カテゴリ:東京都内のお散歩・見物( 319 )

国際文化会館内の小川治兵衛作「旧岩崎邸庭園」見学

鳥居坂下から坂を上ると、右側も塀に囲まれた緑で、一瞬、こちらが国際文化会館?と思ってしまうが、後で地図を調べたら、シンガポール大使館のよう。
その緑を見ながら、坂を上っていくと、左側に、「国際文化会館」と書いた入口があった。
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入口から建物玄関まで、自動車優先の感じ、左側の歩道を歩いて行くと、港区教育委員会が建てた「岩崎邸庭園」という立札があった。(文字が読めるように、文字の部分だけ切り取ろうと思ったが、後ろの石が大きくて余りに立派だったので、そのままとした)
主に書いてあることは、「この庭園の前身は、岩崎小弥太が昭和4年に建設した「岩崎家鳥居坂本邸」の庭で、近代日本庭園作庭の先駆者・第一人者である京都の「小川治兵衛」の作で昭和5年の実測図と比較しても、今でも、作庭当初の姿を大筋で残している、池泉回遊式日本庭園。」等々。
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建物前は、殆ど駐車場、建物の入口を入ると、ロビーがあり、そこに、旧岩崎邸、現在の国際文化会館の全体模型があった。
この土地は、江戸時代から幕末までは、「多度津藩(現香川県)の江戸屋敷」。
 その後、明治初期に井上馨候爵(外務大臣)の所有となり、次に、久邇宮邸(昭和天皇の妃である香淳皇后は、この邸で誕生)、赤星鉄馬邸、岩崎小彌太邸と変遷し、戦後は国有地となっていたものを国際文化会館が払い下げを受けたとのこと。
岩崎邸は、空襲で完全に焼失されたが、庭は残ったので、全体の土地の面影は、岩崎邸のもの。
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お庭を歩く許可をもらい、建物左手の出入り口から庭に出て、結婚式の邪魔にならないように、草木の中を歩いた。
そんなに広い面積ではないし、道らしい道はなく、何となく歩ける道しかないので、この庭は、やはり、庭の中を多くの人が散策することを前提として作られていない感じ。(一般公開していないのも頷ける)
やはり、岩崎小弥太さんがプライベートで歩くことを前提とした設計?
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お庭は坂になっており、上まで行ったら、何と、外側の塀の高さまで、土が盛られ、池や芝生まで、坂になっていることがわかった。
塀の外は、鳥居坂下からの道で、私たちが歩いてきた道なのだが、こういう瓦屋根の素敵な昔の塀の中にてっぺんまで土が盛られていて、塀の際までお庭だとは、全く想像できなかった。
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庭全体、まさか、人工的に作ったものであるとは感じさせない自然な設計だが、どこに何を植えるか、どこに燈籠や石を置かとか、全て、小川治兵衛さんが考えに考え抜いた結果なのだろう。
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茂みから、芝生や国際文化会館の建物を臨んだところ。
右側が本館(旧館)で、左側が新館?
旧館は、前川國男、吉村順三・坂倉準三の三人の共同設計で1955年(昭和30年)完成、また、1965年(昭和55年)に、前川國男さんの設計により旧館の改修と新館の増築が竣工されたとのこと。 
本館は、日本建築学会賞を受賞した他、2006年8月に文化庁が指定する「登録有形文化財」に登録された。
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池の方を見ると、石燈籠の上にサギが止まっていた。
そういえば、同じ小川治兵衛さんの旧古河庭園でも、サギがいたので、すぐわかった。旧古河庭園のはアオサギで、何でも、近所の六義園にサギの巣があるとのことで、そこから飛んできたのではとのこと。
こちらのサギは近所にある毛利庭園のものかしら?
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小さな滝のようなものがあり、そこをたどって上に上ると、水源があった。
旧古河庭園と違って、こちらは、地下水がまだ枯れていないのか、滝も池もまだ健在。
でも、今回は、芝生部分で結婚披露宴が行われていたので、池の方に近づけなかったのが残念。
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旧古河庭園に比べたら、規模が小さいけれど、遠くから見ても美しいし、その植木や岩の間を歩いても、変化があって楽しい。
詳しいことはよくわからなかったけれど、やはり、天才が作ったお庭という感じだろうか?
桜の時、紅葉の季節、素敵だろうな~。

このお庭、一般公開はされていないし、観覧のルールがはっきり公表されていない。
きっと、積極的には公開していないけれど、興味のある人で、常識を持って見てくれる人には、開かれているような気がする。
もし、庭の中も歩きたいのなら、私が習ったように、やはり、レストランやラウンジを利用した際に、「庭を見たい」と言って、許可をもらって、庭に入っていくのが良いと思う。
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by mw17mw | 2016-11-04 12:10 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

谷中フラフラ−「朝倉彫塑館」と「シャレースイスミニ」

先週の土曜日は、広島Iさんとお約束。
どこに行こうかと相談して、最初に決まったのが、先日、旧古河庭園のガイドさんに習った天才小川治兵衛さんの東京におけるもう一つの作品である国際文化会館のお庭訪問。
二人とも「国際文化会館」の存在すら知らなかったので、良くわからず、旧古河庭園のガイドさんの言によれば、「庭が見学のために開放されているわけではなく、レストランやカフェで食事すれば、見ることができる」とのこと。
ということは、国際文化会館でお昼を食べることに決定。

その後、広島Iさんが「俺のシリーズ」のどこかに行きたいと提案してくださり、女性二人だったら、イタリアンやフレンチより、割烹がたくさん種類を食べられそうということになった。
無事、銀座8丁目の「俺の割烹」の予約を広島Iさんが「5時」からで取ってくださった。

そうなると、夜しっかり食べるということは、国際文化会館の食事は、レストランのコース料理ではなく、カフェの方で軽い一品料理の軽食にすることとなった。

とここまでは決まったのだが、だったら、午前中は?ということになり、私の方から、他に何も浮かばないのなら、日暮里で待ち合せて、朝倉彫塑館を案内したいと提案した。

というのは、広島Iさんは、谷中は歩いたことがあるとのことだったが、行った場所を聞くと、朝倉彫塑館がなかったのだ。
私が思うに、谷中散策して、あんな素敵な朝倉彫塑館が抜けるなんて、あり得ないこと。(私の考えではですよ)
ということで、ちょっと強引に朝倉彫塑館を案内した。(後、朝倉彫塑館に行っておけば、二度と谷中に来なくても「見忘れはない」と言えると思うおせっかい<笑>)
私としては、台東区で一番好きな場所なので、趣味の押し付けをしてしまった。

でもね、朝倉彫塑館は、三人展という、「朝倉文夫」とお嬢さんの朝倉摂・響子さんの作品展をしていたのだ。
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悪いけれど、朝倉彫塑館とか庭園美術館とか、その建物と調度品が芸術的に優れている場合、他の作品を並べられると魅力が半減してしまうように思えた。

その上、耐震工事が終わって、今回見に行ったのが二度目なのだが、実は、真ん中の池の庭に置いてある巨大な石の並び方が耐震工事前と変っていて、全く、以前の意味をなしていない池となっていることに気づいてしまった。
その大きな5つの石は、「仁・義・礼・智・信」を表わすものとされ、耐震工事前のパンフには、朝倉文夫が、朝な夕なに、自分を戒めるために見ていたと書いてあった。
しかし、耐震工事で、ま~、やむを得ない事情かとは思うが、どういうわけか、石の並び方が台無しになっていた。(涙)
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(朝倉彫塑館は館内撮影禁止なのだが、屋上だからと画像を撮った)

旧古河庭園のガイドさんが、「戦前、お金持ちは、自分の庭に大きい石を飾ったものだ、それは富の象徴でもあったから」と習ったので、今まで気づかなかったけれど、朝倉文夫さんは、石の美しさに理解もあったのだろうが、著名人の銅像等を手掛けて関係で、お金に恵まれた芸術家であったから、あんな大きな石を5つも谷中のお庭に飾ることができたのだとわかった。

