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山梨一泊二日旅行5/8-久那土の風景

母の実家は、昔の地名から、「久那土(くなど)」と呼ばれているが、全国的には全く無名の地域。
(私も母の親戚以外の人から「久那土」という言葉を聞いたのは、生まれてこの方1回だけ。)

母が子供の頃には「久那土村」があったそうで、母の実家は元久那土村の中心地であった。
それが昭和31年に、下部町に組み込まれ、久那土村という名前は消滅したが、甲府と富士を結ぶ単線「身延線」の各駅停車の駅名に残っている。(今はまた再編されて、身延町の一部になっている。)
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固有名詞だからと「久那土」がどういう意味か、母やおじさんに聞いたことがなかった。
でも、きっと何かの意味があるに違いないと、ネットで調べたら、このページによると、「久那土は「来なと」。悪霊邪気の侵入を防ぐ神」と書いてあった。

母の実家であるおじさんの家は、久那土駅から1kmくらい東に行ったところ、小学校・中学校や元役場の建物が密集している、結構元久那土村の中心部にある。
元久那土村の一番の特徴は、富士川の支流である「三沢川」沿いであることかな?
山間の町であるから、平地や田んぼは少ない。
至る所に山があって、本当はそれぞれの山に名前があるのかも知れないが、皆、誰も山の名前とか気にしていないで暮らしている様子。(もしかして、山には名前がないのかも)

そういうところの出身というと、母の実家は「農家」だと思うだろうが、畑は持っていて、自分たちで食べるものは栽培しているものの、叔父は元中学校の教頭で、その奥さんである叔母は、幼稚園の保母さんで、二人とも定年まで勤めていた。(3人の男の子がいるのだが、全て独立し、今はおじさんとおばさんの二人暮らし)

(詳しく調べたわけではないが、平地が少ない地域なので、元々、専業農家は少ない地域なのかも知れない。)

母の家がどんな家だったかを説明するには、祖父母の代から説明しないといけないのだが、今回は端折って、久那土の叔父の家近くの景色を紹介。

久那土は、有名な風光明媚なものは何もないし、富士山の裏側で近く過ぎるからか、富士山も見えない。
だから、どこにもありそうなごく普通の田舎の風景なのだが、山また山で緑が多いことが特徴で、散歩すると、心が落ち着く。

私たち東京の孫たちは、小学校の間、毎夏、一週間ほど、祖母の家で過ごすことを許され、集団で押し掛け、久那土の年の近い従兄弟たちと川などで遊んで過ごした思い出があるので、それなりに久那土の昔のイメージを持っている。(田舎の思い出1/2  田舎の思い出2/2)

おじさんの家のすぐ近くのT字路のところの標識。
左にずっと進むと、久那土駅。
標識の下に二軒のお店が見えるが、この二軒で、食料品・雑貨など何でも揃う。
叔父の家は、この二軒の裏手にあるので、幼い頃、おじの家に着くと、一番最初に裏口からこの二軒のお店に行って、我が家の方とは違う品揃えのおもちゃ・塗り絵を探すのが楽しみだった。
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これは、三沢川にかかる峡南高校のグラウンドに行くための木造の橋。
三沢川は、今、お水が殆どないみたい。
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T字路を少し四尾連湖(しびれこ)の方に歩いたところの川。
昔は、どこからでも川に簡単に降りられたように記憶しているが、今は、護岸工事されたところがあったり、皮沿いの道に柵が張り巡らされているよう、今の時代のここの子供たちは川遊びしなくなったのかな?
でも、良く見ると、川横の道幅が拡張されているようで、川へ降りて行く斜面が急になり、川へ降りられなくなったのかも知れない。
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空がきれいな山また山の風景。
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大きめの水田があった。
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空がきれいな写真。
大きな水田のある地域に、三階建のアパートができていた、県営住宅だって。
昔より、新しい家やアパートが増えているように見えたが、現在、小学校は一学年10人で、廃校寸前とか。
「家が増えているように見えるけれど」と言ったら、おじが「昔みたいに、子供を5人も10人も産む家がなくなって、皆、一人か二人だから」とのこと。
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by mw17mw | 2012-08-31 21:41 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(1)

山梨一泊二日旅行4/8-lazing on a sunny afternoon in the summertime

14時41分の身延線の急行に乗る予定があるので、おいしい学校から、真っ直ぐ甲府に戻って、おばさんの家で小休止して、駅に送ってくれることになった。
清里界隈は標高1200mで、甲府駅が標高274.7mとか、その差は900mあるわけだけれど、自動車に乗っていると、そんなに下って来たとは感じないが、やはり、自動車の外に出た時の暑さは違っていた。

おばさんの家で、東京から持ってきたおみやげを渡したのだが、おばさんたちも私たちへのおみやげを用意してくれていて、私たちのために3人で素敵なドライブに連れて行ってくれたことにも見合わない我々のおみやげが恥ずかしくなったりして...。

私は、おばさんへのおみやげの一つとして、先日発見した「甘味うめ酢」を用意して行った。
というのは、今から9年前母が他界した後、すぐに母が作っていた甘いうめ酢が大量に見つかり、四十九日の時に親戚に分けて、使ってもらったのだ。
その時に、甲府のおばさんだけがその甘いうめ酢を気に入って、「作り方」を聞いて来たのだ。
(さすが妹、味の嗜好が同じだと思った。)

あれから9年、さすがのおばさんももう作っていないかも知れない。
「そうしたら、こういう市販のものがあるよ」と教えてあげると喜ばれると思って持って行ったのだが、予想に反して、おばさんは今でも、梅の季節になると必ず、甘いうめ酢を年に3升も仕込み、日常的に使っているとか。
甲府のおばさんの健康の秘訣は、3番目の姉である我が母から習った甘いうめ酢と、久那土に住む一番上のお姉さんが作って分けてくれる金ゴマを毎日食べることなのだそうだ。
何だか、それを聞いて嬉しくなった。
母が好きで自慢していたものが、9年も経つのに、おばさんに気に入られていて、おばさんの健康に役立っていたから。(娘の私は全然作らなくなっていたが、来年から復活しそう)

そんなこんな話をしてから、叔母さんにお礼を言った後、叔母の家を後にし、従弟夫妻に甲府駅まで自動車で送ってもらい、少し待って、予定していた身延線の急行に乗ることができた。
甲府の皆のおかげで、本当に素晴らしい半日であった。

さ~、これで、身延線に乗り、甲斐岩間で降りて、そこからタクシーで「つむぎの湯」に向かい、ひと風呂浴びたら、久那土のおじさんに連絡すれば迎えに来てもらえるのだ。

そのくらいなら、二人だけでできるだろうと思ったら、大間違い、アクシデントが二つも起きてしまった。

甲府のお嫁さんに改札まで送ってもらい、二人になって、身延線のホームについたら、まだ、乗る電車が到着しておらず、電車が来るまで、重たい荷物をホームの端っこに置いておいたのだ。
で、ようやく電車が到着、荷物を持って電車に乗り込んだ。

