カテゴリ:東京以外の遠出・温泉( 78 )

大人の遠足−大磯・小田原 2/3

そして、戦後、澤田美喜さんの半生と信仰、そして、戦後、行った「エリザベス・サンダース・ホーム」を作って、2千人以上の混血児を育てた事業についても、色々学ぶことができた。

澤田美喜さんは、三菱の創業者岩崎弥太郎の孫であり、その子供である岩崎久弥の長女として、文京区に生まれるとあるが、今は台東区になっている「旧岩崎庭園」で、誕生し、育った。
この旧岩崎庭園に行って、ジョサイア・コンドルが設計した洋館や庭を見れば、澤田美喜さんがその当時の日本の庶民の生活なぞを見ることも触れることもなく、贅沢に育ったことがわかる。
そして、20歳の時、お見合いで、外交官でクリスチャンの澤田廉三と結婚、その後、子供を4人産み育てながら、外交官夫人として、アルゼンチン、北京、ロンドン、パリ、ニューヨークで昭和11年まで外国生活をしていたとのこと。

その外国生活の間に、ロンドンで、子供たちの表情が明るい孤児院に行く経験もして、戦後、日本の混乱時代に、新たに望まれずに生まれて来て、捨てられる混血児たちを養い、育てることを決意する。

澤田美喜さんの一生を知るには、下記4つが参考になる。

Wikiの澤田美喜

三菱の人ゆかりの人 澤田美喜(上)

三菱の人ゆかりの人 澤田美喜(下)

その他、澤田美喜とキリスト教について

私は、それまで、澤田美喜さんの名前やエリザベス・サンダース・ホームについて、昔、週刊誌なぞで取り上げられることがあったので、混血児の子供たちの孤児院を作った人とその孤児院の名前ということは知っていた。

今回、この催し物で、刺激を受け、色々調べて、澤田美喜さんは、なぜ、このような事業ができたのだろう、する気になったのか、考えてみた。

澤田美喜さんは、恵まれた環境に生まれ、恵まれて育ち、どの段階でも幸せであったに違いない。
クリスチャンになったこと、良い伴侶に恵まれ、外交官夫人として外国で暮らしたこと、4人の母になったこと、全て、幸せだったのだろう。

だったら、彼女の人生に不幸はなかったのかというと、三男が戦死してしまったことがある。
そういう経験があるせいか、天性の感性のためか、クリスチャンとしての信仰と教育のせいかは良くわからないが、不幸な人々への同情心がある人のようだ。
大磯の旧岩崎別荘地には、混血の孤児のための「エリザベス・サンダース・ホーム」、また、その子供たちが町の学校に入学したらいじめられるだろうと、その子達用の小中学校「聖ステパノ学園」がある他、澤田美喜記念館には、江戸時代に迫害された隠れキリシタンの遺品がたくさん集められ、展示されていた。
この人は、孤児だけではなく、謂れのない迫害に遭う人すべてに同情し、寄りそう気持ちがあることを感じた。
(下記の画像は、鐘撞堂と、澤田美喜記念館)
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たぶん、外交官夫人時代に外国で学んだ、「慈善活動」の正しいそして成功した事例を見た経験も大きかったのだろう、それまでに恵まれた自分の人生の恩返しのように、恵まれない、見捨てられた子供たちのために、残りの人生を捧げることを天命と悟って行動をした。

そこがすごいし、素晴らしい!自分の恵まれてきた分をちゃんと社会に還元するのだから。

素質的には、岩崎弥太郎の直系の孫だし、恵まれた環境で育ち、物おじすることなく、伸びやかに生きることができた人生。
そこに、キリスト教の教えが入ってきて、弱い者、恵まれない人々に手を差し伸べることが「自分の天命」と思えたとき、きっと、おじいさん並みの行動力で、頑張ることができたのだろう。

また、以前と違って、今の時代、望まれない米兵の子供とか生まれなくなっているので、「エリザベス・サンダース・ホーム」はまだあるのか?もしかして、なくなってしまったかな?と思ったけれど、今は、普通の養護施設になって、恵まれない日本人の子供を預かっているそうだし、聖ステパノ学園も、エリザベス・サンダース・ホーム以外の子供も通う学校になっているそうだ。
下記画像は、「エリザベス・サンダース・ホーム」の看板が掲げられている建物。
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後、話はずれるけれど、由紀さおりとそのお姉さんである安田祥子さんが、コンビで童謡を歌うことが多いけれど、この安田祥子さんのご主人は、すでに他界されているようだが、澤田美喜さんの次男さんとのこと。
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by mw17mw | 2014-07-07 12:55 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

大人の遠足−大磯・小田原 1/3

6月4日に、湘南在住の猫好きさんが、はがきで申し込んでくれて、当たった「澤田美喜記念館と旧岩崎別荘跡地」という大磯ガイドボランティア協会主催の会に参加できた。
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初めて降りる大磯駅は、本当に駅も周囲ものんびりしていて、大きな商業施設が何もなくいかにも避暑地にふさわしい駅であった。
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で、今日、明日で、旧岩崎別荘跡地を見た感想を書くが、この別荘跡地には、財閥の別荘跡地のすごさと、戦後、澤田美喜さんがこの別荘を寄付を集めて買い取り、エリザベスサンダースホームを開いたという二面がある。