今回良かったのは、いつもは、和館の三階の朝陽の間を見終えた後、一階の玄関近くに戻り、洋館の階段を上がって、洋館の屋上に上がるのだが、今回は、和館の三階から洋館の二階に通じる戸が開けられており、そのまま、洋館の二階に出て、急な外階段を上がって、屋上に行くことができたことくらい。

屋上には家庭菜園を初め、色々な植物が植えられていて、日本風庭園とは全く異なる趣で面白い。
また、上野台地のてっぺんに建てられた三階建ての建物の屋上から周囲が広い範囲で見ることができること、錯覚なのだろうけれど、空が近くに感じられることが楽しかった。

この前に朝倉彫塑館に来た時は確か雨で屋上に出られなかった覚えがある。
家の真ん中の和の庭園がグレードダウンした今、雨が降っていないで、屋上に出て、庭や空を見ることができることにすごく価値を感じた。
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朝倉彫塑館を出た後、山手線で駒込まで出て、南北線に乗り換え、「麻布十番」に行けば良いのだが、日暮里駅に戻るのも知恵がないので、朝倉彫塑館から出た道を真っすぐ歩き、「スイス人がなぜか、お墓とお塔婆のある谷中に、山小屋を建ててしまったの」というシャレースイスミニに案内。
(ここは表通りに建っていたら、絶対的に周囲の景観を壊す建物だけれど、道からちょっと奥まったところに建っているので、どうにか周囲の景観を壊さないで済んでいる。)
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小さな庭を歩いて、建物の中をちらっと見て終わりだったけれど....。
お庭隅の鶏小屋に相変わらず鶏はいなかったけれど、二階建てのうさぎ小屋があったのだが、どうも、うさぎが一匹専用で、一階と二階が結ばれていた。
ハローウィンだから、かぼちゃがあったけれど、こんな大きいかぼちゃ、本物とのこと。
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シャレースイスミニを出て、諏方神社に入り、「ここが、40年くらい前に池波志乃と中尾彬が結婚式を挙げた神社」と紹介、そのまま神社の境内を突き抜けて、崖にある階段を下り、山手線や京浜東北線の下に山手線の線路の中側から外側に通じるトンネルみたいな抜け道を紹介、歩いて出てきた。(こんなもの、わざわざ紹介する必要もないのだけれど、存在自体が面白いので)

そうして、無事、西日暮里駅について、山手線に乗り、駒込駅から、南北線に乗った。
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by mw17mw | 2016-11-01 20:22 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

寛永寺根本中堂と徳川歴代将軍霊廟 特別公開

この土日は2日とも都内各所を有意義に散歩してきた、全て楽しかった。

本来なら、土曜日の行動から話すべきなのだが、そちらは分けると4回にわたってしまうので、短い日曜日の催し物参加の話を先に書く。

8月だったか、台東区の広報で、「寛永寺根本中堂と徳川歴代将軍霊廟 特別公開」の募集を発見、応募したら、当たり、その開催日が昨日の日曜日であった。
実は、数年前も応募したけれど外れてしまった、覚えがある。
その後、1年に一度の募集をすっかり忘れていて、全然応募しなかったのだが、今年はラッキーにも台東区の広報を見た時、その募集が目に入ってきたので、応募し、当たった。
Wikiの寛永寺によると、「通常は一般公開されていないが、5名以上の団体に限り予約制で毎月3日間程度公開されている。また台東区役所が主催する特別公開が毎年秋に1日だけ行われている。」とのことで、団体を組まない限り、一人、二人で徳川家の霊廟をお参り&見学できるのは、この台東区の年に一回の催し物だけのよう。)

台東区役所が募集するけれど、別に台東区民に限るという縛りはないようで、昨日、寛永寺の集合場所に全員集まったところで、台東区民は手を挙げてと言われたが、台東区民でない人も多そうであった。

で、この特別公開の感想を先に言うと、とても良かった。
説明してくださったお坊さんが世襲の若い方だったのだけれど、とても話術が上手だったし、性格が明るそうだった。
(今まで、寛永寺のお坊さんというと、「怖そう」と思ったけれど、この方は、とてもフレンドリー)

ここにだいたいの昨日の記録を書くけれど、建物の外観は撮影可だけれど、根本中堂の中は、寛永寺さんの方針で撮影禁止、徳川の歴代将軍のお墓も、徳川家のプライベートな墓地なので、撮影禁止とのことで、画像が撮れなかったのは残念だけれど、ま、それが常識だろう。(と言いながら、帰ってきてから、ネットで検索すると、お墓の画像なぞ沢山出てくるのでびっくり)
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今は、寛永寺は江戸時代は、上野の山丸ごと寛永寺で、30万5千坪だったところ、徳川幕府の時代が終わって、確か、現在、3万坪の小さなお寺になったとか。(3万坪は墓地を入れて)

今回特別公開への参加人数が80人ということで、二班に分けられ、私は一班、それぞれ、説明のお坊さんの後を付いて行き、説明を聞きながら見学。
「根本中堂集合→葵の間見学→靴を履いて徳川家霊廟→根本中堂の中を自由に見学」とのことだったが、一班は時間の関係で最後の根本中堂の中の見学が端折られてしまったのは残念だけれど、墓地から帰ってきたら、予定の終了時刻を過ぎていたので、致し方ないと思った。

最初に根本中堂にて、寛永寺の歴史や徳川家康の幼少のころからの菩提寺や宗派、昔の上野の山などについて、簡単に説明があった。
寛永寺は、徳川家の菩提寺として有名だけれど、実は、菩提寺として創建されたものではなく、「天海大僧正が、1625年、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため建立」したものとのことで、お坊さんは、「徳川家のお寺というのは間違いで、万民の平和を祈願するためのお寺でありますですので、皆さま、もっと何度でも寛永寺に来てください」と強調されていた。(そうそう寛永寺の創建は、家康の死(1616年)以降)

(そういう話の中で、あんみつのみはしは、店の前に堀があって、そこに三本の橋が架かっていたから、「みはし」というのは有名な話なのだが、その橋は、実は「将軍用」「大名用」「一般市民用」の三つの橋だったそうだ)

まずは、葵の間見学。
根本中堂の横から出て裏手に行くと渡り廊下があり、そこを渡る。
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渡り廊下を渡ったところが「大慈院」
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その中の葵の間は、幕末、徳川慶喜が謹慎をしたという部屋で、八畳くらいの二間続きの和室であった。
ずいぶん手を入れられているのだろう、古い感じがなく、新しいきれいな部屋であった、しかし、八畳二間程度という空間の狭さが、徳川将軍のいる場所にふさわしくないことだけは良く分かった。
やはり、江戸から明治に代わるとき、「大政奉還」をしているのに、官軍からの徳川幕府への攻撃は相当に執拗であったとのこと。

葵の間見学の後、本堂の方に戻って、靴を履いて、墓地の方へ。
墓地のところに古そうな立派な門があったけれど、何でも、上野の山が戦場になった戊辰戦争の時でも、古くからの徳川家墓地の施設は被害を受けなかったのに、第二次世界大戦の空襲では相当の痛手を受け、殆ど建物は焼けてしまい、残ったのはその赤い門だけとのこと。
(その近くに、徳川家が法要を上げるための建物もあったが、それは、戦後の建て直しとのこと)

