天性の「美味しい!状態に執着心」がある東京下町に棲息するおばさんのお料理・お菓子・道具・食材の日記です。ご自分のブログやHPの宣伝はコメントではなくTBでお願いします。 by真凛馬


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カテゴリ:東京都内のお散歩・見物( 388 )

先日、広島Iさんと和敬塾本館見学に行ったとき、どうせ、目白に行くのなら、学習院大学の構内を見物したいと、広島Iさんに提案したら、受け入れてくれて、しかも、守衛さんのところで、「見学に来ました」と名前を名簿に書けば、入れることを調べてくださった。(それは先日の立教大学もそうなのだって)
というのは、先日、明治神宮横の馬場を初めて知ったとき、色々調べたら、都内には、もう一つ学習院大学の構内に馬場があったので、それを見たいと思ったのだ。

11時半くらいに待ち合わせて、志むらで、かき氷とおにぎりを注文して食べたら、もちろん、ファーストフードのお店のようにテキパキ出てくるわけではないので、結構時間がかかってしまい、学習院は、和敬塾見学が終わってからにすることにした。

だったら、中途半端な時間が余ったので、バスに乗って、和敬塾の最寄りの停留所より一つ手前の日本女子大学の前で降りて、日本女子大を軽く見学しましょうということになった。

日本女子大学キャンパス>
ポン女の周囲は何度か通ったことがあったのだけれど、外から見ると、明治時代に作られたような講堂が見えるだけで、大学の周囲に飲食店等が全然ない環境のとても小さな地味な大学という印象であった。(わ、女性だけの大学だし、ここに入ったら授業をさぼるのに使える喫茶店も全くなく、つまらなそうと思っていた)
で、広島Iさんが守衛室に見学を申し込んでくださって、中に入ることができた。
私としては、古い古い戦前の講堂、それは、木造で、上野の山の奏楽堂のように、日本人の体形が今より小さかった日本人の体形に合わせて設計されている。
名前を成瀬記念講堂と言い、正門の右側にあるのだけれど、それを広島Iさんに見せたかったのに、現在、何だか工事中で、見ることができない状態であった。
その工事近くにいる人に聞いたら、「耐震工事をしているだけ」とのことで、決して解体工事ではないらしいので安心。
何だか、ポン女のシンボル的存在の講堂だから。

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他、守衛室の近くに、もう一つ、完全な木造の和館があったけれど、これはもしかして、創立者の成瀬仁蔵さんの生前の住居かな?
こんな学園内に住居があったとしたら、本当に人生全てをポン女と女子教育に捧げていたことが良く分かる。

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また、目白台って、真ん中の道路を中央にした馬の背のような細い台地で、そこから両サイドとも、なだらかに斜面が落ちていき、北側の一番底の谷が不忍通り(しのばずどおり)で、不忍通りを渡ったところから、また、上る斜面が雑司ヶ谷方面に伸びていることがわかる。(南側の谷は神田川かな?)
ポン女の敷地の真ん中くらいから、不忍通りの方が見渡せるところがあり、以前、私が散歩中に不忍通りから雑司ヶ谷にかけての土地に見つけた「今は使わなくなった、昔のポン女の学生寮が立っている敷地」らしきものが遠くの上り斜面に見えた。(ポン女って、学生寮の敷地まで含めたら、結構広大な広さの大学のよう。)

今は時代が変わったけれど、ポン女は、日本で初めての女子大だし、地方の進んだ家庭の子女やお母さんがポン女出身の人は、娘もポン女で教育を受けさせたいと思ったのだろうが、その頃、東京に親戚がなかったら、それは無理になってしまうので、学校の反対側の森を切り開いて学生寮を作ったのかも。
それがいつのものか、良くわからないのだけれど、4,5階建てのエレベーターもなさそうな細長い建物が多かったから、きっと、戦後のものではないかと思う。
でも、今はまるで使われていなくて、さび付いたような建物がところどころに見える敷地。

そのあと、学生の集会所のようなビルがあったので、そこに足を踏み入れたら、地下が学食、一階がカフェやコンビニ、旅行代理店、二階が文房具等を売っているお店が二店入っていた。

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一店は、目白通りを挟んだ反対側にある日本女子大付属豊明小学校と幼稚園関連のグッズを扱っている桜楓会という日本女子大卒業生の会が運営するお店であった。
色々なものを売っていたが、「国語帳」「算数帳」「理科帳」「社会帳」「日記帳」だの、普通の公立小学校の生徒だったら、カラーの写真がついた色々な魅力的なノートを使うのに、こちらでは、本当に大学ノートを使いやすくしたような地味なノートだけを売っていたが、生徒は皆逆らわずに他所のお店で他のノートを買わずに、こちらのノートを使っているのだろうか?(勿論、低学年用は、「こくごちょう」「さんすうちょう」などなど)
他、学校で使うものや、子供用のレインコートなぞ、よそでは中々扱っていないものが並んでいた。
私は、友達にポン女卒業の人はいないのだけれど、お母さんがポン女というお友達が一人いて、そのお母さんは、普通の主婦だったけれど、趣味も広く、お話も面白いし、だれに対しても寛容な素敵な人であった。
後、何度も書くけれど、我が家のお墓は成瀬仁蔵さんのお墓の近くなので、命日にポン女の制服を着た生徒さんたちが先生に連れられてお参りに来た時に遭遇したことがあって、皆、身なりがきちんとしていて、髪の毛の長い人はきちんとおさげにして、自分の番が来るまで、誰も私語を発しないで、きれいな姿勢で静かに並んで待っていたのを見たことがあって、私の中の日本女子大への印象はとても良い。
この学校の「小さな淑女のような女の子たち」は、日本女子大学という環境で自然にこぎれいに身支度を整え、周りの迷惑になることに気を遣い、人や物を大切にする精神が養われていくのかと思った。

あ、そうそう、その卒業生のお店に、東京の老舗が予約注文を受ける日本女子大向けのお菓子なぞが結構並んでいたが、皆、そういう老舗のお嬢さんたちも日本女子大に入るのかな?

