立て膝の少女
2006年 05月 04日
もし、彼が今住んでいる家以上の広さを求めるとなると、マンションに入ることになる。
マンションに入ると、大抵は、隣の人の顔もわからない、周囲のことを気にしない、そして、周囲の人もインド人のおじさんの家族がいるのかいないのかなんていうことに、無関心であると想像される。(ま、それが普通の東京かも)
それが怖いとのことであった。
おじさんは、昼間、妻子を家に残して、会社に出勤してしまう。
地震・事故があっても、おじさんは急に家に戻れない。
そういう地震や事故があったら、我が町では、「きっと、(日頃から挨拶をし、話をする)隣の奥さん、前の奥さん、皆がうちの奥さんたちを助けてくれるし、絶対、放ったらかしにはしないという安心感がある」のだそうだ。
でも、大きなマンションに入ったら、地震・事故があっても、周りの人は、インド人のおじさんちの家族のことなど、誰も気に掛けないであろうと思ったのだそうだ。
で、話は飛ぶが、この前、日帰り温泉の食堂で、15,6才の女の子二人連れが目に入ったのだ。
二人とも可愛い子で、ぴちっとしたズボンに、お腹や背中が見える小さいTシャツ姿のどこにでもいそうな最近の女の子という感じ。
仲良しなようで、食券を買うときも食事をするときも何となくひっついていた。
全然気にしていなかったのだが、ふと、畳の部屋にある壁に沿って長く置かれた細長いテーブルの方を見ると、その可愛い15,6才の少女の一人が、身体を斜めに友達の方を向く感じで座り、左肘をテーブルについて顔を乗せ、右ひざを立てて、そのひざの上に右ひじを乗せて、右手のお箸は、まるでタバコを持つような感じで宙に浮かせて物を口に運びながら、もう一人の女の子としゃべっていた。
こういうときって、「お行儀が悪い」と思うのが普通だと思うのだが、私の頭に、インド人のおじさんとの会話がよみがえり、「彼女には会話したり、一緒にご飯を食べる家族がいないのだ」という言葉が浮かんだ。
きっと彼女は、いつも一人で食事をしている子だろうと思った。
また、彼女には、両親も家もあるのだろう、でも、彼女が元気か、常に気遣ってくれる人が誰もいない子ではないかと想像してしまった。
両親とも忙しくて、放ったらかしか、会っても疲れていて余り話しなぞしない親子関係かも知れない。
反対に、彼女を見るとにこっと笑って、彼女が元気かどうか、最近はどういう調子かを、気にしてくれる人が沢山いる子だったら、絶対にあんな食べ方はしないだろうと思った。
もしかして、そのとき一緒にご飯食べていた友達が、一番というか、一人だけ心を開ける友人なのかも知れない。
彼女としては、そのときの姿が、一番安心し切って、リラックスして、楽しくご飯を食べている姿なのかも知れない。
きっといつも家で一人でご飯食べている子に違いない。
でも、あのお行儀で、大人になって、世間を渡れるのかな~?
インド人のおじさんが、近所の人が皆自分の親戚や家族のような気がしたと感じたのは、皆近所の人が会うと、にこやかに「元気?」「今日は暑いね」とか挨拶するからかも知れない。
家族が自分の家族を気にかけ、会話したり、楽しく食事をする習慣があること、そして、近所にもにこっと挨拶をする人が沢山いることって、普通のことかと思っていたが、結構幸せなことかも知れない。