この赤い門は、江戸時代のもので、戦災に負けずに残ったものとのこと。(ここから先、撮影は不許可)
当然と言っては当然なのだけれど、ここから先は墓地であるので、電線、電信柱、柵等全然ないのだ、そこも魅力。
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ここの石垣もそうだと思うのだが、明治以降、勝海舟は、徳川の墓所が荒らされないようにと、墓所の周囲に石垣の塀を巡らせたとのこと。
(勝海舟って、本当に、幕臣で、徳川家のことを第一に考えた一生だったのだろう)
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そんなことを聞きながら、最初には、徳川綱吉さんのお墓へ向かった。
徳川家の墓地はもちろん広くて、全体の配置はわからないけれど、樹木がたくさんの雑木林の中に、6つの将軍の墓地は点在しているのだと思う、。
私の勝手な感想だが、その雑木林は、江戸時代から続く上野の森の自然を残しているのではと思わせる雰囲気、表側の上野の公演だって、樹木がたくさんあるのだけれど、公園として、整備しているから、やはり、本当の自然ではない感じ。
今まで、不忍池に面している斜面(精養軒の裏の方)が一番上野の山の自然が残っていると聞いていたが、この徳川さんの霊廟には負ける気がする。
しかし、そこが雑木林のようと言っても、徳川の将軍の霊廟だから、道はきれいに確保されているし、ゴミや枯れ葉なぞは掃除されており、手入れの行き届きながらも、鬱蒼とした雑木林のようでとても良かった。
(ただ、惜しむらくは、少しは離れているが、上野の山の斜面の下の方を、JRの電車が走っているので、遠くの電車の音がうるさい。しかし、これが、徳川幕府が負けたということだろうなとも思う。もし、勝っていれば、墓地の近くに電車の線路を引かなかっただろう)

寛永寺には、6人の将軍のお墓があるとのことだったが、今回は、綱吉・吉宗家定(篤姫の夫)と篤姫のお墓を案内してくれた。
その他、徳川慶喜は15代目で、大政奉還をして、徳川宗家の家督を養子に譲った。
その後、徳川宗家は、存続し、現在は、18代目とのこと。
そうして、谷中の墓地には、徳川さんの16代、17代の方のお墓もあり、案内してくださった。(江戸時代は、最初は、増上寺だけが徳川さんの菩提寺であり、寛永寺は、祈祷所の位置づけだったとのこと。しかし、4、5代の将軍が「寛永寺に埋葬を」と遺言を残して、それが実行されたが、6代目以降は、葬儀や埋める場所に関する遺言は公表されず、交互に増上寺と寛永寺に葬られるようになったとのこと)

また、綱吉・吉宗さんのお墓は、単独であり、正室のお墓も谷中の墓地にはあるのだけれど、将軍とは全く別の場所とのこと、江戸時代、夫婦で並んでお墓が作られることはなかったらしい。
ただ、大河ドラマで人気であった篤姫は、亡くなったのが明治時代ということ、江戸から明治の激動の時期に、徳川宗家を残すために並々ならぬ努力をしたとのことで、家定さんと並んだところに、お墓を作られることが許されたとのこと。

お坊さんの話によると、将軍が亡くなられたときの埋葬方法なぞはトップシークレットで、誰も見たこともないし、寛永寺の場合、お墓自体は、戦争で損傷されなかったので、開けたことがないのだけれど、増上寺は、太平洋戦争で被害を受けたことなどがあり、他の場所への改葬が行われ、徳川将軍の墓を開けて整理したことがあり、その時の記録によると、古文書に書かれていた通りの姿で埋葬されていたとのこと。
(何でも、将軍の亡きがらは、衣冠束帯のいでたちで、あぐらというか、足の裏を合わせた座り方で、江戸城の方を向いて座っているとのこと。篤姫さんも、十二単を着ているとのこと。<座り方の説明はなかった。>)
それは、テレビで見たことがあった、将軍は死しても、江戸を守るのだと。
テレビの篤姫で、確か、家定が危篤状態から、篤姫は家定に会えなくなり、亡くなってから相当後になって、確か、昔風の木の家庭用の縦長の湯船みたいな形の棺桶と対面したのが今生の別れとして描かれていたと覚えている。
あ~いう棺桶の中で、正装で座らされているのだと思い、やはり、将軍というのは、死しても、横になることを許されず、永久に「世の中を守るトップリーダー」の役割を捨てられないのだと思った。

しかし、徳川家とのお付き合いが長い寛永寺のお坊さんから、色々な将軍たちのエピソードを聞くのはとてもためになったし、巷では、有能な将軍、無能な将軍と色々に評価されるが、どの人の一生も全て大変だったろうな、その上、死んだ後も、衣冠束帯で座った姿勢で江戸の街を守るのだから、偉い人(将軍)に生まれついたら、本当に死んだ後も将軍なのだ、有能だろうと無能だろうと、どの人の人生も大変だったろうなと思った。(笑)

その後1班、2班が揃った後、案内してくださったお坊さんにお礼を言って、解散。
実は、寛永寺に行く途中で、芸大美術館で、「驚きの明治工芸」展ポスターを見て、「あ、見るのを忘れていた」ことを思い出した。
それがその日が最終日、また、寛永寺の特別公開が予定通り3時半で終われば、楽勝と思ったのに、実際に解散した時間が4時ちょっと前、美術館は5時までなので、慌てて、お寺の写真を撮り、急ぎ足で芸大美術館に向かったら、何とか展覧会に入ることができた。
テレビでよく取り上げられる明治工芸を集めた清水三年坂美術館程、華やかなものはなかったが、本当に細かい仕事がきちっとされた作品ばかりであった。(製作者の名前はあったが、現在誰が所有しているかが書いてなくてつまらなかった)
「昔の人は、良くこんな細かい仕事ができる」と驚き。

という充実の日曜日の午後、何も飲まずに、お墓巡りや美術館の展示巡りをしたら、喉が渇いて、最後、湯島のマンマミアでジェラートを食べて家路についた。

私としては、徳川家を尊敬できる人には、とてもお勧めの特別公開と思う。
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by mw17mw | 2016-10-31 17:43 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

中央区新川フラフラ

そうそう、人間、いつ何時どうなるのかわからないという悲しい実例を。
去年の12月まで、家の近所のグラフィックデザインの事務所に勤務するグラフィックデザイナーの40代前半くらいの男性が、母の時代からずっと、毎朝、自動車で事務所に来るとき、通り道にある我が家でたばこを1つずつ買ってくれていたのだ。(主には、商品カタログを作る事務所)
それが、突然、全然来なくなって、「どうしたのだろう?」と思っていたのだ。
2,3週間して、説明に来てくれ、何でも、住まいの近所で、ひどい怪我を負った野良ネコを発見、病院に連れて行こうと抱き上げようとしたとき、野良猫だから知らない人に捕まえられそうになって、必死に抵抗したのか、その手負いの猫に手を噛まれてしまい、その後、そこが膿んでしまったとのこと。
お医者さんに行ったら、そこから黴菌が入って、指を切除したほうが良いかもと言われ、自動車の運転もできなくなり、手術を控えてたばこは厳禁になったそう。
それでも、手術までまだ時間があり、何度か治療に通う内、少しは良くなったようで、指を切ることは免れたと聞いていた。
指は切らなかったけれど、何かの手術をして、それはうまく行き、完全ではないけれど、そこそこ治ったらしい。
その後、自動車の運転は再開できるようになったけれど、完全に指の機能が戻っていないからとたばこは禁煙のままとなって、毎朝、ちょっとお話していたそのお客さんとはほとんど話すことはなくなってしまった。(気持ちとしてはお友達だったのだ)
それでも、偶然、お祭りの頃、道で会ったので、その後のことを聞いたら、半年たったけれど、猫に噛まれる前の状態には完全に戻れないと笑いながら落ち着いて言っていた。

そうして、最近、その人がいつも自動車を停めておく場所に自動車がないことが多かったので、その人の会社の人に、「最近、彼は自動車通勤をやめたのですか?」と聞いたら、「猫に噛まれて以来、思うように指が動かなくて、1年近く経った今でも、カメラのシャッターが思うように切れないからと、とうとう会社をやめてしまった」とのこと、うぇ~、何て可哀そう。
気持ちの優しい人だから、道で出会ったひどい怪我をした猫を見捨てられずに、ついお医者さんにと思ったことから、長い間続けてきた仕事を失うなんて...絶句。
その人は、社長に後継ぎがいないため、事務所の将来を託されていた人だったのだ、一人だけではない皆の人生が狂ってしまった。
怪我をした野良猫、やはり、触らない方が良いというか、シロウトが捕まえてお医者さんに連れて行けないものらしい。
また、猫から移される黴菌、今の医療水準でも、完全に治せないものもあると知った。

