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天性の「美味しい!状態に執着心」がある東京下町に棲息するおばさんのお料理・お菓子・道具・食材の他、散歩の記録を綴った日記です。by真凛馬


by mw17mw

20年3月10日

今日は、東京大空襲の日。
今年は、東京大空襲の日、昭和20年3月10日と同じ20年3月10日だから、テレビでドラマだかドキュメンタリーをやるみたいだ。
でも、全然見る気が起きない。(他の人には見て欲しいけれど)

我が家は、関東大震災で火事で家が消失(地震で潰れたわけではなく、火災で焼失したということは、活断層の上に家は建っていないと弟は言う)、東京大空襲でも見事に家を焼かれた。
実は、損害はそれだけではないのだ。
私もずっと詳しいことは知らなかった。

父親が私にそのことを自分の気持ちも含めて、話したのは、私が相当大人になってからだったと思う。
それまで、私が幼稚だったから、話してもわからないと思ったのか、それとも、「本当の悲しみ」を口にできるまでには、相当の年月が必要だから、語らなかったのか、それは今になってはわからないが、きっとその両方だったろうと思う。

私の祖父は、戦争や戦災の直接の被害者にはならなかったけれど、消火活動をしたことの疲れが原因で倒れ、そのまま3月28日に他界した。
東京大空襲のとき、他の家族は、豊島園のお百姓さんのところに疎開していたけれど、祖父だけは疎開しないで、下町で暮らしており、家や近所の火災の鎮火に頑張ったらしい。
戦争で若い男性は徴兵され、また、戦争中で、消防署などが機能していたわけもなく、きっと、町単位の消防団で、必死で火事を食い止めようと、若くもない、徴兵されない世代の男性たちが、一晩中頑張ったのだと思う。

食べるものも少なかったかも知れないが、薬がなくて、皆、どんどん衰えていく祖父を見守るしかできなかったらしい。
ずっと長い時間を過ぎてから、それを淡々と語る父。
そのときは、どんなに悔しかったろう、ま、お金があっても、戦争末期に、庶民が薬を手に入れるなんていうことはできなかったろうが、お金もなく、家も焼かれて、父親が死んでしまう、最悪な事態だ。
淡々と語ることができるまで、40年以上の月日が必要だったと思った。
「薬がなかったから、しょうがなかったのさ」と語る父、そう思うしかない、悔しさを堪えて、そう自分を納得させるのに、どのくらい時間がかかったことだろう。
それまでは、おじいさんは何で死んだの?と聞くと、戦争の終わる頃、死んだとか、簡単にしか教えてくれなかった。
きっと、詳しく語ると、涙が出てしまうから、本当に簡単にしか話せなかったのだなと思った。
本当に悲しい思い出ほど、言葉にできないものなのだと実感した。
「東京大空襲の一晩で、おじいさんも家も何もかも失った....」
それが我が家だけではなく、多かれ少なかれ、周囲にそういう被害を受けた人ばかりだったから、そして、父が若かったから、その後、頑張れたのかも知れない。
そして、祖父が他界するのと同じ時期に入れ替わるように、父の姉に、女の子が生まれた。
そのことが、とても救いになったと、父やその兄弟が言っていたっけ。

今、平和な時代で良かったと心から思う。
地震、戦災、悲惨なことは嫌だと心から思う。

東京大空襲で亡くなった方は10万人とか。
その他にも、私の祖父のように、その数には入らないが、死んだ者もいることを書きたくなった。
Commented by じゃり at 2008-03-10 13:32 x
目をそむけてはいけない事なのにじゃりは戦争ものの映画やドラマって見ることが出来ないんです。苦しくなってしまって・・・。
じゃりの爺ちゃんは徴兵されていろいろな体験をして(何とかという海外の島に行った事もあるらしい。)小さい頃いろいろな話を聞いたのだけどそれはあくまでも上辺だけで大きくなってからそんな話は聞かなくなたけど心に秘めて誰にも話さない部分がたくさんあるのだろうな・・・と思います(今この日記を読んでまた思い出しちゃいました)

無事に帰ってきて今は幸せに暮らしてるけど無事に帰ってきたことでつらい部分もいろいろあったのだろうな(苦しい戦後を生きたり、お国の為に死ねなかった事や偏見)と思うとクウッっときます。
Commented by えみぞう at 2008-03-10 18:21 x
お父様からそういうお話しを伺えたこと、とても貴重な体験だと思います。
そして、それを日記に書いてくださってありがとうございます。

私の祖父母は満州からの引き上げを体験していますが、幼稚園くらいの頃にチラッと
話してくれた記憶があるだけです。
私が大学生になるまで存命だったのだから、もっと色々話してもらえばよかったな・・・と
後悔しています。

もう二度と過ちを繰り返さないためにも、戦争体験は語り継いでいかなければ、と思って
いますが、辛い体験だけに話す方も聞く方も覚悟と労力が必要ですね。
Commented by mw17mw at 2008-03-10 22:46
>じゃりさん
本当ですよね、戦争という巨大な不幸に巻き込まれたら、本当に心から傷つき、色々な思いをするでしょうね。
本当に辛かったことって、人に話せないものかも知れません。
でも、お孫さんや家族に包まれて、安心して、黙っていたのかも知れませんね。

>えみぞうさん
いえ、大したことのない文章で、すみません。
こういう昔の戦争の経験って、忙しいと中々聞けませんよね。
考えてみれば、私も20代や30代の前半は、自分の生活で忙しくて、父と
ゆっくり話すことも中々できませんでした。
えみぞうさんのコメントで、はたとわかりました。
私が嫁に行かずに、しょっちゅう、実家に帰って、父と晩酌をするようになったから、
昔の話が聞けたのかも知れません。(笑)
by mw17mw | 2008-03-10 10:06 | 日常生活 | Comments(3)