カテゴリ:東京以外の遠出・温泉( 64 )

山梨日帰りツアー 5/5 「山梨県立リニア見学センター」&「高速道路からの景色」

そういえば、修理に出したカメラ、昨日、無償で修理され、家に配送された。
オリンパスさんに感謝!
しかし、「無償でこんなに早く帰ってくるなら、新しいカメラ、我慢すれば良かったかな?」とちらっと思ってしまう。(笑)
ま~ね~、でも、私のように、カメラが必需品の人間は、やはり、予備のカメラも持つべきだと思って、あきらめよう。

−−−本題です−−−

そして、バスに乗って、五分もかからないところにある山梨県立リニア見学センターに行く。
何でも日曜日以外は試運転で本物が見られるらしい。
私たちが行ったのは、日曜日だったので、当然走っているリニアモーターカーを見ることができなかったのだが、わたし的には、ここに行けたことが一番良かったかなと思ったのだ。
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というのは、ここを「見学して、「きっと、私は、一生、リニアモーターカーに自ら乗ることはない、私とリニアモーターカーは無縁の乗り物」と確信したからだ。
だって、東京−大阪を一時間で結んで、その間、80%だかはトンネルの中なのだって。
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「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」という感じ、そんなもの、誰が乗るか!
やはり、この乗り物は、忙しいビジネスマンのもので、一般の観光客には、最初、物珍しいときは人気が出たとしても、その時期が終わってからも使うかな?
(新幹線ができたときもそう言われていた、でも、皆、東海道本線の特急から新幹線利用にシフトしてしまい、新幹線が主流になってしまったことを考えると、やはり、早いほうが良いのかな?)

一時間、トンネルの中を走るのなら、麻酔を打つなり、睡眠薬を飲ませてくれて眠っていたほうがよほど良いと思うのだけれど、歯の治療で打つ麻酔薬だって、ほんの数分の治療のための麻酔なのに、麻酔が切れるまで1時間くらいかかって、その後、神経がまともになるまで、だいぶ時間がかかるものね~。
それを考えると、麻酔も睡眠薬も使わず、一時間、音楽でも聞いて目をつぶっているのが一番かも。

このリニアモーターカー、超電導コースターの実験を見ることができて、もうすでにすべて忘れたが、聞いて実験を見た時には理解できたような気分で楽しかったけれど、本当に忙しい人向けの乗り物だと確信した。
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ま、私はきっと(自分のお金では)リニアモーターカーに乗らないと思う、そう考えると、今回、身近に触れることができて良かった。

さて、今回の旅行は、駒形から首都高速に乗って、中央高速で山梨に行ったわけだが、私としては、今まで余り通ったことのない、皇居の中といおうか、英国大使館近くのお堀の中を通る首都高を走ることができて、新鮮でとてもきれいで楽しかった。
(その時、東京に帰ってくる予定が5時半なので、帰りに写真を撮れば良いと思ったけれど、甘かった~、東京に戻ったのは、午後8時前くらいだったので、真っ暗で、帰りには写真を撮れなかった。)

また、帰りは、中央高速に乗って、談合坂SAに着いた途端、大雨になってしまった。
皆、バスから手ぶらで下りて、トイレ等に行ったのに、いざ、バスに戻ろうとしたら、大雨で戻れなくなってしまったのだ。
これはラッキー!
サービスエリアにほかの人たちも閉じ込められていたので、私は、その間に、野菜売り場を覗いて、見切り品の赤紫蘇と、モロッコいんげんを買ってしまった。

その後は、雨空の中央高速をひたすら走って東京に戻った。
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ちょうど、私たちが中央高速を走った日は、圏央道という道路が八王子で中央高速につながった数日後だったので、帰りは、ものすごく渋滞した。
しかし、八王子ジャンクションを超えたら、スムーズになった。
何でも、今までほかのルートを通っていた神奈川県民が富士五湖等に行くのに、集中して圏央道を使いだしたから、渋滞したのではとの事。

ま、それにしても、バスの窓から、相模湖というのか、相模湖周辺というのか、相模川がものすごい長い間、中央道から見えて、まるで(行ったことはないけれど)フィンランドのフィヨルドのように感じられて、その景色が楽しかった。

絶対、旅行は、景色を見ることができる乗り物で行きたい!とつくづく思った。

また、日帰りツアーについては、「たまにはいいよね、楽しかった」と思えた。
でもね、注文させていただければ、地方ならの大きなホームセンター見学1時間くらいと、道の駅やSAの中の野菜売り場で買い物する時間が欲しかった。
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by mw17mw | 2014-08-04 11:51 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