学習院大学のキャンパス>
こちらはのんきに、和敬塾の見学会が終わった後、目白駅に行くバスに乗って、目白駅の一つ手前、確か、目白警察署前で降りたら、そこが学習院の正門で、「見学したいのですが」と言ったら、「見学は、全て4時に終了することになっており、今、3時50分です」と言われてしまった。(笑)
そうか、どうやって入るかは気にしていたけれど、時間に制限があるなんて、二人の頭にはまるで浮かんでいなかった。
でも、どうせなら、10分でも中に入りたいと、無理をお願いして、入れてもらった。
(それに、「馬場に行きたい」と守衛さんに行ったら、「今は、馬場は見学禁止です」と言われてしまい、それだったら、見る時間少なくても大丈夫と思ったのだ。)

だから、ほんの5分、折り返してきた。
外から見たものは、大きな現代的な高いビルと、きっと戦前からの洋館だろう白い建物なぞが入り組んで存在している。

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後、学習院は目白に明治41年(1908年)に移転したとのことだから、この地で110年の歴史があるだけあって、立派な木が多かった。
その中で面白かったのは、下左の画像は、朽ちて倒れた木を横にし、そこに新しい木を接ぎ木したのか、朽ちた木の残った養分を吸って新しい生命が伸びている様子、右は暗くてわかりにくいが、真ん中に一本細い木があって、もう一本の太い木がそれを取り囲むように生えていたこと。
学部には、植物とか能楽関係はないようだが、どなたか、こういうものが好きな人がおられるのか。

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学習院大学のキャンパスは木々が沢山あって素敵だし、馬場にも近寄ってみたいので、またチャンスがあったら、ゆっくり見に行きたい。


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by mw17mw | 2018-07-23 21:24 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(2)
この見学会は、「14:00集合、所要時間は1時間程度で、定員は30名で、案内付き。入館料は一人1,000円(消費税別途)」とのこと。
結論から言うと、きれいなカラーの写真が沢山載っている冊子をもらえるし、最後、旧細川侯爵邸の客間で、お茶とお菓子を出していただき、しばし、お屋敷の中で休むことができ、決して、高くないと思ったし、案内をしてくださった方の他、お庭の手入れを担当していると思われる方たちとも少し接触したのだが、和敬塾の人たちは皆にこにこしていて、親切で、感じが良かった。

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まずは、門を入って暫し、両側の緑の木が植わっている道を歩いていくと、14時に集合する和敬塾の管理棟の会議室のようなところに着く。
名前をチェックして、入館料を払い、空いている席に着く。
暫しして人数が揃い始めると、「まず、お庭に行くので、蚊が多いから、虫よけスプレーがありますので、露出している皮膚に吹き付けてください」と言われる。
確かに、蚊が多そうというか、土と緑が豊かだから、水たまりも多いのかもと想像がつく。

で、今回ご一緒する方々を見回すと、定員が30人とすると、28人は女性、男性は、一人で参加している人が一人と、どなたか女性とカップルの男性が一人だけであった。
女性は、グループで来ている人もいれば、一人で参加している人も色々。

まずは、旧細川侯爵邸のお庭に回って、チューダー調と言われる建物全体を見る。
何でも、昭和11年に、それまであった洋館と和館を壊して、細川護立という「美術の殿様」と呼ばれる人が住むために建てたものらしい(2Fに和室がちょっとある)。(この方は、Wikiに浪費家として有名と書いてある。<笑>)
で、20年に敗戦で、細川家はここから出て行き、この建物はオランダ軍に3年接収された後、返還されたが、もうその後、ここに護立さんは住まなかったとのこと。
建物の表面が何の装飾もなくつるっとしたコンクリートであることは、都の庭園美術館の旧朝香宮邸と同じ趣。
(旧朝香宮邸が昭和8年の竣工だから、やはり、戦争が押し迫ってきた当時、大通りから相当奥まったところに建てる屋敷とは言え、外観は余り派手にしないようにと配慮した結果かも、そうそう、偶然、宮内庁の庁舎の写真を見たら、ここも似ていて、表面がつるっとしたコンクリで、昭和10年にできた建物なのだって。)

詳しくは、各部屋の概要というページが参考になり、「見たい場所をクリックしてください」と書いてある下の洋館の絵をクリックすると、私たちが見た庭から見た建物全体の写真が現れる。
その他、見学したところは、先程のページが参考になる他、「和敬塾本館(旧細川侯爵邸)」の見学報告というブログに写真が沢山載っているので、見てください。

旧朝香宮邸みたいなアールデコ調程の派手ではないけれど、随所随所にセンスの良いもの・新しいセンスが取り入れられており、見ごたえがあった。

細川護立さんの孫の細川護熙さんも、陶芸が本職になりつつあり、その作品展を開いたとき、焼き物のセンスが抜群で、その作品群につけられた値段の高さに驚かされた覚えがあるが、やはり、血筋で美術に対するセンスがあるのと、先祖が集めた美しい物に囲まれて育ったからこその作品なのかもと思う。

建物は、地下から2Fまでがコンクリートの建物で、1Fが外からお客様を迎えるための設備、2Fが家族用の居室等、3Fだけが木造で、そこは戦前、熊本出身の書生たちを住まわせていたのではとのこと、全てが面白かった。

そして、全て、係の人が面白おかしく説明してくれた。
ただ、今となっては「あら?」と思うのが、どうして、この建物が空襲で焼けなかったかという説明の時に、「近所に関口教会があったからという説と、立教大学の近くでもあったからという説のほかに、ルーズベルト大統領に空襲しないでほしい場所を100くらい送ったときに、この地域がそのリストに入っていたから」というような説明があって、「なるほど」とその時は聞いていたのだ。
しかし、丹下健三さんの「東京カテドラル 関口教会 聖マリア大聖堂」大ファンの私としては、数日してから、「あら?確か、聖マリア大聖堂は、空襲で焼けてしまったから、戦後、ドイツ・ケルン大司教区の支援を受けて、設計のコンペが行われ、丹下健三作が選ばれ、立て直したのに...」ということを思い出した。

聖マリア大聖堂は空襲で燃えたけれど、細川邸が残ったのは、きっと偶然に過ぎないのだろう。

今となっては、素敵な細川邸が残り、新しい丹下健三作の聖マリア大聖堂ができたことは、両方とも素晴らしい。
(今、Google Mapで、和敬塾本館をググって拡大していったら、入口の東側、絶対和敬塾の敷地内と思われるところに「創価学会文京平和会館」が現れた、一部、創価学会に土地を売ったのだろうか?)