で、今日は、「戦前の財閥の凄さ」について。

三菱財閥の総帥であった岩崎家は、何でも、別荘を5つもっていて、そのうち3つは神奈川県にあったそうだ。(大磯・箱根・湯河原)
で、この大磯の別荘は、駅から1,2分のところに入口があって、小高い山一つがすべて岩崎さんの別荘。
たぶん、戦前からの建物はそんなに残っていない感じがしたが、とにかく「やはり、金持ちの別荘」という感じ。

小高い丘を上ったところから海の方を見た景色。
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うわ~、この景色を独り占めか!
何でも大磯には、岩崎家だけではなく、三井財閥の別荘というか、一山とか、逗子には、安田財閥の別荘があったそうだ。(オノヨーコが子供のころを過ごしたので有名とか)

色々歩き回って、案内してもらったが、私が一番ショックを受けたのは、この丘の一番下の真ん中に開けられた「トンネル」。
このトンネルがいつ開けられたかわからないけれど、弥太郎さんの奥さんだかが生きていた時代らしい。(このおばあさんが、蚕を飼っていて、その餌になる桑を育てて収穫し、このトンネルの途中に開けた穴に保存していたと説明された記憶がある)
お金持ちが小高い丘の上に家を建てるのは良くある話だけれど、その丘にトンネルを開けてしまうのは、やはり、岩崎さんくらいだよね~、どう考えても。
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なんだか、戦前、ドリルとか電動で穴を開ける道具が少なく、人力が主な動力であった時代に、たった一つの「岩崎」さんという家族とその使用人が使うだけのために、山を貫通する穴を開けたって、凄くないだろうか?
これは、今の時代だったら、お金持ちと聞いていたお友達の家に行ったら、自家用ヘリコプターがあったとか、自家用飛行機を所有していたくらいの凄さではないだろうか?

トンネルを開けるというと、「恩讐の彼方」という小説を思い出したり、難工事の落盤事故とか、大変な作業で、あくまで、不特定大多数の利便のためにだけ行われる作業だと勝手に思っていた。
ま~ね、三菱財閥の総帥だったら、各会社が総力を挙げて、トンネルの穴くらい、人海戦術で開けてしまうかも知れない。

戦前の財閥って、やはり、すごいと思った。

それに、ボランティアの方から説明を聞いたのだが、「エリザベス・サンダース・ホーム」の「エリザベス・サンダース」さんというのは、良く、キリスト教会の信者でお金を最初に寄付してくれた人と紹介されているが、実は、同じ大磯にあった三井財閥の別荘に住んでいた、イギリス人の乳母さんだったそうだ。
何でも、三井財閥の人たちがロンドンにいたときに雇った乳母さんが「エリザベス・サンダース」さんで、日本に帰国する時、子供たちがなついていたので、頼んで、日本に一緒に来てもらったそうだ。
そして、そんな生活の中、エリザベスさんは、私はもうイギリスに帰らないだろうからと、それまでに貯めていた貯金を澤田美喜さんに寄付したのだそうだ。
で、今は、横浜の外人墓地に眠っているそう。

すごいね~、戦前の財閥、お金持ち過ぎる!
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by mw17mw | 2014-07-06 10:07 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

横浜「みなとみらい→馬車道」見物

神奈川県出身で、横浜在住の銀行の大先輩が、横浜美術館のプーシキン美術館展に誘ってくれて、「プーシキン美術館展→みなとみらい&馬車道散歩→馬車道の鶏炙で焼き鳥堪能」というコースを堪能してきた、「有難う、スペシャルサンクス 大先輩!」です。(笑)

プーシキン美術館展も中々良かったけれど、久しぶりのみなとみらいは、良くご存知の方に案内してもらってさっさか歩いて見物したせいか、その規模の大きさにびっくり。

2013-09-07 横浜見物
(画像に関するコメントまで読む場合は、Google IDでログインが必要です。画像だけ見るのなら、ログインは不要です。)

ここと比べれば、上野・浅草なんて、「殆ど最近お金がかかっていなくて、古びていて、コンパクトだけが魅力」の地域だと思い知った。(涙)

横浜の再開発ってすごいな~、東京にはこれだけの場所がないような気がする。
一番似ていると、私が思うのは、東京では、恵比寿のガーデンプレイスかしらね?

それにしても、横浜の方々は、物販の商業施設が大好きみたいで、いくつあったら気が済むの?と思うくらい、色々な商業モールみたいなものが沢山できていて、びっくり。

わたし的には、東京だったらアキバから御徒町みたいに、再開発の新しいモールとか商業ビルもあるのだけれど、その近くに、昔ながらの汚い小さな商店や安い飲食店が所狭しとお店を開いてしまうのが当たり前で、「きれいで最新鋭に特化できない」都市に慣れているかな?