で、涼しい車内で、清里が楽しかった話・世間話をしていたら、あっという間に、15時12分定刻通りに甲斐岩間に着いて、電車を降りたのだ。
その時、Jちゃんが、「あ、私のかばんがない」と言った。
言われてみれば、Jちゃんの小さな黒い旅行かばんが私たちの周りになかったのだ。
二人で一生懸命、それまでの記憶をたどったら、おばさんちには忘れてはいない、甲府の身延線のホームで私の大きな旅行カバンと並べて置いたと、二人の記憶が一致した。

貴重品は入っていないものの、放っておくわけにもいかず、Jちゃんは甲府に戻って探してくるとのこと。
もし、甲斐岩間が有人の駅だったら、駅員さんに頼んで、甲府駅に電話してもらい、そのバッグがあるかないか確認できるのだけれど、甲斐岩間は急行が停まる駅なのに、無人駅であった。

ま~、どう考えても、甲府に戻って、バッグを探してくるしかないので、私も賛成。
日帰り温泉の予定は諦めよう、そして、大荷物を持っている私は甲斐岩間に残って、2時間くらい、時間を潰すことにして、甲府に戻るJちゃんに、行き帰りの電車の予定を教えて、Jちゃんを見送った。

実は、不意のアクシデントがあったのはJちゃんだけではなく、私にも起きていた。
というのは、充電が十分という表示が出ていた私の携帯が、清里にいる間に、それまで一回も使っていないのに、バッテリーの残量が0になって、電源が落ちてしまっていたのだ。

どうしてこういうことが起きるのかわからないけれど、auの電波が清里界隈で弱くて、私の携帯が一生懸命auの電波を探したので、バッテリーを使い果たしたのかと思ったのだが、Jちゃんの携帯もauなのに、私の携帯のような現象は起きていなかった。(auが悪いのではなく、私の携帯がauで一番安い京セラのものだからかな?)

Jちゃんは、久那土のおじさんの電話番号を控えて来なかったとのことで、おじさんに電話をかけて迎えに来てもらうには私の携帯をどこかで充電する必要があったのだ。(ま、色々考えて、おじさんの住所はだいたい覚えていたので、最後は、公衆電話で104で聞けばどうにかなるとは思ったのだが、何かあったら、東京の家から電話がかかってくることになっていたし、やはり、携帯を早く使える状態に戻したかった)

携帯の充電は、日帰り温泉でさせてもらおうと考えていたが、それがだめになったので、Jちゃんが甲府まで往復している間、駅近辺のどこかで充電させてもらうしかなくなってしまった。

甲斐岩間の駅前に立って、周囲を見回すと、斜向かいに大きな郵便局があったが、土曜日でお休み。
左手少し行ったところに、大きめのスーパーが見えた他、店らしきものは何もなかったし、人っ子一人歩いていない眠たそうな町に見えた。
(おまけに、甲斐岩間からタクシーで日帰り温泉に行く予定でいたが、駅前にはタクシーなぞ停まっておらず、タクシー会社の電話番号もわからずで、タクシーで日帰り温泉まで行くという計画は無理だったかも知れない。今、ネットで「甲斐岩間 タクシー」で検索したら、2社出て来た、やはり、出かける前に調べて行くべきなのか)

仕方がないので、その大きめのスーパーに行って、レジの周囲を見回し、延長コードの先に一つ空いているコンセントを発見、その近くのレジの人に事情を話して、その空いているコンセントを使って充電させてもらうことができた。

お店の人に、「電気代を払うか、何か買いますので」と話したが、お店の人は、「正確な電気代はわからないので、何も要りません」と言ってくれた。
しかし、事実、有料の電気を使わせてもらうのだから、そういうわけにも行かないと考えた。

充電をしている間に、スーパーの中で、おじさんちに買って行ったら喜ばれそうなものに目星をつけたり、スーパーの外にベンチがあったので、そこに座ったりして、Jちゃんが戻って来るのを待った。
(また、充電が少し進んでから、メールでJちゃんに連絡したら、甲府の駅の遺失物係に、Jちゃんが忘れたバッグが届いていたとのことで、無事、手元にバッグが戻ったこと、こちらに向かう電車に既に乗ったことがわかった。)

d0063149_15402558.jpg(以下、ベンチに座りながら、暇つぶしに撮った写真)
Jちゃんの旅行かばんは小型だったので忘れやすかったのかも知れない。
私のバッグは、一泊旅行には大き過ぎる程の「幅50cm×高さ27cm×奥行き27cm」という大きさ。
実は、こういう旅行バッグは2つ持っていると思っていたのに、記憶がないのだが、どうも、数年前にボロになったからと捨てたらしく、新しく買うことになったのだ。
で、我が近所でこういうバッグが一番安そうな「日本館」という多慶屋を春日通り沿いにちょっと厩橋方向に行ったかばんやに探しに行ったら、こういう肩にもかけられるボストンバッグタイプは画像の物しかなかったのだ。
一泊旅行には大きいと思ったけれど、何せ、この大きさで980円だったので、お買い上げ。
大きいから、三軒の親戚へのお土産も何もかも入ったのは良かったが、本当に重たかった。
が、本当に大きくて重たかったので、置き忘れは考えられない。(笑)
う~ん、でも、自分の荷物が余りに大きく重たかったので、一緒のJちゃんの荷物まで気が回らない・周囲の人が自分の荷物より気になってしまうという欠点はあるかも。(笑)

d0063149_1541611.jpg待っている間、充電させてもらっているスーパーで缶コーヒーを一本買い、「おいしい学校」で買った梅干しを取り出して、食べてみたら、これが素晴らしく美味しいし、食感が私好みで、「もっと沢山買ってくれば良かった」と後悔していた。
(サンプルがあって試食させてくれていたら、数個買ったと思う。)

柔らかいタイプの小梅の梅干しで、塩加減がちょうど私に合っていて、しょっぱ過ぎないで、単独で食べても飲み物やご飯が欲しくならないくらいの塩分であった。
これが美味しかったので、旅行中、常にこの梅干しを取り出せる位置にしまっておき、疲れたり、喉が乾いてくるとつまんでいた。(梅干しの話しはまた後日に続く)

d0063149_15413975.jpg別にすごく退屈したわけでもなく、甲斐岩間のスーパーのベンチでぼけっとしている時間を楽しんだ。
こんな思いもかけない、閑散とした見知らぬ町で、非日常的な時間を潰すなんて、それこそ、kinksのヒット曲の「sunny afternoon」の歌詞である「lazing on a sunny afternoon in the summertime」(「夏の天気の良い午後をのらりくらりとやり過ごす」みたいな意味?)みたいだな~、これはこれでとても贅沢な時間と感じていた。