山梨日帰りツアー 4/5 「キムチ屋さんと野菜収穫体験」

旅館を後にし、その後、山梨県立リニア見学センターの方向に向かったようだ。

その道々、途中で二か所に寄ったのだが、まず、連れていかれたのは、「キムチ屋」さん。
何で、山梨県でキムチ屋さんに連れて行かれるのか良くわからないが、こういうツアー会社と結託しているキムチ屋さんのようで、次から次へとバスが止まって、見学者が流れ込んでいた。

で、キムチなのだが、味見して、私の口には合わず、写真を撮らなければ、何も買わなかった。
何だか、キムチの漬け汁に本当にたくさんのものを入れることがご自慢のようで、例えば、塩辛だって、4種の魚の塩辛を入れていると書いてあった。
だから、総合的に美味しいのかというと、よくわからない味という感じ?
でも、皆、この先、お土産が買えるところに行くかわからないし、結構買っている人が多かった。
(テレビでよくやっているが、こういう施設を作った場合、観光バスが来るようにすると、地元民が買いに来ないし、地元民で賑わうようにするには、観光バスは来ないようにしなくてはだめとのこと。このキムチ屋さんは、観光客向けに観光客値段で勝負しているお店のよう)

その後、また、バスにのって、リニアモーターカーの試験場のすぐ手前にある農地でおろされる。
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そこでは、何でも、炭をばらまいて改良した農地で野菜を作っているとか。
そこで、野菜の作り方の説明を聞いた後、それぞれ鋏を渡されて、インゲン5本、キュウリ2本、ナス1個を自分で収穫するように言われる。
実際に自分で、なっている野菜をじっくり見て、ちょど良いころのものを選ぶのは結構難しく、新鮮な体験ではあったが、何せ、もらえる量が少ない。
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最後、採ったものに大きな辛味大根を加えて大きな袋に入れ、秤で計って、1kgに満たない場合は、キュウリを一本追加してくれる仕組みのよう。
それを受け取って、野菜収穫体験も終了。
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実際に野菜を採るのも新鮮だったが、畑に走っている用水路?に手を突っ込むと、冷たくきれいなお水で、楽しかった。
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また、バスに乗って、ちょっと先に見える山梨リニア見学センターに向かった。

私としては、キムチは不要だけれど、野菜採り体験は、つまらないわけではなく、それなりに面白かったが、こういう体験より、「道の駅」なぞに寄って、新鮮な野菜を各種買うことができる時間が確保されている方が嬉しいなと思った。
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by mw17mw | 2014-08-02 07:04 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

山梨日帰りツアー 3/5 「石和(いさわ)の旅館でランチ」

そして、また、バスに乗って、少々走った。
窓から見ると、色々なホームセンターが目に入って、入ってみたいな~との思いをぐっと我慢する私。(笑)
ほどなく、旅館の前に止まり、お膳が並んだ大広間に案内され、昼食開始。

ものすごく量が多いし、普通以上には美味しかった。
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握り寿司にお刺身、すき焼き、小鉢2,3、その他、左上の竹筒は何だろうなと思っていたら、
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後から、揚げたての天ぷらがこの中に配られた。(画像は食べた後で海老しか入っていないけれど、本当はもっと色々入っていた。これを塩で食べたのだが、盛り付け方に工夫があって、良いと思った)

ま~、作り置きのものばかり出さないように、すき焼きと天ぷらは出来立てをどうぞというのが「売り」なのかも。

その他、お餅のあんかけと、茶碗蒸しが出てきて、「うへ~、この量はすごい!」とギブアップ状態。(笑)
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それにしても、すき焼き・天ぷら・お寿司にお刺身って、会席料理という、お酒の宴席用の料理なのかしらね?
それとも、日本人が必ず好きだろうものを並べた料理?

また、量も大食漢の人から文句が出ないくらいのものだったから、本当に不特定多数のための食事のメニューや量を考えるのは大変かも。

ここまでのお食事は、最初の参加費に入っていたのだが、飲み物は個別に注文して、個人で精算してくださいとのこと、私は、生ビールの中ジョッキを値段を聞かずに取ったのだが、なんと、876円だったので、ぎゃふん。(ま、お値段聞いてやめるわけにも行かないから仕方ないのだけれど、今までで、最高値のぼったくり中ジョッキ!)

