カテゴリ:東京以外の遠出・温泉( 64 )

大阪・神戸センチメンタル・ジャーニー-淀屋橋の食べ物

さて、大阪・神戸旅行の残りの部分も書かなくては、後、3~4回かな?
普通、よその土地の人が大阪に行ったら、どこに行くのが一般的なのだろう?USJ?
私は、うちの銀行の人が今のUSJの土地を斡旋してまとまりそうという段階で大阪を後にしてきた思い出はあるが、ま、東京ディズニーランドも行ったことのない私がUSJに行くことはないだろう。
ということで、私はいつまでも、大阪に行ったら、梅田・淀屋橋、時間があったら、心斎橋と難波にしか行かないだろう。ということで、ここで、私が旅行した範囲でまとめても、誰の役にも立たない気がするのだが、一応、その他の事項もまとめてみよう。
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今回の旅行(大阪神戸明石全部で)でどこのお店が一番良かったかというと、私が再訪ということで若干感激は薄かったけれど、やはり、美々卯本店が一番というか、「関西に来た」という感じがしたと思う。
今回、うずらそばのあつもりが、美々卯本店でしか食べられそうもないことから、本店に行ったのだが、返ってそれが良かったと思う。(他の新大阪店等では、あのゆったりした雰囲気は味わえないと思うから)
(味だけで言ったら、菊寿堂義信も最高であったが、店の雰囲気とか入れてしまうと、やはり、美々卯本店の方が上かなと思う)
美々卯本店は、あれだけゆったりとした美しい店構えなのに、770円のうどんだけでも歓迎してくれるし、従業員の人たちは丁寧で、大阪弁訛りの標準語で応対してくれるので、「大阪に来たな~」と思えるし、お昼を余り重くしたくない場合はやはり美々卯本店がお勧め。
次は、私は行ったことがないのだけれど、湯木美術館と同じビルにある吉兆が経営している「正月屋」の懐石。
4千円以下で、吉兆の懐石が食べられるのなら、絶対食べるべきだと私は思う。
というのは、東京にも、大阪の名だたるお店の支店があって、食べることができるのだけれど、たいていは、東京の人たちに味を合わせているので、大阪の味と違う場合が多いのだ。
そういう意味では、大阪発祥の料理を大阪の味で味わおうとしたら、はやはり大阪でしか味わえないと思うのだ。
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これは、吉野寿司という箱寿司の江戸時代からのお店。「寿司」の漢字が珍しい。
このお店は、本店に行かなくても、阪神百貨店地下でも買えるみたい、でも、高いから、今のところ、買ったことがないし、今後も中々買えないと思う。
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こちらは、柴藤という大阪の鰻屋さん。大阪で有名な鰻屋さんというと、梅田では竹葉亭だけれど、こちらは東京風の鰻で、大阪風の蒸さない鰻の蒲焼きで有名なのは、私が知っている限りでは、柴藤。
会社から近かったので、こちらの鰻は良くご馳走してもらったけれど、悲しいかな、大阪風で、蒸さないで、裂いてそのまま焼くから、皮が硬くて、箸でちぎれないところが気に食わなくて、実はなじめなかった。
(幼いときから、鰻の皮が嫌いで、小学生から社会人になるまで、皮が食べたくないとのことで、鰻を20年くらい食べなかった。でも、その後、妥協して、鰻の皮を見ないようにして再び食べるようになったのだ。)
お店の前のショーケースを見ると「蒲焼」と「まむし」が同じ値段なのだ。
まむしの方は、一番上に蒲焼が乗っているだけでなく、真ん中にも蒲焼が挟まっていると思うのだけれど、それで同じ値段?と不思議。
が、私は、もう二度と、柴藤で食べることはないだろうから、この謎は永遠に解けない。
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今回は、地上にある柴藤さんのお店のほうに行ったのだが、私の記憶では、25年前は、地上のお店ではなく、土佐堀という中ノ島が浮かぶ堀に浮かんだこの船がお店だったと思う。(今は経営が変わったみたい)
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by mw17mw | 2013-05-01 20:51 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

大阪・神戸センチメンタル・ジャーニー-神戸南京町「老祥記」の豚まん

神戸に行くということと、「老祥記の豚まん、最後に買いに行って東京に持って帰る」ことは、言わなくともお約束になっている。(老祥記のオリジナルのHPはこちら
それ程までに、今回ご一緒したA子さんとか、一度、阪神間で暮らしたことのある同僚とかの間で、「老祥記の豚まん」は大人気。

しかし、今、我が家の近隣に住んでいる大阪人に聞くと、「知らない」とのこと。
大阪人は、蓬莱の551の豚まんで満足しているのかも知れない。
(私は551の豚まんは、皮が甘いから嫌いなのだが、東京に帰ってセキネの肉まんを食べたら、これも皮が甘かった。)

が、老祥記の豚まんの方が完全に私好みと25年前感じて、東京におみやげで相当買った覚えがある。(551は一度食べた切り)
でも、大阪で名前が売れていないだけではなく、全国的にも無名に近いのではという評判。
というのは、つい最近、A子さんは、渋谷の等級の催事で、この老祥記の豚まんを売っているのを見たのだそうだが、全然人気がなくて、殆ど誰も買ってなかったとか...。

ま~ね、今までも、南京町の一店舗のみでの販売で、南京町からほぼ一歩も出ていないから、無名でも仕方がないと言えば仕方がない。

で、明石から新快速に乗り、神戸という名前の元町駅の手前の駅で降りると、そこから程なく、元町商店街の一番西のはずれに入れるので、そこから、元町商店街に入って、南京町方面を目指して歩いた。

d0063149_7395895.jpgと程なく、元町5丁目に、「老祥紀」という看板のお店を発見。
あれ?「老祥記」ではないの?
私はこのお店は初めて見たが、A子さんは以前「老祥記」と間違えて入って買ったことがあるのだそうだ。
何でも、暖簾分けなのか、仲違いなのか、元々は同じお店だったそうなのだ。(両方とも、創業大正4年と書いてある)
A子さんの話では、大して違わないとのこと。
(食べログを読むと、こちらは混んでいないとか書いてあるけれど、それでも何でも、今までずっとお店が続いてきたということはそれなりにお客さんがついているということなのだと思う。)