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by mw17mw | 2018-07-16 21:14 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)
あ、そうそう、昨日のサワコの朝のゲストが「辰巳芳子」さんだったのだ。
最近、殆どテレビに出られなくなったので、どうしたかと思っていたら、現在93歳とのことだが、足は悪そうだが、お元気そうでほっとした。

私は、3月にお店を閉めて、暇になる予定だったが、次から次に色々なことが起きて、この2か月は本当に忙しかった。
具体的には、アパートの人が退去した部屋のベランダに鳩が巣を作ったという事件から始まり、その鳩をどうにかしなくてはいけない、そのことも含めて空いたアパートの部屋のリフォームをしなくてはならない(今はどこかの会社に任せられないので、私が陣頭指揮を執る)、新しい入居者の募集も同時並行に始めたのだが、何と、入居申し込みが2件あって、こちらも了解したのに2件ともキャンセルになるとかもあったのだけれど、3件目でようやくまとまった。
(しかし、まだ、リフォームの費用の精算、以前の住人との精算、新しい入居者との契約、皆、間違えが多くて、宙ぶらりんで終わっていないのだ。)
そんなこんなの業務をこなしていたら、我が家の裏のお家が外壁工事を初め、その外壁リフォーム会社がその工事を始めるとあいさつに来た時、「ついでにお宅を見たら、直した方が良い」と言われ、その話を信じるか信じないか、その会社を信じるか信じないか等を判断せざるを得なくなって、結構大変だった。
細かいことは省くが、ようやく明日から、外壁の修理が始まり、足場が立つことになった。

---本題です---

何故、目白駅の志むらに行けたかというと、広島Iさんが、目白台の和敬塾という男子学生寮の中にある「和敬塾本館 旧細川侯爵邸」の見学会に申し込んでくださり、無事、見学できることになったからだ。
その見学会は、5月から12月までの原則第二か第四木曜日だけなので、お店をやめた今年は私も行けるようになった。

和敬塾の存在は目白台をウロチョロするようになってから、知っていたけれど、私にとっての和敬塾のイメージは、本当に「森の中の男子学生寮」で、2,3年前の真夏、和敬塾と隣の目白運動公園の間の道を歩いたら、和敬塾から流れてくるのは、圧倒的な熱波としての体育会系の部室のような男くさい汗臭い匂いだった。(何でも、和敬塾は、常時男子大学生、大学院生300人が暮らせる規模の私立の学生寮とのこと。)

その印象があるので、「和敬塾本館」の見学会と聞いて、しかも7月だし、厚手のフェイスタオルを用意していき、臭かったら、鼻を覆わなくてはと覚悟しながら参加したら、今回の和敬塾本館=旧細川侯爵邸と、男子学生の寮は同じ敷地にありながら、今では全く重ならないのか、全く臭くなくて助かった。(笑)←こんな心配をする人は他にいないようではあったが。

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また、木曜日の午後2時からの見学会だったので、もちろん、その時間に男子学生がいるわけもなく、確かに、敷地内にある男子学生寮の存在は目に入るものの、余り気にならず、あくまで、旧細川侯爵邸の見学会という気分で見学できた。

目白台には、江戸時代から、細川家の下屋敷があり、その敷地は、2万何千坪と言っていたか、東京ドーム2.3個分だったとかで、昔は、西は現在の田中真紀子鄭・目白運動公園から東ははっきりしないのだが、多分、永青文庫あたりまでが全て細川家の土地だったらしい。
しかも、そこから神田川に向かって旧な下り斜面が続くのだが、そこ全部が細川さんの土地だったのだ。

そして、細川邸の説明の中で、江戸時代細川家は江戸に6つの屋敷を持っていたと教えられた。(通常の大名家は、上・中・下の3つだけだと思うのだが)
そうそう、東京の明治時代の古地図を見ると、目白台だけでなく、そこらへんに「細川家」という土地があるのだ。
また、そういえば、先日NHKの番組で、「徳川家康によって、江戸時代が始まると、武家は、武力を捨て、徳川家への忠誠度で、存在感を競争していく」みたいなことを言っていたのを見た覚えがある。
例えば、江戸時代の初期、まだ、江戸城は未完成であったわけだが、江戸城の石垣の石は、各大名家がこぞって寄進したものなのだ。
その時の説明で、例えば、「細川家は、伊豆に石切ができる山を持っていた」とか紹介されたように覚えている。
それで、全てが繋がった。
細川家は江戸初期から、世渡りが上手というか、石の献上なぞで徳川家に気に入られ、土地をたくさん持てたに違いないと私の中で話が繋がった。(それにしても、Wikiで、「細川氏」を読むと、余りに古くて余りに膨大な資料の家だとわかるけれど、読んでも全然頭に入らない。)

で、現在に話を戻すと、その目白台の土地のうち、7千坪が昭和30年に、実業家の前川喜作氏に買い取られ、前川氏は、そこに、地方から上京して都内及び周辺の大学へ通う学生達のための寮(和敬塾)を創設したのが、和敬塾の始まり。
何でも、この前川喜作さんのお孫さんが、先日、加計問題で話題になっていた前川喜平さんとのこと。
お~、なるほど、教育に一家言および行動力と私財のある家の出なのだとわかる。

で、見学会はとても良かった、が、残念ながら、「写真はどんどん撮ってくださって結構です、但し、ブログとかSNSに投稿しないでくださいね」とだめ押しをされ、たくさん画像を撮ってきたのだけれど、ここに載せられないのが残念。
明日、もうちょっと細かく見学会の説明をする。

