「実は...」なんて、思わせぶりなのだが、実はこの一年近くブログに書かなかったことが起きていた。
何で書かなかったかと言うと、私のことではなく、私の弟のことだったから、弟のプライバシーに拘わるので、私が勝手にブログに発表するのは気が引けたのだ。
実は、昨年の10月17日の夜に突然弟の足が動かなくなって、立ち上がれない状況になったとお嫁さんから電話があり、その後それがずっと治らず、最後、救急車に来てもらって、病院に運ばれて行った。
(朝になって、近隣のお医者さんが往診に来てくれ、救急車も呼んでくれて、その時の診断で、弟の足が動かなくなったのは、「脳梗塞」だからとわかった。)
そして、その脳梗塞の遠因は、糖尿病とのこと。
弟に糖尿の気があることは知っていたが、それが脳梗塞を起こすとは全く家族全員の頭になかった。
そして、お医者さんや救急車が来るまでの間、弟はすぐに直るから救急車は呼ばないでくれと言い続けたけれど、私は呼びたかったのだ。
しかし、そんなことが起きると思わなかったので、今の時代、救急相談のダイヤルがあることは知っていたが、電話帳に登録しておらず、そして、私も気が動転していたのか、ネットで検索すればその電話番号は簡単に出てくると頭に浮かばなかった。
やはり、救急車を勝手に呼ぶなら、弟の反対を押し切れる理屈が欲しかったのだけれど、それが思い浮かばず、私も私の一存で、呼んでいいものか悪いものかわからずであった。
もし、救急相談に相談できたら、もっと早く救急車を呼ぶことができたのにと後悔している。(今は、スマホに救急相談の電話番号を登録してある)
結局、不幸中の幸いで、脳梗塞になった部分が急所を外れていたので、言語とか脳に影響はなかったが、最初の頃、左半身が麻痺していた。それでも、一度も重体になるような命の危険はなかったので、ホッ。(その後、リハビリで足以外は正常に戻った。)
ということで、救急車で運び込まれた医科歯科大学付属病院で一か月強入院し、その後、リハビリの設備がしっかりしている台東病院に転院して、3か月リハビリをして、家に戻ることができたのだ。(医科歯科大学病院は、急性の患者受け入れ専門だし、慢性の症状に対応していないので、ある程度治ると、転院することになるとのこと)
(医科歯科の15階の病室から上野の森方面を見たところ、東博正門が真ん前)
弟が倒れた時は、やはり、ショックだった。
今まで弟が倒れるとか同世代が倒れるなんて、家族全員生きているのが当たり前としか考えていなかったので、実際に倒れられた時に、「全然そんな突然のことに備えてなかった」自分を発見した、そうか、こういうときがいつか来るのだと納得。
ま~ね、家のこととか、一番の相談相手は弟なので、確かにいなくなると困ると思った。
(とショックを受けたのは本当なのだが、病状が一定落ち着いて、家にも帰れることが決まったら、結局私の態度は元と同じで、特別なことは何もしていない(笑))
そして、生死にかかわるということでは、父母を看取った経験はあったのだが、弟のように、元気だったものが突然原因不明で倒れた後、救急車で運ばれ、色々な手当てを受けて、回復していくという状況を目の当たりに見て行くのは初めての経験であった。
倒れた弟に拘わった、往診に来てくれたお医者さん、救急車の救急隊員の方々、医科歯科の若きお医者さんや看護師さん、皆、全力で一生懸命弟を助けてくれたし、心地よく暮らせるように、色々工夫をしてくれた。
その姿を見ていて、日本という国で、突然倒れたら、ちゃんと「人の命は尊い、全力で助けることが自分の使命」と訓練されてきた方々が、専門知識でそれぞれに力を出して助けてくれるのだと実感して、「私たちはそういう社会的システムの中に守られて生きているのだ」と感激した。
もし、その倒れた人が心の中で「死にたい、死んでもいい」と思っていたとしても、医療の知識だけでなく、精神性も訓練されて来た人たちが、人間は絶対生き続けるのが正しいと生き続けられるように助けてくれるのだ、それはとても有り難いと思ったし、尊いシステムだと思った。
ということで、弟は杖をついて歩くまでになって、退院の日程が話題に上るようになったのは2月になってからで、結局、2月末に家に戻って来て、家にいる生活を始めた。
男の子だから、細かい自分の心情について多くは語らない、ただ、やはり、元の体には戻れないことなぞ、悔しいけれど、ぐっと堪えているのかなとか、想像している(言わないけれど)。
日常は、奥さんに面倒を見てもらっている、私は、入院中には週に2,3度、病院に行っていたけれど、退院してからは、2か月に一度の通院や薬局で薬をもらって来て、1日5回の薬を2か月分並べること、どこか出かける必要があるときなぞの付き添いが私の任務になった。(杖をついて歩くということは、人にぶつかられたら、倒れやすいのと転んだら、一人では起きられないので、当面は付き添いが必要とのこと)
糖尿病だから、薬を飲むことと健康的な食事を摂ることが大切で、お嫁さんがもともと薄味で野菜が多い食事なので、弟にもそういう食事を提供してくれているみたい。
しかし、そういう食事ばかりでは楽しくないみたいで、時折、スーパー等で、成分表を見たり、糖質控えめとか書いてある食品を選んで買って来て食べているみたい。
(でも、「うちの夫が糖尿病になっちゃった」という本をちらっと読んだら、やはり、皆、糖尿病の人は、不健康なものを食べたがると書いてあったので、それも少しなら許されると思った。)
でも、弟の食生活は、不健康食品が食生活に入るとしても、メインは、野菜中心の健康的な食生活だからか、病院で、血液検査をしてもらうと、お医者さんが「え~、こんなに良い数値が出るなんて」と感激してくれている、お嫁さんの手柄。(2回続けて)
それはそれで、良い数値をキープしながらというか、先生からストップがかからない程度に数値を少し下げても、弟の「実は食べたかったもの」もたまに食べる機会を提供して、ただ単に、長生きできるような健康的な食事だけでなく、「食べたかったものや珍しい味や食品を食べる幸福感や楽しい刺激」をたまにあげたいと思う、ま、月に一回くらいだけれど。
それだから、先日は、くら寿司に一緒に行ったのだ、今度はどこにしよう?
(くらとかスシローは、ラーメン、うどんまでメニューにあって、その量が少なめという点でも、弟も普通のラーメン屋等より利用しやすいと思った。)
結構、足が悪い人がすっと入れるお店って、ありそうで、ないと思う。(家から遠いとタクシー代も馬鹿にならないし)