追記:老祥記と老祥紀の豚まんの違いを研究したページがあったので、ご紹介。

ま、そうは言っても、どうせなら、以前から私が買っていた南京町の老祥記の方で買いたいので、そちらに向かった。

老祥記の豚まんを買うのに、25年振りで並んでしまった。
建物は、上のほうは相当きれいになっているから、震災後、多分建て直したのか、外装だけ直したのか良くわからないけれど、25年前に、老祥記の建物を見て、「豚まんを売って建てたビル」と感激したことを思い出した。
また、老祥記の豚まんビルの隣に、系列の雑貨店を開いたようで、以前より商売っ気を感じる、世代交代したのかな?。
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お店の前には20人くらいの列に並んだのが、すぐに、店員さんが近づいてきて、個数を聞いて、支払いを済ますと、袋をくれた。(これは25年前はなかったやり方)

25年前にはなかった老祥記のビニール袋はこちら。
BUTA MANと書いてある豚まんを食べているキャラクターは、豚男なのだろうか、全然可愛くない。(笑)
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また、お店の前にあったゴミ箱も、特注の豚男だった。
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私たちもすぐにお店の中に入れて、お店の中には3つくらいのテーブルがあり、そこで、豚まんを食べている人もいて、懐かしかった。(私もお店で食べたことがあるのだ)

並んでお店に入ると、湯気が立っているおまんじゅうを入れたせいろから、お兄さんたちが取り出してくれて、包んでくれた段階では熱々。(うまく持って歩かないと、湯気で包装紙が破れてしまい、贈り物にするには残念という形になってしまう)

これが買ってきた豚まん。皮がほんのり薄茶なのは、中に麹が入っているからと聞いたことがある。
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自分用に12個買ってきて、3つずつにして、1組を残して冷凍した。
そして、買ってきた次の日の朝、冷凍しなかったものを、その2,3日後、一度冷凍したものを解凍して、10分間蒸して食べた。(A子さんによると、冷凍した豚まんは、例えば、前夜から常温や冷蔵庫で完全に解凍した後、蒸すのが一番良いとのこと)

味からすると、皮が甘くなくて、具に豚肉の味がして、砂糖の味とか、化学調味料の味が全然しない。
何というか、化学調味料を使っていないから、食べた途端、ガツンと美味しいとか、衝撃度は皆無。
どちらかというと地味な味で、物足りないかも知れない。
それでも、素直な味で余計な味がしないから、3個は軽く食べられるし、それ以上食べるのも可能。
また、次買うとしたら、余計な味がしないということで、老祥記の豚まんが良いと思える。

老祥記のことを書くにあたり、ネットで「老祥記」で検索したら、「老祥記 まずい」というのが出てきて、納得する意見もあるけれど、まずいというか、砂糖や化学調味料を使っていないから味が地味なのだけれど、甘い肉まんや化学調味料を使った具が苦手な私にはちょうど良い。
甘い皮の豚まん、化学調味料たっぷりの具に慣れた人にはきっと物足りないだろうな~ということはとてもよく理解できる。
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by mw17mw | 2013-04-26 11:21 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

大阪・神戸センチメンタル・ジャーニー-明石の「本家きむらや」で玉子焼き

魚の棚を歩いている最中、明石焼きのお店が沢山あった。
びっくりしたのは、その値段と量、たいてい、15個で600円とか、すごく安い。
ずいぶん安いけれど、一体、一つひとつの明石焼きの大きさは東京と明石は同じであろうか?
上野松坂屋地下2階のたこ八の「8個で630円」なんて、松坂屋へ払うテナント料が高いとしか考えられない。
(明石焼きのお店は、皆、ごく普通のお家ばかりで、特段きれいなお店は一つも見なかったと思う)

さて、正午を過ぎたので、予定通り、A子さんのお勧めの明石焼きのお店に入ることにした。
そこは、「本家きむらや」。
場所は、魚の棚を出て、明石銀座をもうちょっと海のほうに歩いて行ったところ。
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d0063149_637895.jpg古そうなお店の前に椅子が並び、行列ができていて、人気店であることがわかる。
先客は十人もいなかったと思うが、回転は早かった。

直に中に呼ばれて入ると、昔ながらの大衆食堂のような雰囲気で、玉子焼きの他、関東煮(かんとうだき)と呼ばれるおでんが名物のよう。

きむらやさんでは、玉子焼きと呼ばれる明石焼きは、20個で800円で、二人で食べてもOKとのことだったので、友人と1人前を半分ずつ食べることにした。
(看板からすると、「明石名物玉子焼き」が短縮されて、「明石焼き」という名前になったのかな?)

d0063149_6374471.jpg関東煮もちょっと興味はあったが、真っ黒な汁に、牛すじという組み合わせが、家でおでんを作るときには、「薄口醤油に牛すじは当然、ウィンナやシュウマイといった肉類ご法度で作る」私の好みに合うとは思えず、やめておいた。(あの真っ黒なお汁のせいで、「関東煮」と呼ばれるのかもと思えるくらい、真っ黒に見えた。あ、そうだ、たこの足が1本500円だったかな、たこの足の皮膚も汁を黒くしそう。)

三つ葉が浮いたたっぷりの熱々の汁が入ったお椀が運ばれてきた。
お汁だけ味見してみると、まるで、関東人が味付けしたような結構しょうゆ味がしっかりしているお汁であった。
そして、玉子焼き登場。
食べてみると、松坂屋の方が良い油を使っているけれど、きむらやさんの方がたまごの味が美味しいなとか思って食べていた。
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で、ふと見ると、他のテーブルのお父さん・お母さん・娘さんが20個ずつ食べていたが、お父さんが玉子焼きに刷毛でソースを塗っている。
しかも、そのお父さん、ソースのついた玉子焼きをお汁の中にダイブさせて、それを引き上げて食べている~~、ちょっと不気味?