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by mw17mw | 2018-07-15 23:55 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)
今日は、もうすぐ引っ越してしまうまゆみさんとランチをする約束。
結局、千束通り近いルディックで美味しい食事をして、美味しく楽しかったのだが、昨日、うさぎさんが紹介してくださったお店を二人で見に行ったら、余りに衝撃的なお店で、びっくりしたので、その衝撃を先に発表。(明日、ルディック)

ルディックから、合羽橋本通りよりちょっと北に一本ずれた道を走って、清洲橋通りに出た後、上野学園を目指し、一番南端の路地を銀座線車庫の方に入っていき、まゆみさんに、一昨日のグルアツを紹介。
1時半とか2時にお店の前を通ることになったのだが、結構お店の中は満員で、底知れぬ人気のある店に見えた。

で、そこをまっすぐ進んで、銀座線の車庫の壁に当たったら、左折、このまま、壁に沿って走ると、「警察犬愛護協会」の文字が見えてくるので、また左折し、その次の路地へ右折。

すると、どうしたことでしょう?そこは、今までの街並みと別世界、緑の世界が広がった。(大げさだけれど)

左側に古い古いビルとその前にこれでもかというくらいに、緑の植物の鉢が並んでいる。


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細い路地の向かい側には、木材と緑のお店があった。
その2つのお店で、完全に、周囲とは違うムードを作っており、ここが東上野とか台東区とは思えなかった。
スタイリッシュではないのだが、圧倒的に、素敵で落ち着いた緑の雰囲気。
例えば、上野の山の中のカフェでもこんなに緑を生かした素敵なお店はないと思う。
それにしても、この両方のお店を同時に写せるカメラがあったら、雰囲気が伝わるのに。

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重たいドアを開けると、そこはカフェのよう。
とても、細長くて、奥行きが深いカフェのようで、とりあえず、中に入ってみた。
そこにも、緑の鉢と、素敵な本が溢れていた。
席もあったが、緑の鉢と素敵な本に隠れていた、でも、殆ど満席のよう。
この日は、そのあと、予定があったので、そこでゆっくりはできなかったが、今度、行ってみよう。
何がといえば、何がと言えないことはないのだが、そのカフェの大きさと、それを埋める緑と素敵な本が素敵。
今までにこんな空間を創造したことがなかった、こんな空間を作ってくれた人に感謝と思ってしまう。

ただ、お店のHPがあったので、ちょっと覗いてみたが、緑と本に限らず、もっと奥深い豊かな発想があるお店のよう。
いや~、この空間の素敵さはちょっと筆舌に尽くしがたい、東京中探してもこの本屋さんに勝てるお店はないのではと思うくらい。

上野の「ROUTE BOOKS(ルートブックス)」で知る豊かな暮らし方。つくり手と繋がる本屋という記事も、参考になる。
あ、あんなに置いてある本は、売り物であり、あそこは、本屋さん兼カフェなのだとわかった。


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その後、清洲橋通りに出て、マルエツを探し、マルエツの先にある高橋という和食屋のところの向かい側の路地に入って行ったら、タチバナ製麺さんがあった。
今まで、全然気づかなかった。

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お店は、本当に製麺工場で、業務用向け販売が主なのだろうけれど、個人にも小売りしてくれていて、メニューがあったので写してきた。今日は買えないけれど、そのうち、買いたいのだ。
焼きそばは、二重蒸しの黒い麺と浅蒸し(普通の黄色い麺)があるらしい、あ、そうか、時々、真茶色の焼きそばを売っているのを見ることがあるけれど、あの茶色い麺は、蒸しが二重だから茶色なのねと理解する。
生そばが美味しいとのことだが、500gか1㎏で買うしかないみたい、食べてみたいので、残りを弟家で引き取ってくれるか聞いてから買いたい。(生そばは多分冷凍保存無理だろうから)

クロレラ入りの翡翠麺という冷やし中華用の麺は、一食単位で、冷凍で売っていることがわかり、これは、冷凍で6か月保存可能とのこと、これは、保冷バッグさえ持ってくれば、買えることがわかった。
楽しみ、楽しみ。


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先日のちひろさん情報、昨日のうさぎさん情報で、今まで何もないと思っていた東上野に、素敵なお店が増えていたり、あったりしたことがわかってびっくり。
お二方、情報有難うございました、また、新しいお店や良いお店があったら、是非教えてください。

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by mw17mw | 2018-06-30 22:34 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(2)

パンダ以外の上野動物園

まずは、まるで絵のような虎。
ヨボヨボの虎やライオンしかいないのでは?と悪口を書いたら、立派な虎がいた。


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シロクマとかあざらしは、プールの部分の脇が透明で、地下道を歩くと、泳いでいる姿を見ることができる。
この前は、下の画像のようにプールから出ていたけれど、その前に行ったときは、水の中を楽しそうに泳いでいた、でも、本当に堂々の胴回り。
良くあんな太いウエストで、水の中をスイスイ泳げるものだ。


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この画像は、実は1年前のもの。
暑い日に行ったら、この手長猿二匹がまるで、日陰で敷物を敷いて、「ったく、こんな暑くちゃやってられね~ぜ!」みたいに、寝そべって、グダグダ話している二人組に見えてかわいかった。
何だか、こういう猿の姿を見ると、「人間の仲間だな~」と思える。
ニホンザルは、大勢で暮らしながら、猿山で秩序や序列を守ることを第一に暮らしているように見えるせいか、こういう面白さは感じられないのだけれど、この手長ザル二匹というのは、群れとか序列を作らない仲間同士で、やりたいことをやっているように見えて、面白かった。

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このおさるさんの種類の名前、失念してしまった。(画像も確か一年前のもの)
絶対、日本ではなく異国のおサルさん、やはり、この同じ種族の猿にしかわからない言葉で話し合っているのだろうか?
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上野動物園の赤ちゃんは、実は、パンダのシャンシャンだけでなく、ゴリラにもいるのだと聞いて、楽しみに行ってみた、その名前はリキちゃん。
下の画像の、大きな猿の左隣に見える塊が赤ちゃん。
天気が悪くて、動物の世界とを分けるガラスが曇った環境の中、全部真っ黒で、顔も頭も境がわからず、かわいさが良くわからなくて残念。