その日は一日良い天気で、ずっと「sunny afternoon」で、東京並みの暑さであった。
私の座っていたベンチの前は、スーパーに買い物をしに来た人の自転車置き場でもあり、自転車を停めに来た近所のおじさんらしき人が、「この辺は、日が落ちれば、涼しいよ」と教えてくれた。(実際、その通りで救われた。)

Jちゃんが戻って来る予定の30分くらい前に、相当充電が進んだ私の携帯をコンセントから取り外して、お店の人にお礼を言って、買うべきものを買った。
そして、久那土のおじさんに電話し、事情を話し、当初の予定の日帰り温泉ではなく、甲斐岩間の駅に迎えに来てくれるよう頼むことができた、めでたし、めでたし。

おじさんが自家用車で甲斐岩間に着いて私と会って、5分後くらいに、Jちゃんが乗った甲府発の電車が到着し、そこからは予定通り、おじさんちに向かった。

途中、入り損ねた「つむぎの湯」の前を通った。
さすが、甲府のおばさんも久那土のおじさんも、「つむぎの湯」について詳しく、この「つむぎ」というのは、漢字で書くと、「紬」ではなく、「津向」と書き、その日帰り温泉のある場所の近くに「津向」(つむぎ)という部落があるそうな。
そして、津向の文さんという有名な侠客が昔いたことで有名とのこと。
とは言っても、私は全然その人を知らなかったし、母の実家で会ったことのある人は、皆真面目に暮らしている人ばかりだったので、「侠客」という職業の人が母の実家の近所にいたのも不思議で、家に帰って調べてみたら、本当に「津向の文吉」という親分がいたらしい。
あの山に囲まれた村で、博打を打つというのは少しはわかるが、その他、どんなことをして、生業を立てていたのか、想像がつかない。
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by mw17mw | 2012-08-30 18:00 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

山梨一泊二日旅行3/8-下津金のおいしい学校

叔母さんたちが連れて行ってくれたのは、美味しいイタリアンが食べられる「おいしい学校」とのこと。
何でも、廃校になった小学校の木造校舎を利用した施設とか。
自動車で清里から10分か15分で到着し、自動車を降りて、その建物を見た途端、「テレビで見たことがある」ことを思い出した。

そこは、奥から、明治・大正・昭和に立てられた木造の校舎が一列に並んでいて、その前は横長の校庭で広がっていた。

d0063149_1848124.jpg見学は後回しにして、まずは、予約を取っておいてもらった、全てが白っぽい木の内装の、明るく、且つ落ち着いた雰囲気の「ぼのボ~ノ」というお店に入る。
このお店は、ちゃんとしたイタリアンのシェフがいて、シーズン中の土日には行列ができるくらい人気があるとか。

お奨めランチの、前菜・パスタ・メインにデザートのコースを叔母にご馳走になった、感謝。

パンは、この施設の中のパン工房のもので、美味しくて評判とか。

下の画像は、そのパンと前菜。(カルパッチョなのだが、魚の名前を忘れた。魚も野菜も美味しかった。)
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お皿に模様を描くのに使った緑色のソースが何の味かわからなかった。
バジルでないことは確かで、枝豆にしては軽い、ということで、お嫁さんがお店の人に聞いてくれて、「きゅうりのソース」だとわかった。(良く色が飛ばないなと感心)

次は、パスタで、ソーセージではなかったと思うが肉系トマトソースか、オイルベースの魚介と夏野菜のパスタを選ぶ。(私はオイルベースのものを選択)
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私の食べた方は、輪切りのオクラのネバネバがうまくオリーブオイルに馴染んでソースの一部となって、美味しかった。
全体の味付けとしては、やはり、場所柄、ヘルシーさを狙っているのか、塩とかチーズ控えめな味。

次はメインで、スズキのポワレか、牛ロースのステーキ。
私は、牛ロースのステーキをにしてみた。
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牛のステーキが一番気に入ったかな?
実はなぜ牛にしたかというと、ずっと昔10年以上前、山梨で行われた祖母の法事に出た時に、すき焼きが出て、そのお肉がとても美味しかったのだ。
決して、ブランド牛ではなかったのだが、それでも、東京で、非ブランド牛を食べる場合に比べようがないくらい、美味しかった思い出があったのだ。
それで、「山梨の牛肉は美味しいに違いない」と思って、そちらを選んだら、正解であった。(スズキは食べていないのでわからないけれど、スズキも美味しいとは思うが)

この山梨の牛肉と東京の牛肉の違いは何かと考えたことがあった。
多分、山梨の方が、牛肉が精肉されて末端消費者の手に入るまでの時間が短くて、温度管理が適切なのではないだろうか?(この前提として、山梨で売られている牛肉は山梨産なのだが)
東京だと、全国から、牛肉が運ばれて来るから、末端消費者に渡るまで、沢山の人間によって色々な施設で温度管理される時間が長いから、どうしても、新鮮さが保てないのではと思うのだ。
(本当かどうかはわからないが)

d0063149_1858204.jpg最後は、小さなケーキ2種とグレープフルーツ・オレンジ1切れずつ、シャーベットのデザートと飲み物。
これも楽しく、美味しかった。

お肉や魚も良かったが、地元産の採れ立ての野菜の味が際立っていた。
また、全体、美味しかったのだが、味付けが穏やかであるという印象があった。

その時には気付かなかったが、この記事を書いていて、「そうか、ワインが飲みたくならないような味付けだったかも」と思った。
このレストランのお客の殆どは、自家用車やMy自転車で来るわけだから、店側としても、酔っ払い運転防止のため、料理に塩が利いていて、ワインが欲しくなるような味付けは極力避けているのかも知れない、きっと、そうだと思う。
それが避暑地のレストランの味付けの基本かも。

この「おいしい学校」には、もう一つ和風のレストランがあるのだが、そちらは、学校らしく給食が売り物らしい。
こういう素敵なところに来てまで、給食を食べようとする人たちは、きっと給食が美味しくなった以降の世代にっ違いない。(私は嫌や)
私たちが行った日も、観光バスでやってきた団体が「古宮」というその食堂を貸し切りしていたが、給食を食べていたのかな?

d0063149_18513154.jpgランチが終わった後、お嫁さんに案内してもらって、校舎を外から見て歩くことができた。
右の画像は、回廊を歩いていたら、草木の間から銅像の後ろ姿がちらっと見えたので、誰の銅像か近寄ってチェックしたら、野口英世博士の銅像であった。
大きな葉っぱが覆っていたから、正面から見たら、そこに銅像があるのがわからないと思う、ここらへんが廃校の哀しさ。(笑)

なぜ、建て替えないで、昔からの校舎を残しながら、新しい校舎を作って行ったのか、不思議だったが、実際に見学してみて、ちょっと謎が解けたような気がした。
明治時代に建てられた小学校は本当に小さい、大正時代のものは、明治のものより大きいが、何と言っても、昭和のものが一番大きい。

多分、明治以降、どんどん人口が増えて行ったから、何十年に一度、新しい校舎を建てたのかなと思った。
そして、廃校、人口が減り始めたのはいつだろう?

