目黒区総合庁舎 建築ガイドツアー参加
2013年 05月 26日
ご本人が参加されて良かったとのこと。
何でも、目黒区総合庁舎は、区役所として建てたものではなく、旧の千代田生命の本社を買い取って手直ししたもの。(経緯は、Wikiの目黒区役所に詳しい)
その千代田生命の本社の設計は、村野藤吾さんという有名な方なのだそうだ。
ということで、殆ど何の予備知識もないまま、「通常コース」に申し込み、参加してきた。(誰か誘おうかなとも考えたのだが、このツアー自体参加したことがないし、こういう企画に興味がある人が思い当らなかったので、一人で参加してみた)
で、全体の話をまとめると、その旧千代田生命本社が建った中目黒の土地は、大正12年頃までだと思うが、牧場だったそうで、その後、多分、戦後になるのだろうが、アメリカンスクールがあったのだそうだ。(追記:昭和11年頃の東京の古地図を見たら、その頃、既にそこにアメリカンスクールがあったようだ)
1966年に、中目黒にあったアメリカンスクールが府中に移転することになり、その跡地に、都心から千代田生命が引っ越すことになったのだそうだ。(目的は、やはり、業容拡大に伴い、都心のビルでは手狭ということらしい)
1966年頃の中目黒は、本当に住宅地で、お店も殆どないから、社員食堂は2500人収容する能力が必要だったとか、仕事が終わった後も、何の娯楽もないところだったので、和室を完備し、倶楽部活動(女性はお茶・お花かな?男性は囲碁とか将棋?)ができるようにしたそうだ。
だから、千代田生命本社とか、目黒区総合庁舎などという字面と似合わない素敵な和室とか茶室が完備されていた。(そういえば、私がいた銀行もどこの支店なぞに配属されても確かに、「和室」はあった)
で、土地の形状はなだらかな坂とのことで、それを利用して設計されていて、面白い。
本当にお金をかけた作りであるのだが、区役所になったことや時代の流れに合わなくなったものなどが改変されていて、その点が惜しい。
例えば、千代田生命の時の役員のための特別食堂なぞは、使わないとのことで、とても贅を尽くしたものだったらしいが、壊されたとのこと。
また、総合庁舎の真ん中に細長くて大きな池があるのだが、当初は噴水が2か所あり、噴水を出していたのだそうだが、目黒区役所になってからは、贅沢禁止ということで、噴水は使われなくなったそうだ。
ということで、今回説明を色々聞くと、「村野藤吾は、こういう目的でこういう風に設計したけれど、その後変えられた」という箇所が圧倒的に多かったのが残念。
「通常コース」の見学の予定時間は2時間、たかが、区役所の見学に2時間かかるかしら?と思ったが、本当に2時間以上かかった。(台東区役所では考えられない)
ま~、こういう見学会に参加しなくても、見学コースの大半は、ごく普通に目黒区民が用があって区役所に来た時に利用できたり、見学できる場所。(そのせいか、今回参加者は、全員非目黒区民であった。)
目黒区総合庁舎の全体像、ビル全体がアルミダイキャストの外壁で覆われているが、これは、ビルの窓を奥まらせることにより、ビルから漏れる明かりの反射を弱くし、周囲に影響を与えないようにするのも、この外壁が設けられた目的の一つとのこと。
これは、3F南口という入り口で、千代田生命の頃は、富裕層の客専用の入り口だったそう、上にガラスモザイクの吹き抜けがあって、とても贅沢できれいな空間。
その入り口をずっと中の方に歩いていくと、本当に素敵な階段がある。
これも、手すりなど、改変されているようだが、改変がうまく行っている例。
(村野藤吾さんは、ビルなぞだけではなく、客船内部の設計も手掛けていたとのことで、素人が見ても、その経験が生きているのではと思うような設計?)
これは、土地の一番低いところに池があって、その周囲に、お茶室が作られている。その上が二階、二階は駐車場という設計。(本当は、二階に、劇場とか、周囲の住民と千代田生命の社員両方が利用できる施設を作る計画もあったらしいが、本体だけでも建築費用が掛かり過ぎて、結局は、駐車場になってしまったとのこと)
参加して、とても楽しかった。
何ていうか、相当改変されているが、やはり、この目黒区総合庁舎は、村野藤吾さんの細部にまで気を遣った実用性を兼ね備えた壮大な芸術作品であると思った。
きっと来年以降も、このツアーは企画されるであろうから、ご興味のある方は是非参加されると良いと思います。