−−−本題です−−−

今日はあいにくつめたい雨が降り出したけれど、何せ、そろそろ本格的、「観光の秋」。
明日から、結構遊ぶ話が入っているので、今まで書き損じていた「都内見物」の話を書く。

9月の中旬に、ハゲさんと新川の灯の番に行ってから、新川が気になり、ある土曜日、自転車で走り抜けてきた。
そうして、1,2週間前だったか、「じゅん散歩」という番組で、新川を特集していて、それを見て知った知識と合わせて書く。

箱崎の方から新川(霊岸島)に入り、永代通りを永代橋の方まで走ったら、隅田川に面した先端は、緑の公園になっていた。
下の地図は、北が左なのでわかりにくいが、新川から隅田川や江東区を見る位置に立っている地図と思うとわかりやすい。
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(この地図を見ると、新川が水に囲まれているから、埋め立て地とわかりやすいが、古地図や明治・大正・昭和の地図を見ると、新川だけでなく、日本橋の相当の地域に運河が巡らされており、徳川家康が江戸に出たとき、「日比谷の方からずっと浅瀬の海であった」とか言われているけれど、東京駅から先は皆埋め立て地に違いないと思える)

新川って、八丁堀の方から入ってくると、建物だらけだけれど、先端だけは、完全に新しく開発されたウォーターフロントというたたずまいで、住居としての環境が良さそうになる、また、実際にこの景色を一望できる高層マンションがあったのだ。
一瞬、この景色を毎日見られるのなら、これは素敵と思った。
下の画像は、隅田川越しに対岸の江東区を見たところ。
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その公園越しに右側を見ると、隣は橋で結ばれた佃島で、たくさんの高層マンション群が見えて、これも良い景色。
(あ、そうそう、我が家がビルになったとき、6Fから南側を見ると、佃島のマンションのてっぺんが見えたっけ)
今まで、ウォーターフロントの景色というと、豊洲とか品川とか、我が家から遠いところまで行かなくては味わえないと思っていたが、新川や佃島の突端から隅田川に向けても開発されているのだと知った。
で、この隅田川沿いの緑の細長い公園は、「新川公園」という名前であった、一番川に近い道を走りたかったが、自転車は入れなかったのが残念。
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余りいい加減なことは書けないのだが、どうも、この先端部分は、新川の東側の隅田川に面した部分は、越前福井藩の中屋敷の跡かしらね?

その後、多分、「八重洲通り」というのか、東京駅の鍛冶橋に繋がる通りを通った後、新川の真ん中の方も走ってみた。

オフィス街だから、飲食店はそこそこあるみたいなのだが、こういう古い土地ならではの「寂れた商店街の跡」が全くないのだ。
こうなると、もしかしたら、新川って、本当に主に倉庫街で、ずっと長い間、余り人が住んでいなかった地域ではないかと思わないでもない。(少しは町民が住んでいたとしても、皆、八丁堀に近い方だったろうし、一応、八丁堀の方に出れば、お店は揃っていただろうし)
テレビでも、明治以降は、酒問屋の倉庫ばかりだったというし。
そうして、スーパーもちょっとはあるみたいだけれど、この新川に引っ越してきたら、本当に買い物が大変そう。
あのウォーターフロントの高層マンション、素敵だけれど、私みたいな町育ちには絶対無理だと思う。
自動車と免許を持って一週間に一度くらい買い出しに行って暮らすか、生協とかで、日常品を調達するしかないもの。

その他、Wikiにも書いてあったけれど、明治22年から昭和の初めまで霊岸島汽船発着所が置かれて房総、伊豆半島、大島、八丈島などへの海上航路が栄えたとのこと、その後、竹芝桟橋に移ったのかな?

その他、新川というと、新川デリーとか、津々井といいう洋食屋さんが有名で前を通ってみたが、新川のデリーは結構奥地にあり、普通には行きにくい場所、残念ながら、お休みで掃除中であった。
津々井さんは、八丁堀から橋を渡ってすぐのところにあるが、土日は、平日とメニューが異なり、高めであった。
その他、じゅん散歩で、「翠江堂」という和菓子屋さんが紹介されていた、何でも、「いちご大福」の名店で、一年中、いちご大福を作っているとか、ここは、今度行ったときに買ってみたい。

さて、このくらいの情報しか得られず、新川を出て橋を渡ったら、「伊達志めビル」を発見。
一番上に、「伊達志め本舗」と書いてあった。
もしかして、「伊達じめ、伊達じめ」とか簡単に言うけれど、この会社が昔は一手に作っていたのかなとか想像できたが、本当かどうか。
でも、2Fのテナントが「伊達総合法律事務所」だから、本当に、伊達さんが発明したから「伊達志め」というのかも知れない。
(私は伊達しめって、仙台の伊達藩が関係しているのかも思っていた)
何だか、ここにきて、古い東京を想像できるものに出会えた。

また、そのうち、新川を巡ってみよう。
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by mw17mw | 2016-10-28 16:54 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

東京都庭園美術館−「アールデコの花弁 旧朝香宮邸の室内空間」

3月に、初めて庭園美術館に行ったとき、本館全体にガレの作品が並べられ、旧朝香宮邸というアールデコ建築を見て回る環境ではなかったのだ。
私は、ここに行こうと決めたとき、この美術館のアプリがあるということで、ダウンロードして、予習したらば、建物のアールデコ調の装飾について詳しい説明ばかりだったので、気持ちとしては、建物を見に行ったのにと、ガレの何百という作品が前面に並べられていてとても不満であった。(ガレが好きな人は良かったかも知れないが)
それで、後日美術館に電話で、「建物を見ることができる展覧会はないのか」を尋ねたら、9月過ぎに、全面的ではないけれど、旧朝香宮邸にライトを当てた展覧会があるとのこと。
で、9月近くになって、庭園美術館のページを開けたら、確かに「アールデコの花弁 旧朝香宮邸の室内空間」という展覧会が行われるとのこと。
それも、土日祭日以外は、室内の写真を撮ることが許可されるとのこと。
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それで、色々考えて、平日、半日お店を閉めても大丈夫な時に、行って来てしまった。
どうして、「平日に行って、写真を撮りたかったのか」というと、自分のブログに掲載できるからなのだけれど、実際に色々な画像を撮ったら、全部載せたくなってしまって、選べなくなってしまった。

ということで、少しは混んでいるのだろうが、平日に行かなくても、土日祭日写真を我慢して行っても、楽しいと思う。

アールデコ建築というものに私は疎いから、何も説明できないので、色々調べてみた。
「アールデコ建築 日本」で検索したら、【東京近郊】一度はちゃんと見ておいたほうがいいアール・デコ建築まとめというページが出てきたが、これの一番上に旧朝香宮邸が出てくるし、それに続くアールデコ建築は、ホテルやデパート・公共施設なぞの大きな建築物ばかり。
(その中に氷川丸を発見、氷川丸って、小学校の遠足で見学に行った覚えがあるが、あの船がアールデコ調の装飾だったなんて、全然覚えていない、勿体ない、行くのが早過ぎた。)

旧朝香宮邸は、その点、一宮家の私邸であるせいか、そんなに広くはなく、各部屋全て凝りに凝っている、何ていうか、アールデコの美しさが凝縮されている感じなのだ。
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勿論どの建物も予算があって、朝香宮邸程お金を使えなかったのかも知れない、この旧朝香宮邸は、多分、戦前の宮内庁の予算で建てられたのではと思う、それに戦前の宮家だもの、全部好きに作れたのかも知れない。
そうして、公人として人を迎えたり、もてなす一階のデザインは、「フランスのアンリ・ラパン」というアールデコの一人者が引き受け、二階の宮家のプライベートルームのデザインは、日本人の宮内省内匠寮(たくみりょう)という人たちが請け負ったとのこと。(建物や庭全体の土木・設計もこの人たち)

その1階と2階の感性の違いも楽しい。
1階はあくまで華やかでゴージャス、2階は、1階のアールデコ調の感性を受け継ぎながらも、和風の模様との融合に成功している。

どこまでも、細かく、シャンデリアやラジエターや暖炉の鉄製のカバーの模様はすべての部屋ですべて違うし、どこまで凝るのだという素晴らしさ。

何ていう私の説明はどうでも良いけれど、この秋の「旧朝香宮邸」を詳しく見ることのできる展覧会はお勧め。
昨年は、7月から9月にかけて、「アール・デコの邸宅美術館 建築をみる2015 + ART DECO COLLECTORS」という展覧会、一昨年は、「アーキテクツ/1933/Shirokane」が催されたようだし、今年見損なっても今後も毎年秋にあるかも知れない。

でも、本当にお勧め。
【建物萌の世界】第14回 世界遺産級!? 東洋一のアール・デコ建築が画像もきれいだし、参考になる。

平日に行ったせいか、見に来ている人は少なくなかったが、混んでいるという程ではなくて、良かった。
また、この庭園美術館に、結構、白人系の外国人が見に来ていたのだが、係りの人に「外国人が結構見に来るのですね?」と聞いたら、最近、とみに増えたのですって。トリップアドバイザーとかの関係かしらね?