友人が教えてくれたのだけれど、明石では、出汁に玉子焼きをつけるだけでなく、ソースを塗って食べるのは普通のことで、「ほら」とテーブルに、ソースが入った金属製のつぼと刷毛のセットを指差した。
どうも、同じ味ばかりだと飽きちゃって、20個も食べられないのかも。
そうか、ということは私もそのまねをしてみようと、玉子焼きに刷毛でソースを塗って食べたけれど、ちゃんと美味しい。
ソースが甘めで玉子焼きにぴったり合っている感じ。(でも、お汁にダイブは、今一つ抵抗があってできなかった)

友達と10個ずつしか食べなかったけれど、ま、朝食をしっかり食べたということはあるけれど、夕方まで全然お腹が空かなかった。

食べているうちに思ったのだけれど、明石における「玉子焼き」って、明石が忙しい港町であるという背景から、家族で一食のご飯代わりに食べに行って、安くてお腹が簡単に膨れる量のごく日常的な明石焼きが好まれたのだろう。
そして、それが、商業地で大都会の大阪にわたって、お客料理として「ご馳走風」にお化粧をされたのが、上野松坂屋や大阪阿倍野にある「たこはちの明石焼き」かな?という気になってきた。
松坂屋のたこ八の方は、「だしが完全に関西風でお代わり自由」だし、薬味が3種類もついていて、本場より色々な味わいで食べることができる。(本場は、庶民的にソースを絡ませて味を変化させるのだけれど、大阪風では、お金をかけて薬味で味を変化させているのだ。)
だから、松坂屋の明石焼きは、本場ものとはちょっと違うけれど、それなりに存在価値があるというか、ご馳走として「お客料理」に進化し、洗練されたバージョンだと思うと、理解しやすい。

食べログで、大阪と東京で、明石焼きで検索してみたら、大阪でも、東京でも、一位は、上野松坂屋に入っているたこ八であった。
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by mw17mw | 2013-04-25 07:13 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

大阪・神戸センチメンタル・ジャーニー-明石の「魚の棚」(うおんたな)

皆様は、UONTANAって、聞いたことがありますか?
魚の棚」と書いて、「ウオンタナ」と読む「明石にある魚市場」のことです。
私は、日本語のウオンタナを知る前に、アメリカ合衆国の州の一つである「モンタナ州(MONTANA)」という地名を先に知ってしまったので、初めて「ウオンタナ」を聞いたとき、アメリカのどこかの地名かと思ってしまいました。(笑)

では、明石の魚の棚に行った話をば---

西宮に住んでいた頃、東京から友人が来て、一緒に甲子園からフェリーに乗って淡路島まで行き、その後どうしたのか全然覚えていないのだけれど、結局、夕方に、明石行きのフェリーに乗って、本州に帰り、そこから山陽本線に乗って、家に戻ったことはあるのだ。
だから、今回明石に行くのは、初めてではないのだけれど、前回、夜で何も見えなかったので、実質、初めての明石かな?

旅行に行く前に、A子さんと計画を練っているときに、私から、「25年前に北野の異人館は見たので、今回は行きたくない。それより、観光客ではなく、地元民が行く市場なぞに行きたいね~」と話したところ、A子さんが色々調べてくれたのだ。
で、神戸市内には、東山という地元民向け市場があるらしいのだが、私たちが泊まったホテルからだとアクセスが良くなく、行き難いので、距離的には遠いけれど、明石まで行ってしまった方が楽ではという結論に達したとのこと。

A子さんは、神戸在住のとき、自家用車で、家族全員でお刺身を買いがてら明石までドライブしたことがあるとのことで、明石に詳しく、色々案内してくれた。

神戸線と言おうか、山陽本線は、新快速・快速とか急行、普通なぞがあるけれど、新快速は、15分に一本出ていて、しかも、三宮の次に神戸駅に停まった後、明石駅までノンストップなので、急行料金も不要でたった15分で着くのだ。(三宮→明石が380円で、明石→神戸が290円だったかな?)

で、結論から言うと、「行って良かった~、最高!」

d0063149_11355583.jpgまず、三宮から新快速に乗ったのだけれど、その後、電車の外を流れる、神戸駅とか兵庫駅という、よそ者からすると「?」と思う駅名を見ていると、程なく、郊外というか、工場もないきれいな海外線の地域を走ることになり、砂浜とか松林、海が見えてきて素敵、たぶん、須磨公園とかそういうところだと思うのだが、窓から眺める景色がとてもきれい。
これだけで、新快速に乗ってよかったと思ってしまう。

そして、明石駅に着き、駅のホームから山側を見ると、電線が邪魔ではあるが、明石公園の緑に明石城が見えて、とても素敵。
そちらに惹かれつつも、やはり、魚がありそうな海側に行ってしまう。
駅を降りて、明石銀座という通りを海のほうに歩くと、とある路地に、野菜の露店を発見。
「こういうお店、今回の旅行で見てない、初めて」なんて思って、そちらに曲がったら、そこが「魚の棚(うぉんたな)」であった。
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魚の棚は、距離にして350mくらいの一直線の高いアーケードで天井を囲った商店街であった。
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本当に面白い、生き生きした魚中心の商店街であった!
何と言っても、漁港がすぐそこで、産地と売り場が直結していて、ピンピン跳ねている魚を並べて売っているのだ。
漁港直結の魚市場は、最強!