そういう意味では、汚いものを全て取り壊してというか、みなとみらい自体が埋立地らしいので、「きれいで最新鋭に特化できる横浜」の方が、進んでいると思う。

東京って、考えてみれば、どこかに、「広い地域を同等にきれいにすることはとても難しい」という諦めがある都市かも。(特に真ん中の方)
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by mw17mw | 2013-09-09 07:32 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

大阪・神戸センチメンタル・ジャーニー-大阪・甲子園口の風景

最初から何だけれど、これは、御堂筋線淀屋橋のホームの剥き出しの蛍光灯。
私は昭和の終わりころ大阪にいたのだけれど、その時と同じ風景。
この何気ない剥き出しの蛍光灯なのだけれど、東京から来た友人や会社の同僚からけなされてばかりいた。
どうも、東京人は、蛍光灯はカバーして隠すのが当然だと思っている人が多いようだ。
大阪人は、この画像を見てもわかるように、どうにか、カバーなぞにお金をかけないで、きれいに見せようと並べ方に工夫する価値観を持っているよう。
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この淀屋橋の剥き出し蛍光灯のホームは全然変わっていなかった。しかし、新しく改装された大阪駅では蛍光灯はすべてカバーで覆われていた。方向的には、蛍光灯はカバーされていくのかな?

d0063149_229033.jpg大阪に行って、「私は東京人だ」と自覚したのは、エスカレータにさりげなく乗る時。東京からほとんど出ていない私は、当然のように、左手を左側のエスカレータのベルトに置いて、左側に並ぼうとしてしまう。
でも、関西では、右側に並ぶんだよね、だから、気づくと、一人、はみ出ていることになる。(涙)
一日目はついつい東京流になっていたが、二日目からはだんだん関西風になってきた。

後、良かったことは、大阪でも神戸でもSuicaカードが使えたこと。
使えたと言っても、最初の頃、使うと機械に拒否されて、スムーズに使えなかったりすることもあったが、駅員さんのお世話になることもなくとにかく使えた。
これはとても楽で便利であった。

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久々行った大阪駅は、昔青空だったところに様々な建造物ができていて、すごく変わっていた。
私は、神戸線で通勤していたのだが、昔は、ホームに郵便ポストとかあって、のどかだったのだけれど、今や最先端のホームになってしまった。
でもね、構造物はずいぶん変わったのだけれど、改札を出て、何歩くらい歩けば、御堂筋線への階段にたどり着くとか、同じく、何歩くらい歩けば、大丸梅田店に行くとか、その感覚は変わっていなかったので、やはり、「昔なじんだところだな」という感じはあった。

この駅ビルのような新しい商業施設ルクアの中のおトイレRELAQUAを利用したら、何と、最近流行しているらしい「美トイレ」で、あまりの美しさにびっくり!(東京にもあるらしいけれど、まだ、巡り合っていない)

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これは、大阪駅前の歩道橋から、多分、阪急三番街の方を見たところ。
なぜだか、あのゴミゴミした大阪駅前に観覧車があった、神戸に行っても観覧車があったけれど、関西の人って、何気に、関東人より、観覧車が好きみたい。

d0063149_22192654.jpgこれは、昔住んでいた、JR神戸線の各駅しか停まらない「甲子園口」という駅。(ここから、南に行くバスに乗れば、甲子園球場に行ける。)
神戸線は、尼崎の方を通って、武庫川を渡ると、甲子園口で、その先、西宮・芦屋と繋がっていく。
久々、神戸線に乗ってみたら、尼崎とか武庫川までの地域が工業地帯で、昔ながらの工場が並ぶ風景で、武庫川を渡ると、がらっと雰囲気が変わって、工場がなくなり、緑と素敵な家が続く住み良い住宅街になるみたい。

そういう意味で最近人気があるのか、私が住んでいた頃より、相当住み良さそうな街に変わっていた。
商店街も昔よりお店が増えているみたい。(商店街が活性化しているなんて、珍しい!)

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甲子園口の北口にあった出汁のお店。ペットボトルをご持参くださいとのことで、うどんつゆが1リットル300円とのこと。
こういうお店が東京にもあったらいいのにねと友人と話したが、今回、関西でも甲子園口以外でこういう出汁つゆの専門店は見なかった。

あ、そうだ、甲子園口というのは、ずっと昔のグリコの社長誘拐事件の舞台となったところで、グリコの社長宅が実際にあったのだけれど、今回行ったら、壊されて、平地になっていた。
昔は、お金持ちは、大きなお屋敷を建てるものと相場が決まっていたが、これからは、お金持ちは、お金持ち用のマンションに入って、どこに住んでいるか特定できないようにするのが、お金持ちの流儀なのかも知れない。
その方が安全だものね。
(私は江崎グリコ社長宅から5,6軒離れたマンションに住んでいたのだが、確かに、毎日同じ時間に家を出ると、グリコ社長宅から出てくる高校生の男の子と毎日すれ違うことになり、「彼が将来の若社長かな」とか顔を覚えてしまったことがあった。そういうことを避けるためにも、やはり、巨大高級マンションに住んだ方が良いと私も思う。)

d0063149_22401795.jpg私が以前住んでいたマンションというかアパートにも行ってみたが、阪神淡路大震災で被害に遭わなかったのか、無事建物が残っていた。
私は3階に住んでいて、階段の窓から外を見ると、結構近くに山が見えていた記憶があったのだが、今回、その場所に行ってもあまり山が見えなかった。
何でかなと思ったら、正面の少し離れたところに、以前はなかった高層のマンションができていたのだ。
ち、つまらないの、阪神間の魅力というのは、東京と違って、身近に山が見えることなのにね。
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by mw17mw | 2013-05-16 22:40 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

