おかげさまで一周年
2005年 12月 01日
去年は、「温暖化、温暖化」ともう地球上の氷が溶けて海が高くなり、そのうち、海水が押し寄せてくる心配もあると騒いでいたような気がするが、こうなると、「どうして、今年は温暖化ではないのか?」知りたくなるけれど、全然話題にならない。
地球の温暖化は、一段落したのだろうか?
さて、おかげさまで、昨日で私が酒屋を再開した1年が終わった。
今日は2年目の最初の日。
儲からないけれど、どうにか一年続けられて嬉しい。
3月頃は「もうやめようか」と思ったけれど、段々気候とともに自分がポジティブになれたのか、一年続いた。
何で酒屋を再開したかというと、小さい頃から両親に「家業は大事、酒屋が大事」と言われ続けて大きくなったこととか、母が病床で「うちの酒屋は近所の役に立っている。うちがなくては近所の人が困る」とずっと言い続けていたことが大きいかも知れない。(酒屋を閉めても、自販機があれば、近所の人は困らないとは思うのだけれど、現状、自販機だけの酒屋は許されないのだ)
それに、生きている間、父母から教えられたことは多いけれど、実は、両親が子供に一番伝えたかったことは、酒屋を通した父母の経験ではなかったのかしら?と思えて、私が酒屋をやったら、父母が私に教え損なったことがわかるかな~という気もしたのだ。
我が父母がどんな日常を送り、どんなことを経験しながら生きていたか、その息遣いを経験できるのかなと思ったことも大きい。(でも、我が両親の酒屋は生活のかかった酒屋であり、私のは結構趣味的だから、私の酒屋経験は本当に軽いものではあるが)
自分の一生の仕事とか、適性があるとも思わないのだけれど、あれだけ酒屋の価値を親に吹き込まれると、捨てられないのだ。
それは、年の近い我が弟も同じで、私が酒屋を続けると伝えたら、とても喜び、ほっとしたそうで、その時から良い相談相手になってくれている。(弟も、酒屋をやめたら、両親や先祖に申し訳が立たないみたいな気持ちがあるのだが、家族も抱えて、今更今の仕事をやめるのは余りに無謀なことであった。)
妹は年が離れていて、私と弟とは違う育ち方をしたのか、全くそういう気持ちがないのが面白い。
本当に、酒屋をやってみて、一番感じるのは、同じ日は一日としてないこと、売れる日もあれば、売れない日もあること。
一日一日に一喜一憂してもしょうがないと悟った。
また、甥2が夏休みの宿題に、「酒屋」を取り上げたとのことで、インタビューに来たとき、「酒屋をやっていて一番嬉しいことは?」と聞くので、「お客さんが買ってくれること」と言ったら、何か腑に落ちないような表情をした。
中学生くらいだったら、「お店開いていたら、お客さんが来るのは当たり前」と思うかも知れない。
でも、実際は、「その店が不衛生ではないし、信用できるとお客さんが思うからこそ、その店から物を買うわけ」であり、買いに来る人が皆そう思って我が店に入ってきてくれると思うと、結構嬉しいことなのだ。
他にも、我が家は暇で余り客もないお店なのだが、それでも、ずいぶん、お客さんの出入りが激しいのも意外なことだった。
お客さんとせっかくお友達になっても、倒産、死亡、病気、引越しなどの理由で、会えなくなってしまう人の多いこと。
一期一会というけれど、ずっと会い続けることが出来る人というのは、案外少ないのかもと思った。
盛岡から単身赴任していたお兄さんが、週に一度お酒を買ってくれていたが、突然夏に来なくなった。
どうしたかと思ったら、その会社の看板が取り外されていた。
倒産したのだ。(でもその人は再就職して、また我が近所の会社に出張することがあったと、2,3か月振りに現れてくれて、とても嬉しかった。)
他にも、毎日カップ酒を買いに来ていたおじさんは、突然、お酒の飲み過ぎで死んでしまった。
コンピュータを使えるようになりたいという近所のおじさんには、機種選びとか色々教えて友達になったのに、病気が再発してしまい、入院してしまった。
昨日、今日で一周年だなと思っていたら、いつも焼酎を買ってくれるおじさんがやってきて、「住んでいたアパートが取り壊しになるので、江東区に引っ越した」とのこと、がっくり。
さて、さて、今日から始まった酒屋2年目はどんな感じだろう。
今日は一周年を祝うかのように、何だか、とても売れた。
確か去年の今日は、お客さんが一人だけだった記憶がある。(笑)
我が家の近所の元お寿司屋さんのおばさんが通りかかったとき、「お店再開したの、それは良かった。私も今考えると、お店やっていたときがとても良かったと思う。お店をたたんだら、誰とも会わなくなってしまったのよ。お店開いていると、誰かしらと話するでしょう?それがいいのよ。」と言っていたことが印象的。
誰かしら毎日買いに来てくれ、お話をしていることは確か。
職住接近だから、時間に余裕もあって、自炊しながらの仕事が可能だし、色々な人と会えてお話できるし、のんびり過ごしているのだから、儲からなくても、結構、満足している。
<おまけ>
大学時代の友人がくれた箸置きです。
夏にいただいたのだけれど、最近使い始めました。
ベネチア土産とのことです。
「ベネチアの箸置き?」と思ったけれど、きっと、日本人用のおみやげに作られているものだと思うけれど、とても良質なものだし、色もいいし、テーブルに映えて気に入っているので、ご紹介。
ウチは兼業農家なのですが、私は農業をほとんど手伝わない困った娘なのですけど、それでも将来農業を捨てられるかと聞かれると、否です。(そんな甘いものではないとは重々承知ですが) ですから真理子さんが継いだことや、弟さんがホッとされた気持ち、分かるような気がします。
ちょっと話から逸れてしまいますけど、「一日一日に一喜一憂してもしょうがない」って、同じようなことをブログにもいえるんじゃないかって最近思ってました。ブログ開設当初って、人のコメントが気になってしょうがなかったり、アクセス数に一喜一憂したり(笑)。私も半年経って、アクセスやコメントは誠にありがたく嬉しいけど、でもそれに頼りすぎてはいけない。自分が書きたいものを自分のペースで淡々とやらなければ・・・とやっと悟り始めました(笑)。(もちろんブログを通してお知り合いになれた方々は大切ですよ。) 真理子さんがHP時代から、ペースを崩すことなくコツコツと更新されているのを拝見すると、自分もそんなペースでやれればいいなと思ってます。
スコスさんも同じように育って、家業を捨てられないだろうと思ってらっしゃること、とても親近感を覚えます。
それがいいとか悪いとかではなくて、「そう育っちゃったみたい」ということなのですよね。
孫悟空の頭の金の輪みたいに、「家業を捨てよう」と考えると、キリキリ心が痛みます。
ブログは一喜一憂することないと思います。
スコスさんの物の見方とか映画や演劇の鑑賞、お能の景子の話し、ものすごく楽しいです。
今のペースで是非頑張ってくださいね、楽しみにしております。
私もきっと人が「楽しい」と言ってくれるから、続いているのだと思います。