
一度は、お花見の会に参加だから、意図的な桜見物、もう一度は、初めて行ったら、見事な桜のお寺であったという話。

その初めて行ったお寺は、女優の昨年亡くなられた○木希○さんのお墓があって、お葬式をした光林寺というお寺。
そのお墓を彼女が選んで買ったのかは何を読んでもはっきり書いていないが、内田裕也さんはもともと関西の人だから、その先祖代々の墓が東京にあるとは考えにくく、やはり、この女優さんが選びに選んで決めた菩提寺なのかなと想像している。

彼女が亡くなる半年前か一年前に、テレビで、その女優さんの自宅や持っている東京の不動産を紹介する番組を見ていて、東京の土地の価値に対する高い見識とか建築に関する同じく高い美意識を感じたこともあったし、そのお寺の場所が南麻布で、禅宗のお寺で、大名のお墓も多く、それより以前に品川Iさんに案内してもらった高輪の同じような、禅宗のお寺で大名家のお墓が沢山ある東禅寺がとても素敵だったこともあり、そのお寺を一度見たいと思っていたのだ。

地図で調べると、新橋から渋谷まで走っている都06というバスの沿線で、「光林寺」という停留所があるみたい。
で、その話を品川Iさんにすると、この停留所のことを良く知ってらしたのだが、走っているバスは、「品97」というバスとのこと。
で、みんくるという都バスの地図を見ると確かに、品97も走っているみたい、こちらは、新宿西口から品川の高輪口のよう。
家のお墓参りの時、必ず、都バスの一日乗車券を買うので、我が家のお墓参りを済ませた後で、池袋から新宿まで山手線で行って、品97というバスに小田急ハルクの前から乗ってみた。
また、品97の沿線の話は別に書くとして、とにもかくにも光林寺という停留所に着いた。

ただ、下りても、地図も持っていず、お寺はどこかな?と思ったら、停留所の真ん前がそのお寺で、現代的な塀が続いていた、そこの開いているところを入っていくと、とても広い駐車場があり、その先に、昔風の壁と門があった。
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中に入って、一番最初に目に入るのは、見事な大振りな桜の木2本(もしかしたら、本ではなく、何本かまとめた者かも)と白い素敵な建物。

品川の東禅寺と比べると、こちらのお寺は、敷地が狭く、東禅寺は、お墓とお寺の敷地がはっきり分かれていて、お墓の方は一般の人が入れないようになっていたが、こちらは、そんなことはなく、本堂の場所からすぐ墓地に繋がっていた。(でも、今後荒らされるようなことがあったら、きっと入場制限になるだろう)

(私は、ただ、このお寺の美しさを知りたくて、訪れただけであり、勿論、その女優さんのお墓を探すようなことは全くしないで、5分くらい、遠目で、全体の美しさと桜を見て、出てきた。)

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古い門を入ると、すぐ目の前と、右の方に二本、桜の古木があった。
こんな古くて立派な桜の木を見るのは、10年以上前の山梨の長坂以来かも。

何ていうのか、今、桜並木になっているところとか、斜面に沢山植えられている見事な桜もきれいなのだが、それらって、日本舞踊というか、レビューで行ったら、群舞の美しさ?
このお寺の太くて古い桜の木の花の美しさは、大女優が、その人だけの魅力で舞台を仕切っていても美しさや魅力があふれている舞台のように見えた。
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その他、入って左手の方が墓地になっていて、墓地の奥の方に、もう一組、一本に見えるけれど、実は何本かまとめて植えられている桜の園が見えて、そちらもきれい。

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こちらは、途中で引き返したが、このお寺の奥の方は、石段になっていて、その上は高台になっているよう。
家に帰ってから地図を見ると、高台の南斜面から、低地に作られたお寺、確かに住むとしても一等地だと思う。
(一番底は、きっと、このお寺の前に走っている渋谷川?)

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観光で有名でもない、静かなお寺に無関係な私が入るのはちょっと気が引けたが、お寺というのは、入ってくる人を拒否しないで、門が開いている。
そこを入っていくとき、常識と尊敬を持って、失礼のないよう、最小限、見たいものだけを見ても良いと思ったので行ってきた。

偶然ではあったが、桜満開の日にあたって良かった。
このお寺は、桜の季節以外もきれいなお寺ではあるだろうけれど、桜の季節が最高なのだ。(だから、その女優さんのお葬式の時、このお寺の美しさはそれほど取り上げられなかった気がする)

家に帰って、iPadの大江戸今昔めぐりというアプリで、この光林寺を探してみたが、江戸時代の地図にもこのお寺に桜の木のマークがついていた、もしかして、江戸時代はこのお寺の桜の木は有名だったのかも知れない。

by mw17mw | 2019-04-01 11:13 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