建物の風格は、やはり、明治のものが圧倒的。
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多分、日本国中、欧米列強に追いつけというムードだったのか、時代が変わったことを建物で表したかったのか、バルコニーがあったり、西洋的装飾が多い。
そして、明治の校舎は、今は、カフェに使われている。(校舎内見学だけでも入場料200円がかかる)

それに比べて、大正時代の小学校校舎の設計は、大人しめに見える。(無駄な装飾がない)
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この校舎は、現在、色々な体験学習の教室として使われているようだ。

そして、一番大きな昭和の校舎は、大改造がなされていて、2Fが宿泊所、1Fがレストラン2つにパン工房・特産品売り場・「香りの湯」というお風呂などがある。(昭和の校舎は、オリジナルの校舎のイメージがどのくらい残されているかは不明と思う位、改造されているように感じた)
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(この施設は、町おこしのために作られたのだと思うが、HPを見ても、どこが経営しているのか出て来ないので、良くわからない。)

その後、特売品売り場をチェックしたら、野菜が安くて新鮮で魅力的だったが、持って歩くと傷んでしまうので、買えなかった。
原材料が梅と塩だけの小梅の梅干しがあったので、梅干しを今年から漬け始めた私は興味深々で買ってみた。
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by mw17mw | 2012-08-29 21:08 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

山梨一泊二日旅行2/8-清泉寮

八ヶ岳高原大橋で暫し景色を見た後、自動車に乗り、何だか、下の方に降りて行き、次に連れて行ってもらったのは、「清泉寮」。

名前だけは知っていた、以前、B食に良く書き込んでいた若い女性が清里が好きで、清里に行くたびに、清泉寮のソフトクリームを食べたという話を載せていたから。

初めて行く清泉寮は、広々と続く牧草地が低い柵で囲われているからだと思うのだが、まるで、スイスの牧場みたいな風情。
牧草地から八ヶ岳の反対の空を見ると、雲がなければ富士山が遠くに見えるとのことであったが、その日は富士山近辺に雲がかかっており、「ほら、あの雲の合間の黒いのが富士山」と教えてもらい、何となく高さから富士山のてっぺんあたりなのだろうと思った。
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広い牧草地の他、コンパクトに宿泊施設・食堂・売店などが集めて建てられている地域があり、人気があるのがわかる気がする。
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その建物群の手前にあるのが、この清泉寮を作った「ポール・ラッシュ」さんの像。

恥ずかしながら、清里についても、清泉寮についても、ポール・ラッシュについても無知なので、家に戻ってから調べてみた。
そうしたら、ポール・ラッシュさんについては、このページが見つかった。
このページを読むと、本当に、ポール・ラッシュさんは尊敬できる方で、内容を簡単にまとめると、

「ポール・ラッシュさんは関東大震災で崩壊した東京と横浜のYMCAを再建するため1925年(大正14年)に米国の国際YMCAから派遣され、初来日。
日米開戦で強制送還されるまでミッションスクールであった立教大学で教鞭を取った。
戦後、GHQの将校として再来日、「戦前の日本人は自分たちの国土だけで生活することができず、海外を侵略してしまった。この戦後の苦難にあえぐ人たちが、自分たちの土地で豊かに自立して暮らせるようになったときこそ、真の日本再生が達成される」と固く信じ、それまで農業が無理と思われていた高冷地での農業や牧畜を広めようと緊急農業改革に取り組んだ」とのこと。

その考えを実践する施設として、高冷地の清里に清泉寮を作り、若者に高冷地の農業教育をした。
きっと、ポール・ラッシュさん亡き後、その意志も引き継ぎながら、より広範な人々、すなわち、観光客にも利用できる施設に広げて来たのが、今の清泉寮なのかな?(観光客が来る=雇用が増える、自立できる人が増える)

また、清里の歴史について調べていたら、清里を育てた人として、ポール・ラッシュさんと並んで、安池興男さんという方が紹介されていた。

その紹介のページを読むと、途中で文章が切れているのが残念だが、清里は、昭和13年に、奥多摩の小河内ダムを作るために、奥多摩の土地を立ち退かされた人々が、移住して開墾した土地だと書いてあった。
小河内ダムの湖底に沈んでしまった村だって、温暖とは言えない土地だろうけれど、きっと、標高1200mの清里よりは自然が厳しくなかったに違いない。
先祖代々の穏やかな気候の土地で静かに暮らしていた人たちが、東京と言うマンモス都市のインフラ整備のために、苛酷な生活環境の土地に追いやられるという歴史があったのだ、知らなかった。
その頃、何もなかった清里、特に冬が大変だったろうと思う、しかし、その方たちが負けないで頑張ったからこそ、今の清里があるわけで、すごいな~と思う。

その話は、ちょうど私が2か月前に訪れた東京都水道歴史館で知った東京の水道の発展の歴史の裏の歴史になるわけだから、何だか、心に浸みた。(昭和の歴史は見なかったが)

d0063149_1771815.jpgそして、旅行の話に戻ると、ここの名物のソフトクリームを買ってもらい、従姉と半分ずつ食べたが、味が濃くて美味しく、清里に来たら必ず食べると言う人の気持ちがわかる。
乳脂肪分が高いせいだろうか、バニラアイスなのだが、白ではなく、薄いベージュ色をしていた。
わ、食べさせてもらって良かった、食べないで帰ったら、後悔したに違いない。
(ジャージー牛乳を使っているらしい、私は、ジャージー牛乳は東京でも売っているけれど、高いから買ったことがないけれど、美味しいという評判は聞いたことがある。今度、是非飲んでみよう。)

その後、清里駅のところを通り、山を降りるのと同時に南に向かい、下津金というところにある「おいしい学校」に連れて行ってもらった。

その道々、清泉寮は今でも大変人気があって盛況だったが、清里全体では、何年、何十年前になるだろう、一時ペンションブームで人気観光地だったのが、最近は、人気が下降気味で、駅周辺のお店は閑散としているし、ペンションを廃業しているところも多いと教えてもらったが、心なしか窓から見る町の様子はそれを裏付けるような気だるい様子であった。

確かに避暑にとてもうってつけな場所だけれど、飽きられるというか、日本中に沢山の新しい設備・目新しい発想の観光地が生まれ続けているし、人は珍し物好きだから新しい方へと動いてしまうし、そういう事態になるのは致し方ないと言えば、致し方ないのだけれど、淋しいものがあった。
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by mw17mw | 2012-08-28 22:34 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(2)

山梨一泊二日旅行1/8-清里へ

この土曜日の朝8時発のあずさに乗って、甲府に出かけて、次の日19:06にかいじで新宿に帰って来た。
あ~、楽しかった!
どの親戚も大歓迎してくれて、親戚の優しさに、本当に心が温かくなることばかりだった、本当に良い旅行であった、私の人生にこんな良いことがあるのだな~という感じ。
何だか、終わってみれば、夢みたいだった。