食事が終わってから、1時間くらい余裕があって、下の画像のような足湯のところで、足湯を楽しむか、食事を取った広間で寝転んでいるかの余裕があった。

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by mw17mw | 2014-07-31 11:42 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

山梨日帰りツアー 2/5 「根津記念館」

そのさくらんぼ畑があったところの周囲はこんな感じ、空がきれいで、久々の自然の風景がすがすがしかった。
富士山も2,3回見ることができたが、今年の冬雪が多かったせいとのことで、まだ、真っ白であった。
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さくらんぼをたくさん食べた直後だし、まだ、昼食の時間にはちと早いとのことで、バスで30分くらい走っただろうか、「根津記念館」を見学することになった。
根津記念館は、山梨が生んだ戦前の実業家で鉄道王、東武鉄道の社長であった「根津嘉一郎」を記念した施設で、できたのは、結構新しく、2006年10月開館とのことで、私も全くその存在を知らなかった。

東京の表参道の根津美術館は、根津嘉一郎が集めた美術品が展示されていることから、この記念館も何かすごいものが展示されているのかと思ったら、お宝はなしとのこと。

何でも、根津家というのは、明治以降、山梨で二番目に大きな地主でお金持ちだったそうで、その当時の家が残っていて、それは「国登録夕景文化財」とのことで。
その屋敷を移築してきて、その隣には、今や記録にしかない根津嘉一郎の山梨で建てた屋敷やお茶室を2軒再現した施設なのだそうだ。

で、とても大きなお屋敷で、入口というか玄関は、(書生が住んでいたであろう)長屋門、その手前には泥棒除けの堀が掘られていて、地方の余裕のある地主のお屋敷という感じが素敵!
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お庭が広くて、一番の売りは、大磯にあった根津嘉一郎さんの別荘に植わっていた松を移築したもの。
(やはり、戦前のお金持ちにとって、「大磯の別荘」というのは、ステイタスの象徴だったのだと思う)
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その他、近くに笛吹川があるというくらい、自然の湧水がご自慢ということで、池も素敵であった。
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他、茶室や応接間が再現されていた。
根津さんは、山梨に戻ってきたとき、こういう応接セットで、訪れてきた地元の人とお話をしたのだろうか?
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こういうのんびりした涼しげな応接間を見ると、東京から故郷に戻ってきた根津さんが、浴衣姿で寛いだ姿で、訪ねてきた人たちと談笑していたような風景が思い描ける。

この記念館自体、根津さん部分だけでも、結構歩き回る程の広さだし、見るところがたくさんあった。
私が一番懐かしかったのは、下記オルガン。
何でも、根津さんが生まれ育ったところの小学校に寄贈したものだと書いてあった。
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ま、それには間違いなのだけれど、私は母から、「山梨中の小学校には、根津嘉一郎さんが寄贈してくれたオルガンだったかピアノだったが一台ずつあった」と聞いていたのだ。
だから、「あ、だったら、母が通った小学校にあったオルガンもこれと同じものに違いない、ヤマハのオルガンだったのだ」と懐かしかった。(と思ったのだけれど、このページを読むと、根津嘉一郎さんは、「特に山梨県下の全小学校へ200台にものぼるピアノ(後に根津ピアノと呼ばれる)やミシンの寄贈、また地元平等小学校の建築など、山梨県の教育文化振興に寄与した。」と書いてあった、ということは、このオルガンとは別のものかな?)

で、今まで、なんで、母がいつまでも「根津嘉一郎さんが寄贈してくれたオルガンだかピアノ」だと良く寄贈者の名前を覚えていたことがちょっと不思議だったのだが、本物を見て、よくわかった。
ほら、弾こうと蓋を開けるたびに、「寄贈 根津嘉一郎」と出てくるのだもの。(笑)
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by mw17mw | 2014-07-30 08:45 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

山梨日帰りツアー 1/5 「はじめてのさくらんぼ狩り」

もう1か月前になってしまったけれど、6月の最終日曜日、知り合いの誘いで、日帰りバスツアーに参加してみた。

家の近所をバスで7時半に出発し、勝沼でさくらんぼ狩り→根津記念館→石和の旅館でお昼ご飯・足湯→なんたらいうキムチ工場見学→野菜狩り体験→リニアモーターカー館見学→東京に戻って17時30分到着予定

