カテゴリ:東京都内のお散歩・見物( 316 )

蔵前フラフラ2016年秋2/2

カキモリさんの横にできた、インクの専門店「inkstand」リニューアルオープンらしい。
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「カキモリ」さんができて、何年になるのだろう?3年くらい?
「ノートを作るのにすべてのパーツを選んで製ノート」なんて、私にはそのこだわりがないので、流行るわけないと思ったけれど、私の予想は見事に外れ、大繁盛店に成長。(じゅん散歩を見ていたら、他の地域に似たようなお店もできたみたいだ)
世の中、こだわる人、おしゃれな人がたくさんいるのだ。
開店前から待っている若い人たちがいたりして...。
友人の奥さんが、アルバムを作ったとのこと、そういう残るものなら、こだわるのはよくわかる。
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国際通りから蔵前小学校に行く角にある「THOROGH BRACE」というバッグ屋さん。
とても素敵で高級なバッグ屋さん。
以前、知り合いがここのバッグを持っていたのがとても素敵で、セールで購入したと聞き、私も一度セールの時に行ってみたが、セールでも大きめのものは、1万6千円くらいだったかな?それに、私が行った日がセールの初日でなかったせいか、私の買いたいものは売り切れていたので、買えなかった。
この画像を撮ったのが10日だったので、22日からセールを、早めにこのブログでお知らせできるかと思ったのだが、間に合わなかった。
27日までセール中だが、種類は少なく合っていると思う。
他、春のモノマチの時にもセールを行うお店。

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CAMERAという革製品とCAFEのお店。
確か、両国のクレージーカフェブランク という素敵なカフェで出しているスイーツはこのCAMERAのものと、食べログに書いてあった。
評判良いらしいが、私は入ったことがない。(というか、家の近所のカフェに入ることは、友人と一緒の時とか、余程のことがない限り、ありない)
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Noceという若者に人気の家具屋さんが入っているタイガービル。(戦前からのビルのこと、私は中に入ったことがない)
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タイガービル向かって右側の路地を入って、一本目の本当に自動車が入れないような路地を右に入ると、「T's Bakery
ここは、「え、どうして、こんな路地に?」と思ってしまう程、見つけにくいお店。
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T's Bakeryを出た後、信号を渡って国際通りの反対側(隅田川寄り)に行き、一つ目の路地を入ったら、Ambikaの前に「こめて」という花屋さんができていた。
(以前は、「Scott America」というFire King製品の問屋さんだったと思うのだが、今回HPを探してみたがなくなっていた、商売をやめてしまったのだろうか?)
この花屋さん、外から見ただけだけれど、とてもおしゃれな今風の花屋さんであった。
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Ambikaにはその日は入らず、別の日に行ってみた。
教えていただいた殻付きアーモンドは見当たらなかったけれど、インディカ米やジャスミン米の家庭用で買えるサイズを見つけた。
そうか、我が家のスーパーでそういうお米を売っているところがないと思っていたが、Ambikaで買えばよいのだ。
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Ambikaの前を春日通の方に向かうと、Soll's Coffeeがある。ここも面白い、売り場が窓で、テイクアウト出なかったら、その窓の外で飲む形式(イートアウト?)。
今は、蔵前橋通りに近い浅草橋にもう一軒「ソルズコーヒーロータリー」というお店があり、そちらは、イートイン可能。
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ソルズコーヒーを見た後、春日通りの信号を渡って、国際通りに二軒並んだパティスリー、クレールドゥリュンヌパティスリーフォブスを紹介して終わり。(二軒とも、多分、台東区寿であり、蔵前ではないのだが)

モノマチという催し物を長年ずっと行っていることが原動力になっているのだろうか、食べ物だけではない、物販の素敵なお店がたくさん増えている。
yasuさんに言われて気づいたのだが、蔵前界隈は、めぐりんの路線コースから外れたところに色々なお店ができていて、めぐりんの窓からはそういうお店がわからないとのこと。
今回国際通りの両側とその近辺の路地裏にしか行けなかったが、江戸通りの方にも、素敵な紹介すべきお店があったことに、案内し終わった後、気づいた。
江戸通りの方で、紹介したかったのは、KONCENTと、ルカトルデイリーズマフィン東京 くらいかな?
(KONCENTは、今調べたら、蔵前が本店のようだが、渋谷とか国立などを初め、メルボルンや台北にまでお店があってびっくり。蔵前だけのお店ではないのだ)

1時間半だったら、みやこしで天ぷら食べてこのコースが良いと思う。
時間の関係で、江戸通りと、厩橋界隈を案内できなかったことが残念。
でも、また、来てくださいね。

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by mw17mw | 2016-11-25 12:14 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(4)

蔵前フラフラ2016年秋1/2

2年くらい前から、結構生活圏が重なるところに引っ越してきたyasuさんに蔵前を案内すると約束していたのだが、この度、ようやく実行できた。
まずは、家の近所の「天婦羅 みやこし」でランチを食べ、その後、蔵前にできた新しい店舗等を紹介するというコースを考えた。
実際に回ったのは、国際通りだけだったが、ずいぶん個性豊かな店舗が増えていた。