ところで、この旧朝香宮邸は、広大な日本庭園の部分が「整備中」で立ち入り禁止。
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早く整備してくれないと、私は足が弱って見に来れないではないかと思い、切符売り場の人に聞いたら、「私たちにもまだ「いつ」というアナウンスはないのです。来年中はないと思います」とのこと。
来年は我慢するから、その次の年くらい、是非、公開してほしい。(嘘ではなく、歩けなくなってしまうかも知れないので)

そうそう、お勉強のためなら、ビデオ室みたいなものがあって、私が覗いたときには観客0で英語のDVDが放送されていた、それをボケっと見ていたら、係りの人が気づいて、日本語のものに変えてくれた。
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by mw17mw | 2016-10-26 16:16 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

播磨坂を上って小石川4丁目バス停へ

播磨坂のほぼ一番下まで来たので、信号を渡り、morizumiの方に行き、そこでラーメンを食べた後、今度は、坂の反対側を上って戻った。
(坂までが、住宅地域で、坂下からは、印刷関係や紙関係の工場が多い。そうそう、共同印刷という大きな印刷工場もある)

まず、目に付いたのが「モリッツ・グロスマン」というドイツの時計屋さん
アド街では、その本社のある「グラスヒュッテ」というところと播磨坂が似ているから、ここに支店ができたとのこと。
外から見ても、とても高級感があって素敵だが、それもそのはず、全て人間の手による組み立てで、時計1つで3百万円以上とのこと、やはり、敷居が高い。
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次に目に付いたのが、パークタワー小石川。
これは完成してから、もう、2,30年経っているかも。
播磨坂から見ると、大したことはない普通の高層マンションなのだが、家に帰ってから思い出した、そうだ、いつぞや、小石川七福神巡りで、このマンションの裏から、庭のようなところに行ったら、「極楽水」だったのだ。(極楽水がどんなものか覚えていない)
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これがそのお正月の小石川七福神巡りの時に撮ったパークタワーの裏の方。
もしかしたら、お正月しか開放されていない可能性もあるのだが、「さすが、超高級マンション」と思えるとても素敵な散歩道であった。
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次に目に付いたのが、素敵でおしゃれな外観のケーキ屋さんんの「パティセリー レセンシェル」、中でもイートインできるみたいだけれど、ドリップコーヒーが700円は、強気。(と思うのは台東区民の感覚かも。小石川界隈なら、そうでもないのかも)
食べログ読んだら、パリのサダハルアオキなどで修業してきたパティシエさんのお店らしい。
シューアラクレームが330円とのことで、今度、それでも食べてみようかな?
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次は、何と麦とろ屋さん。そういえば、morizumiというラーメン屋さんのすぐそばに「いろは寿司」さんもあり、この2軒だけが、昭和の香り。
麦とろ屋さんの名前は、何と、多摩山荘だって。
1979年からのお店のことだが、初めてその存在に気づいた。
HPを見ても美味しそうだが、土日祭日休みとのこと、中々行けそうもない。
(HPのなりたちを読んだら、昭和54年に青山にあった多摩山荘という麦とろ屋さんに仕込んでもらったと書いてあり、その頃、青山に麦とろ屋さんがあったのだと驚くけれど、裏通りならありそう?)
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イタリア料理「タンタ ローバ」
ここも人気があって、お店の前に出された席まで満員。
ヤングアダルトという世代のカップルが多い、皆、ここら辺の人かしらね?
土日祭日はランチは1620円から。
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ここまで来たら、お店はなくなり、春日通りに出たので、左に曲がる。
その左の曲がり角は、今はオフィスビルなのだが、私が小石川に住んでいた頃、「イエスタデイ」というファミレスだった。
目新しく、台東区にはない感覚のファミレスだったので、2,3回、近所の友人と食べに行ったが、ただ広いファミレスで、メニューも沢山あったが、全て大味で美味しくなかった記憶がある。
その跡地のオフィスビルをサントクの方に向かったら、「カフェ ベイス」があった。
お店のHPを見ると、コーヒー300円だから、ごく普通の散歩だったら、このお店で十分。(笑)
また、この場所では行きづらいが、モーニングが安くて良い感じ。
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そこをもうちょっと進むと、「オー・パン・グルマン」というパン屋さんがあった、食べログの口コミを読むと、ファンが多そう。
ここは、昔、まだ駒込にはあるカドという昔風のケーキ屋さんだったと思う、ずいぶん長い間というか、少なくとも40年くらいここにカドさんがあったと思う、それが知らない間に閉店してしまっていたのだ。
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こちらは、以前、一時期ではあったが、本郷のファイアーハウスというハンバーガー屋さんのデリバリー部門だったのだが、やはり、本店と離れているのはやりにくかったのか、ここがなくなって、本郷の裏通りにデリバリー店ができていた。
その後は、「キノーズ」というサンドイッチ屋さん
正式名が「キノーズ・マンハッタン・ニューヨーク」なんて、格好良い。
一度入ってみたい。(このお店は、春日通の本郷3丁目の交差点近くにあったのが、小石川に引っ越してきたみたい、本郷の頃もその存在に全然気づいていなかった。)
このお店のHPの「デリバリーエリアご注文最低金額一覧」を見ると面白い、東京23区のすべての町名、細かいところでは何丁目まで、デリバリーの最低金額が設定してある。一応23区内ならどこでもデリバリーしてくれるみたい。(我が家には5千円買えば、届けてくれるみたい)
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その先に、サントクの手前にお金持ち御用達の「丸赤」があり、春日通を挟んだ反対側には、ポルシェの「pre-owned car center」があり、その横には、レクサスのディーラーのビルがあるのだが、十年くらい前までは、ごく普通の個人のビルが建っていた。
そこのビルの持ち主の一人が、ネットを通じて、MLで情報交換していたのだが、ある日、「引っ越すことになった」とのこと、詳しい話は聞かなかったが、その後、その人のビルは壊され、ポルシェやレクサスのビルに作り直された。
昔は、春日通り沿線と言っても、個人が住んでいる場所だったのにね。
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播磨坂とかに行く場合、丸の内線茗荷谷から歩くのも良いけれど、大塚駅と錦糸町を結ぶ都02というバスが近くて便利。
サントクの前の「小石川四丁目」という停留所が近い。(御徒町駅とか、都営三田線の春日駅に連絡している)
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by mw17mw | 2016-10-25 16:55 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