行き帰りの高速道路の話なぞはまた別にするとして、雨の東京を出発したのだが、東京を離れたころから、天気は快晴になった。

で、勝沼で高速道路を降りて、一路、さくらんぼ農家に向かう。
道々、景色を見ていると、ここらへんは、もちろん、ぶどうと桃の産地として昔から有名だったが、最近はさくらんぼも作っていることがわかる。
ただ、山梨のさくらんぼって、東京のスーパーでは余り見ないし、きっと、県内消費と、東京から近い地の利を生かして、観光さくらんぼ狩り専門程度の収穫量ではと思った。
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さくらんぼは、もちろん桜の木になるのだが、さくらんぼ畑というのだろうか、桜が植わっている地域は高い網で囲われていたが、なんでも、できたさくらんぼを鳥に取られないようにするためだそうだ。
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そして、この畑のネットの中に入り、手が届くところのさくらんぼを自分で取って、その場で食べ、持ち帰りは禁止。
(種はペッペと畑にまき散らして良いとのことであった。)
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洗いもしないさくらんぼ、食べて大丈夫かしら?せめて、農薬のことは聞かねばと思って聞いたら、虫の害があるので、農薬は使わないとは言えない、使うけれど、お客さんの口に入らないように、最後に使ったのは、この畑のさくらんぼがまだ緑のうちで、もうついていないはずとのこと。
なんでも、私たちが今年のさくらんぼ狩りの最終の団体客とのことで、私たちが帰り次第、虫を除くため、農薬を撒くと言っていたっけ。

そして、さくらんぼの木は色々な高さがあって、手が届く範囲は自分たちでもぎ取り、高いところは、農家の人が梯子をかけて、枝を下げてくれたり、取ってくれたりした。

実は、私は、苺狩りにも、さくらんぼ狩りにも行ったことがなく、これが初めて。(幼い時、梨もぎは遠足で行ったような記憶がある)
イチゴ狩りも、温室の中で、ミルクを片手にその場で食べなくてはならないけれど、何せ温室だから暑くて、長居できないし、美味しくないと聞いていた。
確かに、果物は、常温より冷やしたほうが美味しいのに、畑で食べて美味しいの?と疑問であったが、実際にやってみたら、さくらんぼ畑は、温室ではなく、ただの常温だから、結構食べられた。

何でも、その農家のおばさんが、「このさくらんぼ狩りは、一人2千円だから、500g500円として、50粒くらい食べなくては、値段負けする」というので、一生懸命50粒くらい食べたのだ。
(でも、東京に帰って、スーパーを覗くと、500g380円が相場みたいな感じ。<笑>)

同じ畑でも、木によって、さくらんぼの熟し加減も違うし、品種的にも、私たちが行った6月末は、もう気温が高いので、佐藤錦なぞは、その畑ではもうならず、畑より、涼しい山の高いところに植えてある木でなくては採れないとのこと。
ということで、私達が食べたさくらんぼは、佐藤錦ではなく、違う品種であった。(名前、忘れてしまった)

ということで、お土産用のさくらんぼも確か500g500円で売られていたけれど、それらは、山の高いところに植えてある佐藤錦なのだそうだ。

ま、初めてのさくらんぼ狩りというのは、ちょうど今が食べ頃という木にあたったら、相当美味しいけれど、当たらない場合も多いかな、ま、情緒を味わうお遊びだよねと思った。
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by mw17mw | 2014-07-29 15:27 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

大人の遠足−大磯・小田原 3/3

さて、旧岩崎別荘地を見学した後は、東海道本線に乗って、小田原まで行き、駅から5分くらいのところにある「菜こんたん」で美味しいランチをいただいたことは、もう既に先月ブログに書いた。

小田原界隈−菜こんたんの小田原どん

小田原界隈−菜こんたんの玉麩のお吸い物

ランチも終わり、小田原見物となった。
私は小田原は叔父の友人の家とかに行ったことがあるけれど、市内を歩くのは初めて&予備知識は、「小田原と言ったら、小田原城とかまぼこでしょう」というくらい。

で、小田原城は、駅から歩いていけるとのことで、猫好きさんに案内していただいたら、ちょうど、小田原城址公園の菖蒲やかきつばた、また、真っ白いあじさいがきれいな季節で、その景色を堪能できた。
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花を愛でてから、天守閣のある方に上って行ったが、何でも天守閣の中は、エレベータもエスカレータもない五階建てくらいの高さの建物と聞いて、簡単に「入って上ること」を断念してしまった。
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こういうお城、復元で作り直されている場合も多いだろうけれど、たぶん、相当前、エレベータなぞは贅沢だという、老人が少なかった時代に修復されたケースが多くて、エレベータなぞ設置されていないことが多いかも知れない。
そういう意味では、「若い時に行こう!小田原城」と思ってしまった。(笑)

ま、天守閣に上らなかったもう一つの要因は、天気は晴れていたのだけれど、地元民の猫好きさんが言うには、「空気がもやっとしていて、遠くまで見渡せない」とのことだったから。
すっきり晴れていれば、一夜城の方まで見えるとか、それは残念。(そういう意味では、どうしてももやってしまう春先以降より、冬の寒い気候の時の方が景色が良く見えるかも)