食事含めて1時間半強の 国際通り中心の蔵前フラフラ歩きだったのだが、結構お店が多く、これまた、二日にかかって紹介することになりそう。

そうそう、私は蔵前の地元民であるかというと、ちと難しい。
というのは、本当は蔵前の住民と同じ小学校に行くべきところを、違う学校に越境してしまったので、蔵前に知り合いが余りいないし、お祭りも蔵前のお祭りは行ったことがないのだ。
だから、近所に住んでいながら、蔵前の地元っ子には入れてもらえないと思う。

そんな私が紹介する最近の蔵前を始めよう。
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天婦羅みやこしなのだが、11時半開店ではあるが、一度、12時ちょっと前に行ったら満員で入れなかった経験があり、何時までに行けば確実にお店に入れるかが良くわからなかったのだ。(11時半に行ったほうが良いのか、12時近くでも入れるのかという点が不明)
今回、11時35分くらいにお店に着いたら、私たちが一番最初のお客であった。
で、平日限定の千円のサービスランチを頼んで、待ちながら、様子を見ていると、その後、45分くらいにもう一人男の人が入って来ただけで、お客は増えなかった。(土日祭日は一番安いランチが2千円となる)
12時近くにバタバタと人が入って来て、カウンター席が満員になり、その後の人たちは座敷席に案内され出した。
やっぱりね~、このお店の昼間のお客さんは近隣の会社に勤めている人ばかりなのだ、きっと。
そうして、我が近所に事務所を持つ会社は、二交代でお昼を食べる程大きい規模ではないので、一斉に12時から食事に向い、「今日はみやこし」と思う人は、ほんのちょっと12時前にフライングして、このお店に飛び込んでくるという感じ。
そうか、そうか、11時半に頑張らなくても、もうちょっと遅くとも大丈夫そうと、すごく納得。

で、料理の写真は撮らなかったが、ご飯、赤出汁、お漬物と共に「海老2尾、イカ1切れ、穴子にキス、ナスにかぼちゃ」の天ぷらが次々と揚げられて、出された。
yasuさんがコスパ良すぎで、利益が出るのだろうかと心配していたけれど、本当にそんな感じ。
満足してお店を出て、蔵前見物の始まり。

まずは、工事中の蔵前小学校の横を曲がり、ダンデライオンに。
(蔵前小学校は何でも国際標準の小学校になるべく、建て替え中なのだそうだ、国際標準の小学校ってどんなもの?)
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お店に着くと、行列ができていた時代があったなんて嘘のように空いていた。
席を探す振りをして二階に案内。
時間がないので、お茶もしないで、「内装と借景が素晴らしいでしょう」と今後別の機会に来る気が起きるように紹介しただけで、下に下りたら、yasuさんは歩きながら何かが飲みたいとのことで、温かいチョコレートドリンクを購入。(二階のカフェの素敵な非日常的、非蔵前的空間はyasuさんが気に入ったよう)
下の画像は、レジのところに置いてあるお菓子の見本、こういうものは美味しそうだが、実は殆ど食べたことがない。
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次は、国際通りに出て、安い袋物の「ルナ ボルサ」を紹介。
このお店は、種類豊富で安いので、いざ「袋が欲しい」と思った時に、頭の片隅に記憶があると便利。
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また、その右隣にある籐製品のお店、籐製品専門店って、存在自体が珍しい?
ずっとここにあるお店で、今調べたら、水木屋馬場商店とい名前で、明治33年創業とのことで、以前のアド街でも取り上げられている。
HPを見ると、その籐製品の種類の豊富さはすごい。
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そのまま浅草方面に進んですぐのビル一階が「高橋食器」さん。小売りも行っている卸売屋さんらしい。
家庭で使う食器や道具、掃除用品や園芸用品とかありとあらゆるものが並んでいる。大正2年の創業とのこと。
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蔵前は、おもちゃの問屋の町として有名だが、この3軒を見ると、おもちゃ以外の問屋さんもあるようだ。

ぬいぐるみショップ foo...これは、最近できたお店だと私は思う。(あてにならないけれど)
「foo 蔵前」で検索すると、「シナダパイロットショップ foo」と出てきた。
何だか、このお店独自のぬいぐるみがたくさんいて、外から見ても幸せいっぱいのお店という感じ。(買う気がなかったので、入らなかった)
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国際通りを渡った反対側、三角地帯の先っちょにある「p+g design」。
この会社の製品は、この蔵前のお店が一番揃っているのだろう。
シリコンでできたあらゆるお財布が全て可愛い、このお店に子供を連れてきたくな~い、絶対、色々欲しがるから、諦めさせるのが大変そう(笑)。
お店の場所等はこの情報がわかりやすい。
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昔ながらのおもちゃ問屋さんは、残念ながら、規模を縮小したり、商売をやめるところも多い中、新しいおもちゃのアンテナショップを開く場所として、蔵前が選ばれているという現実は頼もしい。