もちろん、瀬戸内海で獲れる魚ばかりが主なので、まぐろとかいくら・鮭の切り身は多少はいたけれど、圧倒的に少なかった。
明石といえば、たことのことで、たこは色々な類が沢山いた。
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たこの立場から言えば、明石は大量受難の地。(笑)
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これは、下に卵の箱の中身が散らかっているから、明石焼き屋さんの前で、明石焼きに入れるたこを干しているのかな?
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逃げ出そうとしているたこさんを発見。でも、たこの大きさに比して、棲家の海までは遠いので、無事帰るのは無理かな?
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このバリンと焼いた焼きアナゴを見ると、兵庫に来たという感じがする。最初わからなかったのだが、このようにただ「焼きアナゴ」と書いてある安い価格のものは、韓国産、明石産や国産はちゃんと表記してあるが高い。
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商店街は魚屋さんばかりではなく、明石焼き屋さんや揚げ物などのファーストフードのお店も沢山あった。
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明石の魚の棚は、朝釣れた魚だけではなく、「昼網」と言って、朝獲れた魚を港に下ろし、再度出港して獲ってきた魚も並べるそうで、12時頃でも、かご皿の上でお魚が跳ねている。
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これは、今まで見たことのない開き方をした魚の干物。魚の頭というか顔には一切切れ目を入れずに、背中に包丁を入れて開いたもの
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まだまだ載せようと思ったら、画像はいくらでもあるのだが、ここらへんにして、私のおみやげをご紹介。
一番左は、「はもの皮」300円で安かったのでつい買ってしまったが、買った後で聞いたら、韓国産なのだって、「ま、いいか」である。
次に「明石産焼きアナゴ」、林喜(はやき)さんという焼きアナゴの専門店で、アナゴをじっと見ていたら、明石産はたいてい相当高いのだが、安いものがあったのだ。
聞いてみると、大きさが不揃いのものとのこと、そういうのが大好きな私は3尾で1300円だったか、安かったのでお買い上げ。また、アナゴを買った人には、サービスで、焼いたアナゴの頭をくれるというので、喜んでもらってきた。(次の日、寒かったので、鍋焼きうどんに入れて使った。)
最後は、売り子のおばさんの「かにや海老を食べた赤腹のじゃこ、安くしておくよ」とのことで、100g450円のところ、300g買うと千円とのことだったので、ちょうど、じゃこが切れていたので、買ってしまった。荷物になるというのにね~、価格的には、築地とそんなに変わらないような気が...。
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これが赤腹と言われていたじゃこのアップ、ま、この程度赤いものは築地でも手に入る気がする...。
味見してみて、そんなに美味しいと思ったわけではないのだけれど、結局、ムードで買ってしまったのかな?
私の友人は、ちょうど季節だったので、いかなごの佃煮を探して買っていた。
私は、いかなごより、ちりめん山椒とか、大阪のえびすめとか、そちらの方が好きなので、いかなごは買わなかった。
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by mw17mw | 2013-04-24 15:34 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

行って来ま〜す

新しい旅行かばんは、一番平凡な黒いナイロンのもの。こういうのは皆持っているし、網棚に上げてしまったら、自分のものがどれだったかわかりにくいに違いない。そうか、わかりやすくするために、最近の若い子のように、小さいぬいぐるみやおにんきをぶら下げれば良いのだと気づく。でも、どこで売っているのだろう?街中で、そういう小さなぬいぐるみを見ないけれど、もしかして、ゲーセンで取らなくてはいけないの?
なんて思っていたら、元浅草の開化楼の近くの、文房具の問屋さんらしき事務所の前に段ボールが置いてあって、一律100円の箱に一匹だけこのくまさんがか残っていたので、買ってしまった。(パンダはまだたくさん残っていた)
では、熊といっしょに行って来ま〜す。
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by mw17mw | 2013-04-19 08:33 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

新潟県村上市「人形さま巡り」の旅 7/7 まとめ

今日は4月4日。
4月3日まで開催されていた「人形さま巡り」が終わり、今日、村上の町人町の皆さまは、皆で、お人形さまを仕舞っているのかなと想像していた。
あれだけのお人形を仕舞っておく蔵があるというのもすごいけれど、出したり、仕舞ったりも大変な作業だなと思う、有り難うございました。(何でも、町以外のボランティアの人も手伝って出し入れするらしい)

最初に書いておくと、村上市の「人形さま巡り」については、上記に書いたような町の皆様の善意で続いているお祭りなので、見に行くとき、注意が必要。

1.あくまで、見せていただくという態度で、入るときは「見せてください」、帰るときは「有り難うございました」と声を掛ること。(当たり前だけれどね)

2.「ここのは見る価値がないわ」みたいな批判はしない、お人形には触らない。
  「撮影禁止」のお雛様も多いので、その場合は従う。(しかし、良く聞いてみると、「フラッシュ禁止」の場合が多く、「フラッシュをたかないのなら、撮影OK]というお店も多かった。
  写真撮影は、聞いてからね。

で、今回、村上に旅行に行ったいきさつについて、まとめる。

昨年秋に、台東区役所主催の「下町塾」という、日曜日に連続で10回開催された講義に参加していて、そのことについて、ブログを書いたつもりだったが、実は何も書いてなかった。(笑)

色々な切り口で、色々な講師が自分の体験談などや物事の見方を講義してくれたのだが、私の中では、新潟県村上市の吉川真嗣さんのお話だけにとても感動してしまった。

どこがすごいかというと、この方は、例えば、商工会議所のメンバーとか、商店会のお偉いさんだったりしないのだ。
商店会には入っていたけれど、あくまで、東京から戻ってきた地元民としての個人での活動を積み重ねて、村上市を観光客の来る市に変えてしまったのだ。

その背景は後で書くことにするけれど、跡継ぎとして育てられていた長男が突然継がないことになり、旧町人町にある「味匠吉川」の跡継ぎとして、早稲田大学を出て商社に勤務していた次男の真嗣さんが故郷に帰って来る。

そして、その時に、商店街の活性化のために、道路の拡張工事が提案され、それをどうしたものかと悩んでいるときに、会津の五十嵐大祐さんという「復古商法」の元祖のような方と知り合い、その人を師と仰ぎ、薫陶を受け、活動を開始する。

彼のユニークなところは、初めから大勢を引っ張って行こうとしないこと。
まず、自分ができる、これは皆のためになると思ったことは、支持してくれる2,3人で始めるのだそうだ。
人数が少なければ少ない程、スピーディに、思うように動ける。
人数が多ければ多い程、全員が納得できる案を考えねばならず、それだけで時間がかかるとのこと。

少しでも成功すれば、後から人は入って来るのだそうだ。

例えば、「人形さま巡り」が始まったいきさつなのだが、「味匠吉川」が、売り出しのために新聞にチラシを入れることになり、それならばと、近隣の商店に声を掛け、「お客さんが希望したら、町屋の内部を見せる」ことを提案、その条件を飲む商店については、吉川さんのチラシに一緒に場所とか特徴を載せたのだそうだ。

