天性の「美味しい!状態に執着心」がある東京下町に棲息するおばさんのお料理・お菓子・道具・食材の他、散歩の記録を綴った日記です。by真凛馬


by mw17mw

「すし、うなぎ、てんぷら」林修が語る食の美学

品川Iさんの勧めで、この本を図書館で借りて読んでみた。
一言で言うと、とても良い本であったが、「林修が語る」ではなくて、「林修が選んだ料理人が語る」食の美学と言ったほうが正しいと思う。
また、林修さん自体も、前書きで「この本に書かれているのは、僕が信頼し、依頼した三人の料理観であり、仕事観である」と書いている。
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ま、細かく書くとネタばれになってしまうので、書かないが、この本を通して、三人の選ばれた料理人たちは、自分たちの修業時代、料理や素材に関する知識、技術について語っているのだが、印象に残るのは、皆、海が汚れて来たことを嘆いていること。

それは、私が自分が幼かった頃からの魚の変遷を思い出すと、私ですら、食べられた魚が代わって来たことを痛感している。
まず、幼い頃食べていたような海老が日本から消えて、皆、輸入物になってしまった。
鰻がスーパーで、中国で養殖し焼いたものがいつでも安価で売られるようになり、それは私が知っている鰻の蒲焼とは別物であると思うが、市民権を得てしまい、誰でも気軽に食べられるようになった。
魚屋さんで、注文してから切ってもらったマグロのお刺身が、冷蔵ショーケースに並ぶようになってしまった。
それはお寿司もそうで、昔はお寿司屋さんでしか買えなかったものが、スーパーに常時並んでいる。

最近では、スーパーで売っている鮪の切り落としに植物油がまぶされるようになってしまった。
これは、私が推測するに、マグロを釣った船の中で、一匹のまぐろがその場で解体され、切り落としにまで処理できるようになったのではと思う。
その最終消費者が食べる大きさに切ったマグロの表面に植物油でコーティングして酸化を防いで、流通に乗せ、スーパーに手間暇かけさせないで、消費者に売ることができるようにしたのではと思うのだ。(マグロの解体、切り落としにすることなぞ、船上で機械で大量にできれば、スーパーや魚屋さんの人件費が助かるか、安く売ることができる)
なんていう風に、素人や家庭で食べる魚が、グローバル化、流通の整備、機械の発達なぞで、どうも良くない方向に行っていると感じているが、この本を読むと、プロの料理人が接する魚たちも、悪い方向に変化を感じられるようである。

海が汚れて、魚が泥臭くなったり、不味くなっている場合が出て来たそうだ。
昔だったら、例えば、穴子は江戸前とか、どこそこの何々が良いみたいなことを言われていたが、今や、必ずしも、そこのものが良いとは限らないそうなのだ。
昔は、「あの漁場で獲れた魚は絶対美味しい」というところの魚も、不味いものが出てきている。
それはどうも、大量に魚が獲れるようにか、魚を大きく育てるために、余分に餌を撒いているからではとのこと、う~ん、困ったものだ。

そうなのだよね、昔みたいに、毎日贅沢できるのはお金持ちだけ、中から下の人はたまのぜいたくで我慢だったのが、今や、日本国民総ぜいたくだものね、資源は限られているし、プチ贅沢を望む人は同時に安価を求めるしで、海が汚れるのねと納得。

それと、天ぷらなかがわさんが、最近、天ぷら屋を開こうという若い人が全然いなくて、天ぷら業界は、この20年メンバーが変わらずと書いてあったけれど、この点も心配。

この本、林修さんの「売れっ子としての臭さ」が時々鼻につくけれど、内容的には「三人の料理人の本」であり、良い本だと思う、読む価値あり。
ま、私は林修さんは癖はあるものの、まともな感性の人とは思っているのだ。
(こんな本を出せることこそ、売れっ子の証である。私からすると、う~ん、でも、やはり、この人は料理をしない分、グルメとして、料理を語るには弱い気がする。←だったら、誰がというと、辻静雄とか...。
ただ、こんなに売れっ子で忙しい林さんだから、忙しい合間に、好きなものを食べるときは、確実に、美味しくて自分が信頼しているお店でしか食べたくないというのは、よくわかる気がする。)

天ぷらなかがわは先日連れて行ってもらい味わった、「鮨かじわら」も場所が根津であり、べらぼーに高いお店ではなさそうなので、行ける可能性大、但し、九州小倉の鰻屋さんは、生きているうちに行けないような気がする。
関西風でも関東風でもなく、このお店独自の鰻の蒲焼ってどんなものだろう?

by mw17mw | 2016-12-17 11:37 | 調理・料理研究 | Comments(0)