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パンダは、母と子だけで暮らしながら、育てるようだが、ゴリラは、群れの中で子供を皆で育てるように見えた。
お姉さんもお父さんもいて、ゴリラの赤ちゃんは、その中で落ち着いて、静かに暮らしているように見えた。

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全然見えなくて残念だったが、今、Youtubeで「ゴリラ リキ」で検索したら、生まれてから色々な段階の動画があった。


上野動物園(2009年1月8日現在)飼育動物一覧 がちょっと情報は古いが素敵。

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by mw17mw | 2018-06-29 21:54 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)
お茶を買った後、来た道を戻りながら、小石川後楽園に入ってみた。
実は、若いころ、飯田橋駅前に住んでいた双子のお母さんである友人と、双子用の乳母車に赤ちゃんたちを乗せて、小石川後楽園に散歩に来たことがあったのだが、それ以来。
また、その時の印象は、双子用の乳母車が楽々操れる広い道しか行かなかったから、結局、池の周囲をちょっと散歩しただけだったかも知れない。
大して回遊しなかったことが大きいと思うのだが、印象としては、平板な大名庭園に思えて、魅力を感じなかった。
そのせいと、この庭園は入り口が飯田橋駅の方なので、我が家からだと遠いせいで、全くその後行かなかった。

庭園の成り立ちと歴史については、「小石川後楽園」のWikiに詳しい。

この庭園は、徳川家康の十一男である頼房が水戸徳川家の祖となり、作った庭を、二代目の光圀(水戸黄門)が完成させたもの。
そうなのだ、そうすると、結構江戸初期のお庭で、五代将軍綱吉の側用人柳沢義康が作った六義園のように古今和歌集に題材を求めるとか、関西の風光明媚な場所の真似をするということが少ないお庭であった。(0ではない)
平和な江戸時代が始まったとは言え、まだまだ女性的とか雅を求めることはない、男性的なお庭に感じられた。

何でも、このお庭は、浜離宮恩賜庭園、金閣寺などと同じで、国の特別史跡・国の特別名勝両方に指定されている数少ないお庭らしい。

下の画像は、上が庭園への外からの入り口、「花菖蒲を楽しむ」という看板が立っていて、私が行った土曜日は、最終日の一日前だった。
下の画像は、上の入り口から入って、少し歩くと、切符売り場があって、その先の再度の庭園の入り口。
何だか、結構背が高くない木ではあるが、空を遮っているのだけれど、そこを歩いていくと、ぱっと視界が開ける予感が楽しい入り口。

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下の地図は、上の2つの入り口の間にあった庭園の全体図。
思ったより広そう、実は、切符売り場で切符を買うと地図のついたパンフレットを渡されるみたいなのだが、私は年間パスポートで入ったので、切符をもぎるところで見せるものと思い込んで、切符売り場に寄らなかったので、地図をもらえなかったのだ。(そうしたら、切符をもぎる人は立っておらず、全ては切符売り場で完結していたので、ちょっと離れたところからパスポートをかざして見せて入った)
地図をもらわずに入ったら、結構大変、何と言っても、ここの庭は、徳川の御三家の一つの上屋敷、敷地が本当に広い。
ところどころに、全体図の掲示板がないことはないのだが、見ても方角とか全然わからなかったのだ。

江戸時代は、今の後楽園球場、遊園地、近隣の運動場や少年野球場も全部水戸の水戸の徳川家の敷地だったのだよね。
庭だけ残ったとしても、この広さは、さすがに、徳川家康の十一男とはいえ、息子のものと思う。
今まで、東大本郷キャンパスの加賀百万石の池も立派、六義園のお庭も大きくてすごいと思ったけれど、それらは徳川家の家来の池なり庭であり、やはり、さすが、徳川御三家には負けると思った。(ま、そういう意味では、皇居の東御苑が徳川将軍家の庭で一番立派、次が、徳川御三家を初めとする分家のお庭で、その後が家来のお庭かしらね)

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先ほどの入り口から入ると、すぐに大きな池が見える。
素敵なお庭なのだけれど、この都心の低い土地にあるお庭、空に何か、現代的な建物が入ってしまうのがとても残念。
下の写真で、左の緑の上にある斜めの筋が入っている白い物体は、東京ドームの屋根。
あ、そうか、何で、東京ドームは白くてあんなふわっとした感じかというと、この小石川後楽園から見た時、違和感がなく、景色の邪魔を極力しないように、雲のように感じられるようにと配慮したデザインにしたのかも。


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実際の花菖蒲は、下の左側の画像、右は、無料パンフレットの表紙。(笑)
盛りの頃、見に来れば、こんなにきれいなのかも。

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大きな池の一部には、下の画像のように、敷き詰められたような蓮の葉がびっしりの部分もあった。
モネの絵は睡蓮の池、小石川後楽園は、蓮池という感じ。(その違いが良くわからないけれど、やはり、小石川の蓮池は日本風に感じられる、また、不忍池の蓮とも趣が違う感じであった)


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下の画像のうち、上は、稲田に菖蒲田、下は、真ん中の池を他の角度から見た景色。

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この小石川後楽園は、全てではないが、殆どのお水が澄んでいてきれいだった、救われる。
こんな都心で、たくさんの地下鉄工事が行われたところで、このお水の豊かさ・きれいさは信じられない。
お庭の人に聞いたら、「昔から、地下水を使っています」とのこと。

左は、回遊式築山泉水式庭園の「築山」部分なのかな、愛宕坂という関西の急な階段を模した急な階段。
(そうか、港区にある愛宕山も、きっと同じような発想でついた名前かな?)
さて、この上に何があるのか、興味はあったが、登らなかった。(笑)

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最後、出口を探しながら歩いていたら、下記看板があった。
こういう庭園は、この庭園が大好きでたまらず、色々趣味で研究したガイドさんに案内してもらうと、もっと好きになれるとおもうのだ。(今までだって、岩崎庭園、古河庭園、六義園、全て、ガイドさんに案内されて、価値がわかったような記憶がある)
都立9庭園共通パスポートを昨年のお誕生日にいただいたので、これをまた活用し、近々、参加したいと思う。