世界のカバン博物館

<世界のカバン博物館>
12月のある日、家の近所の駒形にあるカバンの大会社であるエース株式会社「世界のカバン博物館」に行ってみた。
なぜかというと、余りに近過ぎて訪れていないけれど、ここが推薦する価値があるか知りたくなったのだ。(知らないと人を案内できない)

この会社は、発祥は大阪で、最初の東京の拠点がこの駒形の地であったよう。
その後、神宮前に東京本社は引っ越してしまい、残った駒形のビルの中に、子会社のオフィスの他、博物館を作ったみたいだ。

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人類長い歴史の中のカバンに値するものから、この100年くらいの古いカバンの展示があった。
しかし、2年くらい前だったか、ルイ・ヴイトンが「空飛ぶルイ・ヴィトン」だったかの展覧会を開いて、それを見た者の目から見ると、スケールが小さく、ま、こんなものかなという印象になってしまった。(しかし、ルイ・ヴィトンの展覧会を見ていない人だったら、楽しめると思う)

一つ役に立ったのは、「サラトガ・バッグ」だったか、サラトガと名前のつくバッグがあったのだ。
「サラトガ」って、カーリー・サイモンの「You're so vain」の歌詞に出てくる言葉で、どういう意味かわからなかったのだが、この博物館のサラトガ・バッグの説明の中に、「アメリカの金持ちが集まる避暑地」とかなんとか書いてあって、初めてわかった。
そうか、やはり、カーリー・サイモンは、お金持ちの娘でアメリカの私立の女子大出身とか聞いていたけれど、本当だなと納得。(下の画像とサラトガ・バッグが関係あるのか、一か月以上前の画像なので、わからなくなってしまった。)
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これは武家が使った長持ち。確かにこれもカバンの一種。ただ、これを担いで歩く奴さんたち、大変だったろうと思う。
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明治以降のカバンの展示より、戦後の日本で、誰でも海外旅行に行けるようになったとき、JALとか、Air Franceとかのロゴが描かれた四角いショルダーバッグが流行ったこととか、高校生中学生に「Madison Square Garden」と書かれたバッグが爆発的に流行った展示が懐かしく、面白かった。
(もしかしたら、その戦後爆発的に流行したバッグの話は、カバンの博物館ではなく、下の画像の「新川柳作」さんの記念館の方だったかも)

先程も書いたように、ヨーロッパのメーカーのコレクションに負ける、「世界を股にかけるための旅行用のバッグ」より、このエースを作った創業者である新川柳作さんの話 の方が面白かった。

戦前、第二次世界大戦のちょっと前くらいに、田舎から出てきた新川さんが大阪のかばん製造と卸の会社に入って、戦争には徴兵されたものの、無事帰還して、その後、戦後の高成長の時代、破竹の勢いで会社を大きくしていく話が面白かった。(その時代、どの分野でも、立志伝中の人物っているのだ、という感じ)

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その他、ソファが置いてある休憩室に、昔の浅草の写真が飾ってあって、興味深かった。(こういう浅草の古い写真が飾ってあるのは、この駒形のエースの博物館だけかも)

しつこいけれど、ルイ・ヴィトンが3年くらい前に開いた展覧会に行ったことのない人には見る価値があると思うし、ルイ・ヴィトンを見たことある人でも、ある程度の年齢の人なら、戦後の日本人のカバンの流行なぞ、楽しい展示があるから、結構楽しめる。

by mw17mw | 2019-01-16 21:15 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

愛宕神社は素敵2/2

エレベーターを降りて神社側で目に入ったのは、駐車場で、フェルミエというチーズ屋さんの自動車がたくさん停まっていてること、あ、そうだ、フェルミエは、住所が港区愛宕だったことを思い出した。
その駐車場は、自動車でお参りに来た人たちの自動車を止められるのかどうか、不確か。
しかし、階段とエレベータだけでは何も山頂に運べないものね、下の画像のような道があって、当然。
その両側の木が紅葉し、遠くに高層ビルが見えて、とてもきれいなところであった。

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ここは横から写した社殿横と思う、木々が鬱蒼としている中に紅葉の赤が映えてきれい。

