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天性の「美味しい!状態に執着心」がある東京下町に棲息するおばさんのお料理・お菓子・道具・食材の他、散歩の記録を綴った日記です。by真凛馬


by mw17mw

2019年 04月 30日 ( 1 )

中山道は、巣鴨地蔵通り商店街を抜けて、今の町名でいう西巣鴨に出た後、少し進むと、池袋と飛鳥山を結ぶ道路に出るのだが、そこを渡ると、北区滝野川に入る。

下の画像は、大正大学の裏にあたる中山道なので、西巣鴨で、そこに写っている昔の木造家屋は、江戸時代からの種苗屋さん。
何でも、ここら辺から滝野川あたりの江戸時代の産業は、種屋さんだったとか。

参勤交代で故郷と江戸を往復する武士たちは、やはり、故郷への土産を用意せざるを得ないのだが、嵩や重さのあるものはだめ、高いものはだめとなると、圧倒的に持っていく方ももらう方も喜んだ江戸のお土産が、「農産物の種」と「切り絵地図(もしくは浮世絵?)だったとか。(版画の多色刷りの技術は大都市に限ったもので、地方にはなかったとか)

で、以前、「駒込の特産物はナス、滝野川は、滝野川ごぼうとか滝野川にんじんの産地」と聞いたことがあったが、その他、農作物の種屋さんが沢山あったのだそうだ。(何でも、駒込は、土が浅く、滝野川は深かったので、ナスとごぼうの差が出たとか)

昔はこの種子屋さんのお宅のような建物がずっと並んでいたのだろうが、今となっては、最後の一軒かも。

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少し歩くと、池袋と飛鳥山を結ぶ道路に出て、池袋方面に少し行ったところに「千川上水公園」に案内され、説明を受けた。
1696年(元禄9年)に江戸幕府将軍徳川綱吉により上水開削が命じられて、玉川上水から分水する形で作られた22kmの上水。
上野・本郷までの水を潤していたが、今は暗渠。

案内の方から千川上水のレクチャーを受け、この巣鴨より北側は、中山道が整備されていたこと、千川上水があったことで、その後の産業の発展が決まったとのこと。
明治時代以降、王子や赤羽には、大砲や鉄砲を作る軍需工場が沢山できたが、それらは、千川上水の豊富な水源があったからとのことであった。

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千川上水の説明も終わり、再度中山道に戻ったが、滝野川に入ると、大きな土地の家というか会社が多かった。
ある建物の前に止まったのだが、そこは何と亀の子束子の会社であった。
その日は土曜日だからシャッターが下りていたが、平日なら、売店となっていて、亀の子束子を買うことができるそう。
(亀の子たわしは今でこそあって当たり前だし、最近はとんと見なくなってきたのものだけれど、戦前なぞは、画期的発明品でバカ売れしたらしい。)
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そのまま歩いて行くと、大きなマンションや駐車場が増えて行く。
その中に「滝野川種苗」という大きなビルが出てきて、「あ、本当だ、滝野川の種屋さんだ」と思ったのは一瞬。
すぐに、玄関に貼られた「休業のお知らせ」にがっかりする。その日付も5月であったから、去年より前の5月には休業に入ってしまったらしい。
この先、中山道沿いに、種苗会社の看板を見ることはなかった、残念。
案内の方の説明によると、大きな敷地のマンションや駐車場は、元種苗屋さんの土地だった可能性が高いとのこと。
時既に遅し、種苗屋さんがずらっと揃っている時の滝野川に来てみたかった。
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滝野川の広い道を歩いて行くと、ぽつんぽつんとお店がある、下の画像は、いなり寿司と海苔巻きのお店。
昔は我が家の方にもこういうお店があったのに、今はもうない、懐かしかったので、パチリ。(あると便利なのだが)

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この先、板橋駅にたどり着くと、街の雰囲気がまた一変する。


by mw17mw | 2019-04-30 21:37 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(2)