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by mw17mw | 2018-06-19 21:24 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)
昨日は朝からどんよりした曇り空で、気温も低い、こういう日は、冷茶は飲みたくないけれど、冷茶のためのお茶を飯田橋に買いに行くのにちょうど良い気候と思って、自転車に乗って行って来た。我が家から飯田橋は遠そうだけれど、後楽園遊園地と球場の間を通って行くと近い。

というか、私はしょっちゅう、湯島の坂を電動自転車で駆け上がっているので、本郷通りまでは近隣の感覚。
(このコースだと、湯島から本郷までの坂を上る以外、上るべき坂がないところが楽なコース、靖国通りを通って行けば、坂は全くないのだけれど、そのコースだと、遠回り過ぎる)
大抵は、佐竹の南口の方から、湯島の坂下に出て、「三組坂(みくみさか)」という坂を上っていくのだが、その坂を上り切ると、台地の上に着いたという感じで、なだらかな高地が続いて、本郷通りにぶつかる。
そこをさらに、大横丁商店街という通りをまっすぐ進むと今度は下り坂になり、道なりに進むと東洋学園大学が左に見てから、壱岐坂とぶつかり、そのまま、下っていくと、白山通りとぶつかる。
そのまま道路を横切り、道なりに入っていくと、左が後楽園球場、右がラクーアを初めとする遊園地。
その間を走っていくと、球場が終わって、小石川後楽園という元水戸藩の上屋敷だったところのお庭が始まる。
(下の地図で言うと、後楽園ドームや小石川後楽園のお庭の向かって左側を下に降りて行って、小石川後楽園の敷地に沿って道なりに右側に進んだ。そのまま直進すると、外堀通りにぶつかり、飯田橋駅の近くに出る)

下記の地図は、左が北。上が東で、下が西。
上から右へ進むのは台東区から飯田橋駅への西進を意味する。
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お庭はとても広くて、塀で囲まれている。(実は、下の画像で、下の方の茶色い塀が後楽園球場近くで、上の白い塀は、それが終わり、後楽園少年球場を曲がったところから始まる壁)

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で、小石川後楽園が終わったところから、日中友好会館が始まる。
実は、この界隈、1か月前くらいに飯田橋にお茶を買いに行ったとき、自転車でウロチョロしたときに、日中友好会館を見かけて懐かしかったので、今回、まじまじと見てみた。
(なぜ、知っていたかというと、若い時、中国語を本格的に学びたい友人が、ここの日中学院に通っていたし、飯田橋駅前に友人が住んでいたので、割とここらへんには土地勘があるのだ)

小石川後楽園からすぐのところにある日中友好会館は、私が大学生だった頃のイメージのまま、あれ?この前、すごくきれいになっていたので、びっくりしたのにと思ったら、この昔のイメージの建物は、別館であった。

(日中友好会館は、日本人に中国語を教えてくれる他、今はどうだかわからないが、私が学生の頃、中国から日本に留学してくる人たちは、日中会館の裏手にある寮で暮らし、ここで、まずは日本語を習ってから、日本の大学に進んだと思う。多分、そのころ、中国から海外に留学するのは規制が強かったと思う、多分、少数のエリートでないと留学できなかったのではと思う)

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本館と隣の「後楽賓館(後楽ガーデンホテル)」は立派な高層ビルに建て替えられ、素敵であった。
小石川後楽園も、この後楽ガーデンホテルも、大江戸線の飯田橋駅からなら、改札から出口まで沢山エスカレーターを乗ることになるが、出口までたどり着けば、そこから、すぐに行ける。

今、日中友好会館のことを調べていたら、中華のレストランが二つに、お茶のお店があるみたいなのだ。
小石川後楽園の後に良いな~と思うのだが、今度、見てくるね。
(でも、やはり、中国が好きとか、中国のことをある程度理解していないと入りにくいかな?)


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日中友好会館の本館を右に曲がると、すぐそこに、大江戸線の飯田橋駅の出口があるのだが、そこに、何とも不思議なオブジェがあって、虫を模しているのかな?
ただ、このオブジェに関する説明も名前も表示されていなくて、一体何だろうと思う。
家に帰ってから、「大江戸線 飯田橋 虫のような建物」でググると、これだけで、私が不思議に思ったオブジェの画像が出てくる。
ただ、説明を読んでも良くわからない、飯田橋の地下駅からこのオブジェまで、一貫したパブリックアートなのかなとは思うけれど、悪いけれど、わけが余りわからないものに、都民税を使わないでほしいと思う。(笑)


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この前を通って、外堀通りより一本手前の路地を入って進むと、飯田橋駅前の五差路の難しい交差点に到着。
どうにかこうにか、信号を渡って、飯田橋駅前の飯田橋セントラルプラザ前に到着。
その1,2FがショッピングセンターRAMRAになっている。(ビル全体の名前が「飯田橋セントラルプラザ」で東京都のものだと思う)

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私の拙い説明では、文京区後楽の良さがわからないかも知れないし、地図上で見ても地味なところにあるから目立たないけれど、小石川後楽園と日中友好会館の建物がメインの地域で、昼間は、静かで緑が多くて良いところ。(夜は歩く気しないけれど)

一度、散策してみてください。


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by mw17mw | 2018-06-17 19:46 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

ついでに六本木トンネル

昨晩は、ブログを休むつもりはなかったのだが、あの我儘猫が、「早く、布団に入って、大人しくして」と毅然とした態度で8時頃、言っていたので、仕方ないな~とすごすご言うことを聞いてあげたら、そのまま、眠ってしまった。(笑)
従姉が、「それだけ長い間、美味しい餌をあげていたら、この人は良い人だと思っているのでは?」と言ってくれたけれど、うちのにゃんこは、「このおばさんは、何でも私の言うことを聞く、もっと私の言うことをきかせなくては」と思っていると思う、すっかり、舐められているのだ。
彼女は自分の希望を全て、「ニャアニャア」という鳴き声で命令するけれど、私は殆ど理解してあげている(笑)

---本題です---

六本木トンネル自体、見たことも聞いたことも行ったこともないトンネルだったけれど、先日、じゅん散歩を見ていたら、紹介されていて、あの乃木坂トンネルの階段を下りて、新美術館の裏口の方から、美術館に入って行っていたのだが、そこを入らないで真っすぐ行くと、六本木トンネルがあるとわかった。
それだったら、どんなものか、一度見ておこうと、先日、乃木坂トンネルの後、見に行ってきた。

確かに、新美術館の裏口を無視して、ずっと歩いて行くと、歩道の上に中途半端な屋根が見えた。

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その屋根の下に入ると、左側の壁面には、現代アートの大きな絵が飾られていた。


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石原慎太郎さんって、美術のセンスがある人だったっけ?
三男だったか、四男の息子さんが画家と聞いているから、その人の影響?