小田原城の周辺は、昔のままの小田原城の姿を取り戻そうと、色々作り変えているそうだ、完成が楽しみ。

また、市内に戻っていくのに、行きとは違うルートを通ったら、お堀をたくさんみることができた。
水量豊かで、立派なお堀なのに、鳥も人間もいなくて、もったいないな~、ボート場でも作れば良いのにと思ったが、猫好きさんが言うには、生活道路である車道や歩道からすぐのお堀なので、ボートに乗っている人の顔がそういう道路からすぐにわかってしまうから、無理とのこと。
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そういわれてみれば、東京だって、皇居の周囲のお堀にはボート場がなく、千鳥ヶ淵とか、上野の不忍池とか、生活感の歩道や車道とボート場の間に、遊歩道とか植え込みとか、ワンクッション、ツークッションある場所だけだものね。

お堀に沿って歩いた後、その道路沿いに、昔ながらの木造の立派なお店を数軒見つけて、往年、小田原というのは、栄えた町だったのだろうことがしのばれたが、駅前の商店街の路地の中に入っていくと、なんだか、元気が余りないような雰囲気であった。
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猫好きさんと、お茶を飲んでから、帰りの電車に乗りましょうということになったが、何だか、駅前の商店街の中には一軒も喫茶店やカフェ・立ち飲みのコーヒー屋さえ、見つからなかった。
仕方がないので、駅の中に入ると、駅ビルの中とか、駅構内に、二軒ばかり、大手コーヒーチェーンのお店が見つかったので、そこでお茶して、別れて帰ってきた。

その他、小田原で何かおみやげを買いたいと聞かれて、「ま、しらすかな_?」と思って、街中を探したが、魚屋さんもなければ、しらすを売っているお土産物屋さんもなかった。
しかし、駅ビルの中には、大きな魚屋さんがあったのだ。
でも、シラスは、全て、地元以外のものだったので、買うのはやめた。

何ていうかな、JRが「顧客の利便性を考えて」という大義名分だろうが、駅前や駅構内に商業施設をたくさん作ってしまうから、昔ながらの商店街は歯抜けになり、滅ぼされてしまうのかも知れない。
小田原駅前なんて、そのわかりやすい例だと思った。

さて、そうこうして、猫好きさんと別れて東京に戻ってきたが、せっかく、澤田美喜記念館や岩崎さんの別荘を見学できたので、次回の「大人の遠足」は、「湯島にある「旧岩崎庭園」という澤田美喜さんが二〇歳まで暮らした浮世離れをした豪華な環境を案内した後、東大の中に見る前田家の面影を探して散策及びくろぎのカフェに一緒に行ってもらう」というプランにしたいと思って帰ってきた。
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by mw17mw | 2014-07-08 09:18 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

大人の遠足−大磯・小田原 2/3

そして、戦後、澤田美喜さんの半生と信仰、そして、戦後、行った「エリザベス・サンダース・ホーム」を作って、2千人以上の混血児を育てた事業についても、色々学ぶことができた。

澤田美喜さんは、三菱の創業者岩崎弥太郎の孫であり、その子供である岩崎久弥の長女として、文京区に生まれるとあるが、今は台東区になっている「旧岩崎庭園」で、誕生し、育った。
この旧岩崎庭園に行って、ジョサイア・コンドルが設計した洋館や庭を見れば、澤田美喜さんがその当時の日本の庶民の生活なぞを見ることも触れることもなく、贅沢に育ったことがわかる。
そして、20歳の時、お見合いで、外交官でクリスチャンの澤田廉三と結婚、その後、子供を4人産み育てながら、外交官夫人として、アルゼンチン、北京、ロンドン、パリ、ニューヨークで昭和11年まで外国生活をしていたとのこと。

その外国生活の間に、ロンドンで、子供たちの表情が明るい孤児院に行く経験もして、戦後、日本の混乱時代に、新たに望まれずに生まれて来て、捨てられる混血児たちを養い、育てることを決意する。

澤田美喜さんの一生を知るには、下記4つが参考になる。

Wikiの澤田美喜

三菱の人ゆかりの人 澤田美喜(上)

三菱の人ゆかりの人 澤田美喜(下)

その他、澤田美喜とキリスト教について

私は、それまで、澤田美喜さんの名前やエリザベス・サンダース・ホームについて、昔、週刊誌なぞで取り上げられることがあったので、混血児の子供たちの孤児院を作った人とその孤児院の名前ということは知っていた。

