平井から上野方面へ 3/3-昭和が薫る京島界隈
2013年 11月 26日
で、その中居堀・文花三丁目・十間橋通りという3つの停留所で乗り換えれば、青砥-錦糸町という錦37というバスに接続できるのことが分かったので、一日乗車券なぞを持っている時は、そこで乗り換えて、錦糸町に向かい、ダイソーなぞに行っていた。
その時に、最初に乗り換えのために下りたのが、「文花三丁目」という停留所だったのだが、降りてみると、何だか、私には昔見たことがあるような風景の場所に見えたのだ。
今、私が普通に生活している地域は、何がしら、十数階建てのマンションがボコボコっと建っているのが当たり前の地域になってしまったのだが、この文花三丁目界隈は、高い建物と言っても4Fくらいの建物しか目に入って来ないし、殆どが木造建築、それも古くて、昭和の香りのする建物が多い地域であった。
で、良く見ると、停留所の名前は、「文花三丁目」だけれど、それは、その狭いバス通りの東側の町名で、西側は、京島という町名が書いてあった。
京島って、古いものが沢山残っているので有名であることを知っていたから、「京島だから」と妙に納得してしまった。。
また、その道路を押上の方に、まっすぐ進むと、「たから十間橋」と書いてあって、踏切がある、どうも、東武亀戸線のよう。
また、もう営業していないけれど、看板等片付けていない飲食店の名残りもチラホラあった。
下の画像も、今は錆ついているが、昔はきれいな看板で、この界隈の工場に働きに来ていたおじさんが多くて、夕方にはこういう「大衆酒場」が賑わっていたのかな?
家に帰ってから、色々検索してみると、ここは、以前行ったあのキラキラ橘商店街のすぐ近く。
Googleで地図を検索してみたら、こんな感じか?
ピンクぽい丸い物の中にアルファベットが書いてあるものが沢山集まっているところがキラキラ橘商店街で、オレンジ色ぽい線が私が今話題にしているところ。
(関東大震災の時被害が小さいかなかったから、区画整理がなくて、しかも、太平洋戦争のときも、奇跡的に京島は東京大空襲の被害が少なかったそうなのだ。だから、今でも、大正と昭和の戦前の長屋が残っていると、Wikiの「京島」に書いてある。)
この地域で火事が起きたら、狭い道路だらけで、消防車が入れなくて、大変そう。
京島は、向島と東向島の境にあった「鳩の街」という赤線地帯とは離れているけれど、猫屋横丁さんの墨田区の向島界隈の写真を見ると、下記の京島にあった建物なぞ、影響を受けていると思う。
同じ下町で、私が生まれ育った台東区の昔が残っているみたいな感じがないわけではない。
でも、やはり、違うのだ、何て言うか、京島あたりの下町は、区画整理されていない、戦災に遭っていない下町で、そして、決定的に違うのは、我が家の方にも、メッキ工場などあるにはあったが、基本的には商業地対なのだ、それに対して、京島界隈の方が工業違いになるのだと思う。
ここいらへんも、このまま向島の方に歩いて行ったら、色々な古いものが見つかって楽しいかも知れない。
それに、是非、今度都バスの一日乗車券を買った時には、青砥行きに乗り換えて、青砥の方まで行ってみよう。(またはその先の金町までも行ってみたい。
以前八広に少しの間住んでいたことがあって
すごく懐かしく読ませて頂きました!
京島って本当に道が細くて火事が起きたら
大変な地域って言われてました。
だからお水を溜めてあるタンクのようなものがあちこちにありましたよ。
このあたり意外?にも(失礼)
美味しいカフェがあったり美味しいケーキ屋さんがあったり
日本酒のおいしいお店があったりで
うろうろお散歩するの好きでした!
いまだにケーキ屋さんには買いにいってます^^
またお散歩記事楽しみにしていますね。
コーちゃんの化け猫写真も(*^_^*)
へ~、八広にお住いだったのですか?
美味しいケーキ屋さん、どこだろう、興味あるけれど、ま、行かないか?
でも、そのうち、八広と青戸、行きたいです。
コーちゃんのこと、気にかけていただき有難うございます。
2,3日中に記事にするつもりです。