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何て、左の絵を見ながら歩いていると、今度は、本当にトンネルで、「六本木トンネル」の看板が出てきた。

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このトンネルは、ちゃんとトンネルの体をなしている気がするが、その上がどうなっているのか、Google Mapを見ても良くわからず。(乃木坂トンネルのように、民間ビルの間を縫っているという感じでもないし、地上の低いところを走っている道路)短くてすぐ終わる。

歩道は、トンネルを出ると、道なりに左に曲がっており、「政策研究大学院大学の正門」の方に向かう。
車道は真っすぐ六本木ヒルズの方に進めると思うのだが、写真を見ても、よくわからない。(再度見に行かなくては)

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左に曲がって、右側の歩道にある「森本」という名前のお店を見て、「確か、NYで成功したシェフさんのお店」と気づき、その先には、じゅん散歩で紹介された「デンメアティーハウス」があって、カフェもある。

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この前がちょっと上り坂になってそのまま歩いて行くと、国立新美術館の玄関に出た。
そこを右に曲がって、一番最初の路地を入って行くと、そこは、「龍土町美術館通り」であった。
古いお店と新しいお店が入り混じっていて、中々味のある通りであった。
また、そこを入って行くと、六本木駅の近くまで出て、本当にこの通りは、国立新美術館への早道であることがわかった。

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by mw17mw | 2018-05-16 17:14 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(2)
先日、品川Iさんの案内で、明治神宮を散策した後、まだ、中途半端に時間があったので、千代田線を一駅乗って、乃木坂駅に行き、「乃木坂トンネル」「六本木トンネル」の研究をしてきた。

乃木坂トンネルは、確か、4月に従姉たちと一緒に国立新美術館に行くときに、ついでに、乃木邸を案内しようと思い、乃木邸から新美術館に行く近道を探したら、見つかったのかな?
地図にも余り出ていない変なトンネルなのだ。(きっと、自動車を持っていて、そこら辺を走っている人には有名なトンネルかも知れない)

乃木坂駅の一番都心に近い方の出口から、出ると、道路が立体交差しているところの低い方の道路に出る。
何か有名なものがあるかというと、乃木神社の入口、その右の方に、ジャニーズ事務所。(もう近隣のもっと大きなビルに引っ越すことが決定しているらしいけれど)←下の画像左側の画像。

その横に「乃木坂陸橋」と大きく書かれた陸橋がある。(下の画像、右下)
陸橋の向こうに見えるビルは、左側の青いビルがTOTOで、右側の白いビルが桂由美ブライダルサロン。
下の低い道は、赤坂のTBSの前から続いて、青山霊園に抜ける道、名前を調べたけれど、わからず。(というか、TBSの前の通りをずっと行くと、青山霊園に繋がるって、初めて気づいた)
陸橋の上の道は、「外苑東通り」という名前らしい。

陸橋に上がる階段をえっちら昇って、外苑東通りを渡ると、真ん中の島に千代田線の駅に通じる階段が見えるが、そのまままた小さな通りを渡り、その横の道路を直進する。(確かTOTOのビルの横)(下の画像右上)


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また、画像の組み合わせ方が自動で見にくいのだが、その通りに入ってくると見える景色は、下の画像の右上。
この道を直進すると、何だか、行き止まりに見えるのだが、近づくと、真ん中の大きな物体の左右に歩道があることがわかる。(下の画像右下)

その歩道に入った時の風景が、下の画像左下。
何やら巨大な剥き出しのキューブがあって、どうも、これが自動車専用のトンネルのよう。(なぜか歩道は青空の下)
しばらくトンネルキューブの横を歩いて行くと、歩道の左側に下に下りられる階段が現われるが、一つ目は、戸に鍵がかかっていて、二つ目は開いている。そして、二つ目は、「日本学術会議」というビルや「国立新美術館」へ行く階段となる。(下の画像左上)

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今回初めて、終点まで行ってみた。
そうしたら、日本学術会議の隣の階段から、ほんのちょっとしかトンネルはなく、大きな通りの上を(下の画像右上)渡ると、何やらオレンジ色で縁取られたトンネルの出口になっていて、すんなりと普通の道路と繋がっていた。
歩道もそうで、そこに至るまで、階段でしか下りられなかったが、歩道もすんなり普通の歩道と繋がって、青山霊園に入って行く感じ。(実は、以前、この歩道を歩いていたら、自転車に乗った人が追い越していき、階段の出口しか知らなかったので、どうやって、下に下りて行くのだろうと思ったら、終点は、そのままアップダウンなしに下りられることがわかった。)

左側の画像は、反対を向いて、出口を正面から写したもの。

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シロウトとしては、トンネルって、普通、山の中とか、上に何かがあるところに通すのに、この乃木坂トンネルは、なぜか、上に何もないところに、キューブ状のトンネルを設置して、トンネルにしているのが、不思議。
乃木坂の不思議空間という記事が見つかり、「開通したのは1997年と聞く。かつては赤坂側の出口も青山側の出口も崖のようになっていて、車は大きく迂回しなければならなかったようだ。開通当時は、相当便利に感じられたことだろう。」と書いてある。
でも、何か頭上にあるところならわかるが、殆ど何もない青天井の道をキューブで覆い、長いトンネルにする必要はあったのか、不思議。
(今となっては不思議だけれど、その頃には何か真っ当な理由があったのだろうとは思う)