今回、この催し物で、刺激を受け、色々調べて、澤田美喜さんは、なぜ、このような事業ができたのだろう、する気になったのか、考えてみた。

澤田美喜さんは、恵まれた環境に生まれ、恵まれて育ち、どの段階でも幸せであったに違いない。
クリスチャンになったこと、良い伴侶に恵まれ、外交官夫人として外国で暮らしたこと、4人の母になったこと、全て、幸せだったのだろう。

だったら、彼女の人生に不幸はなかったのかというと、三男が戦死してしまったことがある。
そういう経験があるせいか、天性の感性のためか、クリスチャンとしての信仰と教育のせいかは良くわからないが、不幸な人々への同情心がある人のようだ。
大磯の旧岩崎別荘地には、混血の孤児のための「エリザベス・サンダース・ホーム」、また、その子供たちが町の学校に入学したらいじめられるだろうと、その子達用の小中学校「聖ステパノ学園」がある他、澤田美喜記念館には、江戸時代に迫害された隠れキリシタンの遺品がたくさん集められ、展示されていた。
この人は、孤児だけではなく、謂れのない迫害に遭う人すべてに同情し、寄りそう気持ちがあることを感じた。
(下記の画像は、鐘撞堂と、澤田美喜記念館)
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たぶん、外交官夫人時代に外国で学んだ、「慈善活動」の正しいそして成功した事例を見た経験も大きかったのだろう、それまでに恵まれた自分の人生の恩返しのように、恵まれない、見捨てられた子供たちのために、残りの人生を捧げることを天命と悟って行動をした。

そこがすごいし、素晴らしい!自分の恵まれてきた分をちゃんと社会に還元するのだから。

素質的には、岩崎弥太郎の直系の孫だし、恵まれた環境で育ち、物おじすることなく、伸びやかに生きることができた人生。
そこに、キリスト教の教えが入ってきて、弱い者、恵まれない人々に手を差し伸べることが「自分の天命」と思えたとき、きっと、おじいさん並みの行動力で、頑張ることができたのだろう。

また、以前と違って、今の時代、望まれない米兵の子供とか生まれなくなっているので、「エリザベス・サンダース・ホーム」はまだあるのか?もしかして、なくなってしまったかな?と思ったけれど、今は、普通の養護施設になって、恵まれない日本人の子供を預かっているそうだし、聖ステパノ学園も、エリザベス・サンダース・ホーム以外の子供も通う学校になっているそうだ。
下記画像は、「エリザベス・サンダース・ホーム」の看板が掲げられている建物。
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後、話はずれるけれど、由紀さおりとそのお姉さんである安田祥子さんが、コンビで童謡を歌うことが多いけれど、この安田祥子さんのご主人は、すでに他界されているようだが、澤田美喜さんの次男さんとのこと。
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by mw17mw | 2014-07-07 12:55 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

大人の遠足−大磯・小田原 1/3

6月4日に、湘南在住の猫好きさんが、はがきで申し込んでくれて、当たった「澤田美喜記念館と旧岩崎別荘跡地」という大磯ガイドボランティア協会主催の会に参加できた。
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初めて降りる大磯駅は、本当に駅も周囲ものんびりしていて、大きな商業施設が何もなくいかにも避暑地にふさわしい駅であった。
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で、今日、明日で、旧岩崎別荘跡地を見た感想を書くが、この別荘跡地には、財閥の別荘跡地のすごさと、戦後、澤田美喜さんがこの別荘を寄付を集めて買い取り、エリザベスサンダースホームを開いたという二面がある。

で、今日は、「戦前の財閥の凄さ」について。

三菱財閥の総帥であった岩崎家は、何でも、別荘を5つもっていて、そのうち3つは神奈川県にあったそうだ。(大磯・箱根・湯河原)
で、この大磯の別荘は、駅から1,2分のところに入口があって、小高い山一つがすべて岩崎さんの別荘。
たぶん、戦前からの建物はそんなに残っていない感じがしたが、とにかく「やはり、金持ちの別荘」という感じ。

小高い丘を上ったところから海の方を見た景色。
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うわ~、この景色を独り占めか!
何でも大磯には、岩崎家だけではなく、三井財閥の別荘というか、一山とか、逗子には、安田財閥の別荘があったそうだ。(オノヨーコが子供のころを過ごしたので有名とか)

色々歩き回って、案内してもらったが、私が一番ショックを受けたのは、この丘の一番下の真ん中に開けられた「トンネル」。
このトンネルがいつ開けられたかわからないけれど、弥太郎さんの奥さんだかが生きていた時代らしい。(このおばあさんが、蚕を飼っていて、その餌になる桑を育てて収穫し、このトンネルの途中に開けた穴に保存していたと説明された記憶がある)
お金持ちが小高い丘の上に家を建てるのは良くある話だけれど、その丘にトンネルを開けてしまうのは、やはり、岩崎さんくらいだよね~、どう考えても。
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なんだか、戦前、ドリルとか電動で穴を開ける道具が少なく、人力が主な動力であった時代に、たった一つの「岩崎」さんという家族とその使用人が使うだけのために、山を貫通する穴を開けたって、凄くないだろうか?
これは、今の時代だったら、お金持ちと聞いていたお友達の家に行ったら、自家用ヘリコプターがあったとか、自家用飛行機を所有していたくらいの凄さではないだろうか?