さて、また、蔵前のお店の紹介だが、鳥越神社側に戻って来て、こちらは、maitoという草木染めのお店
ま、ここまで来なくても、アキバと御徒町の間のガード下「に2k540 AKI-OKA ARTISAN」も支店がある。
買う気がないので、表から見ただけ、
皆柔らかい風合いに柔らかい色で素敵。高いけれど、ファンがついているようで、嬉しい、世の中にはおしゃれな人がたくさんいるのだ。。。。。
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by mw17mw | 2016-11-24 16:33 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(2)

北千住界隈フラフラ2016秋-「千住神社」と「元やっちゃば 問屋跡」

千住神社は、千住七福神巡りで、連れて行ってもらった神社で、私は二回目。
ここの歴史はとても古く、しかも敷地の広い神社、その上、江戸時代のお神輿や富士塚があって、気に入ってしまった。
例えば、日本国中に名前が知れ渡っている神社は敷地も広いけれど、私が知っている近隣の神社って、皆狭いのだ、それが、この千住神社だけ、悠々として大きくて、素敵。
比較的駅からも歩いて行ける距離だったので、案内。(前回、行った記事はこちら 、江戸時代のお神輿の画像が載っております)
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北千住は、戦災に遭わなかったから、古いものが多いのかと思っていたが、この由緒の最後の方に、この神社の社は、第二次世界大戦の空襲で焼失してしまい、今の社は戦後の建て替えと書いてあるとのこと。
それでも、江戸時代や明治時代のお神輿が残っているということは、きっと北千住は関東大震災の被害は少なかった地域なのだろう、そうして、お神輿は、きっとどこかに疎開させていたから残ったのかも。(鳥越神社のお神輿は、江戸時代からのものは、関東大震災で焼失、昭和の初めに作ったお神輿は、太平洋戦争の時、疎開させていたから無事だったそうなので、きっとここもそうなのだと思う)

また、この日、お庭を掃除していた中高年の女性の人に、「今日はお神輿が見られますか?」と聞いたら、その人は、この神社の先代の神主さんの奥様(現神主さんのお母さん)とのことで、とても親切に色々教えてくださった。
何でも、お神輿は、毎月1日と15日だけ蔵を開けているとのこと、ただ、この日は、近所の人たちがこの神社で防火訓練を行っていたり、七五三のお参りの人が多いので、その日は拝観できるようにしてあるとのこと、ラッキー。
何でも、江戸時代(1863年制作)のお神輿は5年に一度しか出ないとのこと、昨年、実際に担がれたとのことだが、担ぎ手の希望者が多くて抽選だったとのこと。(見たかった~、次は後4年後とのこと)
毎年のお祭りに明治時代のお神輿(1885年制作)は出ているとのこと。
(江戸のお神輿と明治のお神輿は、22年しか離れていない。以前は、江戸時代のものがすごいかなと思ったが、明治初期中期に作られたお神輿って、もしかして、明治工芸の作品だから、劣らないかもね)

この神主さんのお母さんは、とても親切で感じが良く色々教えてくださって、巡り合えてラッキーであった。

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この神社の狛犬は、子連れタイプ、これは古いものだと思う。
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狛犬の他、なぜか一対の狐の像が飾ってある、意味はよくわからないが、躍動的なきつねさんが素敵。
(あ、そうか、この神社では、きっと稲荷神も祀られているのか)

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この神社広々していてとても気持ちがよいので、散歩コースにお勧め。

<元やっちゃば 問屋跡>
その後、日光街道を渡って、千住の市場近くにある「元やっちゃば 問屋跡」へ。
そこは、現在の家の前に「江戸時代は何屋さんがあったか」という立札が立っている通り。
ざっと見た後、その問屋跡通りにある「千住歴史プチテラス」に入ってみた。
中に説明員らしきおじいさんがいらして、昔のことを色々教えてくださった。(他の客は0)
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表から見る蔵の白い色がまぶしいし、きれいなので、この建物は、最近、作ったものかと思っていた。(もうちょっと昔風に改修すればよいのにね)
今回、中に入るのは初めてなのだけれど、入ってすぐ右手に、箪笥階段があったのだ。
箪笥階段は、我が母の実家とか、新潟県の村上市の昔の町屋でしか見たことがなく、東京都内で見るのは初めてであったので、「箪笥階段がある!」とか驚いたら、その説明員の方が、「この蔵は、本物の蔵の移築」と教えてくれた。
それも、午前中に宿場町通りで見た横山家住宅のものとのこと。
何でも、横山家には蔵が二つあったので、その一つを足立区に寄贈してくれたものをここに移築して、ギャラリーとして使っているらしい。
(でも、余りに修繕が行き届いているので、午前中に見た横山家のものとは思えない。それより相当最近の物に見えるように修繕されているところが残念)
その説明員の方は最初元やっちゃばの説明だけだったが、横山家についても詳しく、色々説明してくださった。
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梁も立派なお蔵(頭上を見るとようやく年月を感じることのできる木材があった)。
何でも、横山家というのは、紙漉き問屋で、今でいうトイレットペーパーの問屋さんだったそうだ。
紙漉きは、北千住より郊外の西新井などの農家の良い副業で、横山さんはそれを集めて、江戸方面に売っていた問屋さんだったそうだが、大正の終わりか、昭和の初めには機械の紙漉きが主流になり、段々商売が傾いていったそう。
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ここを見終わって、北千住駅に戻るのも面倒だったので、浅草田原町行きの都バスに乗って帰って来た。