確かに乃木邸から国立新美術館に行くには、外苑東通りを戻るより、近いと思うし、下へ行く階段を下りれば、ウエストなぞにも近い。(が、先日、平日の10時半という、ウエストの開店30分前に行ってみたが、ずらっと10人くらいの列ができていたから、入るのは無理であった。<皆、椅子に座って待っていたけれど>)

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by mw17mw | 2018-05-14 12:29 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(1)
明治神宮の入口は、通常使う原宿駅からすぐの「南」と、代々木駅に近い「北」、そして、小田急線参宮橋近くの「西」の3つがあるようだ。
で、今回、西から入って、本殿を目指して、南から出てきた。(通常のお参りと反対のコース)


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ご存知のように、この「明治神宮」は、明治天皇が崩御された後、人工的に作られた森とのことだが、私はそのことをずっと知らず、「明治時代に作ったから明治神宮?」程度に勝手に考えていたし、その森については何も考えたことがなかったが、多分2016年の再放送時の「完全版 明治神宮 不思議の森」を見て、巨大な人工森であることを知った。
明治・大正時代の天才たちが、100年後の出来上がりを見据えて、100年後に太古の森になるように、まず、どんな木から植えて行けば良いか、選定して植えたとのこと。
「そのことを実証すべく、創建以来、初めて行われた生物総合調査に独占密着し、オオタカを頂点に3000種もの多様な動植物が発見された森の全貌に迫る。さらに過去100年の貴重な映像を発掘。関東大震災、戦争、オリンピックと東京の激動の歴史と深く結びついた森の驚きのドラマをひも解いていく!」という番組だった。
詳しいことは覚えていないが、平地だったところに、全国から集まった大勢の勤労動員された人たちが手作業で木を植えてできたのが、明治神宮の森なのだ。(確か、外苑も)
(だったら、その前は、何だったのか、古地図を調べたら、文明開化時は、茶畑と雑木林、明治時代の終わり頃は、皇室の御料地だったよう。代々木公園はというと、文明開化時は、同じく茶畑と雑木林だったが、明治の終わりには、既に「代々木練兵場」であったよう)

歩いて行くと、砂利が敷き詰められた道の両側面、全ての木が高くて、掃除が行き届いていて清々しい森。
掃除の作業の人がこんなに小さく見える木の高さ、森の巨大さが良くわかる。
私はどちらかというと、高い木々に囲まれるだけで幸せなので、本当に満足。

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何だか、緑に囲まれて歩くだけで、本当に気持ちが良い。
我儘を言って良いのなら、一本いっぽんの木に、「何の木か」標識をつけて欲しい。

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西参道から入って行くと、殆ど人とすれ違わないのだが、本殿に近くなるにつれ、観光客が多くなる、それが殆ど外国人だった。
日本人、特に東京に住んでいる人たちは、「明治神宮なら駅から近くていつでも行けるし、行く価値を感じない、また、初詣の時で十分」と思ってしまうので、実は中々行かない。(夜初詣で行っても価値はわからない)
(我が弟に話したら、「小学校の時、遠足で連れて行かれた」ことを覚えていた、私は記憶にない)

しかし、品川Iさんの話では、洋の東西を問わず、外国からの観光客にとって明治神宮は人気のスポットだとのこと。
この木が鬱蒼と茂っているところが良いらしい。

木って、面白いよね、上野公園の木の鬱蒼としたところとも、深大寺の森とも違うし、どうして、場所によってこんなに個性が出るのだろう。

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都会の中のオアシス、明治神宮、ほぼ一体となったところに馬場もあって、まるで、セントラルパークのよう?


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と歩いているうちに、本殿にたどり着き、お参りをした。
そして、この日は、その1時間後から、お琴の演奏会が予定されていて、会場準備に係りの人が忙しそうだった。
で、このお琴の催し物は、何でも、「明治維新150年」をお祝いしたものとのこと。
「150年?」と聞いて、「そうだ、この前のチェネレントラのオペラは、ロッシーニ没後150年記念」だったことを思い出し、品川Iさんに話した。
「ということは、ロッシーニ先生は、日本で言ったら、江戸時代後期に活躍して、明治維新の年に亡くなったのだ」と二つのことが結びついたら、品川Iさんが、「ロッシーニ風ステーキは、日本で言ったら、江戸時代後期の料理だったのだ、それは、本当に古典的な時代の料理。そして、江戸時代後期には、既にフォアグラがあったことがわかる」と色々なことに話が広がり、楽しかった。(今、調べたら、フォアグラは数百年にわたって作られているらしい)


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これで、本殿の全体画像。(本来はこの鳥居をくぐってから行くものなのでしょう)
明治神宮の昔からの社殿は、空襲で焼けてしまい、今のものは戦後のものらしい。


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原宿の方に向かって歩くと、本当に人が多くなる。
こうなると、西参道の方の静けさが懐かしくなる。(本当の価値は、北の方の人が少ないところ?)


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原宿近くのところに、お酒が奉納されているのだが、片一方が、ワイン、それもフランスの有名なメーカーの樽がならんでいた。

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その反対側は、当然、日本酒のこもかぶり。

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一番最初の明治神宮の敷地の地図を見てもわかる通り、この敷地はまだまだ水が枯れていないみたいで、池や小さな川が生きていた。

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下の画像が一番外側の鳥居かな?
というのは、足元に袴を履いているから。(と私は思った)
ここを出たら、そこからは、下界、原宿駅や明治神宮駅。


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こんな都心近くに、こんな緑豊かなところがあるなんて、信じられないくらい、素敵なところで、散歩するにはとても良いところであった。
他、新宿御苑にも興味があるが、また、明治神宮を散歩したい。

東京って、所々に、スポっと、昔の緑が沢山残っていて、そこが良い。

品川Iさん、素敵な散歩コースのご紹介、有難うございました、楽しめました。

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by mw17mw | 2018-05-09 12:41 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(2)