最近、暑さのせいか、余り食欲がなく、今日は一人で浅草で卓球の個人レッスンだったが、帰りに入りたいお店とか、全然なかったのだ。
何だろう、どこかにランチを食べに入ると、これだけは食べてねと大量の料理が目の前に置かれる感じが嫌なのかも知れない。(と言いながら、いざまえにでてくるとたべてしまうが)
こんな時は、定食みたいなご飯は自分に合わない、もっと中途半端で美味しくて量の少ないものが食べたい。
と思ったとき、浅草警察の向かい側にあるいつもは気にしていない
魚屋さん「魚誠」さんがが気になったのだ。
ここは品物が良いと評判を聞くけれど、一時どうにかうまく付き合えないか研究した時もあったけれど、一人分買うのが悪かったり、余計に買ってしまったりで、うまく付き合えないという結論を出して遠ざかっていた。
でもこの日は何かに私が呼ばれた感じ?(笑)

良く見ると、お店の前のステンレス製のテーブルに置いてある発泡スチロールの中には、あさりがたくさん見えた。
「あ、昔からの魚屋さんのよう、あさりってこういう箱に水と一緒に入れられて売られるのが普通だった、こういうあさりを買いたかったのだ」と頭に浮かんだ。
その時は気づかなかったが、今、下の画像を見ると、ビニール袋に入れたものが浮いている、あれは何だろう?多分氷?
とにかく、その箱の中のあさりは、元気で生き生きして、太っていた。
「そうだよね、あさりは生きが良くなくっちゃ、どうして、今の時代、スーパー等であさりは、水切りされた環境でやせ細ったまま、生きているのかわからないような状態で売られているのだろう?変な世の中」
おばさんが私に気づいて、店頭に出て来てくれて、どのくらい欲しいかと聞かれたので、おばさんの手で2つかみをお願いした。
そして、「家に帰ってからも砂抜きした方がいいかな?」と聞いたら、今朝、収穫されたときからずっと水に浸けられた状態で運ばれてきたから、殆ど砂は抜けていると思うとのこと。(その近海で採れたあさりがずっとお水に入れられたまま浅草まで運ばれたという言葉にとても安堵感を感じた。やはり、千葉だろうか?それにしても、何年振りだろう、近海物の昔ながらの発泡スチロールなどの箱で運ばれてくるまともな浅利を見つけることができるなんて。
何だか、体中の力が抜けそうだった、やはり、昔風の浅利、まだどこかにあったのだ、でもまさか浅草にあるとは思わなかった!
街中の個人の魚屋さんがないわけではないけれど、激減して、でも家の近所の個人の魚屋さんではあさりを扱っていないのだ。確実に良いあさりを手に入れるとしたら、築地?豊洲?もしかしたら、南千住の角上魚類をチェックするしかないと思っていたら、こんなに近くにあったのだ、感激)
(下の画像の後ろの方の赤いものは全て、たらこだったり、赤魚だったりで、まぐろとは無関係)
家に帰って昼ご飯は、白いご飯に海苔を切ってまぶし、このお刺身の半分を本膳についてきたほんもののわさびを溶かして、お刺身をくぐらせて、マグロ丼とした。
夜は酢飯に海苔、本膳にわさびで、いただいた。
どちらかというと、中トロは、酢飯の方が合っていた、こちらもたまの贅沢に買おう。

日本が生産性を上げるために、港、遠浅の海なぞを埋め立てすることは必須であり、そのために昔の東京から近かったあさりの住処が絶滅したことは理解ができる。
でも、それを中国や九州から、海水に浸けない状態であさりを運ぶことで補うことができるなんて、やはり、うそだったと思う。
何でも、確か、あさりは、運んでいる間に物を食べないから海水は不要と以前説明を聞いた覚えがある。
でも、今回、近海で育て、昔ながらの海水に浸けた運び方で運んだあさりを食べることができて、中国や九州から長い時間をかけて運んだものと、健康状態が全然違うことがわかった。