新宿に着いて、列車からホームに出たら、空気は汚く、湿度は高く、思わず「東京の暑さは何かが間違っている!」なんて思ってしまった。(笑)

久那土という身延線の駅近くに住む、母の実家を継いでいる母の弟である叔父が、「たまには、泊まりがけで飲みに来い」と言ってくれたので、埼玉に住む同じ年の従姉のJちゃんと二人でお邪魔することにした。

その前に、甲府に住む母の妹である叔母が、息子さんかお嫁さんが自動車を出してくれて、甲府観光に連れて行ってくれるとのことだったので、計画としては、

25日(土)
    8:00 新宿発 9:28 甲府着
   14:42 甲府発の身延線に乗るまで、甲府見物
   15:27 甲斐岩間到着 タクシーでつむぎの湯という日帰り温泉でひと風呂
   17:00 久那土の叔父に電話して、迎えに来てもらう
         その晩は、叔父宅で酒盛りして、そのまま眠ってしまう。

翌日26日(日)
     午前中  久那土の叔父宅の近所の母の姉宅訪問
     お昼    叔父さんがどこか良いお店で御馳走してくれる予定
     その後、時間が余ったら、どこかフラフラしてから、東京へ帰ろうと思っていた。

でも、出発前日に、甲府の叔母から電話があって、「甲府見物はやめて、清里に行くことにしたから。甲府から清里まで自動車で30分くらい」とのこと。
清里、行ったことのない私は、ラッキー!であった。

なぜ、清里に行ったことないのか、考えたのだが、清里は、きっと、運動神経が良くて何かスポーツをしている人とか、山歩きが趣味の人が行くところなのだと思う。
私のように、スポーツどころか、歩くのも、身体を動かすのも嫌いなタイプには、清里に行く話が来なかったのかも知れない。

d0063149_21191886.jpgで、翌日、甲府駅の改札で合流、叔母さん・息子である従弟のKちゃん、お嫁さんのE子さんに「本当にお久しぶり」と御挨拶の後、Kちゃんの運転で清里に出発。
もう10年前になるだろうか、母が生きていた時、母と妹と同じように、長坂に連れて行ってもらった、その時は、叔母のつれあいである叔父も元気だった。
我が母とおじさんは残念だったが、甲府の皆が元気で仲良さそうで良かった。

道も空いていたし、空がきれい。

私たちは、ぱっと東京から来て、従弟の自動車に乗り込んだだけで、後は、本当にエスカレータに乗ったかのように、自動的に、次から次に、要領良く色々なところに案内してもらった。
実際に案内してもらっている間は、とても自然な流れだったけれど、叔母たちと別れた後、実は色々調べて見物の案を練って、短い時間で最大限、良いところばかり、ポイント・ポイントを案内してくれたのだろうということにようやく思い至った、ただただ感謝。

長坂のインターを降りて、道はどこを通ったのか良くわからないが、段々高い方に上って行ったのはわかった。窓から見える景色がきれい、下の画像は、八ヶ岳。
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一番最初に自動車を下りたのが「清里高原道路 八ヶ岳高原大橋」。
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降りた途端、空気が違う、高原の爽やかな空気で、周囲の景色も相当標高が高いならではの景色。
紅葉の頃が素敵なのだそうだ。
また、本当に橋脚が長くて、底が見えない。(良くこんな高いところに橋を架けるな~と思う)
川にもかかっているが、尾根から尾根に渡る橋なのかな?

この高速道路については、このページに詳しい。観光用の高速道路のよう)

一回目でここまでしか書けなかった、ということで、この一泊二日旅行の話は何回続くのだろう?(笑)
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by mw17mw | 2012-08-27 21:23 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(2)

中国へ赴任する妹の出発前に

饗 くろきのブログを見ていたら、「饗 くろき」開店くらいまでの他のレシピブログがあることがわかった。
  「大将のウッ!旨い!!」

まだ、チラチラとしか読んでいないのだが、「この人は本当にお料理が好きなんだな~」ということがヒシヒシと感じられるし、分量がはっきりしていて、画像が多くて、とても良い感じ。
(どうも、現場を離れて、会社の本部にいた時に自分の家で料理をしてはレシピを書いたブログのよう)
読み方は自由だけれど、左側のカテゴリー別に読むと楽。

そして、面白いのは、そのブログの画像に、やたらに、私も良く行くココスナカムラという鳥越にあるスーパーの見切り品とか商品が出てくること。(くろ喜から一番近いのは、ライフなのに、ココスナカムラが好きなのかな~?そうではなくて、ココスの方が安いと考えた方が妥当かも。また、ま、そうは言ってもお店を開店後は、ココスに行く時間もないかも)


---本題です---

24日金曜日の早朝に妹が中国北京へ旅立つことに決定とのこと。
(勤務先が大学なので、半年ごとに1か月休みがあり、日本に帰って来ることができるみたいだが)

父母が生きていたら、絶対、出発直前に、皆で集まって家でご飯を食べようと、私に「何かを作れ、妹の好物のサラダは必ず」とか言ってくると思ったし、私としても、殆ど日常的接触がない妹ではあるが、中国に行って、不愉快な目に遭うことなく、元気で頑張って来て、無事帰って来て欲しいと思っているので、その会を提案した。

で、その出発の前日の夜、家族で夕食を食べようかと企画をはじめたのだが、甥1が夜バイトで不在の予定とのこと。(甥2は、某球団を追っかけて、地方にいるので欠席)

我が家も老齢化が激しく、また、それぞれ違う生活をしているので、甥がいなくて大人だけでは場が持たないし、妹もとても甥たちを可愛がっているので、甥1の都合がつく出発の前々日の夜に、我が店に集まることにした。

結果から言えば、出発の前日は、タイムリミットぎりぎりの日で荷物をまとめるのが大変なようで余裕がない様子をだったので、前々日の夜に集まったのが正解のようだった。

私は昼間お店番をしているので、何かを作るつもりはさらさらなく(というか無理)、お寿司(またかよ~)を取って、昼間のうちに松坂屋の地下でサラダでも買って来て、この2つをメインにしようと思った。

お寿司は、弟が、御徒町の回転寿司で盛り合わせを買って来たら、結構良かったので、回転寿司にしようと言ったのだが、半年は日本に帰って来れない妹にはもうちょっとちゃんとしたお寿司を食べさせたく、私が却下。(「今回は初回だからちゃんとしたお寿司にしよう、二度目からは、回転寿司でもいいよ」と)

〇の皿の宅配寿司は、弟が断固反対。(なぜかというと、弟は、高校の教職員なのだが、〇の皿でバイトしている教え子が多く、「バイトの高校生が握る寿司は、素人が握るお寿司」だから、食べたくないそうだ。)