そうしたら、それが受けて遠くからもそのチラシを見て、興味を持った人が沢山来るようになったのとのこと。

それがきっかけで、次に、「人形さま巡り」を3月1日から4月3日まで開催することになったそう。
それも成功して、次は秋に「屏風まつり」を9月15日から10月15日まで始めて、こちらも人気があるのだそうだ。(こちらも行ってみたい)

その他、城下町らしい風情を復活させるための活動も精力的にこなしているとのこと。

ま~、とにかく、この方のお話は面白かった。
お話を聞いていて、「この人は、村上市の旧町人町の保存と活性化を、欲得とか自己実現のレベルではなく、天命と思って動いている爽やかさがある」と思った。
そう、だから、人は彼の話を聞くと、感動するし、心にすっと入って来るのだと思う。

こういう「天命で動く」人というのは、歴史上の人物では坂本龍馬が一番最初に頭に浮かぶ。
私の場合、生きている人として、初めて会えたのが、吉川真嗣さんであったのだ。

しかし、この方の生き方を今何度も読み直している『「自分のために生きる」ということ』と照らし合わせると、とてもわかりやすい。

吉川さんは、鮭が大好きなお父さんが大好きで、家業を継ぐ気になった。

そして、町人町の道路拡張の話の時に、偶然、会津の五十嵐大祐さんという尊敬すべき師に出会う。

お嫁さんは、東京時代知り合った、神戸育ちでアナウンサーをしていた美貴さんなのだが、2度結納を潰されても粘り、とうとう村上に迎えたそうだ。(これは美貴さんの気持が分かる気がする、都会から、地方都市、それも県庁所在地でないところにお嫁に行くって、相手がどんなに良い人でも、とても難しいことだと思う)

どうにか村上に自分の大好きな人をお嫁さんを迎えたのだが、真嗣さん自体は、全国各地のデパートに出張販売に行く仕事があった。
その時に、真嗣さんだけ出張し、お嫁さんを村上に残していくと、知らない間に実家に帰ってしまうことが予想され、ご両親に頼んで、出張販売には、二人で行くようにしてもらったのだそうだ。

その出張販売に各地を回ったときも含めて、二人で、日本の観光地を400カ所くらい、見て歩いたとのこと。

その経験から、「人形さま巡り」や「屏風まつり」「黒塀運動」などのアイディアが浮かび、村上で、家業の傍ら、町おこしを始めたそうなのだ。

これらを『「自分のために生きるいける」ということ』に照らし合わせると、吉川真嗣さんの行動は、「他人の評価を決めるパワーゲーム」ではなく、幼い時から、自分の心に響いた大切なもの(きらきらと心に輝く宝物)を大切にして、粘り強く繋がるよう、自発的に行動している見本だと思った。
これって、できそうでできない。
吉川真嗣さんの人生こそ、『「自分のために生きるいける」ということ』が推奨する生き方の見本のようだと思っている。

吉川真嗣さんたちの活動に興味のある方は、「町屋と人形さまの町おこし」という本が参考になる。(千代田区の図書館にあります)←私も借りて読みました。
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by mw17mw | 2013-04-04 23:01 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

新潟県村上市「人形さま巡り」の旅 6/7 食べ物

今回の旅行は、新幹線代を含む往復の鉄道運賃と一泊のホテル代で、「29,900円」であった。
高いか安いかは良くわからないが、金土や土日ではなく、日月の日程だったので、少しは安いのではと思う。

で、ホテルの夕食は、宴会場で宴会メニューであった。(吉川さんにわざわざ来ていただいての宴会)
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特段美味しい物もなかったけれど、皆、普通より美味しいという感じであったし、この他に、熱々の蒸しものが出たり、最後にご飯・おみそ汁・香の物・デザートなどが出て、良かった。
また、吉川さんから、村上市のお酒である〆張鶴の大吟醸の一升瓶が差し入れられ、それがとても美味しかった。(大吟醸は、できる前から予約でいっぱいで、村上市から外に出ないお酒とのこと)

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ホテルの朝食は、和洋のバイキングであった。コーヒーが飲みたくて、洋食の物ばかり取ってしまったが、一緒した人が和食派で、その人のかにのおみそ汁を見たら、飲みたくなって、ご飯少々・塩辛・かにのおみそ汁を再度もらってきて、食べてしまった。
(旅行から帰ってきて、400g体重が増えていたが、どうにか、今日、旅行に行く前の体重に戻った。)

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二日目のお昼は、自由時間で、好きなお店に入れたのだが、価格が手頃ということで、うおやさんという魚屋さんの奥が食堂になっていたので、そこに決めた。
村上市というと、塩引き鮭の製造元の吉川さんから入ったせいで、どうしても、「村上と言えば鮭」というイメージがあるが、実は、「村上牛」の産地でもあるわけだ。
ということで、村上牛を食べさせてくれるお店も探してみたのだが、安くても1500円程度だったので、今回はパス。
それに、そのお店、お料理のサンプルも写真もお店の前に飾っていなくて、ただ、「村上牛のステーキ」みたいな品物名と価格しか表示されていなくて、なんだか、素直に入れなかった。
ま、今回、お昼はそんなにおなかが空いていなかったこともあり、うおやさんという魚屋さんで食べたちらし寿司、ネタも新鮮で美味しかったし、大満足。
しかし、うおやさんで案内された部屋はどう見ても、普段、うおやさんのご家族が使っていると思われる居間とか仏間であった。(決して、店舗用の部屋ではなかったのだ)
そして、そこで食事を終えると、隣のカウンター式のダイニングキッチンで、インスタントのコーヒーを飲めるサービスがついていて、とても助かった。
きっと、このお人形さま巡りの期間だけ、食堂が少ないので、居住部分を食堂に提供しているのではと思った。(本当のところはわからないが)