大阪・神戸センチメンタル・ジャーニー-淀屋橋の食べ物

さて、大阪・神戸旅行の残りの部分も書かなくては、後、3~4回かな?
普通、よその土地の人が大阪に行ったら、どこに行くのが一般的なのだろう?USJ?
私は、うちの銀行の人が今のUSJの土地を斡旋してまとまりそうという段階で大阪を後にしてきた思い出はあるが、ま、東京ディズニーランドも行ったことのない私がUSJに行くことはないだろう。
ということで、私はいつまでも、大阪に行ったら、梅田・淀屋橋、時間があったら、心斎橋と難波にしか行かないだろう。ということで、ここで、私が旅行した範囲でまとめても、誰の役にも立たない気がするのだが、一応、その他の事項もまとめてみよう。
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今回の旅行(大阪神戸明石全部で)でどこのお店が一番良かったかというと、私が再訪ということで若干感激は薄かったけれど、やはり、美々卯本店が一番というか、「関西に来た」という感じがしたと思う。
今回、うずらそばのあつもりが、美々卯本店でしか食べられそうもないことから、本店に行ったのだが、返ってそれが良かったと思う。(他の新大阪店等では、あのゆったりした雰囲気は味わえないと思うから)
(味だけで言ったら、菊寿堂義信も最高であったが、店の雰囲気とか入れてしまうと、やはり、美々卯本店の方が上かなと思う)
美々卯本店は、あれだけゆったりとした美しい店構えなのに、770円のうどんだけでも歓迎してくれるし、従業員の人たちは丁寧で、大阪弁訛りの標準語で応対してくれるので、「大阪に来たな~」と思えるし、お昼を余り重くしたくない場合はやはり美々卯本店がお勧め。
次は、私は行ったことがないのだけれど、湯木美術館と同じビルにある吉兆が経営している「正月屋」の懐石。
4千円以下で、吉兆の懐石が食べられるのなら、絶対食べるべきだと私は思う。
というのは、東京にも、大阪の名だたるお店の支店があって、食べることができるのだけれど、たいていは、東京の人たちに味を合わせているので、大阪の味と違う場合が多いのだ。
そういう意味では、大阪発祥の料理を大阪の味で味わおうとしたら、はやはり大阪でしか味わえないと思うのだ。
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これは、吉野寿司という箱寿司の江戸時代からのお店。「寿司」の漢字が珍しい。
このお店は、本店に行かなくても、阪神百貨店地下でも買えるみたい、でも、高いから、今のところ、買ったことがないし、今後も中々買えないと思う。
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こちらは、柴藤という大阪の鰻屋さん。大阪で有名な鰻屋さんというと、梅田では竹葉亭だけれど、こちらは東京風の鰻で、大阪風の蒸さない鰻の蒲焼きで有名なのは、私が知っている限りでは、柴藤。
会社から近かったので、こちらの鰻は良くご馳走してもらったけれど、悲しいかな、大阪風で、蒸さないで、裂いてそのまま焼くから、皮が硬くて、箸でちぎれないところが気に食わなくて、実はなじめなかった。
(幼いときから、鰻の皮が嫌いで、小学生から社会人になるまで、皮が食べたくないとのことで、鰻を20年くらい食べなかった。でも、その後、妥協して、鰻の皮を見ないようにして再び食べるようになったのだ。)
お店の前のショーケースを見ると「蒲焼」と「まむし」が同じ値段なのだ。
まむしの方は、一番上に蒲焼が乗っているだけでなく、真ん中にも蒲焼が挟まっていると思うのだけれど、それで同じ値段?と不思議。
が、私は、もう二度と、柴藤で食べることはないだろうから、この謎は永遠に解けない。
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今回は、地上にある柴藤さんのお店のほうに行ったのだが、私の記憶では、25年前は、地上のお店ではなく、土佐堀という中ノ島が浮かぶ堀に浮かんだこの船がお店だったと思う。(今は経営が変わったみたい)
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by mw17mw | 2013-05-01 20:51 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

大阪・神戸センチメンタル・ジャーニー-神戸南京町「老祥記」の豚まん

神戸に行くということと、「老祥記の豚まん、最後に買いに行って東京に持って帰る」ことは、言わなくともお約束になっている。(老祥記のオリジナルのHPはこちら
それ程までに、今回ご一緒したA子さんとか、一度、阪神間で暮らしたことのある同僚とかの間で、「老祥記の豚まん」は大人気。

しかし、今、我が家の近隣に住んでいる大阪人に聞くと、「知らない」とのこと。
大阪人は、蓬莱の551の豚まんで満足しているのかも知れない。
(私は551の豚まんは、皮が甘いから嫌いなのだが、東京に帰ってセキネの肉まんを食べたら、これも皮が甘かった。)

が、老祥記の豚まんの方が完全に私好みと25年前感じて、東京におみやげで相当買った覚えがある。(551は一度食べた切り)
でも、大阪で名前が売れていないだけではなく、全国的にも無名に近いのではという評判。
というのは、つい最近、A子さんは、渋谷の等級の催事で、この老祥記の豚まんを売っているのを見たのだそうだが、全然人気がなくて、殆ど誰も買ってなかったとか...。

ま~ね、今までも、南京町の一店舗のみでの販売で、南京町からほぼ一歩も出ていないから、無名でも仕方がないと言えば仕方がない。

で、明石から新快速に乗り、神戸という名前の元町駅の手前の駅で降りると、そこから程なく、元町商店街の一番西のはずれに入れるので、そこから、元町商店街に入って、南京町方面を目指して歩いた。

d0063149_7395895.jpgと程なく、元町5丁目に、「老祥紀」という看板のお店を発見。
あれ?「老祥記」ではないの?
私はこのお店は初めて見たが、A子さんは以前「老祥記」と間違えて入って買ったことがあるのだそうだ。
何でも、暖簾分けなのか、仲違いなのか、元々は同じお店だったそうなのだ。(両方とも、創業大正4年と書いてある)
A子さんの話では、大して違わないとのこと。
(食べログを読むと、こちらは混んでいないとか書いてあるけれど、それでも何でも、今までずっとお店が続いてきたということはそれなりにお客さんがついているということなのだと思う。)