で、結局、再び、金太楼鮨登場。(でも、今度は浅草橋)
我が家は、浅草橋の金太楼からちょっと離れているが、出前OKとのことで、頼みに行った。
で、上寿司が1800円とのこと、ちょっと予算をオーバーしているので、「どうしよう?」という顔をしていたのか、お店の人が、「ネタを調整して、ご予算の金額で握ります」とのことだったので、1500円のを頼んできた。(なぜ、ケチしたかというと、妹の送別会は2回目だったから)

ということで、上寿司の写真だと、まぐろが「赤身と中トロ」なのに、300円落とすと、赤身2艦という感じの調整が入ったお寿司が到着。

しかし、やはり、ちゃんと修業した寿司職人の握ったお寿司は、ネタもシャリも大変美味しく、他の人の評判も上々だった。
特に、お店で焼いたと思われる玉子焼き、美味しいな~。

厳密にネタを比べたわけではないので、CPがどちらが良いか、断定はできないが、同じくらいの価格だと、〇の皿は、6艦に巻きもの少々、金太楼さんは、9艦で巻きもの少々であり、量的にも満足。
(それにしても、回らないお寿司って、握りが大きいのね~)

我が家の近隣の皆さまに、お寿司の出前に浅草橋の金太楼は、推薦できます。(インスタントみそ汁、お醤油の小さなパック、使い捨ての醤油皿もついてくるし)

私は、稲庭うどんを茹でに自分の部屋に戻ったり、忙しかったので、残念ながら、お寿司の写真は撮り忘れてしまった。

d0063149_2174644.jpgRF1のサラダは、彩りを考えて、くし切りトマトとしらすのサラダ、もう1種類は、たこのグリーンサラダだったかな?
特にくし切りトマトが見た目、美味しそうな色で期待して食べたら、余り熟していないトマトでちょっとがっかり。

他、従姉が贈ってくれた稲庭うどんを茹でたり、クラッカーとキリのクリームチーズ程度のものだったが、それでも、妹が家族と楽しそうにくつろいだ時間を過ごせたようで良かった。

2時間くらい、楽しい時間を過ごし、その後、妹は、最後の荷物詰めをして、金曜日の朝、無事、飛行機で飛び立ったようだ。(朝早かったので、早朝必ず起きている弟だけが見送ったとのこと)
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by mw17mw | 2012-08-26 21:08 | 飲食店・菓子店 | Comments(0)

鴬谷と西日暮里の間の橋とトンネル2/2-その他の跨線橋

「手打ちうどん あかう」を出て、どちらの方向に歩こうか迷ったが、やはり、日暮里の方が少しは色々なお店がありそうだし、再開発後行っていなかったので、日暮里駅方面に向かう。

d0063149_12233018.jpgざっと見ただけで、決め付けるのも何だが、再開発後、急に繁華街に変身したわけではなく、ま~、やはり、静かな駅前という感じ?
不二家の売店とサイザリヤがあるところが良いかも。

で、そのまま、駅前を線路に沿って、鴬谷方面に向かうと、最初に目に入ったのが、日暮里駅南口の階段。
「もみじさか通り」と書いてあって、これが山側から見た時に見えた日暮里駅構内を突っ切る橋だとわかった。
ただの橋ではなく、日暮里駅南口の通路であり、京成線とJR東日本の改札口がある上に、上野の山にも通じているようだ。


d0063149_12243166.jpgこの橋は上らず、そのまま、鴬谷方面に向かう。
お店は沢山あるけれど、日曜日の午後のせいか、開いているお店は少なく、とても静かな町であった。
少し行くと、前方に、「羽二重団子」のお店が見えて来た。
幼い頃行った覚えがあり、その頃は、天井の高い、立派な木造家屋で、薄暗く、中に風通しを良くするためか、庭があったような覚えがあるのだが、今は、建て替えられて、立派な5F建てのビルになっていた。
それでも、店の周囲に、「昔」を感じさせるものが沢山置いてあり、風情は感じられる。

d0063149_1225391.jpg確か、芋坂跨線橋を渡り切ると、羽二重団子があると書いてあった記憶があり、路地をのぞきこむと、小さな陸橋と階段が見えたので、そちらに行ってみた。
ずっと奥まで線路が続きその奥には上野の山の緑が見え、無機質な陸橋があって、寂れた田舎みたいな雰囲気であった。(ま、線路が8つか9つか連なっているところは都会的ではあるが。また、JRの鉄道沿いというのはどこでも垢抜けていないが)
上野の山の側は、道路からそのまま橋に入るようになっているが、低地側は、自転車を引っ張るためのスロープ付きの階段であった。

d0063149_12301929.jpgその後、羽二重団子の前を通り、鴬谷方面に向かい、路地に差し掛かる度に、上野の山側を見ていたら、また、陸橋が見えたので、そちら方面に向かってみた。
それが、「御隠殿坂」らしい。
(御隠殿坂の謂われについては、こちらに詳しい。)

今回は、御隠澱坂の橋を渡って、谷中の墓地の方に戻ったのだけれど、橋の上を歩いていて、「そう言えば、ドラマや映画の一シーンでこの橋の上や見える景色を見た覚えがある」と思い出した。
橋を渡り終わって、そのまま真っ直ぐ歩いて行くと、墓地の中では比較的広い通りに出て、左を見ると、イナムラショウゾウがある方だとわかったので、左に曲がった。
d0063149_1763249.jpgそうか、いつも、寛永寺の方から、イナムラショウゾウのお店の方に行き、自動車で来る八百屋さんのところまで行っていたけれど、そこをもう少し進んで、一つ目の角(墓地の案内地図がある所)を右に曲がれば、根岸の方に行ける「御隠殿坂」の橋に出られることがわかった。

鴬谷から西日暮里まで、上野台地と低地は結構行き来しやすいとの発見をしながら、上野-西日暮里間を往復できて、大満足の散歩であった。(赤じそジュースの氷入りの水筒を持って行った)

上野の山のふもとのなだらかな斜面は、鉄道の線を通すために沢山削られてきて、要所要所に跨線橋がかけられてきたのかな?
これらの跨線橋は、何度かの作り替えはあったものの明治時代からあるのかしら?
橋の名前の付け方は、山側に残っている坂の名前を使っているようだ。

しかし、諏訪坂ガードだけは、結構新しいものではないかと思った。
多分、今から40年くらい前に、西日暮里駅ができる時に整備されたのではないかしら?

