「赤めだか」で描かれた立川談志師匠
2016年 02月 10日
昨日はお店を開けているだけで辛く、のど飴を持って、午後4時から部屋で眠っていた。
昨晩は熱いお湯にゆっくり浸かったり、ネルのガウンを着て眠ったので、少し良くなった。
今日は、多慶屋に龍角散のトローチを買いに行ったが、トローチはなく、龍角散ダイレクトというものを買ってきたが、これで直るのかしらね?
それに、風邪をひいて調子が悪いと冷たくて噛み応えのあるおにぎりを食べたくないことを発見、どちらかというとおかゆが食べたい心境。
(何か良い薬があったら教えてください、のどが痛いのと、寒気です、昨日よりは良くなったけれど、全然本調子でなく辛いです)
で、昨日は何もしなかったかというと、昨年末、TBSの年末特別ドラマの「赤めだか」がとても良かったのだ。
ずしんと心に響くというか、新年を迎えるにあたり、こういうドラマに巡り合ったのは幸せだと思えるくらい。
このドラマの中の立川談志のセリフが素晴らしく、これは是非書き残して人にも伝えたいとそれを昨日録画を見ながら書取って眠ってしまった。(録画を見ながら書取ったのだから、談春の本には載っていなかったのかな?)
赤めだかは、立川談志の弟子の談春の修業時代のエッセイ集を下敷きにしたドラマであり、本も読んでみたが、やはり、ドラマの方がテンポがあって良いし、出演者が全て嵌まっている。
主な主人公は、立川談志と談春なのだけれど、その他修業仲間が常時4人くらいいて、その人たちの入れ替わりと修業と二つ目までの昇進を描いている。
このドラマはきっと昨年の下半期か一年間の最優秀ドラマになると思うし、DVDは3月に売り出されるらしい(ということは、レンタルビデオ店に回ってくるのは9月?)
立川談志師匠は、落語協会を脱退したので、弟子たちは当然寄席に出られなくて、師匠の家で時々稽古をつけてもらいながら、掃除や用をこなすか、築地に修行と称して働きに行かされるのだ。
また、私が小さい時見た師匠から弟子への教えは口伝えだった記憶があるのだけれど、今の時代、カセットテープに吹き込まれた落語を皆弟子が覚えてきて、師匠の前で披露するみたいだった。(談志の弟子なのに、志ん朝のテープで覚えてどやしつけられる)
一番の名場面の出だしは、ちょっとした誤解から築地の焼売屋で焼売を一年間売ることになった談春が、兄弟子から、新しい弟弟子「志らく」が入ったこと、その弟子も築地に働きに行くように言われるのに、生意気にも「嫌でございます」と言って拒否したら、それが通ってしまったという話を聞いてびっくりする場面。
談春はその話に怒って、談志邸に戻り、その生意気な志らくに事情を問い詰めるのだが、その通りとのこと。
そんなことを揉めていると、二階から談志が志らくに「稽古をつけてやるから上がってこい」と声をかけ、二階に上がった志らくは、談志の前で、(私は落語に疎いので題名等知らないが)本妻とお妾さんの焼きもちの違いについて上手に語り出し、やがて、話は終わる。
そうすると、談志は、志らくに(というより、階段下で盗み聞きしている談春に聞こえるように語り出す。
「焼きもち、すなわち嫉妬とは何かを教えてやる。
己が努力や行動を起こさずに、相手の弱みをあげつらって、自分のレベルまでに下げる行為、これを嫉妬というんです。
本来なら、相手に並び、抜くための行動・生活をすれば、それで解決するんだ。
しかし、人間は中々それができない。
嫉妬している方が楽だからな~。
けどな~、よく覚えて置け。現実は正解なんだ。
時代が悪いの、世の中が悪いのと言ったって、状況は何も変わらない。現実は現実だ。
その現状を理解し、分析しろ、そこには必ず何故そうなったかという原因がある。
それが認識できたら、後は行動すればいいんだ。そういう状況判断もできないような奴を俺の基準では馬鹿という。」
こんなことを自分で考えついて弟子に語る談志はものすごい教養人だと思った、こういうことを教えられる人が人の上に立つ人なのだ。
それを聞いた談春は、築地でのやる気のない師匠に命令されたから仕方なく働いているのだ的な働き方を改め、真面目というか、気を入れて自分の仕事として動き出す。
それで、築地でも認められたし、談志のところに戻ってからも、今までの周囲に対する気働きとは全然レベルが違う気働きを示し、回りがびっくりする。
さて、話は談志のセリフに戻るけれど、この言葉を聞いて、自分のことを反省すると、私が毎日、焼きもちとか嫉妬は感じてないが、上から目線にちょっとイラーとすることなぞ、全部この範疇であること間違いない、人間を磨かなくてはと思った。
次に「名言」だと思ったのは、
「落語は古典芸能の中でも異種なのですよ。
わかりやすく言えば、忠臣蔵。忠臣蔵というのは、四十七士の討ち入りですよ、
ね、主君の浅野内匠頭の仇を討つと、だから、四十七士だけれど、実際、赤穂のお城には、何人の人がいたかというと300名くらいいたんですよ
そのうちの四十七士ですよ。
後の250何人かは、どこに行っちゃったかというと、逃げちゃったんですよ。
何故逃げたかというと、そんなことできるわけないと、そんな大それたことができるわけね~と逃げちゃったのですよ。
落語というのは、どちらかというと、四十七士の討ち入りをした方ではなく、逃げちゃった奴、そっちに焦点を合わせる、それが落語なんですよ。
だから、実際に討ち入りをしてかたき討ちした四十七士は、死罪にはなったけれど、その後英雄としてあがめられ、歌舞伎の題材に取り上げられている。
しかし、落語というのは、その逃げた250人に照明を当てたものだ」
という話が出てくるけれど、確かにな~と感心した。
私の古い友人で落語が好きな人が二人ばかりいるが、どうして好きなのかわかる気がした、普通の人間を描いているから?
二人ともとても優秀な人だけれど、落語を聞いていると自分の平凡さに、「人間誰にでもある平凡さなのだ」とわかって、ほっとするのだろう。
この赤めだか見てから、落語に凝りたい気持ちはあるけれど、時間を取る余裕があるかないか...。
<追記>
もう一つ立川談志のセリフを聞き取ったので載せる。
(四人の昇格試験の後で、できの悪かった弟子たちの昇格を決めた後に聞かせるセリフ)
お前たちに聞く、落語って何だ?
人間はな、寝ちゃいけない状況でもつい寝てしまう、
酒を飲んじゃいけないとわかっていても、勧められたら飲んでしまう、
夏休みの宿題は計画的にやった方が後で楽だとわかっていてもそうは行かない、
努力はしたけれど偉くはなれなかった。
そういう奴らが寄席を見に来る。
落語っていうのはそういう奴らが主人公なんだよ。
落語とは人間の業の肯定だ。