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天性の「美味しい!状態に執着心」がある東京下町に棲息するおばさんのお料理・お菓子・道具・食材の他、散歩の記録を綴った日記です。by真凛馬


by mw17mw

目白台の「和敬塾本館 旧細川侯爵邸」見学会参加 1/2

あ、そうそう、昨日のサワコの朝のゲストが「辰巳芳子」さんだったのだ。
最近、殆どテレビに出られなくなったので、どうしたかと思っていたら、現在93歳とのことだが、足は悪そうだが、お元気そうでほっとした。

私は、3月にお店を閉めて、暇になる予定だったが、次から次に色々なことが起きて、この2か月は本当に忙しかった。
具体的には、アパートの人が退去した部屋のベランダに鳩が巣を作ったという事件から始まり、その鳩をどうにかしなくてはいけない、そのことも含めて空いたアパートの部屋のリフォームをしなくてはならない(今はどこかの会社に任せられないので、私が陣頭指揮を執る)、新しい入居者の募集も同時並行に始めたのだが、何と、入居申し込みが2件あって、こちらも了解したのに2件ともキャンセルになるとかもあったのだけれど、3件目でようやくまとまった。
(しかし、まだ、リフォームの費用の精算、以前の住人との精算、新しい入居者との契約、皆、間違えが多くて、宙ぶらりんで終わっていないのだ。)
そんなこんなの業務をこなしていたら、我が家の裏のお家が外壁工事を初め、その外壁リフォーム会社がその工事を始めるとあいさつに来た時、「ついでにお宅を見たら、直した方が良い」と言われ、その話を信じるか信じないか、その会社を信じるか信じないか等を判断せざるを得なくなって、結構大変だった。
細かいことは省くが、ようやく明日から、外壁の修理が始まり、足場が立つことになった。

---本題です---

何故、目白駅の志むらに行けたかというと、広島Iさんが、目白台の和敬塾という男子学生寮の中にある「和敬塾本館 旧細川侯爵邸」の見学会に申し込んでくださり、無事、見学できることになったからだ。
その見学会は、5月から12月までの原則第二か第四木曜日だけなので、お店をやめた今年は私も行けるようになった。

和敬塾の存在は目白台をウロチョロするようになってから、知っていたけれど、私にとっての和敬塾のイメージは、本当に「森の中の男子学生寮」で、2,3年前の真夏、和敬塾と隣の目白運動公園の間の道を歩いたら、和敬塾から流れてくるのは、圧倒的な熱波としての体育会系の部室のような男くさい汗臭い匂いだった。(何でも、和敬塾は、常時男子大学生、大学院生300人が暮らせる規模の私立の学生寮とのこと。)

その印象があるので、「和敬塾本館」の見学会と聞いて、しかも7月だし、厚手のフェイスタオルを用意していき、臭かったら、鼻を覆わなくてはと覚悟しながら参加したら、今回の和敬塾本館=旧細川侯爵邸と、男子学生の寮は同じ敷地にありながら、今では全く重ならないのか、全く臭くなくて助かった。(笑)←こんな心配をする人は他にいないようではあったが。

目白台の「和敬塾本館 旧細川侯爵邸」見学会参加 1/2_d0063149_00064961.jpg

また、木曜日の午後2時からの見学会だったので、もちろん、その時間に男子学生がいるわけもなく、確かに、敷地内にある男子学生寮の存在は目に入るものの、余り気にならず、あくまで、旧細川侯爵邸の見学会という気分で見学できた。

目白台には、江戸時代から、細川家の下屋敷があり、その敷地は、2万何千坪と言っていたか、東京ドーム2.3個分だったとかで、昔は、西は現在の田中真紀子鄭・目白運動公園から東ははっきりしないのだが、多分、永青文庫あたりまでが全て細川家の土地だったらしい。
しかも、そこから神田川に向かって旧な下り斜面が続くのだが、そこ全部が細川さんの土地だったのだ。

そして、細川邸の説明の中で、江戸時代細川家は江戸に6つの屋敷を持っていたと教えられた。(通常の大名家は、上・中・下の3つだけだと思うのだが)
そうそう、東京の明治時代の古地図を見ると、目白台だけでなく、そこらへんに「細川家」という土地があるのだ。
また、そういえば、先日NHKの番組で、「徳川家康によって、江戸時代が始まると、武家は、武力を捨て、徳川家への忠誠度で、存在感を競争していく」みたいなことを言っていたのを見た覚えがある。
例えば、江戸時代の初期、まだ、江戸城は未完成であったわけだが、江戸城の石垣の石は、各大名家がこぞって寄進したものなのだ。
その時の説明で、例えば、「細川家は、伊豆に石切ができる山を持っていた」とか紹介されたように覚えている。
それで、全てが繋がった。
細川家は江戸初期から、世渡りが上手というか、石の献上なぞで徳川家に気に入られ、土地をたくさん持てたに違いないと私の中で話が繋がった。(それにしても、Wikiで、「細川氏」を読むと、余りに古くて余りに膨大な資料の家だとわかるけれど、読んでも全然頭に入らない。)

で、現在に話を戻すと、その目白台の土地のうち、7千坪が昭和30年に、実業家の前川喜作氏に買い取られ、前川氏は、そこに、地方から上京して都内及び周辺の大学へ通う学生達のための寮(和敬塾)を創設したのが、和敬塾の始まり。
何でも、この前川喜作さんのお孫さんが、先日、加計問題で話題になっていた前川喜平さんとのこと。
お~、なるほど、教育に一家言および行動力と私財のある家の出なのだとわかる。

で、見学会はとても良かった、が、残念ながら、「写真はどんどん撮ってくださって結構です、但し、ブログとかSNSに投稿しないでくださいね」とだめ押しをされ、たくさん画像を撮ってきたのだけれど、ここに載せられないのが残念。
明日、もうちょっと細かく見学会の説明をする。

by mw17mw | 2018-07-15 23:55 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)