茗荷谷駅から播磨坂に出て下る

茗荷谷駅から、春日通りを渡り、播磨坂の方に進んだのだが、以前から、知っているようで、実はわかっていない「一幸庵」という和菓子屋さんを探そうと思った。

一幸庵って、以前からよくテレビや雑誌に取り上げられたし、極めつけは、今年の2月14日に「情熱大陸」で密着ドキュメンタリーが放送された。(この記事も参考になる)
ご主人はごく普通の和菓子も作るほか、創作の和菓子にも情熱を注がれていて、大人気らしい。
テレビに出てくるたびに、「あ、場所わかる」と思っていたのだが、お墓参りに行くバスの窓から確認すると、それは、三原堂という和菓子屋であったのだ。
今回は、電波が通じているスマホがあるので、検索してたどり着いたのだが、もう1つ先の路地を曲がった 左側にあった。
結局、三原堂と一幸庵は、同じブロックにあってお互いそっぽを向いている位置関係のよう。(笑)
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(三原堂のある路地も、この一幸庵のある路地もその先には、緑がこんもり見えるのだが、そこは小石川テニスコートで、確か、庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」の一番最初に出てくるテニスコートはここだと聞いている。)
入って買って帰ろうとも思ったが、その日は家に帰っても結構やることがあって、ゆっくり和菓子という感じでもなかったし、また、全く予備知識がないまま、初めての高そうな和菓子屋に入る気も起きなかったので、今回は見送った。
でも、そのうち、買って味わいたい。
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そのままサントクの方に進むと、すぐ播磨坂。
その手前に、袋物屋さんやおしゃれな小物やさんみたいなお店があった。(袋物屋さんは、蔵前の方が安い感じ)

播磨坂は、ものすごく幅の広い坂道で、最近はおしゃれなお店も増え、確かに人気がある。
でも、播磨坂について、地元民ぽい紹介をするとしたら、このブログの記事が良いと思う。
そう、播磨坂って、確か戦前だったかの環状三号線を通す計画の下、ここだけ、区画整理が済んだ時に、計画が立ち消えになってしまい、この坂だけが周囲に比べて立派な道路になってしまったのだ。
で、その坂の真ん中の土地に地元民が桜を植えて、桜の名所になったと聞いている。

桜の季節はまた別だけれど、桜ではない季節に歩くと、ちょっと木々が美しい白金高輪のプラチナ通りに似ているかもと思う。
あそこまでおしゃれではないけれど、緑が多くて、交通量の多い表通りからちょっと外れていてゆっくり散歩できる道という感じが。
というか、東京東半分で、プラチナ通りに張れる通りはここだけかも知れない。
名前が「播磨坂」というのは、人によっては、古い感じがするかも知れないが、そこがまた、歴史の古い文京区らしくて良いかも。
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確かに前を遮るものはないし、段々マンションが建てられて行って、確か私が若い頃には、「人気のあった漫画家のはらたいらが住んでいるから、高級」なマンションばかりと言われていた。
そのうち、30年以上前か、タワーマンションが建つ話が持ち上がって、反対の住民運動があったのか、とても注目された記憶がある。
ま、どちらにしろ、周囲には、教育大付属や学芸大付属にお茶大付属の学校があるのだから、教育ママには人気の地域。

でも、30年くらい前は、播磨坂に面して、昔風のただ広い土間の八百屋さんが野菜やきんぴら用に切ったごぼうやニンジンを水に入れて売っていたりもして、必ずしも、オシャレというイメージはなかったし、庶民的な感じであった。(商業的には遅れた地域というイメージであった。でも、近くにサントクという大きなスーパーがあるので買い物はそこで賄える)
でも、今、改めて、坂を歩くと、大きなマンションが増えるに連れ、そういう個人のお店なぞ、殆どなくなってしまった感じ。

曲がって程なく見えてきたのは、中勢以というお肉屋さん。
元々は京都のお肉屋さんで、東京では、田園調布に本店があって、その支店が播磨坂ということで、またまた、播磨坂の価値があるのかも。
買わないから、外から見ただけだが、美味しそうで、高そうなお肉が並んでいた。
なんでも、お肉屋さんの名前が「中勢以 北店」で、レストランが「中勢以 内店」という名前のよう。
また、土日祭日だけ、ランチ営業があるみたい。
お肉だけでも、中のレストランで食べても相当の価格のよう、一生行けないかも。(笑)
(ランチでも、基本3千円+お店で選んだお肉の価格×1.3とのこと)
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そこを通り過ぎてフラフラ歩いて行くと、お店の中からワイワイという音が聞こえそうなイタリアンの店が出てきた、「ペッシェ」という名前。
お店の中を覗くと良い感じ、でも、家族連れ、カップルが多くて、カウンターの一人席がないようで、私のような一人散歩客には入りにくそう。
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そこをまたもうちょっと行くと、ちょっと路地の方に入ったところに、お菓子屋さんを発見、ドルチェリーア エゴーという名前。
スタイリッシュというより、家族で経営していそうな温かい感じがしたけれど、家に帰って食べログを読むと「高い」と書いてあって、残念。(笑)
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まだ、入ったことのないお店ばかりで評価できないけれど、播磨坂って、本当に緩くて、距離も程々の坂で歩きやすいし、時々、お店が出てくるので、好奇心で見ていると楽しい。
何かすごいお店があるわけでもないのだけれど、フラフラ散歩するのに、ちょうど良い。
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by mw17mw | 2016-10-24 22:38 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

南千住 LaLaテラス界隈にホームセンター

(以下、回っているときに記事にすると思わなかったので、画像がありません、リンク先を見てください)

三連休の最終日、東浅草に仕入れに行く用があり、それだけではつまらないので、南千住のLaLaテラスに素早く行ける道を探したのだ、そうしたら、あった!こんなに東浅草と南千住が近いとは思わなかった。

ということで、何年振りだろう、う~ん、1年以上行っていないと思うのだけれど、LaLaテラスの中の角上魚類とダイソーをチェックしたく行ってみた。

まず、その変化に驚いたのは、LaLaテラスの駐輪場が無料から、2時間まで無料に変わっていたこと。
また、LaLaテラスの一階は以前何のお店だっけ?レンタルビデオ屋さん?
そこが、西松屋に代わっていて、二階には、ユニクロ・しまむらがあるから、安い洋服が揃っているところになっていた。

その次に、向かい側に「ロイヤルホームセンター」という巨大できれいなホームセンターができていたこと。
うわ~、ダイソーの大型店舗に角上魚類とユニクロがあって、向かいがホームセンターなんて、無敵に近いショッピングゾーンではないか。

と言いながら、まずは、角上魚類へ。
生筋子を見に行ったのだが、こちらは、100g600円、おまけに、「卵ほぐします」というサービスをやっているみたい。
へ~、筋子をほぐすサービスって初めて見た、あれ、自分で作業したほうが面白いのに、でも、忙しい人はここでやってもらうのが良いかも。
で、こちらでは、生筋子と言わずに生鮭子と言っているみたいで、そのほぐし方のちらしが置いてあったので、もらってきた。
そのちらしでは、お湯は45度で、お湯に入れる塩は、5%とのこと。
塩湯に浸けること2,3分で取り出し、こちらは、粗めの餅網の上で卵をぐるぐる手で軽く押し回して、卵を膜から離し、餅網の下に落としていくやり方。
最後、何度か水を替えて、白い膜等を取り除いて行って、ざるにあげる。

以前私が紹介したやり方と、餅網を使うか、菜箸を使うかの違いだけみたい。

で、結局、買わなかったのだが、見落としかも知れないけれど、角上魚類にサンマが並んでいないような気がした。

次に2階の大きなダイソーに行ったけれど、中くらいのダイソー(浅草ROX)には置いていないものが結構あって、満足。
やはり、ダイソーに行くのなら、巨大店が良いなと思った。(というか、たまに巨大店に行かねばね)

洋服は興味がなかったので、向かいのホームセンターに行ってみる、今年の5月にできたみたい。
なんでも、ロイヤルホームセンターは、大和ハウス工業系のホームセンターとのことで、清澄白河のコーナンや田舎にあるホームセンターとは趣が異なり、田舎っぽくなく、おしゃれな作りのお店の中に、おしゃれっぽいものがたくさん並んでいる感じ。
勿論、ホームセンターだから、プロの大工さんしか使わないような資材も並んでおり、ホームセンターであることを感じさせるが、全体、都会っぽいのだ。
3階建てで、二階は、キッチン用品がたくさん並んでいて、もしかして、今、私のチャリンコ移動範囲の中で、キッチン用品が一か所にこれだけ並んでいるのは、ここではないかという気になった。(そのくらい広い)
三階に行ってみると、ペット用品が並んでいるけれど、お犬様の洋服もこれでもかというくらいぶら下げてあるのが圧巻。