北千住、街歩きする町として、私のお気に入りの町。
今回は、偶然も重なり、3名の地元に詳しい方に会うことができ、色々教えてもらえて楽しかった。
そのうち、2名は、ちゃんとした説明施設の方だったけれど、そこにたどり着くのは偶然でしかない。
何だか、もうちょっと北千住街歩きでまとまった情報がないかなと見たけれど、色々あるみたい。(実際に検索してみてください)

これなんか良さそう。ただ、2,3時間フラフラしたいのなら、宿場町通りをふらふらして、千住神社と元やっちゃばの問屋街を見るのがお勧め。

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by mw17mw | 2016-11-23 16:52 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

北千住界隈フラフラ2016秋-駅前西口方面

ハゲさんは「殆ど北千住に行ったことがない」とのことだったので、私が、宇豆基野の前後の散歩のコースを考えてみた。
私は以前、MLで知り合った方に、駅前と市場、その後、千住七福神巡りで、それより広い範囲の北千住を巡ったことがあり、色々悩んでみたが、どうしても時間が足りないので、駅前の宿場通りと千住神社、市場近くの昔の名残のある地域だけとした。(でもね、きっと、「趣味の押し付け」なのだ)

北千住の紹介記事は、何度めかになると思うのだが、後半は、新しい場所の話だし、備忘録として書いておく。

駅で待ち合せて、歩道橋を渡って丸井の前を通り、エスカレーターを降りると、そこは何重にも折り重なる昔からの商店街の世界。
(駅前のマルイとアトレだけで、北千住を判断すると、全く違う街になってしまう)

一番最初に行ったのは、わかりやすいお約束の「大橋医院」
今でも使われている現役の建物、医院、中を見ることができないので残念。
改めて見ると凝った建物であることが良くわかり、完成したとき、作った人たちは本当に嬉しかったろうと思う。
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駅の方に戻り、宿場通りに入ってまっすぐ進み、槍かけだんごのかどやまで行ってUターンして、昔の木造家屋を紹介すればいいやと思って歩いたのだが、槍かけ団子に着かないまま、横山家住宅から見出ししまった。
ただ、ここも中を見学できず、外から見ただけ。(後で確認したら、槍かけ団子は、このちょっと先であった、惜しかった。)
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道を挟んだ反対側には、絵馬を作っている吉田家さんの家が。
ガラス戸を覗くと、絵馬の絵を描く道具が置いてあるが、人はいなかった。
お家の横側なぞ、トタンが貼ってあるのは残念なのだが、十分、昔の風情がある。
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その2つのお家を見てから、駅の方に戻ると、もう一軒、昔の家があって、確かここはおばあさんが、町のおばさんたちが着るような(うちの母親が着ていたような)地味な洋服を並べていたが、この日はお休みのよう。その並べてあるカーディガンやブラウスも昭和の風情があるのに残念。


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今回、ふらふら宿場通りを散歩していて、ヒットだったのは、この「北千住宿場町通り60」という看板の古い建物をリフォームして使っている案内所らしき施設。
「入ったら、何か買わなくてはいけない」なんてことになるかもとちょっと不安になりながらも、ハゲさんが入ってみようと言ってくれたので、入ってみる。
そうしたら、とても親切で物識りの中高年の女性が、色々教えてくれたし、どこを見るべきかなぞを詳しく説明してくれた。
その方曰く、大きな有名どころを見て歩くのも良いけれど、そこらへんの路地を歩いても、名もない古いものがたくさん残っていて楽しいと聞くが、その日は無理。
それと、来年2月からNHKで放送が決まっている「千住クレージーボーイズ」という小池徹平さん主演のドラマで、小池徹平さんが住んでいると設定された家がこの案内所の横にあるというので、そこを通って、昔の北千住の風景の模型がマルイにあるとのことで、マルイまで戻ることに決めた。
(お、そうか、谷中が飽きられて、次に古いものが残っている北千住が舞台に選ばれたのだと思った。)