家に帰って、「諏訪坂ガード」のようなキーワードで色々検索したら、やはり、こういう山手線にかかる陸橋やトンネルに興味を持ち、調べた方のとても詳しくて労力がかかったことがわかるページが見つかった、超力作。

      「山手線が渡る橋・くぐる橋」

このページは、左右のフレームでできていて、橋ごとには飛べないようだ。

        西日暮里と日暮里の間の情報

          西日暮里と日暮里の間には、諏方坂ガード以外にも橋や抜け道がまだあるようだ。
          諏訪坂ガードは、やはり、西日暮里駅ができる時に、踏切の代わりにできたものとか。

        日暮里と鴬谷の間の情報

          こちらは、芋坂、御隠殿坂、寛永寺橋陸橋だけであった。
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by mw17mw | 2012-08-25 06:11 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

西日暮里界隈-「手打ちうどん あかう」

さて、トンネルを抜けると、路地の間から、高いところに、日暮里舎人ライナーのモノレールの線が見えたので、そちらに行けば、尾竹橋通りだとわかる。

d0063149_11593299.jpg出かける前に「西日暮里」で食べログを検索したら、名古屋風の「手打ちうどん あかう」というお店が一位で、尾竹橋通り沿いにあり、土日も営業しているとのことで、このお店でお昼を食べることにした。

最初、尾竹橋通りを渡って、通り沿いに、日暮里に向かったが、見落としてわからなかった。
仕方がないので、折り返して日暮里からまた西日暮里に向かって歩き、カクヤスの2,3軒手前で「あかう」を発見、入ることができた。(とても地味な店構えであった。)
駅から歩くと、日暮里から5分、JRの西日暮里から7,8分という感じかな?

入ることができたと言ったが、自動ドアが不調で、外から中々戸が開けられなくて、ガラス戸をとんとん叩いて、中から開けてもらい、ようやく入ることができた。(後から入って来たお客さんを見ていると、私と同じで、自動ドアに拒否される人とされない人、半々であった。)

中に入ると、カウンター席、テーブル席の他、座敷もあるみたいで、乳幼児のいる家族連れが利用しやすいようであった。
何だか、家族経営で、若いお子さんたちも手伝っているようなアットホームな感じのお店。
日曜日の1時過ぎくらいで、半分くらい客席が埋まっている感じ。

私はカウンターに座ったのだが、そこには、七味唐辛子等の調味料の他、生のうずらの卵が入った容器とその殻を切るはさみ、揚げ玉を盛った器が並んでいた。

暑いから冷たいうどんが良いと思い、ごまだれのざると、何だか食欲がそそられ「梅干しとしらすご飯」も頼んでしまった、合わせて950円。

料理が出て来るまで結構時間がかかったから、一から茹でるのかな?
で、出て来たのが下の画像。
d0063149_11595873.jpg

手打ちうどんは、素晴らしくきれいに光っていて、極太ではなく、うどんとしてノーマルな太さでしこしこしていて、文句なく美味しい、茹で立ての美味しさ?
ごまだれも美味しいことには美味しかったが、ごまだれは大抵どこのお店でも美味しいから、このお店の出汁の実力を知るには、ごまだれでなかった方が良かったと反省。

梅干しとしらすご飯は、量は普通のご飯茶わん一杯くらいの量で、上に大量のしらすと、かりかり梅を刻んだと思われるねっとりタイプではない梅干しのみじん切りが乗っていた。
ご飯がね、中の下くらいか、もしくは、ジャーに長めに保管してあったご飯かも知れない、ちょっとご飯に魅力が足りない感じ。

でも、とにもかくにも、手打ちうどんが素晴らしく美味しく、結構満足。

谷中・千駄木方面に散歩に来た時、あの諏方坂ガードを通れば、このお店を初め、低地の評判のお店に寄れると思った。(谷中銀座は、所謂観光地だから、一見さん狙いのお店が多いように見えて、入りたいと思う飲食店が殆どないのだ。)

ま、でも、素直に日暮里駅北口を下りた方が近いかも。

メニューはこちら。
d0063149_1213156.jpg
d0063149_1215155.jpg

面白いと思ったのは、味噌煮込みうどん、ご飯付きで1280円。
「麺は、名古屋の麺と同様で、硬くぼそぼそした麺で、汁は、100%八丁味噌を使い、甘めに仕上げています。あかう独自の味噌煮込みうどんです。それ故、苦情は一切受け付けません。あしからず」と書いてあって、面白い。
誰か、文句をつけた人が過去にいたのか、愛知の人かしらね?(笑)
(冷たい方の「まぐろづけ天ざる」とか、温かい方の「まぐろづけ天みぞれ」は、まぐろのづけを天ぷらにしたものだろうか?ちょっと食べる気がしないけれど、どんなものか興味はある。)

夜は居酒屋風になって、「ダチョウのたたき」なぞがあるみたいで、興味深々だけれど、夜は中々行けないだろう。

季節が落ち着いたら、味噌煮込みうどんや鍋焼きうどんを食べてみたい。

私は、鍋焼きうどんや味噌煮込みうどん、結構好きなのだ、美味しいといいな、楽しみ。

あ、そうだ、思い出した、とても良いお店に見えたけれど、暑い最中、冷たいお水ではなく、熱いお茶が出て来たのにはびっくり、それが欠点かな?
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by mw17mw | 2012-08-24 17:01 | 飲食店・菓子店 | Comments(0)

鴬谷と西日暮里の間の橋やトンネル1/2-諏方坂ガード発見

お盆休みの買い物と食事-ヒカリエ「美々卯」の中に、アンカラというトルコ料理の店がヒカリエ内にあるようなことを書きましたが、それは間違っていました、ごめんなさい。
記事を補筆しましたので、詳しくは、そちらを読んでください。

---本題です---

最近、暑いから、何か新しいテーマを考えつかないと、休みの日に、中々散歩しようという意欲が湧かない。
そうすると、体重が落ちないので、新しいテーマを一生懸命考えることになる。
今まで何度か上野の山の谷中の墓地を歩いていて、実は、上野台地と根岸なぞの低地を結ぶ橋があるのではないかと感じていたので、それを探そうと思いついた。
(そうすると、今まで何度も行って飽きていた谷中墓地に出かけようという気になる。)

というのは、ずっと以前、林家こぶ平さんに谷中の墓地で会ったことがあるし、お父さんの林家三平さんも、健康のために、谷中の墓地に良く、散歩かランニングに来ていたと聞いたことがあったからなのだ。
絶対、根岸と谷中墓地を結ぶ通路がどこかにあるに違いないと踏んだ。

私は、家から一番近い山手線の駅が御徒町であるせいか、私が知っていることは、新橋くらいから上野駅までは、線路は高架線なので(新橋から高架ではないと思うが、私が詳しいのは新橋からということで)、所々に人と自動車両方が通れるガード下の道路があること、それから先は、電車は地べたを走ることになり、人と車が線路を横切るのに、上野駅より北側は、それぞれの駅に垂直に台地と低地を結ぶ大きな道が通っている他、上野駅北側に両大師橋、鴬谷駅の北側に問い通りの寛永寺陸橋があることくらい。

