鴬谷と西日暮里の間の橋とトンネル2/2-その他の跨線橋
2012年 08月 25日
ざっと見ただけで、決め付けるのも何だが、再開発後、急に繁華街に変身したわけではなく、ま~、やはり、静かな駅前という感じ?
不二家の売店とサイザリヤがあるところが良いかも。
で、そのまま、駅前を線路に沿って、鴬谷方面に向かうと、最初に目に入ったのが、日暮里駅南口の階段。
「もみじさか通り」と書いてあって、これが山側から見た時に見えた日暮里駅構内を突っ切る橋だとわかった。
ただの橋ではなく、日暮里駅南口の通路であり、京成線とJR東日本の改札口がある上に、上野の山にも通じているようだ。
この橋は上らず、そのまま、鴬谷方面に向かう。
お店は沢山あるけれど、日曜日の午後のせいか、開いているお店は少なく、とても静かな町であった。
少し行くと、前方に、「羽二重団子」のお店が見えて来た。
幼い頃行った覚えがあり、その頃は、天井の高い、立派な木造家屋で、薄暗く、中に風通しを良くするためか、庭があったような覚えがあるのだが、今は、建て替えられて、立派な5F建てのビルになっていた。
それでも、店の周囲に、「昔」を感じさせるものが沢山置いてあり、風情は感じられる。
確か、芋坂跨線橋を渡り切ると、羽二重団子があると書いてあった記憶があり、路地をのぞきこむと、小さな陸橋と階段が見えたので、そちらに行ってみた。
ずっと奥まで線路が続きその奥には上野の山の緑が見え、無機質な陸橋があって、寂れた田舎みたいな雰囲気であった。(ま、線路が8つか9つか連なっているところは都会的ではあるが。また、JRの鉄道沿いというのはどこでも垢抜けていないが)
上野の山の側は、道路からそのまま橋に入るようになっているが、低地側は、自転車を引っ張るためのスロープ付きの階段であった。
その後、羽二重団子の前を通り、鴬谷方面に向かい、路地に差し掛かる度に、上野の山側を見ていたら、また、陸橋が見えたので、そちら方面に向かってみた。
それが、「御隠殿坂」らしい。
(御隠殿坂の謂われについては、こちらに詳しい。)
今回は、御隠澱坂の橋を渡って、谷中の墓地の方に戻ったのだけれど、橋の上を歩いていて、「そう言えば、ドラマや映画の一シーンでこの橋の上や見える景色を見た覚えがある」と思い出した。
橋を渡り終わって、そのまま真っ直ぐ歩いて行くと、墓地の中では比較的広い通りに出て、左を見ると、イナムラショウゾウがある方だとわかったので、左に曲がった。
そうか、いつも、寛永寺の方から、イナムラショウゾウのお店の方に行き、自動車で来る八百屋さんのところまで行っていたけれど、そこをもう少し進んで、一つ目の角(墓地の案内地図がある所)を右に曲がれば、根岸の方に行ける「御隠殿坂」の橋に出られることがわかった。
鴬谷から西日暮里まで、上野台地と低地は結構行き来しやすいとの発見をしながら、上野-西日暮里間を往復できて、大満足の散歩であった。(赤じそジュースの氷入りの水筒を持って行った)
上野の山のふもとのなだらかな斜面は、鉄道の線を通すために沢山削られてきて、要所要所に跨線橋がかけられてきたのかな?
これらの跨線橋は、何度かの作り替えはあったものの明治時代からあるのかしら?
橋の名前の付け方は、山側に残っている坂の名前を使っているようだ。
しかし、諏訪坂ガードだけは、結構新しいものではないかと思った。
多分、今から40年くらい前に、西日暮里駅ができる時に整備されたのではないかしら?
家に帰って、「諏訪坂ガード」のようなキーワードで色々検索したら、やはり、こういう山手線にかかる陸橋やトンネルに興味を持ち、調べた方のとても詳しくて労力がかかったことがわかるページが見つかった、超力作。
「山手線が渡る橋・くぐる橋」
このページは、左右のフレームでできていて、橋ごとには飛べないようだ。
西日暮里と日暮里の間の情報
西日暮里と日暮里の間には、諏方坂ガード以外にも橋や抜け道がまだあるようだ。
諏訪坂ガードは、やはり、西日暮里駅ができる時に、踏切の代わりにできたものとか。
日暮里と鴬谷の間の情報
こちらは、芋坂、御隠殿坂、寛永寺橋陸橋だけであった。