実際に行ってみたら、古そうな家が二軒あって、どちらかわからなかった。
確か、お家の名字を教えてくれた記憶はあるのだが、その名前を失念していた、残念)
この案内所、全く商業ベースの感じがしないで、多分、区が補助しているかボランティアで運営されていると思うのだが、外から見て、「無料で相談に乗ります」とか「無料のお休み処」ですというのが、わかりにくくて入りにくいところが損をしていると思う。
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この案内所の木造家屋は、魚屋さんだったとのことで、中を見ると、昔の魚屋さんには必ずあったように記憶している「作り付けの大きな冷蔵庫」があったけれど、これって、電気ではなく、氷を入れて使ったものかな?何だか懐かしい。(その他、魚屋さんは、床に水を流して掃除するので、床が表に向かって傾斜があるのが面白かった、そうか、そうなっていたのかと)
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その他、私が思うには、この北千住の駅前の繁華街は、忙しいお店が多いからか、稲荷寿司や海苔巻き、みたらし団子なぞのおやつにぴったりのものを売っているお団子屋さんが多くて楽しい、どうせなら、こういう町に住みたいと歩きながら紹介。(これで商売が成り立つのというくらい、お団子屋さんの数が多い)

さて、マルイに到着し、エレベータで10階に行ったら、そこは、足立区役所の千住出張所。
足立区内の人は知っていることかも知れないが、区外から来た者にとって、マルイの10Fに区役所の出張所があって、そこに立派な見るべき価値のある模型があるなんて、想像もできない。
勿論、日曜日だったので、出張所自体はお休みであったが、その手前に、19世紀初頭、江戸時代の千住宿の復元ミニチュア模型が展示されていて、見ることができた、すごく立派。(詳しいことは、こちらのブログを参考にしてください)
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と、ゆっくり見る余裕はなく、ざっと見たところで、予定の時間が終わってしまった。
千住神社は食後に回すこととして、宇豆基野まで急ぐことにした。(宇豆基野に直接行くのなら、北千住駅の東口から出て南下するのが順当)

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by mw17mw | 2016-11-22 08:05 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(2)

2016秋母方従姉妹会1/4-上野の山だけで十分満足(の予定)

毎年お正月に、従姉妹たちと年賀状をやり取りしているのだが、必ず、誰かの年賀状に「今年の秋の従姉妹会も楽しみにしています」という文言が入っているけれど、私だって、種切れだったのだ、誰か、何か考えて、私をどこかに連れて行ってくれという気分。(笑)
従姉妹たちは皆家庭の主婦だし、一番遠い人で上野まで一時間くらいかかるところに住んでいるので、時間的制限もあり、私としては、もう思いつくところは全部案内してしまったと思っていたのだが、夏ごろ、ふと、「そうだ、国立科学博物館国立西洋美術館は、11月3日の文化の日は、常設展が無料だから、そこに連れて行けば喜ばれるかも」と思いついたのだ。

実は、私は国立科学博物館の中の「シアター36○」が好き。
でも、科学に多分興味のない女性たちが「シアター36○」が気に入るかどうかわからず、その人たちに「入場料600円かかるけれど、是非科学博物館に行こう」と言っても拒否はされないだろうけれど、心から喜んでということはないように思えて、今まで、科学博物館を提案できなかったのだ。

11月3日の無料開放日なら、無料でこのシアターに案内できる、これだったら、皆を誘っても大丈夫と思えたのだ。
そうなると、後は、上野でどこでお昼ご飯を食べる?ということさえ決まれば、決行可能なプランになるのだ。
考えついたのが8月だから、その時に、11月3日の予約は取れるだろう、あの人気の韻松亭で祭日にランチを食べることも夢ではないと自分の頭で、2016年秋の従姉妹会のプランのあらすじが決まり、皆に連絡したら、全員11月3日OKとのことで、そのプランが決まった。

しかし、韻松亭に電話で予約を取ったら、11時半からの予約は取れたのだけれど、1Fの掘りごたつの個室とのこと。
私は掘りごたつの1階の部屋、一度利用したことがあるのだが、足が伸ばせること、個室だから他の人を気にしなくて済むことは良いのだが、2階のように、上野公園の借景が全然見えないのだが大きな欠点。
「韻松亭に行った、また行きたい」と思えるのは、2階だと思って、2階で5人で予約を頼んだのだが、その日は既に2階は80人の予約が入っているとのことで、2階に拘るのなら、午後2時だったら席をお取りできますとのこと、従姉妹や妹に相談したら、やはり、景色が良い方が良いということになり、韻松亭でのランチは、2時からに決定。

う~ん、何て難しい。
11時頃に上野駅で集合して、11時半から韻松亭で食事してから、科学博物館と思っていたけれど、この順序は、無理。
ただ、2時から食事ということは、それまでに、結構お腹が空いてしまうかもと思った時に、思い出したのが、上野駅不忍口近くにできた大型飲食ビルであるさくらテラスというビルの中の「イアコッペ」というコッペンのパン屋さん。(お店のHPはこちら
食べログで評判を読むと、良さそうで、一度私も食べてみたかったのだ。

だったら、11時に集まって、まず、さくらテラスに行って、それぞれ好みのコッペパンサンドを買ってから、そのままエスカレーターで上野の山の西郷さんの近くまで出て、科学博物館に行こう。
そうして、360度シアターを見た後、あ~いう施設では、無料休憩ラウンジがある筈なので、そこで、コッペパンをかじってもいいし、お腹が空いてなかったら、おみやげに持って帰れば良いと思いついた。