ま~、以下の話しは、地元の人からしたら、当たり前の話だし、遠くの人は興味があるかどうかわからないが、書いておこう。

d0063149_12473024.jpgで、一回目は、7月末に出かけ、芋坂跨線橋(こせんきょう)を見つけた後、日暮里駅構内を通る跨線橋もあることを発見、また、諏方神社の崖の階段を下りて行くと、トンネルがあり、どうも、上野台地から下町の低地に抜けられそうなことがわかった。(跨線橋というのは、漢字の通りで、「線路をまたぐ橋」なんだって、私は初めて聞く言葉であった。)
全部、自動車は通れないような人と自転車だけが通れるものか、もしくは、人だけ通れるものであった。

二回目は、この前の日曜日、今回は、前回見逃した谷中墓地から続く「御隠殿坂」という橋を見つけ、諏方神社のトンネルをくぐって、下町の方に行ってみようとプランを立てた。

体重を落とすため、上野駅前歩道橋の手前から歩き始め、谷中墓地までの間、道路に立っている近隣の地図を確認したが、二種類あるみたいだ。

まず、観光案内用の地図には、線路をまたぐ橋なぞは省略されていて表示されていない。
d0063149_12373016.jpg

住居地図や墓地の案内図のような地図には、跨線橋が表示されている。
d0063149_1237578.jpg
(勿論、Google Mapにも線橋は表示されていたが、諏方神社の崖下のトンネルは、表示されていないようだ。)

諏方神社に到着。
(余談になるが、谷中・千駄木界隈で、一番、夏涼しいのは諏方神社ではないかと思う。
何せ、崖っぷちなので、自然の涼しい風が通り抜けるし、高い木々が沢山あるので、その長い枝と葉が境内中を覆っていて、殆ど、直射日光が差し込まないのだ。)

d0063149_16414482.jpg諏方神社の崖っぷちの部分の真ん中あたりの階段は、くの字に曲がっていて、前回は途中までしか行かなかったので、今回は、全部下りてみたら、右のようなプレートが貼ってあって、このトンネルの名前は、「諏方坂ガード」という名称だとわかった。
しかし、このトンネルに至る階段は、自転車を滑らせるスロープがないのに、無理矢理自転車で上がってしまう人がいるのだろうか?(言われてみれば、諏方神社の入り口で、結構スピードを出して走って来る自転車とすれ違ったが、あれは、きっとトンネルを通って、階段を無理矢理上がって来た自転車に違いない)

d0063149_16452033.jpgで、トンネルに入ってみると、薄暗い電気がついた地下道で、やはり、くの字に曲がっていた。
距離は短くて、すぐ向こう側の出口が見え、沢山の自転車が置いてあった、西日暮里駅の駐輪場のようであった。

トンネルを出ると、そこは、ただの静かな町であった。
ふ~ん、今まで、上野から先は、線路に遮られていて、山手線の中と外と行き来がし難いのかと思っていたのだが、そんなことはなかった。
思いもかけずに、人と自転車が行き来できる通路が沢山あったことが新発見。
(自動車が行き来する通路は、駅ごとにしかないけれど、上野の山の方は墓地が主だから、それ程の需要がないのかな?)

「トンネルを抜けると、そこには何もなかった」という事態は予想していたので、、予め、出かける前に、その界隈で美味しいお店はないか探しておいた。
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by mw17mw | 2012-08-23 16:50 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

もらったゴーヤを料理、結局焼きうどんになる

私は、ゴーヤを余り食べたことがなく、勿論、料理をしたこともなかったのだ。
(自慢じゃないけれど、有名な「ゴーヤ・チャンブルー」も実は食べたことがないのだ。)

それが、お盆明けに、浅草橋の野菜スタンドが、その日買い物をしたお客さんに一本ずつサービスでゴーヤをプレゼントしてくれたので、これは、どうにか食べねばと、野菜料理の本2冊を見ると、両方とも「ゴーヤ」という項目がなかった、多分、私の持っている本が古いからだと思うが...。

d0063149_1955015.jpgそれで、インターネットで、「ゴーヤ レシピ」で検索したら、クックパッドの「つくれぽ100人以上のゴーヤレシピ」というページが出て来たので、両方ともとても簡単なレシピだったというのが一番の理由だが、圧倒的1位の「冷やして食べて~♪ゴーヤーのおひたし」と2位の「ゴーヤとツナのサラダ 」を夜、晩御飯の後に半本ずつで作って、ひと晩冷蔵庫で寝かせ、翌日から食べてみた。

「冷やして食べて~ ゴーヤのおひたし」の方がゴーヤの苦味を抑えたレシピ、特に削り節をかけると、殆ど苦味が消えて、食べ良かったし、一旦、茹でて水気を絞るので、量が減って良かった。

「ゴーヤとツナのサラダ」の方は、反対に、苦みを生かした料理のように感じた。
ツナや油が入っているせいで、一応苦味は抑えられているので、すごく苦くて食べるのも嫌やという程は苦くなかったが、きっと、子供は嫌がる味だろうと思いながら、食べた。
こちらは、塩を振って置いておくだけで、余り水気を絞らないので、量が多い。

両方とも、ご飯のおかずにはならないかも、特に、ゴーヤとツナのサラダは、酒の肴向きかも。

d0063149_1973211.jpgで、二回、ご飯の時に1/3ずつ食べたが、最後飽きたので、焼きうどんに入れてみた。

1.作り方は適当で、スクランブルドエッグを卵1つで作って、他の容器に入れておき、次にキャベツと玉ねぎの太い千切りを塩・胡椒しながら、油で炒めて、スクランブルドエッグと一緒にしておく。

2.その次に茹でうどんを油で炒めて、だいた炒まった時に、1のキャベツ・玉ねぎ・スクランブルドエッグを投入、ほぐして、全部を混ぜ合わせる。(野菜はもしかしたら、うどんを炒め終わった後に入れても良いかも)

3.最後、そこに、ゴーヤのお浸しとツナとゴーヤのサラダを汁ごと入れて、かき混ぜて出来上がり。

削り節をかけて食べた。

食べる時に味が足りなかったら、お醤油でもかけて食べようと思っていたが、実際食べたら、塩味・レモン味・醤油味が良い具合にミックスされて、もしかして、これが一番美味しかったかも。(でも、決して、ものすごく美味しいというものではない)

別に、つくれぼを参考にして作った料理が不味かったわけではないのだが、やはり、ゴーヤは個性が強いというか、飽きる味だからだと思う。

こういうサラダやおひたしを作って残った時には、焼きうどんや焼きそばに混ぜ込むと良いと思う。
大海原みたいなうどんや焼きそばがゴーヤの癖を中和してくれるし、ツナのゴーヤのサラダのツナは、口に入らず、容器に残りがちになってしまったが、全て無駄なく使えたことも良かった。


健康には良いらしいが、美味しい沖縄料理のお店で、病みつきになる程のゴーヤ料理に巡り合わない限り、今後、自分でゴーヤを買って料理することはないと思う。
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by mw17mw | 2012-08-22 19:07 | 料理レシピ | Comments(2)