後、うおやさんで面白い発見があった、うおやさんのランチメニューは4種類あり、その写真を見ていたら、そのうちのひとつに鰻の蒲焼きが乗っていたのだが、どう見ても、東京風の柔らかさのない、ごわっとした感じの鰻だったので、お店の人に「こちらの鰻は、蒸してから焼きますか?」と聞いたら、「蒸さないで焼く」とのこと。
そうか、もしかしたら、村上を初めとする日本海側というのは、北前船の関係で関西の影響が強いから、鰻も関西風なのかしらと思った。(が、もしかして、その鰻は、中国から輸入した蒸さないで焼いたものである可能性も強いから、それが本当に関西風なのかどうかはわからない。)

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これは、「飯寿司」(いずし)。一日目、何気なく入ったうおやさんで売っていて、隣に試食品があったので、食べてみたら、美味しかったのだ。
鮭の薄切り、いくらに数の子の薄切り、野菜類に、ご飯と麹を混ぜて寝かせて作る物らしいのだが、魚類と野菜類が予め甘酢で〆てあるのか、水っぽくなかった。(うおやさんの飯寿司のページ
味的には、爽やかな甘さを含んでいるのだが、砂糖の甘さではないから、くどくない。
「飯寿司」は、乳酸発酵させて作るなれ寿司の一種で、私の生活圏にはない食べ物であり、珍しいので、買って帰りたかったが、うおやさんでも、冷蔵庫に並べられていた。
売り場のお兄さんに、「東京に持って帰りたいのだけれど、無理かしらね?」と聞くと、「明日、帰るのなら、今日から冷凍させておくから」とのことだったので、頼んで、次の日の午後、取りに行き、冷凍した物をもらってきた。そのまま、東京に帰るまでに解凍されていた。
見たら、いくらだけは、残念ながら、不透明になって解凍されてしまったけれど、その他は、冷凍する前と同じに戻っていた。

私は、村上市に着いた時に、財布を電車の中に置き忘れ、それは無事見つかったのだけれど、その時にご一緒した人が1万円を貸してくれていた。
その枠内で、お昼を食べたり、若干、家族や私用のおみやげを買ったのだが、この飯寿司以外のおみやげは、あれだけお世話になった味匠喜っ川さんで、鮭関連の品物を購入した。
お財布を忘れて来なかったら、お返しに二件、喜っ川さんから、何か送ろうと思っていたのだけれど、それは今回あきらめた。
でも、家に帰って、喜っ川さんの品物を色々食べたら、美味しかったし、喜っ川さんの通販のページが見つかったので、これから、詰め合わせギフトを注文して、届けてもらうことにするつもり。(確か、お店には、こういう詰め合わせはなかった気がする)

そう、書き忘れたが、鮭関連の商品は、喜っ川さんやうおやさんなどが色々開発されていて、鮭の身だけではなく、色々な部位を煮付けた物等、バラエティに富んでいたが、こと村上牛に関しては、土産物が殆どなかった。
一人、魚が嫌いという人におみやげをかう必要があり、探したが、見つからなかったが、新潟駅で、「村上牛なんとか弁当」というのを見つけ、それをおみやげにした。
村上牛、元々が高いから、おいそれと、色々な商品ができないのかしらね。

d0063149_21283765.jpgこれは、実は、村上で食べたものの中で、ベストワンではないかと言われた「苺わらび」というお菓子。
お人形さまを巡っている間、数軒の和菓子屋さん・洋菓子屋さんがあったので、お人形見物がてら、お菓子も色々見て回った。
というのは、私としては、チョコレート饅頭がないかと思っていたのだが、残念ながら、チョコレート饅頭は見あたらなかった。(東京では、チョコレート饅頭というと、ヤマザキのしかないものね)
その中で、酒田屋さんという生菓子もある和菓子屋さんで、「苺わらび」というお菓子を発見。
これは、きっと、苺大福の大福部分をわらび餅に置き換えたものに違いないと、一つずつ購入。
その場で食べれば良かったのだが、そんなにおなかが空いていなかったので、汽車の中で食べることにしたのだが、これが大きな間違いであった。
汽車の中で、このお菓子を食べた友人が、「何て美味しいの!これ、あの場で食べていたら、全部買い占めてきたのに。人へのおみやげ、全部これにしたかった!」というくらい、感激していた。
中に入っている苺もちょうど良い熟れ具合だし、周りの白餡もわらび餅も丁寧な作りで美味しかった。
この酒田屋さんに関するクチコミを見ても、このお店に人気があることがわかる。また、「苺わらび」で検索すると、そういうお菓子を作っているお店は、日本全国に数軒あるようだ。)

これはおまけ。私の人生初プリクラ。(笑)
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by mw17mw | 2013-03-31 22:49 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

新潟県村上市「人形さま巡り」の旅 5/7

今度は、建物やその他のことを。(本来は、食べ物のことを書いてから、その他に行くべきだとわかっているが、つい、「その他の画像」を先に整理してしまったので)

あ、それから、本日、合羽橋本通りに行ったら、行方シティギャラリーさんが今日で閉店とのこと。
何でも、行方市の市議会で、存続が通らなかったらしい。
また、行方市とは無関係なものだけれど、4月になったら、何らかの物販店にはなるもよう。(スカイツリーの行方シティギャラリーは残るが、野菜の物販等はなくなるとのこと)