で、時間がまだまだあったので、一度見に行ったら、なかなか良さそうな品揃えのパン屋さんであった。
確か、西日暮里の「ブーランジェリー イアナック」という評判の良い今風のパン屋さんのコッペパン専門支店だから、サンドしているフィリングにしろ、センスが良さそう。(確か、どこか有名なパン屋さんで修業した人が自宅でオープンしたパン屋さんだったと思う)

う~ん、だったら、11時に上野駅不忍口を出たところで待ち合わせ→さくらテラスのイアコッペでパンを買い、そのままエスカレーターで上野の山へ→科学博物館で映画を見て、パンを食べて、まだ時間が余ったら、何か常設展を見る→韻松亭で昼食→国立西洋美術館で世界遺産になった美術館見学で、全て終わりというのが、基本計画となった。
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by mw17mw | 2016-11-11 17:43 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

銀座ふらふら すずらん通りから金春(こんぱる)通りへ

広島Iさんと新橋に着いた後、香川・愛媛のせとうち旬鮮館を冷やかした後、中央通りに出て、銀座4丁目に向かって歩く。
実は、銀座4丁目の方の路地に、長野県がアンテナショップを出したとのことで、そこを見に行こうということになった。
すぐに、ファミリア 銀座店が出てきて、今の朝ドラは、このファミリアの創業者たちの話なので、その展示会を行っていた。
(私は朝ドラを見ているので、興味津々、他の人に説明する古くからの社員の話をついでにきかせてもらった。何だか、テレビの4人の主人公と実際の創業者4人は余り重ならない印象であった。)
私は結婚もしなかったし、当然子供も産まなかったので、ファミリアは名前は知っていても、全然縁のないお店であった。

その後、4丁目の交差点を有楽町の方に曲がり、一つ目の角を曲がって、すずらん通りに入ろうとしたら、何だか、武者姿の派手なおじさんたちが二人も...。
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その時は、10月の最後の土曜日で、中央区観光商業祭りの期間だったからか、すずらん通りにワゴンが出て、甲冑を着た人とか、長野県のゆるキャラが3匹も出てい手、楽しさを盛り上げていた。(ゆるキャラを数える単位は何でしょう?)
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で、無事、「銀座NAAGANO」というアンテナショップに着いた。
とても混んでいて、人気があるみたいだが、私の欲しいものはなかった。
何が欲しかったかというと、小布施の桜井甘精堂というところの落雁。
小布施のお菓子屋さんでは、小布施堂のものはそこらへんのデパートにお店があるのだが、桜井甘精堂は基本的に東京に寝室していないのだ。
だから、アンテナショップに行けば、種類多くあるかなと思ったのだが、栗かのこの缶詰みたいなものしかなくて残念。
(小布施堂の落雁でも良いのだが、一度、本場で買ってきた桜井甘精堂の落雁をいただいたことがあって、こちらの方が美味しいと思ったのだ)←と思ったが、我が家の近所だと日本橋高島屋で販売しているとあるが、落雁があるかどうか、今度見に行こう。

その後、向かいの「清水薬局」という薬局屋さんの中に、「サトちゃんミュージアム」があるとのことで、暫し見学。
お店の人が色々教えてくれたけれど、下の画像の右上の大きな象のサトちゃんは、佐藤製薬の製品(ユンケルとかストナとか)を5万円買うともらえるのだって...ユンケル5万円ね~。
その下の小さなサトちゃんは、3千円商品を買うともらえると言われてもね~。
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今、佐藤製薬は、ユンケルのCMでイチローと契約している関係で、象のサトちゃんに、日米の球団のユニフォームを着せているらしい。
でも、ずっと、洋服を着ている象ばかり見てから、裸の象を見ると、「わ、恥ずかしい、あの象、裸よ、恥ずかしくないのかしら?」とか言いたくなるから不思議。(笑)
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で、清水薬局さんを出てから、フラフラ通りを歩いていると、どこまでがすずらん通りでどこからが金春通りか良くわからなかったのだが、段々、夜の大人の街風になっていくのがわかる。
昔、良くあった、個人の女性が頑張っている小さなバーがたくさん入っている風の雑居ビルに見えたが、まだ、あるのだ~、バブルはじけた後も頑張っている人は頑張っているのだと、ちょっと感激。(でも、勝手に昔風のバーを想像したが、実際は違うかも知れない)
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とそうこうしているうちに、私が大好きな「やす幸」(やすこう)が出てきた、ここにあったっけ?何せ20年近く行っていないから忘れていた。
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やす幸のページには、「すずらん通り」のやす幸とあり、そこはすずらん通りなのかも。

銀行員時代、たま~にしか行けなかったけれど、ここのおでんは本当に高いけれど、美味しい。
好き勝手に食べると、20年近い前、一人1万円近くかかったのだけれど、20年後の今はいくらなのだろう?
(でも、食べログを見ると、やはり、今でも1万円弱のよう)
ここのおでんのつゆは薄味で白っぽいから関西風かと思ったのだけれど、関西でおでんを食べると、牛筋が入っているから、汁の色は確かに薄い色なのだけれど、脂が浮いていたりして、やす幸のものとは全然違っていた。(やす幸は肉類を入れない、我が家と同じタイプのおでん)
何だろうね?

