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天性の「美味しい!状態に執着心」がある東京下町に棲息するおばさんのお料理・お菓子・道具・食材の他、散歩の記録を綴った日記です。by真凛馬


by mw17mw

別れの年

細木数子女史の占いによると、確か、今年は私にとって「立花」で、良い年であると記憶していたので、昨年末から結構期待していたが、起こることは正反対のことばかり。
どちらかというと、「別れの年」のようだ。

今年になって、2月に、近所のPCを教えていたおじさんが亡くなって、結構ショックを受けた。
それでも段々元気になったというのに、4月の初めに、野風僧シェフが滋賀に行くことがわかり、またまたショック。

何か、私って、「別れ」にものすごく弱いタイプみたいだ。

でも、悲しんでないで、自分の義務を果たさなくてはと思いながら、暮らしていたら、今度は、何と、うちの裏のインド人一家が5月中旬に、本国に戻ると、2,3日前、インド人のおじさんが来て、告げたのだ。
今まで、この一家が日本にずっといるのか、将来はインドに帰るのか、なんて、聞いたこともなく、この一家は、近所の風景の一つになっていた、そこにあるのが、いるのが当たり前のようだった。

インド人って、哲学的な顔をして物静かな人が多いけれど、子供のときはただのやんちゃで、家の前でインドの言葉で大声出して遊んでいたり、お母さんが、厳しく子供を怒る声がしょっちゅう聞こえていた。
最近の日本のお母さんは、時代が変わったのか、迫力ある怒り方をしないが、このインドのお母さんの怒り方は、本当に半端ではなく、近所中に聞こえていた。
でも、皆、子供がやんちゃの上、インドの言葉で育てていて、近所に友達もいない子供たちを一日中家で遊ばせていたこともわかっていたし、ヒステリックな声でなかったので、半分同情しながら、聞いていた。

インドの言葉だから、何言っているのかわからないけれど、「こら!何やってんの!だめって言ったでしょう!何回注意すればわかるの!」みたいなイントネーションでものすごい迫力で怒鳴っていた。(笑)

このおじさんは、ここに住んでもう17年になるとのこと。
初め独身で、十年程前に今の奥さんがインドから来て、子供が二人生まれた。

私がこのインド人のおじさんと話すようになったのは、昨年のお祭りのときに、「何時頃この近所に本社神輿が来るか」と尋ねられたときだから、1年にも満たないのだ。
そのとき、彼が日本語を話せるけれど、読むことができないことがわかった。
でも、お神輿の順路の地図を見せながら説明すると、ものすごく理解が早くて、頭脳明晰であることがすぐにわかった。
それに、異国で、日本語の分からない家族の先頭に立っているから、アンテナを巡らせて、常に色々な情報を理解しようという気持ちで暮らしているのだなと思った。

何でも、彼は、兄弟で一人だけの男の子だし、親が老齢になったので、本国に戻って面倒を見ることに決めたそうだ。
「そうだよね、お子さんたちにとっても、いくらインターナショナルに育てるとは言っても、本国で暮らす方がいいものね」と聞くと、「今回のことは、それもあるけれど、親のことが一番。ま~、子供たちもまだ小さいから今のうちにインドに帰った方がなじむのが早いと思う。これが中学生くらいになってから戻ると、なじめない可能性もあるから、今の時期が一番いいかも」とのこと。

「インドの人って、家族の団結が強そうに見える」というと、「そう、日本は、仕事の次に家族でしょう?インド人は家族が一番で仕事がその次」
(ま、私としては、「日本人は人と家によるのよ。家族が一番という家もあることはある、例えば私とか」、付け加えたが、私だって、若いときは、勤めること、お金を稼ぐこと、自分のことをすることの方が優先順位が上だったかも。。
でも、「滅私奉公」なんて言葉がある日本だから、やはり、家庭とか家族が一番ということが美徳という社会ではないかも。)

「あなたの家が今のビルになる前から私はこの町に住み始めて、あなたのお父さんとお母さんのことは良く知っているよ。昔はあなたのお父さんとお母さんがいつもお店にいて、僕が日本語が不自由だった頃、あなたのお父さんは英語が少しできるのかな?(知らなかった~)英語で色々話したよ」と昔話を語る。
我が父は、人懐っこい人だったから、知っている限りの英単語を並べて、どうにかコミュニケーションしたのだろう。

それにしても、良い隣人であった。
近所の日本人と、普通に挨拶して世間話をしながら、住む外国人は珍しい。
本当にインターナショナルな人だと思う。
私が見る限り、この近所で一番高級そうな布地の上等なあつらえのスーツを着て、アタッシュケースを持って、会社に通っていた人。
近所では、お風呂屋と床屋と酒屋(私)の人と仲が良いとのこと。
銭湯が好きで、土日は、近所の銭湯に行っていたらしい。

インドでダイヤの採掘権を持つ一族だとのことだったが、そんなお金持ちが何故この町に住み始めたのかは何となくわかっている。
しかし、どこが気に入って、他に引越ししないで、この町にずっと住んでいたのか、未だに聞いたことがなかった。
私がお金持ちの外国人だったら、この職住混合の町ではなく、もっとお金持ちが多い地域に住むと思うのだが、そこのところが謎。
帰るまでに聞いてみよう。

私は別れに弱い、もう別れは嫌だと思うのに、次から次に別れが押し寄せてくる。(この他にも小さい別れはまだ他にもあるのだ)
私がじっと同じところにいても、周囲が目まぐるしく入れ替わる。
ここは、東京で、都心に程近いから、人の入れ替わりが激しい地域なのだと実感した。
また、そんな地域で酒屋をやっていると、色々な人と知り合えるけれど、その分、別れが多いのだ。
酒屋って、別れが多い商売だとは、想像もしなかった。

インド人のおじさんと、もう会えないと思うと辛いから、メールアドレス交換して、見送ろう。
by mw17mw | 2006-04-27 23:06 | 日常生活 | Comments(0)