本題です。
このページに詳しいが、元々、鮭が獲れることが村上藩の収入源であったが、江戸時代の後期に、不漁が続いたときに、下級武士の提案で、川を鮭が卵を産みやすいように改良し、世界で初めて「鮭の増殖」に成功し、鮭は大切にされてきた。料理法としては100種類くらいあるそう。
獲れた鮭は、内臓を抜かれ、塩漬けした後、塩を抜き、下記画像のようにして1年干されるとのこと。
下記画像は、味匠喜っ川さんの土間の鮭だが、こういう干された鮭は、決して、専門店だけにあるわけではなく、そんなに数は多くなかったが、個人の家の軒先、飲食店の軒先でも、見かけることができた。本当に、暮らしに鮭料理が根付いているのが良くわかった。
で、実際に食べたけれど、美味しい。
後、この画像の状態だと、やはり、部屋中、若干、鮭臭いのは確か。(笑)
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こちらは、黒塀通り。
メインストリートから一本裏に入いると、住宅地と寺町になる。
ずっと長い間、民家の併は、ブロック塀が多かったのだが、それでは味わいがないとのことで、「一枚千円黒塀運動」だったかを、喜っ川さんたちが発案して、できるところから、ブロック塀を覆うように、黒い木材を打ち付けて行ったそうだ。
確かに、両側がブロック塀だったら、全く情緒がないと思う。
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これは、昔、どこかの銀行の支店長用の社宅だったもの。
以前は、支店長が家族を伴い赴任してきたが、時代が変わって、単身赴任の時代に入り、この建物が売りに出されることになったそうだ。
もし、売れたら、勿論、この古い木造家屋は取り壊され、新しい建物が建てられる可能性が高いとのこと。
その存在する場所がちょうど黒塀通りの起点に当たり、この木造家屋があるのとないのでは、雰囲気がまるで違う物になってしまうとのことで、結局、喜っ川さんが買い取り、一階は、催し物や見物に使えるように、二階は自宅として使っているそう。
本当に立派な木造建築。
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黒塀通りから、寺町に入ると、お寺も古い物ばかりだし、周囲に、料亭風の建物などがあって、とても雰囲気が良いので、村上に行ったら、町屋見物と共に、寺町散策がお奨め。

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話は町屋に戻って、これはあがらせていただいた町屋の囲炉裏のある居間から、上を眺めたもの。
居間は、光が差し込むように、吹き抜けとなっている。
居間の時代だから、右下のような電気がつくようになっているが、電気が各家庭に引かれるまでは、屋根からの明かりだけだったのだ。
また、この明かり取りの吹き抜けのせいで、冬はとても寒いとのこと。
このお家にはないけれど、他のお家で、冬だけ、天井くらいの高さのところに、ガラスの板を張り巡らせ、寒さを防いでいた。
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こちらは、町屋の居間につきものの「箱階段」。
古い物だろうに、ぴかぴかに磨かれ、寸分のゆがみもなく、使えるそう。
「これらの箱階段は、今でも作る技術の人がいるのですか?」と聞いたら、「作れるのは作れるだろうが、注文する人がいない」とのこと。
結局、一度町屋を壊して、建て替えるとなると、町屋づくりで家を建てる人はいないそうなのだ。
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これは、酒屋関係者しか懐かしくない物。(笑)
町を歩いていたら、一升瓶を運ぶ木箱が大量に保管されている家を発見。
こういう一升瓶を入れる箱は、「通い箱」と呼ばれているものなのだが、今、東京では完全に、プラスチックのものしかないけれど、私が幼い頃、いつまでだったかな~、相当大きくなってからも、この画像のような木のものだったのだ。
それが全てプラスチック製に変わって、こういう木の箱は燃やされたに違いないと思っていたら、村上市で現役で使われていた、良く集めたわねという感じ。
それに、一升瓶も、昔は業者が一本いくらで引き取ってくれていたが、今はそんなことがなく、一升瓶は資源ゴミとして捨てることになっているのだ。
それをこの会社は良く集めているというか、一升瓶も沢山あった。(資源ゴミだから、一升瓶は一升瓶として、需要のあるところに、リサイクルされているのかしら?)
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何屋さんかと思ったら、「テンヤ醤油」という地元のお醤油の醸造元であった。
一度でも、村上市で、「スーパー」に巡り合ったら、入って、このお醤油、買ってくれば良かったなと一度は思ったが、原材料を見たら、「甘味料」が入った、北陸地方独特のお醤油であった。
残念ながら、私には合わないだろうから、買わなくて、正解だったかも。
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私たちは、日本海沿いの瀬波温泉というところにあるホテルに泊まったのだ。
この夕日は、午後5時半近くの部屋の窓からの写した物。
泊まったホテルには、日本海と夕日を見ながら、入れる露天風呂があるとのことで、この夕日を見て、すぐに行ってみたが、なんだか、この後、太陽が雲の中に入ってしまい、日本海に沈んでいく夕日を見ることはできなかった、残念。
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by mw17mw | 2013-03-30 22:33 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

新潟県村上市「人形さま巡り」の旅 4/7

d0063149_18493014.jpgこの「お人形さま巡り」という催しものには、75軒が協力している。
お茶屋さん、鮭屋さん、お菓子屋さんなぞは、見に来た人がついでに何かを買ってくれることもあるけれど、右の画像のような旅人には全く無関係なクリーニング屋さんや洋服屋さん・お肉屋さんなぞも、この催し物に積極的に参加していた。
この昭和13年創業のクリーニング店は、入り口を開けると、できあがった洗濯物が沢山吊るしてあって、カウンターがある普通のクリーニング屋さんあのだけれど、そこを抜けると、裏にすぐ居間があって、見事なお雛様が飾ってあった。

お人形を展示してあるお家の前には、開催日と時間が書いてある札が立っている。
で、見る場合、その家に入るとき、当然だが、「見せてください」とか、声をかけて入り、見終わったら、「有り難うございました」と言って出ること。

また、お人形と言っても、雛人形や武者人形の他、市松人形、土人形、手作りの人形など、色々なものが飾られている。
この「お人形さま巡り」は、町の人たちが大切にしてきたお人形が見られる他、村上の人たちの人柄の良さもこの催し物の人気の一因とのこと。
確かにどこに行っても、にこやかに応対され、時にはお茶まで出してくれて、丁寧に説明もしてくれる。
そういうことで、リピーター率が高い催し物とのこと。(最後にまとめるけれど)