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表の方に回って、出世の階段の方に行ってみる。
紅葉と黄葉がきれい。
江戸時代とか、高層ビルが建てられる前、この神社から、東京湾から房総半島まで見えたらしい、さぞきれいだっただろう。(地図をこの神社から海の方向に進むと、浜離宮。)
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下を覗くとやはり相当な坂。
「もしや」と思って、家に帰って調べたら、「九月の【出世の石段祭(隔年)】9月22日~24日は、神社で一番大きなお祭り。一年の感謝を神様に捧げる。2年に1度、御神輿が出世の石段を行き来し大変勇壮である。
町内を巡行した後、提灯を付けた御神輿が急勾配の石段を登る様はダイナミックそのもので祭りのクライマックスに相応しく興奮は一気に高まる。」とのこと。
やはり、この神社もこの急な階段をおみこし担いだまま、上り下りするのだ、怖そう。
それは品川神社と同じ、徳川家康がこの神社を作り、品川神社も徳川家康の加護の下にあったというが、家康さんはこういう急坂の神社が好きなのか?
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鳥居から社殿に向かって右の方に池があるのだが、お水がとてもきれい。
こんな高いところにある池ながら、地下水なのかな?
都心だから、周囲に色々な工事があるだろうに、まだ、水脈が切れていないところが良い。
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そして、その池で泳ぐ鯉は、とてもカラフルなものばかり。(もしかして、黒い鯉もいるのかも知れないが、ほぼカラフルな鯉しか見えない)
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これは、社殿の真ん前の丹塗りの門。
東照宮なぞを思い出させる風情で、明るくて素敵。
社殿は、画像を撮らなかったが、この門をくぐって入ると、そこが社殿、お参りをする。

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これは、社殿の右横に並んでいる福寿稲荷社、稲荷神社だから、沢山のきつねが石に彫られていて、可愛い。
この左横の通路を入っていくと、「中庭」だったか、「奥庭」に通ずる。

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と、そこのお庭は人が訪問してくることを前提としていないようなお庭なのだけれど、名前は失念したが、雌の老犬がいて大人しくて可愛い。
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山頂にある神社の横に「茶店」があった。

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豊かできれいなお水の池、緑豊かな環境の中にカラフルな木々に鯉、鳥居や門にも赤が多用されていて、とても明るくてきれいな神社と言う印象であった。
愛宕神社のご利益は、「火に関するもの、防火、防災 印刷・コンピュータ関係 商売繁昌 恋愛、結婚、縁結び」とのことだが、もともと防火の神様としてまつられた神社。
しかし、きっと「出世の階段」の逸話から、この階段を上ると出世できるとかの逸話で人気が出たのかも知れない。
(この神社の御利益に関しては、このページに詳しい)

下の画像は、一番最初の画像と同じなのだが、最後、この道を歩いて下り、大通りに戻った。
しかし、この景色を見てもわかるように、この愛宕山の山頂は小さいけれど、本当に、大都会のオアシス。
何だか、そこにいて、散歩しているだけで、楽しくゆったりした気分になれるのが不思議。
(色々検索すると、平日のお昼休みは、近隣のサラリーマンの憩いの場所になっているらしい)

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石畳の道を歩いて行くと、右側のビルの1,2Fがフェルミエというチーズ屋さんであることがわかる。
ここは20年くらい前にメーリングリストをしている時、その後、大事件を起こしたK女史が、このお店がお気に入りで、良く買いに行った様子を投稿していたことを歩きながら、「あ~、あのメールに出てくるお店はここだったのだ」と思い出していた。

田崎真也さんのお店も、愛宕神社の近くにあると聞いたが、その時は見つからなかった。
家に帰って調べると、フェルミエと同じビルの3Fが田崎さんのお店であった。

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すぐに、素敵な日本家屋が出てきたが、これは、今は、損保ジャパン日本興亜の施設になっていて、一般の人は入れないらしい。

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このまま下りて行くと、愛宕神社の出世の階段右横のホテルの右隣に出たのだけれど、この車道は、愛宕神社の私道のように見えた。

この神社は、小さいし、ご利益で縁結びとか勝負事とかではなく、防火とか地味な分損をしているけれど、何ていうか、とても都心と思えない程、木々が豊かだし、きれい。
また、きれいであろうと色使いに努力している感じがとても良かった。(ざっとしか見ていないけれど、落ち着きがあってしかもカラフルできれいな神社ということでは、東京屈指かも)
ま、ここだけ単独で行くことは少ないかもしれないが、どこかと組み合わせて一度行ってみる価値はあると思う。
土地全体、山全体に品があるのだけれど、しかも、それだけでなく、生き生きしていてきれいで、本当に都会のオアシス。

一番近い地下鉄の駅は、日比谷線の神谷町で徒歩5分、他、銀座線虎ノ門駅や都営三田線御成門駅なぞからも歩いて8分らしい。
バスなら、東京駅から等々力行きの東急バスに乗ることがお勧め。(「東京駅 等々力 バス 時刻表」で検索すると時刻表が出てくる)

by mw17mw | 2019-01-03 10:30 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)