トンネルを開けるというと、「恩讐の彼方」という小説を思い出したり、難工事の落盤事故とか、大変な作業で、あくまで、不特定大多数の利便のためにだけ行われる作業だと勝手に思っていた。
ま~ね、三菱財閥の総帥だったら、各会社が総力を挙げて、トンネルの穴くらい、人海戦術で開けてしまうかも知れない。

戦前の財閥って、やはり、すごいと思った。

それに、ボランティアの方から説明を聞いたのだが、「エリザベス・サンダース・ホーム」の「エリザベス・サンダース」さんというのは、良く、キリスト教会の信者でお金を最初に寄付してくれた人と紹介されているが、実は、同じ大磯にあった三井財閥の別荘に住んでいた、イギリス人の乳母さんだったそうだ。
何でも、三井財閥の人たちがロンドンにいたときに雇った乳母さんが「エリザベス・サンダース」さんで、日本に帰国する時、子供たちがなついていたので、頼んで、日本に一緒に来てもらったそうだ。
そして、そんな生活の中、エリザベスさんは、私はもうイギリスに帰らないだろうからと、それまでに貯めていた貯金を澤田美喜さんに寄付したのだそうだ。
で、今は、横浜の外人墓地に眠っているそう。

すごいね~、戦前の財閥、お金持ち過ぎる!
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by mw17mw | 2014-07-06 10:07 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

横浜「みなとみらい→馬車道」見物

神奈川県出身で、横浜在住の銀行の大先輩が、横浜美術館のプーシキン美術館展に誘ってくれて、「プーシキン美術館展→みなとみらい&馬車道散歩→馬車道の鶏炙で焼き鳥堪能」というコースを堪能してきた、「有難う、スペシャルサンクス 大先輩!」です。(笑)

プーシキン美術館展も中々良かったけれど、久しぶりのみなとみらいは、良くご存知の方に案内してもらってさっさか歩いて見物したせいか、その規模の大きさにびっくり。

2013-09-07 横浜見物
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ここと比べれば、上野・浅草なんて、「殆ど最近お金がかかっていなくて、古びていて、コンパクトだけが魅力」の地域だと思い知った。(涙)

横浜の再開発ってすごいな~、東京にはこれだけの場所がないような気がする。
一番似ていると、私が思うのは、東京では、恵比寿のガーデンプレイスかしらね?

それにしても、横浜の方々は、物販の商業施設が大好きみたいで、いくつあったら気が済むの?と思うくらい、色々な商業モールみたいなものが沢山できていて、びっくり。

わたし的には、東京だったらアキバから御徒町みたいに、再開発の新しいモールとか商業ビルもあるのだけれど、その近くに、昔ながらの汚い小さな商店や安い飲食店が所狭しとお店を開いてしまうのが当たり前で、「きれいで最新鋭に特化できない」都市に慣れているかな?

そういう意味では、汚いものを全て取り壊してというか、みなとみらい自体が埋立地らしいので、「きれいで最新鋭に特化できる横浜」の方が、進んでいると思う。

東京って、考えてみれば、どこかに、「広い地域を同等にきれいにすることはとても難しい」という諦めがある都市かも。(特に真ん中の方)
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by mw17mw | 2013-09-09 07:32 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)

大阪・神戸センチメンタル・ジャーニー-大阪・甲子園口の風景

最初から何だけれど、これは、御堂筋線淀屋橋のホームの剥き出しの蛍光灯。
私は昭和の終わりころ大阪にいたのだけれど、その時と同じ風景。
この何気ない剥き出しの蛍光灯なのだけれど、東京から来た友人や会社の同僚からけなされてばかりいた。
どうも、東京人は、蛍光灯はカバーして隠すのが当然だと思っている人が多いようだ。
大阪人は、この画像を見てもわかるように、どうにか、カバーなぞにお金をかけないで、きれいに見せようと並べ方に工夫する価値観を持っているよう。
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この淀屋橋の剥き出し蛍光灯のホームは全然変わっていなかった。しかし、新しく改装された大阪駅では蛍光灯はすべてカバーで覆われていた。方向的には、蛍光灯はカバーされていくのかな?

