浅草橋界隈−夜更けの人々の「野菜炒め」
2015年 05月 21日
レタスを使った野菜炒めというところに、食べたことがないし、「美味しそうでは!」と勘が働き、ちょうど、お昼に予定していたものの材料が一つ手に入らなかったこともあり、それを食べに行くことにした。
で、お昼に他に用があって、「今から出るから」と電話をしたものだから、私が、夜更けの人々に到着した時には、レタスとピーマンは、それぞれもう炒められてお皿に山盛り取り置きされていた。
その後、豚の肩ロースの薄切りを炒めて火を通し、そこに、レタスとピーマンを戻して、塩と胡椒とお醤油で味付けて出来上がり。
どうぞと出されて食べてみると、野菜炒めにありがちな「ベチョベチョ」という食感が全然なくて、どの野菜も皆水分が外に出ていないで、シャキっとしている。(食べ終わっても、そりゃ、調味料が入ったのだから、お皿に、多少のつゆは残ったが、ほとんど、お皿が濡れていないというか、びしょびしょではなかった。)
ま、野菜と言っても、大振りにちぎった芯ごとのレタスと、どちらかというと縦長に切ったピーマンの2種類だけなのだけれど、夜更けのお母さんの野菜炒めは、それぞれを予め、それぞれに合った時間で油でちょっと炒めておき、最後、全てを合わせて味をつけながら炒めるときには、それぞれもう火が通っているのだから、この場合もちょっとだけ炒めるみたい。
そうか、野菜炒めで、ベチョベチョ水っぽくなるのは、火が通るまで、かかる時間が違う野菜を一度に炒めるから、早く炒まったものを、火の通りにくいものが炒まるまで、一緒に長く火を通すから、お水が出てしまうのだと理解した。
やり方としては、中華料理の油通しと同じなのだ。
今まで、慣れで、面倒だからと、いっぺんに色々炒めていたが、野菜炒めの原点を思い出した感じ。
なるほどね、変に野菜の種類を増やさないで、二つの野菜を丁寧に炒めるから、時間もかからず、気軽にできる家庭料理の野菜炒めになるのねと、理解。
レタスも、火が通っているものの微妙な炒め加減で、お皿に盛られて出てくる時、柔らか過ぎず、時間が経っても、シャキシャキっといくらでも食べられたし、美味しかった。
わ、私もやってみたいと言ったら、お母さんが、「ぜひ、やってみてね、最初から絶対うまく行かないから」とのこと。
初めてレタスの炒め物を食べたのだけれど、お母さんの腕が良いのか、とても好印象。
確かにね、レタス、余るのが嫌やだし、芯の部分は食べないので、捨てる割合が結構大きくて、最近は買わなかった。
しかし、炒め物に使えば、芯までおいしく食べられるし、こりゃ、レタスの炒め物の達人にならなくてはと思いながら、お店を後にした。