何だかな、同じキッチン用品、ペット用品でも、コーナンとは品物の揃え方が違うという感じ。

この南千住のLaLaポートの周囲の開発は、ホームセンターができたことで一歩使いやすくはなった。
無理かも知れないけれど、あと、ニトリができたら、無敵なショッピングゾーンになるのにね。
何だかね、我が家の近所でこれくらい広い土地があるなんて南千住くらいだろうけれど、こういう繁華街ではない南千住にできた大型ショッピングゾーンの風景を見てしまうと、上野や浅草、多慶屋に買い物に来る人が減っているのも仕方ない気がする。

ホームセンターは実は田舎っぽい方が好きなので、今後も清澄白河のコーナンにも行くけれど、この南千住のショッピングゾーンにも、今後たまに行きたい。(仕入れのついでに簡単に行けることがわかったし)
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by mw17mw | 2016-10-12 17:18 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

駒込駅から飛鳥山まで3/3 飛鳥山の渋沢史料館等

書き忘れたけれど、旧古河庭園に行こうと思ったら、山手線の駒込駅より、京浜東北の上中里駅の方が近い。
実は、旧古河庭園の後、平塚神社や滝野川公園を通り、上中里駅まで行きたかったのだが、時間の関係で割愛。
平塚神社や滝野川公園は行ったことないので一度足を踏み入れたかった。
上中里駅前は何度か通ったことがある。
その頃から建て替えが行われていなければ、この駅は本当に都内の駅という感じがしなくて、周囲にお店が殆どなく、枯れ葉が似合う郊外の住宅街の中の駅みたいな雰囲気があって、私は好き。(都会ぽくないという点では鶯谷駅に並ぶ)

さて、旧古河庭園を出て、本郷通りを飛鳥山・王子方面に歩くと、昔の大蔵省造幣局の大きな印刷工場が出現。
今は、「国立印刷局東京工場」というらしい、ずっと以前だが、大学入試の試験問題の漏洩があったのはここだっけ?
その前を通っていくと、すぐに南北線の西ヶ原駅の入口があった。
帰りはここから帰ろうと話しながら、まだまだ先に進む。
旧古河庭園から飛鳥山は想像していたより距離があった。(駒込駅から旧古河庭園と同じくらいの距離かも。でも、歩いたことがない道路だったので、余計遠くに感じた。)

何とか文庫とか、わけのわからない題名の建物が何かも全然わからないまま、それを目指したわけだが、程なくして、緑がこんもりした地域が出てきて、きっとここが「飛鳥山」の端っこなのだろうということは想像がついた、ほとんどが駐車場。
それを横目に見ながら、ずんずん進むと、駐車場が終わり、中に入る入口があって、「飛鳥山3つの博物館入口」とかなんとか書いてあり、その下に行きたい「渋沢史料館」や「晩香廬(ばんこうろ)」、「青淵文庫(せいえんぶんこ)」なぞの名前があったので、そこから中に入った。
庭の高い木々の向こうに建物が見えた。
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地図を見ながら、最初に目に入った建物の方に向かったら、そこは、「青淵文庫」であり、入口に、「15時45分閉園」と書いてあったかな?
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私たちが入った時はまだ内部の照明がついていたので、ステンドグラスが映えてもっときれいだった。

私と広島Iさんが青淵文庫に滑り込んだのは、閉園5分前。
なんだなんだ、こういう施設が5時までではなく、15時45分に閉まるなんて、ひどい!とか言いたくなった。
そして、入ってみると、表から見るより小さく、主な部屋は、応接間だけという感じであった。
表から見ると、平屋だけれど、奥まった方は二階もあるようだが、階段に公開していない旨が書かれていたので、すぐに見終えることができた。
そうしたら、係りのお姉さんが「晩香廬も急げば何とか見ることができます」とのことだったので、急ぎ足で、向かい側にある平屋建ての建物がそれらしかったので、またまた、滑り込む。

これも小さな建物で、中に入って、ざっと見て、とにかく、足を踏み入れたという証拠を作ってきたみたい。(笑)
こちらの方も、メインは応接間で、中の内装が殆ど茶色い木で山小屋風、落ち着く感じ。
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両方とも私を含めて慌てて見に入ったお客が出ると、建物から電気が消えた。

渋沢栄一さんは、明治・大正時代の実業の世界での成功者、その晩年を過ごした飛鳥山の環境は本当に素敵であった。
一度は散歩に行くと良いと思う。

で、入ってきたところを戻り、奥に進むと、今度は大きくて立派、しかも現代的建築の渋沢史料館があった。
ここは、4時半まで入館できて、閉館は、5時のよう。
そうして、ここもその日無料。
広島Iさんが切符の自動販売機を見たら、この3館(紙の博物館とか飛鳥山博物館)を見る共通券は、720円とのこと。
(渋沢史料館1館での入場料はよくわからなかったが、同じ敷地にある青淵文庫や晩香廬もその料金で一緒に見られるみたい)

都民の日は、10月1日で、大抵は平日なので、恩恵を受けるのは、学校がお休みになる高校生までであった。大人になってからは、恩恵は皆無。どうせなら、都民の日を10月1日ではなく、10月第一土曜日にしてくれたら、成人は恩恵を蒙れるのにね)

で、渋沢史料館は1階に映画の上映室があり、最終回が4時半からと書いてあったので、2階の資料の展示を見に行った。
そこに置いてある史料によると、渋沢栄一さんは、60歳から91歳の臨終まで、この飛鳥山に住んでいたそう。
そうして、渋沢栄一さんの住居は、和館と西洋館と両方あったらしいのだが、戦争で燃えてしまったらしい。
その後に建てたのが、この渋沢史料館であるとのこと。
青淵文庫と晩香廬は、渋沢栄一さんが尊名中、弟子などの他の人からプレゼントされたもので、戦災の被害に遭わなかったらしい。
庭に作った客に会うための応接間主体の小さな建物という位置づけ?
そうか、ということは、あの青淵文庫晩香廬は、昔だったら、文人や金持ちは、庭に茶室を作るわけだが、日本の西洋化に生きた渋沢栄一さんの弟子たちは、和室の茶室ではなく、西洋風の応接間主体の家を作って贈ったのだ。
渋沢さんは、そこで客人と会ったのかな?
(晩香廬は、バンガローの当て字らしいと書いてあり、確かに、バンガロー風の建物であった)
この建物が、昭和6年の渋沢栄一さん没の年より前に作られたものと思うと、その当時、本当にモダンに見えたろうと思う。(今でも、通用する素敵さだから)

私は、高校の時、世界史を受験科目に選び、日本史を選ばなかったので、渋沢栄一さんについては学ばなかったし、よく知らなかったのだ。
ま、名前と日本の主だった大企業を明治時代次から次に作った実業の神様みたいな方くらいの知識しかなかった。
でも、今回色々調べたら、「「道徳経済合一主義」に基づき、経済道義を実践していた人らしく、経済面だけでなく、精神面でも、明治維新以降の日本の実業界の柱だった人らしい。(NHKの連ドラ「朝が来た」にも出てきた)
生まれた時からの軌跡や写真を順番に見て行ったのだが、途中で、「あ、そうだ、後で映画を見るから、映画を見ればすべてがわかるだろう」と思い、途中で、展示を見るのはやめて、展示スペースの裏にある休憩スペースに行ってしまった。
そこには、モダンなとても横に長い窓から飛鳥山の緑が良く見え、また椅子があったので、そこに座り、景色を楽しみながら、広島Iさんとおしゃべりをした。
この2階からの景色は本当に素敵。(写真は撮り忘れたか、館内撮影禁止だったのか?)

