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天性の「美味しい!状態に執着心」がある東京下町に棲息するおばさんのお料理・お菓子・道具・食材の他、散歩の記録を綴った日記です。by真凛馬


by mw17mw

日光・佐野方面日帰りバス旅行2/5−湯波懐石・佐野厄除け大師

その後、またバスに乗って、宇都宮インターで高速を降り、バスガイドさんに「日光街道に入ります」と言われた。
なんだか、私の頭の中で、日光街道と言われれば、昭和通りの入谷の先、三ノ輪に近い場所のイメージだったのだけれど、実際に行ったら、まったく似ていない杉並木の素敵な街道であった。(でも、杉の葉が枯れているところも多々あり、排気ガスが強いのかなと思った)
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今回のバスガイドさんは、とても知識も豊かで、色々なことを教えてくれた。
日光に行く街道は、「日光街道」「会津街道」「例幣使街道」と3つあるのだそうだ。

で、日光街道と会津街道は、道幅が広かったので、明治以降色々いじられて、昔ながらの風情を残しきれなかったのだけれど、例幣使街道は、道幅が狭かったので、昔と同じだと教えてくれた、ちょっと行ってみたい。
(例幣使というのは、江戸時代,朝廷から日光東照宮の大祭に派遣された使いらしい)

そして、日光街道を程なく行ったところにある、豆富・湯波懐石で有名な「月山」という料理屋さんで、お昼ご飯。
(湯葉と湯波の違いは、こちらを参照してください)
このお店は、宇都宮における法事とか、こちら方面での団体バス旅行で、名物湯波のお約束ランチのお店らしい。
とてもきれいなお店だったし、すでに、三段重ねのお料理とお刺身の湯波が用意されていた。
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上の画像のとおりで、色々なものが入っていて、ごく普通に美味しかったし、この他、茶わん蒸し・豆ごはん・赤だしが出て、最後デザートに小さなお汁粉が出て、量もたっぷり。
湯波も、汲み上げ湯波、汲み上げでない湯波、乾燥湯波を味付けしたものなどが出たが、やはり、豆乳を温めて一番最初にできた膜である汲み上げ湯波が群を抜いて美味しいと専らの評判であった。

全体、材料も良いし、文句はないし、美味しいことは美味しいのだけれど、何ていうのか、今、東京でも美味しい生湯葉が簡単に手に入る時代であり、湯葉料理のレベルも相当高いから、本場と言えど、わざわざ地方に行って、湯波の懐石を食べる価値があるかというと、それ程でもと思わないでもない。
(ま~、どちらかというと、郷土料理というか、日光や宇都宮独特の湯波料理とかがあれば、そういう食べ方の方が興味ある。)
でもね、全国から様々な嗜好の人が訪れてくるわけだし、なるべく、多くの人の口に合って、豪華だと思えて、少しでも名物を味わって欲しいと思うと、「湯波懐石」になるのかな~、致し方ないかな~と思った。(しっかし、ここの懐石料理、お肉が一切使っていないから、若い男性には物足りないかも)

そして、普通はこのお店でのランチは、2時間らしいのだが、今回、混んでいるところに、後から無理やり予約を突っ込んだとのことで、1時間しかなかったのだ。
でも、まあまあ、ゆっくり食べることができて、そのまま、バスに乗って、佐野厄除け大師に向かった。
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佐野厄除け大師は、初詣で有名なお寺で、ラジオ等で、宣伝しているから、私でも、知っているのかしら?
何でも、関東の三台厄除け大師は、「川崎、西新井、佐野」なのだって。
私は、西新井大師のみ行ったことがあって、西新井大師は、つくりも大きさも浅草寺に似ていて、階段を上って二階にある本堂に入る形式であり、高さも大きさも立派でびっくりしたが、佐野厄除け大師はそれに比べたら、平地に建てられた平屋の普通のサイズのお寺で、ちょっと拍子抜け。
(というか、近隣の人口を考えれば、佐野厄除け大師はそんなに大きくある必要がないのかも)

ただ、お参りするとき、お賽銭を入れた後、手元に、金色の鐘楼とお釈迦様のミニチュアが置いてあり、まず、お釈迦様にお水をかけてから、鐘楼を叩いて、お祈りする形式で、丁寧であった。
(この拝み方は、初詣のときもそうするのかしらね?そうしたら、一人ひとり時間がかかるから、列が長くなるだろう)
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そして、佐野厄除け大師で、現在、厄年である人の誕生年の一覧表を見たら、私は、今年、後厄であった。
そうか、だから、ろくなことが起きないかと納得。(笑)
後、2か月、無事過ごせますようにと、一生懸命、お祈りしてきた。

しかし、私の後厄というのも、きっと、平均寿命が長くなったから、最近作られたものではないかと思うのだ、でもとにかく今年で厄は終わりと思うと嬉しい。
(お寺や数え方によると、60代の厄は男性だけというところもあるので、私は今年が後厄だと知らなかったのだ)

ちょっと時間が余ったので、佐野厄除け大師の前の道を歩いてみたら、佐野というのは、「青竹ラーメン」と「いもフライ」が有名というか、町自体も、それで町おこしをしようとしていた。

佐野ラーメンが青竹で、麺を打つタイプということは知らなかったけれど、東京のラーメン屋さんで、青竹で麺を揉む風景は見たことがあり、あれは佐野ラーメンの特徴だとはっきり頭にインプットされた。

また、いもフライをケースに入れて売っているお店が一軒あった。
これまたテレビで、佐野の方では、一口大に切った茹でたじゃがいもを串に刺してフライにしたいもフライが名物だということはテレビで見て知っていた。
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しっかし、私が育った台東区の南地方では、お肉屋さんで、串にこそ刺さっていないが「ポテトフライ」という一口大に切った茹でたじゃがいものフライを当たり前のように売っていた。
だから、何で、これを栃木名物というのかなと思っていたのだが、どうも、そこにかけるソースが、地元のミツハソースという会社のフルーツソースでないといけないみたい。
実は、その前に、ろまんちっく村で、「確か、フルーツソースは、栃木地場のソース屋さんのソースだ」と思って、フルーツソースを買っていたのだ。
だから、その自分の買ったソースのメーカーを袋から出して確認したが、ミツハソースのものだったので、ほっ。
by mw17mw | 2014-11-07 08:50 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)