さて、今回は、お雛様の画像を紹介。
お雛様は本当に数が多かった、どれもこれも紹介したいけれど、主立ったものだけご紹介。

これは、吉川さんちの右隣益甚さんの「御殿飾り雛」。1852年のものとのことで、ペリー来城の前年とのこと。(説明書きの通り)
益甚さんに、これらのお人形を入手した経路について聞いたら、「北前船で運ばれて、売りに出されたものを買ったのだと思う」とのこと。京都の没落した貴族や関西のお金持ちなどが手放した品かしら?
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これらのお雛様は、どこのお家のものか、わからなくなってしまった、でも、古くて、立派。
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これは、富士美園というお茶屋さんに飾られていた古いお雛様。どういう経路で家にあるのか、定かではないらしい。(古いお雛様で、由来がはっきりしているものより、はっきりしないお雛様の方が多かった。)
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私は主に、古いお雛様を見て歩いたのだ。皆、素敵な顔立ちで全部良かったけれど、一番素敵だと思ったのは、下の画像。
このお雛様が一番きれいと思ったのだが、家に帰ってから、調べると、あるブログに、うおやさんのお雛様がベストワンと書いてあった。(残念ながら、昨日見つけたそのブログ、お気に入りに入れておかなかったら、わからなくなってしまった。しかし、その村上で一番きれいというお雛様の画像は見つかった、この女性。ちょっと新しめの雛人形で、フォトジェニックだわね、確かに、でも、私は、下の画像のお雛様の方が好き。)
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この二人のお人形は、着物が見事に十二単になっているので、写してみた。
人形さま巡りには、古い時代の物から、昭和・平成までの沢山のお雛様が飾られ、見ることができる。
大きさや着物の色等、時代じだいの特徴が良く出ていた。
珍しいところでは、昭和23年製造のお雛様を見ることができたのだが、戦争が終わったばかりで、物資が乏しい時代に作った質素な着物のお雛様であった、しかし、そういう時代にも、どうにか工夫して、お雛様を作った職人さんがいたわけだし、そのお家がその時生まれた女の子のために購入し、そのお雛様を大切にしてきたという気持が良く伝わってきた。
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今の時代だから、それぞれの町屋の居間には、電気がつくようにされていたけれど、吹き抜けの天井から差し込む日の光で、お雛様を見ることが多かった。
薄暗いという程ではないけれど、上から差し込む光で見るお雛様は、「そうか、何で、こう顔を白くするのかと思ったら、薄暗い環境でもはっきりわかるようにからかも知れない」と思った。
ま、そういう点、なぜ、お人形の顔は白いのかはわかったが、京都の舞妓さんなぞは、首筋を白く塗って、顔は白く塗らない、あれはどうしてだろうと不思議に思う私であった。
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by mw17mw | 2013-03-29 22:16 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

新潟県村上市「人形さま巡り」の旅 3/7

「お人形さま巡り:のお人形の紹介の前に、「町屋」について、簡単な説明を。
村上の旧町人町に沢山残されている古い商家の建物の形式のこと。
お家に入ると、まずはお店があって、その奥までずっと土間が続き、お店のすぐ奥には、今のような座敷があり、そのまま奥に抜けると、中庭があるのだそうだ。(中庭は、明かり取りと雪をためておくのに使ったとのこと)
すなわち、一階は、一度も靴を脱がず、奥まで行けるとのことだが、その分、プライバシーは保ちにくいらしい。
また、囲炉裏のある居間は、吹き抜けになっていて、天井から、光を入れるようになっている。(はたと今気づいたのだが、ガラスがない時代は、そこはただの穴だったのだろうか?)
また、この形式になったのは、城下町ということで、敵が攻めてきたときに、味方の兵士をかくまったり、逃がしたりするのに便利なようにとの話も聞いた。

建物は古いものが多いのだが、戦後の一時期、正面だけ、今風に改築されていたのを、徐々に昔風に直して行ったそう。
だから、町並み全部が下記写真のように昔風のわけではないのだが、だいぶ、昔風に配慮したお家が増えつつあるのがわかる。
下記画像は、味の喜っ川とその隣の酒屋さん。
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こちらは、吉川さんの本家の酒屋さん。
間口が狭いのは、江戸時代は、間口の広さで税金が決まったためとのこと。
この画像から、奥行きが長いことが良くわかる。
このお家は、本当に古く、築184年とのこと。
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「お人形さま巡り」だから、お雛様だけではなく、色々な人形が飾られていた。
喜っ川さんを出て最初に入ったのが、右隣の酒屋の益甚さん。
ここで、「動きのある古いお人形」にびっくりした。
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これは、「竹田人形(江戸後期~明治)大坂道頓堀にあった人形芝居「竹田近江一座」にちなんだものと言われる。
見得を着る姿印象的」と説明に書いてあった。
本当、歌舞伎の見得が見事に表現されていて、躍動感が素晴らしいと思った。

東京に帰ってきてから、「そうだ、こういうお人形のお芝居、幼いときにNHKで見たことがある、確か、やはり、竹田?」とか思い出したので、検索してみたら、「竹田人形座」という組織で、今は残念ながら、続いていないらしいけれど、大坂道頓堀の「竹田近江一座」の流れを汲んでいることがわかった。
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こちらは、確か、加藤清正公だったかな?(これも、喜っ川さんのお隣の「益甚」さん所蔵)
何て言うのかな、今、東京で普通に暮らしていると、細かい戦記といおうか、織田信長から徳川幕府が始まるまでの時代の戦国武将なんて、全く無関係で生活しているのに、昔は、このようなお人形にして飾られる程、生活に密着していたのだ、と感激。(確かに、私の父だったら、私より、そういう話に詳しかったと思う←あ、そうか、敗戦で日本の教育内容ががらっと変わり、こういう戦国時代の話なぞ、学校で教えなくなったから、遠くなってしまったのだ。)
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こちらは、うおや鮭こうばにあったもの。おじいさんの武士が鎧を着たまま赤ん坊を嬉しそうに抱いているお人形。
何だかな~、今は、武者人形というと、こどもの日に飾る鎧甲の勇壮なお人形しか思い浮かばないけれど、昔は、このような生活描写というか、物語の一場面や色々な世代をを表したお人形が沢山あったのだよね、きっと。
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こちらは、「九重園」というお茶屋さんのお雛様の下に飾ってあった大名行列。
大名行列のお人形はここにしかなく、これは良くテレビ等で映し出され、有名。
何でも、お殿様からいただいたものとのこと。
この大名行列の下に、歌舞伎の動きだと思うのだけれど、動きのあるお人形が沢山あって、魅力的であった。
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by mw17mw | 2013-03-28 22:33 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)