ここのおでん、最高に美味しいのはつみれで、中に柚子の皮が仕込まれていて、食べると、柚子の香りがふわっと広がり、どこにも負けないと思う。
あ~、死ぬまでにもう一回行かなくては。

そのうち、金春湯という銭湯が出てきた、家に帰って調べると、江戸時代から続いている銭湯なのだって。
金春通りの歴史というページに、この銭湯は、「江戸時代から存続している都内の銭湯の3軒の内の1軒であれば、それだけでも文化財級」という言葉も頷ける。
銀座のメインストリートのすぐ裏通りにこんな銭湯が未だに続ていること、銀座って古くて歴史のある商業地域だと改めて思う。
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と歩いているうちに、もう少しで新橋というところまで戻って、無事「俺の割烹」に到着。
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by mw17mw | 2016-11-08 21:05 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(2)

鳥居坂下から六本木5丁目まで

今まで色々な通りを見たが、今まで一番高級と思ったのは、目白台の関口カテドラル教会や椿山荘のある通り、でも、この通り井坂下から六本木5丁目までの通りは、その通りに勝るとも劣らない、超高級で素敵な通り。

鳥居坂下からシンガポール大使館らしきところの緑を見ながら登っていくと、次に高級マンションがある。
その次には、国際文化会館の庭の端から見えた道路を挟んだ隣の建物になるのだが、帰宅後広島Iさんが調べてくださっったら、三井不動産系の都内億ションを買った方々が会員になれる「三井グランティオーソクラブ」とのこと、へ~すごい。
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国際文化会館を出て、六本木5丁目方面に進むと、右側すぐに、「東洋英和女学院」の大学院などがある古めかしい建物になる。(調べると、現在大学は横浜市にあるみたい)
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その次に、並んで似たような建物が見えてきたが、こちらの古そう。
村岡花子さんの時代からあったのはこっちかしらね?と思うが、わからない。地図を見ると、こちらは、中等部と高等部。
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その建物を通り過ぎたところの東京タワーが見える角に、門衛さんがいるような小さな建物があった、当然だが、学校に入る人を厳しくチェックしているよう。
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東洋英和の向かい側には、この4月にオープンしたというスヌーピーミュージアムがあって、入口が可愛い。
事前にこの存在に気づいたので、入場料とか調べたら、時間制限があって2千円だったので、ま、もうスヌーピー嫌いではないけれど、スヌーピーラブという年でもないので諦める。
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その他、日本基督教団鳥居坂教会や港区の麻布支所もあって、静かな通り。(日本基督教団は、東洋英和の親?)

そうして、大通りに出ると、信号を渡ったところに、「青埜」の看板が。
思わず先日TBSに行ったときに買えなかった「ラムレーズン大福」があるかも知れないと思い、中に入って聞いたら、こちらは、「赤坂 青埜」とは別の「青埜」なので、ラムレーズン大福は作っていないとのこと。
「暖簾分けですか?」と聞くと、頷いていたけれども、きっと、昔むか~しののれんわけだったのではと思う。
家に帰って調べたら、こちらは、「青埜総本舗」という名前らしい。上に地名をつけるとしたら、「麻布」のよう。
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大通りの信号を渡って左を見たら、ドンキの上に変な構造物が...。
「あ、あれ、知っている、何年前だろう?六本木ドンキの上にジェットコースターだか観覧車を作ろうとして、周囲の反対が強かったからか、頓挫したってニュースでみたけれど、その名残を撤去していないのだ!ま、安全なら、いいか」という感じ。
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ドンキの前を通り過ぎたところの路地を右に入ってちょっと行ったところに、墓地があると、品川Iさんに聞いたので、行ってみたら、本当にあった。
四方をちょっと高いところに囲まれた窪地に大きな墓地があり、5つのお寺の共同墓地であると書いてあった。
古い地図を見ると、昔は、この周囲にお寺があったのだけれど、なぜか、お寺だけ移転してしまったよう、不思議。
我が家の近所にもお寺の移転や色々な都合でお墓を新しい土地に移されたという人がいるけれど、何で、ここはお寺だけが移転したのだろう?
この墓地に有名人のお墓があるか、その場で検索してみたが、それはないもよう。
手を合わせて帰って来た。(しかし、今の時代、ここが墓地だということを知っている人が多いだろうか、今更、移転し、更地になっても、買う人がいるかどうか難しいかも)
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その後、青埜さんよりもうちょっと先にバス停があり、新橋行きがちょっと待てば来そうだったので、それに乗って、新橋に行くことにして、ドンキで時間を潰したが、ちょうど、ハローウィンの時期だったので、色々な衣装を見ることができて楽しかった。
一番気に入ったのは、「美尻ショーツ」というもの、ミニスカートをはいたときに、お尻が上がっているように見せるお尻のパット付きのショーツなのだが、これは、痴漢にお尻を撫でられても、パットが撫でられることになり、とても良いのではと思った。