d0063149_229033.jpg大阪に行って、「私は東京人だ」と自覚したのは、エスカレータにさりげなく乗る時。東京からほとんど出ていない私は、当然のように、左手を左側のエスカレータのベルトに置いて、左側に並ぼうとしてしまう。
でも、関西では、右側に並ぶんだよね、だから、気づくと、一人、はみ出ていることになる。(涙)
一日目はついつい東京流になっていたが、二日目からはだんだん関西風になってきた。

後、良かったことは、大阪でも神戸でもSuicaカードが使えたこと。
使えたと言っても、最初の頃、使うと機械に拒否されて、スムーズに使えなかったりすることもあったが、駅員さんのお世話になることもなくとにかく使えた。
これはとても楽で便利であった。

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久々行った大阪駅は、昔青空だったところに様々な建造物ができていて、すごく変わっていた。
私は、神戸線で通勤していたのだが、昔は、ホームに郵便ポストとかあって、のどかだったのだけれど、今や最先端のホームになってしまった。
でもね、構造物はずいぶん変わったのだけれど、改札を出て、何歩くらい歩けば、御堂筋線への階段にたどり着くとか、同じく、何歩くらい歩けば、大丸梅田店に行くとか、その感覚は変わっていなかったので、やはり、「昔なじんだところだな」という感じはあった。

この駅ビルのような新しい商業施設ルクアの中のおトイレRELAQUAを利用したら、何と、最近流行しているらしい「美トイレ」で、あまりの美しさにびっくり!(東京にもあるらしいけれど、まだ、巡り合っていない)

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これは、大阪駅前の歩道橋から、多分、阪急三番街の方を見たところ。
なぜだか、あのゴミゴミした大阪駅前に観覧車があった、神戸に行っても観覧車があったけれど、関西の人って、何気に、関東人より、観覧車が好きみたい。

d0063149_22192654.jpgこれは、昔住んでいた、JR神戸線の各駅しか停まらない「甲子園口」という駅。(ここから、南に行くバスに乗れば、甲子園球場に行ける。)
神戸線は、尼崎の方を通って、武庫川を渡ると、甲子園口で、その先、西宮・芦屋と繋がっていく。
久々、神戸線に乗ってみたら、尼崎とか武庫川までの地域が工業地帯で、昔ながらの工場が並ぶ風景で、武庫川を渡ると、がらっと雰囲気が変わって、工場がなくなり、緑と素敵な家が続く住み良い住宅街になるみたい。

そういう意味で最近人気があるのか、私が住んでいた頃より、相当住み良さそうな街に変わっていた。
商店街も昔よりお店が増えているみたい。(商店街が活性化しているなんて、珍しい!)

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甲子園口の北口にあった出汁のお店。ペットボトルをご持参くださいとのことで、うどんつゆが1リットル300円とのこと。
こういうお店が東京にもあったらいいのにねと友人と話したが、今回、関西でも甲子園口以外でこういう出汁つゆの専門店は見なかった。

あ、そうだ、甲子園口というのは、ずっと昔のグリコの社長誘拐事件の舞台となったところで、グリコの社長宅が実際にあったのだけれど、今回行ったら、壊されて、平地になっていた。
昔は、お金持ちは、大きなお屋敷を建てるものと相場が決まっていたが、これからは、お金持ちは、お金持ち用のマンションに入って、どこに住んでいるか特定できないようにするのが、お金持ちの流儀なのかも知れない。
その方が安全だものね。
(私は江崎グリコ社長宅から5,6軒離れたマンションに住んでいたのだが、確かに、毎日同じ時間に家を出ると、グリコ社長宅から出てくる高校生の男の子と毎日すれ違うことになり、「彼が将来の若社長かな」とか顔を覚えてしまったことがあった。そういうことを避けるためにも、やはり、巨大高級マンションに住んだ方が良いと私も思う。)

d0063149_22401795.jpg私が以前住んでいたマンションというかアパートにも行ってみたが、阪神淡路大震災で被害に遭わなかったのか、無事建物が残っていた。
私は3階に住んでいて、階段の窓から外を見ると、結構近くに山が見えていた記憶があったのだが、今回、その場所に行ってもあまり山が見えなかった。
何でかなと思ったら、正面の少し離れたところに、以前はなかった高層のマンションができていたのだ。
ち、つまらないの、阪神間の魅力というのは、東京と違って、身近に山が見えることなのにね。
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by mw17mw | 2013-05-16 22:40 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)