追記:老祥記と老祥紀の豚まんの違いを研究したページがあったので、ご紹介。

ま、そうは言っても、どうせなら、以前から私が買っていた南京町の老祥記の方で買いたいので、そちらに向かった。

老祥記の豚まんを買うのに、25年振りで並んでしまった。
建物は、上のほうは相当きれいになっているから、震災後、多分建て直したのか、外装だけ直したのか良くわからないけれど、25年前に、老祥記の建物を見て、「豚まんを売って建てたビル」と感激したことを思い出した。
また、老祥記の豚まんビルの隣に、系列の雑貨店を開いたようで、以前より商売っ気を感じる、世代交代したのかな?。
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お店の前には20人くらいの列に並んだのが、すぐに、店員さんが近づいてきて、個数を聞いて、支払いを済ますと、袋をくれた。(これは25年前はなかったやり方)

25年前にはなかった老祥記のビニール袋はこちら。
BUTA MANと書いてある豚まんを食べているキャラクターは、豚男なのだろうか、全然可愛くない。(笑)
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また、お店の前にあったゴミ箱も、特注の豚男だった。
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私たちもすぐにお店の中に入れて、お店の中には3つくらいのテーブルがあり、そこで、豚まんを食べている人もいて、懐かしかった。(私もお店で食べたことがあるのだ)

並んでお店に入ると、湯気が立っているおまんじゅうを入れたせいろから、お兄さんたちが取り出してくれて、包んでくれた段階では熱々。(うまく持って歩かないと、湯気で包装紙が破れてしまい、贈り物にするには残念という形になってしまう)

これが買ってきた豚まん。皮がほんのり薄茶なのは、中に麹が入っているからと聞いたことがある。
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自分用に12個買ってきて、3つずつにして、1組を残して冷凍した。
そして、買ってきた次の日の朝、冷凍しなかったものを、その2,3日後、一度冷凍したものを解凍して、10分間蒸して食べた。(A子さんによると、冷凍した豚まんは、例えば、前夜から常温や冷蔵庫で完全に解凍した後、蒸すのが一番良いとのこと)

味からすると、皮が甘くなくて、具に豚肉の味がして、砂糖の味とか、化学調味料の味が全然しない。
何というか、化学調味料を使っていないから、食べた途端、ガツンと美味しいとか、衝撃度は皆無。
どちらかというと地味な味で、物足りないかも知れない。
それでも、素直な味で余計な味がしないから、3個は軽く食べられるし、それ以上食べるのも可能。
また、次買うとしたら、余計な味がしないということで、老祥記の豚まんが良いと思える。

老祥記のことを書くにあたり、ネットで「老祥記」で検索したら、「老祥記 まずい」というのが出てきて、納得する意見もあるけれど、まずいというか、砂糖や化学調味料を使っていないから味が地味なのだけれど、甘い肉まんや化学調味料を使った具が苦手な私にはちょうど良い。
甘い皮の豚まん、化学調味料たっぷりの具に慣れた人にはきっと物足りないだろうな~ということはとてもよく理解できる。
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by mw17mw | 2013-04-26 11:21 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

大阪・神戸センチメンタル・ジャーニー-明石の「本家きむらや」で玉子焼き

魚の棚を歩いている最中、明石焼きのお店が沢山あった。
びっくりしたのは、その値段と量、たいてい、15個で600円とか、すごく安い。
ずいぶん安いけれど、一体、一つひとつの明石焼きの大きさは東京と明石は同じであろうか?
上野松坂屋地下2階のたこ八の「8個で630円」なんて、松坂屋へ払うテナント料が高いとしか考えられない。
(明石焼きのお店は、皆、ごく普通のお家ばかりで、特段きれいなお店は一つも見なかったと思う)

さて、正午を過ぎたので、予定通り、A子さんのお勧めの明石焼きのお店に入ることにした。
そこは、「本家きむらや」。
場所は、魚の棚を出て、明石銀座をもうちょっと海のほうに歩いて行ったところ。
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d0063149_637895.jpg古そうなお店の前に椅子が並び、行列ができていて、人気店であることがわかる。
先客は十人もいなかったと思うが、回転は早かった。

直に中に呼ばれて入ると、昔ながらの大衆食堂のような雰囲気で、玉子焼きの他、関東煮(かんとうだき)と呼ばれるおでんが名物のよう。

きむらやさんでは、玉子焼きと呼ばれる明石焼きは、20個で800円で、二人で食べてもOKとのことだったので、友人と1人前を半分ずつ食べることにした。
(看板からすると、「明石名物玉子焼き」が短縮されて、「明石焼き」という名前になったのかな?)

d0063149_6374471.jpg関東煮もちょっと興味はあったが、真っ黒な汁に、牛すじという組み合わせが、家でおでんを作るときには、「薄口醤油に牛すじは当然、ウィンナやシュウマイといった肉類ご法度で作る」私の好みに合うとは思えず、やめておいた。(あの真っ黒なお汁のせいで、「関東煮」と呼ばれるのかもと思えるくらい、真っ黒に見えた。あ、そうだ、たこの足が1本500円だったかな、たこの足の皮膚も汁を黒くしそう。)

三つ葉が浮いたたっぷりの熱々の汁が入ったお椀が運ばれてきた。
お汁だけ味見してみると、まるで、関東人が味付けしたような結構しょうゆ味がしっかりしているお汁であった。
そして、玉子焼き登場。
食べてみると、松坂屋の方が良い油を使っているけれど、きむらやさんの方がたまごの味が美味しいなとか思って食べていた。
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で、ふと見ると、他のテーブルのお父さん・お母さん・娘さんが20個ずつ食べていたが、お父さんが玉子焼きに刷毛でソースを塗っている。
しかも、そのお父さん、ソースのついた玉子焼きをお汁の中にダイブさせて、それを引き上げて食べている~~、ちょっと不気味?

