この土日は、池袋のハンズや清澄白河のコーナンというホームセンターに買い物に行けると思って、頑張った。
で、昨日は、都バスの一日乗車券を買って、池袋ハンズに行き、木の板を加工してもらい、その出来上がりを待っている間に、池袋でずっと行きたかったかえる食堂に行こうと計画を立てて、出かけた。
そうしたら、なんと、木の板の加工を注文したのが12時20分で、出来上がりが18時と言われてしまい、がっくり。
それで、一応、かえる食堂でご飯は食べたものの、一旦家に戻って、再度夕方、池袋にバスで行ったら、疲れてしまい、昨晩は、ブログを書く元気もなく眠ってしまった。
そして、今朝、ブログの記事を書いたのだが、書き終わった瞬間、何を間違えたのか、消してしまった~。
(こういう注意力散漫なことをするときは、無理しない方が良いと思って、ブログは書き直さなかった。)
で、かえる食堂について書けば良いのだが、何だか、要町方面に初めて歩いて行ったら、結構いろいろな発見があって、面白い地域だったので、そのことを先に書こう。
「面白い」というか、池袋駅から離れれば離れる程、池袋駅に近い場所でも、「昔からの人が住んでいる、ごく普通の町という感じの地域があるのね」という発見であった。
ハンズを出て、そのまままっすぐ歩いたら、豊島区役所があった。
そこを左に曲がっていったら、パルコの横に出て、そこのガード下がトンネルになっているのを発見。
面白いので、そこを通ってみたら、何ていうことはない、いつも、私が池袋駅の地下道をひたすら歩いて辿り着いたところに出たのだ。
このガード下を通った方が早く着くような気がした。
で、西口五差路で、要町方面へ進む。
歩けば歩くほど、大通りも、段々、落ち着いた町になってきた。
出かけるとき、かえる食堂の住所「池袋3-6」と「大通りにある林ビルを右に曲がる」とだけ覚えて出て来たのだが、林ビルが中々出て来なかった。
そうこうしているうちに、光文社ビルが出てきて、光文社と言えば、女性自身の出版元で、「へ~、女性自身は池袋で作られていたのだ」と初めて知った。
(きっと池袋にある出版社は、先日の婦人之友社と、光文社だけ?)
<追記:コメントで教えていただき、光文社の編集部門は、やはり文京区の音羽だけで、こちらは、スタジオと博物館だけのよう)
その立派なビルの前を越すと、今度は立派なお寺が出現。
今まで、池袋東口と言おうか、雑司ヶ谷界隈には、お寺があることはわかっていたが、西口にもお寺があるのだと、これまた新鮮な発見。(西口でも、大桃豆腐さんのある方にはお寺は全然なかったと思う)
そのお寺は、既にコンクリート造りに建て直されていたが、歴史がありそうなお寺であった。
で、そのお寺を越した時点で、何だか絶対行き過ぎていると思ったし、その表通りの住所が3-1だったので、3-6のかえる食堂はもう近いと思い、その次の路地を右に入って、その後は、番地を見ながら、歩いてみた。
そうしたら、本当に間口が2mもない、路地からも奥まったところに建っているお家がカフェをやっていたり、何だか、面白そう。
かえる食堂に行かないのなら、入りたかったな。
で、そのまま真っ直ぐ行くと、大きな教会があった。
「この大きなお寺があったり、大きな教会があったり、そういうところもある町だったのか、池袋」という感慨。
何だか、私は、池袋と渋谷については、大きな偏見があり、大ターミナル駅になってしまって、人や生活の匂いのしない町と思い込んでいたみたい。
それが、池袋3丁目という地名の地域は、お寺と教会と民家カフェとかえる食堂があり、細い路地は、消防車が通れるのかしら?とちょっと心配になってしまうけれど、落ち着いた昔からの住宅地で良い雰囲気であった。
その後も、かえる食堂から大通りに出る途中の路地先にも、素敵な古いお寺があったりして、本当に良い地域であった。
そして、大通りに出てみると、何だ、光文社ビルの手前の路地を入れば、かえる食堂であったことに気づいた。
信号で言ったら、「西池袋5丁目」という信号を右に入って少し行けば、左側にかえる食堂があるのだ。
そして、その光文社のビルからが、池袋3丁目で、その手前が2丁目だということがわかった。