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天性の「美味しい!状態に執着心」がある東京下町に棲息するおばさんのお料理・お菓子・道具・食材の他、散歩の記録を綴った日記です。by真凛馬


by mw17mw

2019年 05月 02日 ( 1 )

滝野川からの道をただただ直進すると、建て替えられたビルが増え、街が何となくにぎやかになってくるのがわかった。
そこからちょっと曲がったところが、JRの埼京線板橋駅であった。
板橋駅のところくらいが昔の板橋宿の終点になるのだろうか、板橋に親戚も友人もいない私にとっての初めての板橋宿。
(国道17号沿いでは、都営三田線の駅の出口くらいは見たことがあった。)

印象としては、ただただ土地が広い、きっと、田んぼの中に線路と駅を作った感じ。
この中山道ウォークの初めに案内の方から、「街道沿いに町があって、そこから少し外れると、畑と村になるって」聞いたが、板橋駅周辺はそんな感じ。

そして、板橋宿は、江戸時代の宿場の中で2番目に長い宿場。何でも、2.2kmあるらしい。
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明日、板橋駅前の話をするが、板橋駅を出発して、中山道に戻り、北へ進む。
何でも、板橋宿というのは、上宿、仲宿、平尾宿に分かれるそう。(勿論、北の方から上、仲、一番南は下ではなく、平尾宿と呼ばれているそう)
板橋宿はもちろん北の方から発展していったが、どんどん、東京に近い方のみに広がっていったとのこと。

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旧中山道は、多分国道17号の白山通りに一旦分離される。
そこまでが「平尾宿」で、大きな国道を渡ったところから、「仲宿」が始まった。
仲宿の中山道はとても長いのだけれど、どうもそのうちの南半分は、住所が「板橋区板橋」、北の方は「板橋区仲宿」のよう。
また、その近くに、加賀藩前田家の下屋敷があったとのことだが、その面積が21万坪だったとか。(地名に藻板橋区加賀が残っている)
何でも、江戸時代、江戸で土地を一番持っていた大名は、島津家で、二番目が前田家とのこと。
(私からすると、その他、細川さんがやたらに東京に土地を持っているような気がする)
前田家は、石川県から参勤交代で江戸に上るわけだが、どこかで、中山道に入り、板橋宿近くの下屋敷で一旦、旅の疲れを取り、その後一日で本郷の上屋敷に入ったのだろうとか想像できて、面白かった。

仲宿ももう古い建物は全然なくて、建て替えが進んでおり、所々、昔のお寺なぞを巡る以外は、昔の香りが全然ないのだが、仲宿は、若い世代の住民が多いのか、商店街が「観光地化された商店街」ではなく「生活感溢れる、食料品が安い商店街」で、素敵であった。住みやすそうな地域。

しかし、後5年早く来ていれば、昔からの建物が少しは見られたらしい、残念。

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ここはどこだかわすれたが、中山道の69次の宿場の名前が埋め込まれた公園。
日本橋を出て一つ目の宿場が「板橋宿」で、次は、「蕨」。
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板橋区の「いたばしかんこうセンター」
とても立派で、資料が揃っていた、一時休憩する椅子もあったかな?
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これが地名の由来となった「板橋」ここが「仲宿」と「上宿」の境となるそう。
江戸時代は板の橋だったから、板橋だったのだろうが、そこを、和宮の3万人の行列を渡って、問題がなかったと思うと丈夫。

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板橋は、「石神井川」に架けられた橋。
この石神井川はとてもきれい。
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何か、最後、歩いてこなすことが自分の中で目的になってしまったこと、お寺以外に古い物が残っていなかったことが残念。

そうだ、北千住のやっちゃばのように、新しい建物の前に、「江戸時代は何屋があったか」という立て札でもあったら、もっと興味は沸いたと思う。


by mw17mw | 2019-05-02 12:00 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)