そうして、5分前に上映室に行くと、誰もいなくて、私たちが席に座ると、自動的に映画が始まった。
でも、その映画が本当に短く、殆ど内容がなかった、残念、あれだったら、ちゃんと二階で資料を見るのだったと反省。

その近所には、飛鳥山博物館、紙の博物館もあったけれど、その日はもう十分色々見物したし、時間も5時近かったので、南北線の西ヶ原駅まで戻り、喫茶店でもあったら、入りたいねと思ったけれど、駅の周辺には何もなかった、残念。
ま、王子駅まで行けば、色々あるのだろうけれど、もう王子駅まで歩く元気もなかったし、そのまま、南北線に乗って帰って来た。

私は、飛鳥山に足を踏み入れたのはこれが初めてなのだけれど、テレビで、例えば、「アド街で話題に上る飛鳥山とか、「江戸時代から桜の名所であった飛鳥山」というのは、王子駅の方からの地域ではないかと思う。
どうも、飛鳥山というのは、王子の駅前から西ヶ原の方に、細長い山で、私たちがその日に行ったのは、王子駅前の方が表とすると、渋沢史料館がある方は裏ということになるのではと思った。
だから、そのことを広島Iさんに話し、今日行ったのは、飛鳥山は飛鳥山だけれど、裏の方であり、あれだけのことで、「飛鳥山に行ったことがある」とは言えないのではと話した。

旧古河庭園も、渋沢栄一さんの晩年を過ごした飛鳥山も素敵だったけれど、近くに喫茶店とか休憩する場所が全然ないというのが、欠点。

飛鳥山の自然がきれいで、またいつか散歩に行きたい。
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by mw17mw | 2016-10-07 16:34 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

駒込駅から飛鳥山まで2/3 旧古河庭園

さて、旧古河庭園のガイドツアーで案内していただいた経験をば。

やはり、旧古河庭園といえば、このレンガ造りの建物がその象徴のようなもの。
岩崎邸なぞと同じジョサイア・コンドルの作。
一階は洋風だけれど、二階は和室なのだって、でも、ここには、別途予約して別料金を払わねば入れない。
しかも、この日は、ここの一階で結婚披露宴が行われていた、外には、東京会館のケイタリング車が停まっていた、豪華。
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この旧古河庭園は、本郷通りに面している北側の入口から入ると、そこが一番高い平地で、そこから南に向かってなだらかな斜面が続いた後、低地になっている。
そうして、低地は大きな池がある和風庭園。

私はそれまでに、相当昔、父と目黒の伯母夫婦と4人で来た思い出があるのだが、その時、日本庭園には行かなかったような気がする。(そのくらい、旧古河庭園=洋館とバラ園と刷り込まれていた.。良く見る旧古河庭園のポスターは、必ず「洋館にバラ」だった。その構図だけで、旧古河庭園の西洋風の部分のイメージが確実に伝わる。日本庭園の魅力は、一枚の写真に収めることが不可能なので使われないのだろう)
その後再度一人で行くことがあり、バラ園の向こうの低地にとても素敵な和風庭園があることを発見。

東京中の和風庭園を全部歩いたわけではないけれど、多分、私は東京にある和風の庭園の中で、古河庭園のお庭が一番好き。(二番目は、掃除が行き届いていないことに目をつぶって、東大の三四郎池)
何ていうのだろう、造りが単調でなく、歩いていて飽きないのだ。(清澄庭園とか六義園とかは、単調だと思う)

そうしたら、この度のガイドさんから、このお庭は、明治大正の頃活躍した七代目小川治兵衛という京都の名人が作ったお庭だと聞いた。←自分の目の確かさも嬉しかったりして。(笑)(今でも、何代目かは失念したが、京都に小川治兵衛という名前を継ぐ庭師がいらっしゃって、時々、NHKに出ているとのこと)
この七代目の他の作品が、「平安神宮のお庭」「野村の碧雲荘」とか聞くと、本当、さすが!と思う。(野村の碧雲荘は、南禅寺の近くにある野村證券の施設だから、その関係者でないと入れず、私は入ったことがない、ただ、その周囲を歩くだけでそのセンスの凄さがわかる)

ガイドツアーは、本郷通りに近い台地の上に作られた、洋館から始まった。
この洋館と西洋風のバラ園は、ジョサイア・コンドルの設計とか。
西洋館の説明が終わった後、その前を横切り、敷地の一番西の方の道から斜面を下りて行く大きな木々がたくさんあるコースに案内された。(それは案内マップを見ると馬車道のよう)
なんでも、そんなに大きな土地ではないので、道が一直線ではなく、あちらこちらに曲がっていて、土地を大きく見せる工夫がされているとのこと。
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池に繋がっているお水が見える。
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少し小高いところから池を見る、立派。
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こういう大きくて立派な石灯篭が15基あるそうで、高価なものは、その当時で「郊外に一軒家が買える程の価格」だったとか。
今回案内してもらって、説明してもらい、岩崎庭園にも大きな石灯篭があったけれど、この大きな石灯篭は明治・大正時代くらいまでの富の象徴だったことがわかった。確かに、お金持ちでなかったら、こんなに大きな燈籠を自分の庭に運べないものね。
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その他、小さな水の流れにかかる大きな石の橋は、全て大きな石を真っ二つに割った一枚岩とのとのこと。
そういう立派な石をどこから持って来たか、私邸の庭に使ったので、記録に残っていないそう。
(そういえば、岩崎弥太郎さんだったか、久弥さんも大きな石が大好きで、日本各地で見つけては湯島に運んだと聞いたっけ)
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池の近くの深い森のようなところにお茶室があり、その日、灯りがついて、お茶をたしなんでいる人々がいた。
このお茶室の周囲には、細い小川が流れ、周囲と隔絶された杜の中の茶室という雰囲気がまた素敵であった。(このお茶室利用は、都ではなく、大谷美術館)
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「崩れ石積み」という立て看板−−−石を垂直に積む技術は方法は数あるが、これは、京都で発達した伝統的工法である。石と石が噛み合って崩れそうで崩れない姿が美しいとされている。当庭園においても小川治兵衛の力作となっている」
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下の画像の真ん中くらいに滝というか、小さな水の流れがあるのがわかる。
ガイドさんのお話では、以前は、もっと上から自然の滝になっていたそう。
しかし、近所に作られた南北線の工事のせいで、地下水脈がずたずたになったようで、滝が小さくなったばかりでなく、以前は庭の色々なところに湧いていた地下水が湧かなくなってしまったそうだ。
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階段を上がると西洋庭園という場所。
西洋と和の庭園の間には、富士山から持って来た溶岩がたくさん埋め込まれ、その上には苔が生えいていて風情があった。
今は、富士山から溶岩を持ち出すのは禁止されているそう、それ以前に持って来られたものであるが、富士山の溶岩がこんなにたくさんお庭に使われているのは、古河庭園くらいだとのこと。
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そうして、バラ園に戻ったが、全部で1時間20分もかかった。
殆ど、和風庭園の中ばかりにいたのだから、その大きさや充実度がわかると思う。
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私が思うには、和風の庭園なぞに興味のある女性をデートに誘うとしたら、私としては、旧古河庭園が一番のお勧め。
一度は自分勝手に自分の感性で見物、二度目はガイドさんに案内してもらうと良いと思う。

それから、ガイドさんから、ジョサイア・コンドルの他の作品の話を聞いたとき、何と、品川の八つ山にある「開東閣」という三菱グループの迎賓館といわれるジョサイア・コンドルの設計の建物が、「他に移築され、その跡地に超高級マンションが建てられる」とのことでびっくり!
その土地は、そもそもは、伊藤博文の私邸があった場所で、それを岩崎家が買い取った。
外から見ると、こんな大きな森が品川にあるのだと思うくらい、こんもりとした森なのに、それを切り開いて、億ションを作るなんて、とてもショック。

また、バラのお祭りは、春と秋にあるそうだが、今年の秋のバラのお祭りは、10月8日の土曜日から2週間、「秋のバラフェスティバル」が行われるそう。
100種類のバラが咲き競うのかな?

その他、この古河庭園は、結構、椅子とかテーブル、ベンチが充実しているし、中にお弁当を持ち込んで食べても大丈夫とのこと。
きっと、春の桜とか、秋のもみじの頃、良さそう、行きたい。
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by mw17mw | 2016-10-05 18:10 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)