友人が教えてくれたのだけれど、明石では、出汁に玉子焼きをつけるだけでなく、ソースを塗って食べるのは普通のことで、「ほら」とテーブルに、ソースが入った金属製のつぼと刷毛のセットを指差した。
どうも、同じ味ばかりだと飽きちゃって、20個も食べられないのかも。
そうか、ということは私もそのまねをしてみようと、玉子焼きに刷毛でソースを塗って食べたけれど、ちゃんと美味しい。
ソースが甘めで玉子焼きにぴったり合っている感じ。(でも、お汁にダイブは、今一つ抵抗があってできなかった)

友達と10個ずつしか食べなかったけれど、ま、朝食をしっかり食べたということはあるけれど、夕方まで全然お腹が空かなかった。

食べているうちに思ったのだけれど、明石における「玉子焼き」って、明石が忙しい港町であるという背景から、家族で一食のご飯代わりに食べに行って、安くてお腹が簡単に膨れる量のごく日常的な明石焼きが好まれたのだろう。
そして、それが、商業地で大都会の大阪にわたって、お客料理として「ご馳走風」にお化粧をされたのが、上野松坂屋や大阪阿倍野にある「たこはちの明石焼き」かな?という気になってきた。
松坂屋のたこ八の方は、「だしが完全に関西風でお代わり自由」だし、薬味が3種類もついていて、本場より色々な味わいで食べることができる。(本場は、庶民的にソースを絡ませて味を変化させるのだけれど、大阪風では、お金をかけて薬味で味を変化させているのだ。)
だから、松坂屋の明石焼きは、本場ものとはちょっと違うけれど、それなりに存在価値があるというか、ご馳走として「お客料理」に進化し、洗練されたバージョンだと思うと、理解しやすい。

食べログで、大阪と東京で、明石焼きで検索してみたら、大阪でも、東京でも、一位は、上野松坂屋に入っているたこ八であった。
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by mw17mw | 2013-04-25 07:13 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

大阪・神戸センチメンタル・ジャーニー-明石の「魚の棚」(うおんたな)

皆様は、UONTANAって、聞いたことがありますか?
魚の棚」と書いて、「ウオンタナ」と読む「明石にある魚市場」のことです。
私は、日本語のウオンタナを知る前に、アメリカ合衆国の州の一つである「モンタナ州(MONTANA)」という地名を先に知ってしまったので、初めて「ウオンタナ」を聞いたとき、アメリカのどこかの地名かと思ってしまいました。(笑)

では、明石の魚の棚に行った話をば---

西宮に住んでいた頃、東京から友人が来て、一緒に甲子園からフェリーに乗って淡路島まで行き、その後どうしたのか全然覚えていないのだけれど、結局、夕方に、明石行きのフェリーに乗って、本州に帰り、そこから山陽本線に乗って、家に戻ったことはあるのだ。
だから、今回明石に行くのは、初めてではないのだけれど、前回、夜で何も見えなかったので、実質、初めての明石かな?

旅行に行く前に、A子さんと計画を練っているときに、私から、「25年前に北野の異人館は見たので、今回は行きたくない。それより、観光客ではなく、地元民が行く市場なぞに行きたいね~」と話したところ、A子さんが色々調べてくれたのだ。
で、神戸市内には、東山という地元民向け市場があるらしいのだが、私たちが泊まったホテルからだとアクセスが良くなく、行き難いので、距離的には遠いけれど、明石まで行ってしまった方が楽ではという結論に達したとのこと。

A子さんは、神戸在住のとき、自家用車で、家族全員でお刺身を買いがてら明石までドライブしたことがあるとのことで、明石に詳しく、色々案内してくれた。

神戸線と言おうか、山陽本線は、新快速・快速とか急行、普通なぞがあるけれど、新快速は、15分に一本出ていて、しかも、三宮の次に神戸駅に停まった後、明石駅までノンストップなので、急行料金も不要でたった15分で着くのだ。(三宮→明石が380円で、明石→神戸が290円だったかな?)

で、結論から言うと、「行って良かった~、最高!」

d0063149_11355583.jpgまず、三宮から新快速に乗ったのだけれど、その後、電車の外を流れる、神戸駅とか兵庫駅という、よそ者からすると「?」と思う駅名を見ていると、程なく、郊外というか、工場もないきれいな海外線の地域を走ることになり、砂浜とか松林、海が見えてきて素敵、たぶん、須磨公園とかそういうところだと思うのだが、窓から眺める景色がとてもきれい。
これだけで、新快速に乗ってよかったと思ってしまう。

そして、明石駅に着き、駅のホームから山側を見ると、電線が邪魔ではあるが、明石公園の緑に明石城が見えて、とても素敵。
そちらに惹かれつつも、やはり、魚がありそうな海側に行ってしまう。
駅を降りて、明石銀座という通りを海のほうに歩くと、とある路地に、野菜の露店を発見。
「こういうお店、今回の旅行で見てない、初めて」なんて思って、そちらに曲がったら、そこが「魚の棚(うぉんたな)」であった。
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魚の棚は、距離にして350mくらいの一直線の高いアーケードで天井を囲った商店街であった。
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本当に面白い、生き生きした魚中心の商店街であった!
何と言っても、漁港がすぐそこで、産地と売り場が直結していて、ピンピン跳ねている魚を並べて売っているのだ。
漁港直結の魚市場は、最強!

