上野公園を歩いてみた-2/2
2012年 12月 19日
何でも、同じ大名が、同じ大きさの灯篭を、ここ上野と、名古屋の熱田神宮、京都の南禅寺に寄進したとのことで、全部残っているそうだ。
(皆で、江戸時代にどうやって石を6mまで積み上げたのだろうと話した、確かに大変そう)
そう言えば、解説してくださった方が「戊辰戦争のとき、官軍は、寛永寺を焼いたけれど、上野の東照宮は、徳川家康のたたりが怖くて、攻撃しなかった」と教えてくれた。確かに、徳川家康の霊が怒ったら、怖そう。(笑)
ここに投函された郵便物には、特別に「パンダ」の消印が押されるそうな。(但し、年賀状はこのポストに入れても、消印が押されないとか)
お子さんと上野動物園に行く機会があれば、自分宛の葉書を用意して、このポストに入れると、後から、家に届いて、子どもに喜ばれそう。
あの南北戦争の北軍のトップであるグラント将軍は、その後アメリカ大統領を二期勤めた後、世界一周旅行に出かけ、日本にも来たそうな。
その歓迎会が上野で開かれたとのこと。
私はここは知っていたが、上に上ったのは初めて。
この大仏さん、江戸時代から関東大震災までの間、幾多の苦難に遭った上、太平洋戦争の時に、胴体が軍に供出れ、今は頭しか残っていないとのこと。
本来は、こんなに大きい大仏さんであったらしい。
「鐘は上野か浅草か」と言われる上野の鐘は、この鐘楼の鐘。
その後、五條天神の中に行って来た。
五條天神のお神輿が展示されていて、関東大震災後作られた「戦前のお神輿」で美しいと紹介されていたが、何だか、そういうことを言われると、「鳥越のお神輿も戦前のもので、鳥越の方がきれい」と言いたくなる。(お神輿のきれいさだけは、私としては、譲れない。<笑>)
後、どこだっけ、台東区には、もう一基、戦前のお神輿を所有している神社があるとか。
清水堂は、「人形供養」を行うので有名で、私の幼い頃は、供養に差し出されたお人形をお寺全面に飾っていたが、今は、それをやめて、さっぱりしたお寺になっていた。(年一回の人形供養は続けているそうだ。)
また、清水堂の斜面の木々をだいぶ整理したとのことで、清水堂の舞台から、不忍池がちょっとだけ見えた。
その後は、下町風俗資料館に行くとのことだったが、私は既に行ったことがあったので、ここで、団体から外れた。
11月から12月での展覧会は既に終わってしまったが、来年1月17日から1月31日(1/21は休館)まで、違う展覧会が開かれるみたい。
ま、一度中に入れただけで満足、1月の展覧会は、一点ずつではあるが、横山大観・上村松篁・片岡球子さんたちの絵が展示されるとのこと、忘れなかったら、是非、行ってみよう。
私なぞ、いつも通ぶって、噴水より奥へ奥へと行ってしまうのだが、噴水手前も細かく見所があるし、何と言っても木々の景色がきれいで、見直してしまった。(特にその日は小雨が降っていて、紅葉や黄葉がしっとりと色が映えて、きれいだったせいもあるかも知れない)
上野の山は、何と言っても、木々が良い。
ここを公園にするように提言してくれたボートワン博士に感謝。
今まで気付かなかったところも巡ることができて、今回の催し物の主催者にも感謝。