もちろん、瀬戸内海で獲れる魚ばかりが主なので、まぐろとかいくら・鮭の切り身は多少はいたけれど、圧倒的に少なかった。
明石といえば、たことのことで、たこは色々な類が沢山いた。
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たこの立場から言えば、明石は大量受難の地。(笑)
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これは、下に卵の箱の中身が散らかっているから、明石焼き屋さんの前で、明石焼きに入れるたこを干しているのかな?
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逃げ出そうとしているたこさんを発見。でも、たこの大きさに比して、棲家の海までは遠いので、無事帰るのは無理かな?
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このバリンと焼いた焼きアナゴを見ると、兵庫に来たという感じがする。最初わからなかったのだが、このようにただ「焼きアナゴ」と書いてある安い価格のものは、韓国産、明石産や国産はちゃんと表記してあるが高い。
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商店街は魚屋さんばかりではなく、明石焼き屋さんや揚げ物などのファーストフードのお店も沢山あった。
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明石の魚の棚は、朝釣れた魚だけではなく、「昼網」と言って、朝獲れた魚を港に下ろし、再度出港して獲ってきた魚も並べるそうで、12時頃でも、かご皿の上でお魚が跳ねている。
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これは、今まで見たことのない開き方をした魚の干物。魚の頭というか顔には一切切れ目を入れずに、背中に包丁を入れて開いたもの
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まだまだ載せようと思ったら、画像はいくらでもあるのだが、ここらへんにして、私のおみやげをご紹介。
一番左は、「はもの皮」300円で安かったのでつい買ってしまったが、買った後で聞いたら、韓国産なのだって、「ま、いいか」である。
次に「明石産焼きアナゴ」、林喜(はやき)さんという焼きアナゴの専門店で、アナゴをじっと見ていたら、明石産はたいてい相当高いのだが、安いものがあったのだ。
聞いてみると、大きさが不揃いのものとのこと、そういうのが大好きな私は3尾で1300円だったか、安かったのでお買い上げ。また、アナゴを買った人には、サービスで、焼いたアナゴの頭をくれるというので、喜んでもらってきた。(次の日、寒かったので、鍋焼きうどんに入れて使った。)
最後は、売り子のおばさんの「かにや海老を食べた赤腹のじゃこ、安くしておくよ」とのことで、100g450円のところ、300g買うと千円とのことだったので、ちょうど、じゃこが切れていたので、買ってしまった。荷物になるというのにね~、価格的には、築地とそんなに変わらないような気が...。
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これが赤腹と言われていたじゃこのアップ、ま、この程度赤いものは築地でも手に入る気がする...。
味見してみて、そんなに美味しいと思ったわけではないのだけれど、結局、ムードで買ってしまったのかな?
私の友人は、ちょうど季節だったので、いかなごの佃煮を探して買っていた。
私は、いかなごより、ちりめん山椒とか、大阪のえびすめとか、そちらの方が好きなので、いかなごは買わなかった。
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by mw17mw | 2013-04-24 15:34 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

行って来ま〜す

新しい旅行かばんは、一番平凡な黒いナイロンのもの。こういうのは皆持っているし、網棚に上げてしまったら、自分のものがどれだったかわかりにくいに違いない。そうか、わかりやすくするために、最近の若い子のように、小さいぬいぐるみやおにんきをぶら下げれば良いのだと気づく。でも、どこで売っているのだろう?街中で、そういう小さなぬいぐるみを見ないけれど、もしかして、ゲーセンで取らなくてはいけないの?
なんて思っていたら、元浅草の開化楼の近くの、文房具の問屋さんらしき事務所の前に段ボールが置いてあって、一律100円の箱に一匹だけこのくまさんがか残っていたので、買ってしまった。(パンダはまだたくさん残っていた)
では、熊といっしょに行って来ま〜す。
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by mw17mw | 2013-04-19 08:33 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

新潟県村上市「人形さま巡り」の旅 7/7 まとめ

今日は4月4日。
4月3日まで開催されていた「人形さま巡り」が終わり、今日、村上の町人町の皆さまは、皆で、お人形さまを仕舞っているのかなと想像していた。
あれだけのお人形を仕舞っておく蔵があるというのもすごいけれど、出したり、仕舞ったりも大変な作業だなと思う、有り難うございました。(何でも、町以外のボランティアの人も手伝って出し入れするらしい)

最初に書いておくと、村上市の「人形さま巡り」については、上記に書いたような町の皆様の善意で続いているお祭りなので、見に行くとき、注意が必要。

1.あくまで、見せていただくという態度で、入るときは「見せてください」、帰るときは「有り難うございました」と声を掛ること。(当たり前だけれどね)

2.「ここのは見る価値がないわ」みたいな批判はしない、お人形には触らない。
  「撮影禁止」のお雛様も多いので、その場合は従う。(しかし、良く聞いてみると、「フラッシュ禁止」の場合が多く、「フラッシュをたかないのなら、撮影OK]というお店も多かった。
  写真撮影は、聞いてからね。

で、今回、村上に旅行に行ったいきさつについて、まとめる。

昨年秋に、台東区役所主催の「下町塾」という、日曜日に連続で10回開催された講義に参加していて、そのことについて、ブログを書いたつもりだったが、実は何も書いてなかった。(笑)

色々な切り口で、色々な講師が自分の体験談などや物事の見方を講義してくれたのだが、私の中では、新潟県村上市の吉川真嗣さんのお話だけにとても感動してしまった。

どこがすごいかというと、この方は、例えば、商工会議所のメンバーとか、商店会のお偉いさんだったりしないのだ。
商店会には入っていたけれど、あくまで、東京から戻ってきた地元民としての個人での活動を積み重ねて、村上市を観光客の来る市に変えてしまったのだ。

その背景は後で書くことにするけれど、跡継ぎとして育てられていた長男が突然継がないことになり、旧町人町にある「味匠吉川」の跡継ぎとして、早稲田大学を出て商社に勤務していた次男の真嗣さんが故郷に帰って来る。

そして、その時に、商店街の活性化のために、道路の拡張工事が提案され、それをどうしたものかと悩んでいるときに、会津の五十嵐大祐さんという「復古商法」の元祖のような方と知り合い、その人を師と仰ぎ、薫陶を受け、活動を開始する。

彼のユニークなところは、初めから大勢を引っ張って行こうとしないこと。
まず、自分ができる、これは皆のためになると思ったことは、支持してくれる2,3人で始めるのだそうだ。
人数が少なければ少ない程、スピーディに、思うように動ける。
人数が多ければ多い程、全員が納得できる案を考えねばならず、それだけで時間がかかるとのこと。

少しでも成功すれば、後から人は入って来るのだそうだ。

例えば、「人形さま巡り」が始まったいきさつなのだが、「味匠吉川」が、売り出しのために新聞にチラシを入れることになり、それならばと、近隣の商店に声を掛け、「お客さんが希望したら、町屋の内部を見せる」ことを提案、その条件を飲む商店については、吉川さんのチラシに一緒に場所とか特徴を載せたのだそうだ。

そうしたら、それが受けて遠くからもそのチラシを見て、興味を持った人が沢山来るようになったのとのこと。

それがきっかけで、次に、「人形さま巡り」を3月1日から4月3日まで開催することになったそう。
それも成功して、次は秋に「屏風まつり」を9月15日から10月15日まで始めて、こちらも人気があるのだそうだ。(こちらも行ってみたい)

その他、城下町らしい風情を復活させるための活動も精力的にこなしているとのこと。

ま~、とにかく、この方のお話は面白かった。
お話を聞いていて、「この人は、村上市の旧町人町の保存と活性化を、欲得とか自己実現のレベルではなく、天命と思って動いている爽やかさがある」と思った。
そう、だから、人は彼の話を聞くと、感動するし、心にすっと入って来るのだと思う。

こういう「天命で動く」人というのは、歴史上の人物では坂本龍馬が一番最初に頭に浮かぶ。
私の場合、生きている人として、初めて会えたのが、吉川真嗣さんであったのだ。

しかし、この方の生き方を今何度も読み直している『「自分のために生きる」ということ』と照らし合わせると、とてもわかりやすい。

吉川さんは、鮭が大好きなお父さんが大好きで、家業を継ぐ気になった。

そして、町人町の道路拡張の話の時に、偶然、会津の五十嵐大祐さんという尊敬すべき師に出会う。

お嫁さんは、東京時代知り合った、神戸育ちでアナウンサーをしていた美貴さんなのだが、2度結納を潰されても粘り、とうとう村上に迎えたそうだ。(これは美貴さんの気持が分かる気がする、都会から、地方都市、それも県庁所在地でないところにお嫁に行くって、相手がどんなに良い人でも、とても難しいことだと思う)

どうにか村上に自分の大好きな人をお嫁さんを迎えたのだが、真嗣さん自体は、全国各地のデパートに出張販売に行く仕事があった。
その時に、真嗣さんだけ出張し、お嫁さんを村上に残していくと、知らない間に実家に帰ってしまうことが予想され、ご両親に頼んで、出張販売には、二人で行くようにしてもらったのだそうだ。

その出張販売に各地を回ったときも含めて、二人で、日本の観光地を400カ所くらい、見て歩いたとのこと。

その経験から、「人形さま巡り」や「屏風まつり」「黒塀運動」などのアイディアが浮かび、村上で、家業の傍ら、町おこしを始めたそうなのだ。

これらを『「自分のために生きるいける」ということ』に照らし合わせると、吉川真嗣さんの行動は、「他人の評価を決めるパワーゲーム」ではなく、幼い時から、自分の心に響いた大切なもの(きらきらと心に輝く宝物)を大切にして、粘り強く繋がるよう、自発的に行動している見本だと思った。
これって、できそうでできない。
吉川真嗣さんの人生こそ、『「自分のために生きるいける」ということ』が推奨する生き方の見本のようだと思っている。

吉川真嗣さんたちの活動に興味のある方は、「町屋と人形さまの町おこし」という本が参考になる。(千代田区の図書館にあります)←私も借りて読みました。
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by mw17mw | 2013-04-04 23:01 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)