さて、また、停留所でバスを待っているとき、ふと見たら、下の画像のビルが見えたのだけれど、このビル、どこのビルだっけ?
(地図を見ても良く分からない)
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そうして、停留所についた渋谷発新橋行きのバスは、「渋88」というバス。
東京で一番乗降客の多いバスは、同じく渋谷と新橋の間を走る「都01」なのだが、それとは別ルートのバスのよう、乗るのは初めてだったが、窓のバスから見える景色が楽しかった。
ロシア大使館があったら、何だか、真っ黒な巨大なガンダムのような巨大ロボットを連想させる建物が見えた。
家に帰って調べたら、霊友会の釈迦殿のよう、何て言うか、ただただ、すごい、巨大と思った。
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by mw17mw | 2016-11-06 09:38 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(1)

国際文化会館内の小川治兵衛作「旧岩崎邸庭園」見学

鳥居坂下から坂を上ると、右側も塀に囲まれた緑で、一瞬、こちらが国際文化会館?と思ってしまうが、後で地図を調べたら、シンガポール大使館のよう。
その緑を見ながら、坂を上っていくと、左側に、「国際文化会館」と書いた入口があった。
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入口から建物玄関まで、自動車優先の感じ、左側の歩道を歩いて行くと、港区教育委員会が建てた「岩崎邸庭園」という立札があった。(文字が読めるように、文字の部分だけ切り取ろうと思ったが、後ろの石が大きくて余りに立派だったので、そのままとした)
主に書いてあることは、「この庭園の前身は、岩崎小弥太が昭和4年に建設した「岩崎家鳥居坂本邸」の庭で、近代日本庭園作庭の先駆者・第一人者である京都の「小川治兵衛」の作で昭和5年の実測図と比較しても、今でも、作庭当初の姿を大筋で残している、池泉回遊式日本庭園。」等々。
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建物前は、殆ど駐車場、建物の入口を入ると、ロビーがあり、そこに、旧岩崎邸、現在の国際文化会館の全体模型があった。
この土地は、江戸時代から幕末までは、「多度津藩(現香川県)の江戸屋敷」。
 その後、明治初期に井上馨候爵(外務大臣)の所有となり、次に、久邇宮邸(昭和天皇の妃である香淳皇后は、この邸で誕生)、赤星鉄馬邸、岩崎小彌太邸と変遷し、戦後は国有地となっていたものを国際文化会館が払い下げを受けたとのこと。
岩崎邸は、空襲で完全に焼失されたが、庭は残ったので、全体の土地の面影は、岩崎邸のもの。
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お庭を歩く許可をもらい、建物左手の出入り口から庭に出て、結婚式の邪魔にならないように、草木の中を歩いた。
そんなに広い面積ではないし、道らしい道はなく、何となく歩ける道しかないので、この庭は、やはり、庭の中を多くの人が散策することを前提として作られていない感じ。(一般公開していないのも頷ける)
やはり、岩崎小弥太さんがプライベートで歩くことを前提とした設計?
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お庭は坂になっており、上まで行ったら、何と、外側の塀の高さまで、土が盛られ、池や芝生まで、坂になっていることがわかった。
塀の外は、鳥居坂下からの道で、私たちが歩いてきた道なのだが、こういう瓦屋根の素敵な昔の塀の中にてっぺんまで土が盛られていて、塀の際までお庭だとは、全く想像できなかった。
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庭全体、まさか、人工的に作ったものであるとは感じさせない自然な設計だが、どこに何を植えるか、どこに燈籠や石を置かとか、全て、小川治兵衛さんが考えに考え抜いた結果なのだろう。
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茂みから、芝生や国際文化会館の建物を臨んだところ。
右側が本館(旧館)で、左側が新館?
旧館は、前川國男、吉村順三・坂倉準三の三人の共同設計で1955年(昭和30年)完成、また、1965年(昭和55年)に、前川國男さんの設計により旧館の改修と新館の増築が竣工されたとのこと。 
本館は、日本建築学会賞を受賞した他、2006年8月に文化庁が指定する「登録有形文化財」に登録された。
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池の方を見ると、石燈籠の上にサギが止まっていた。
そういえば、同じ小川治兵衛さんの旧古河庭園でも、サギがいたので、すぐわかった。旧古河庭園のはアオサギで、何でも、近所の六義園にサギの巣があるとのことで、そこから飛んできたのではとのこと。
こちらのサギは近所にある毛利庭園のものかしら?
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小さな滝のようなものがあり、そこをたどって上に上ると、水源があった。
旧古河庭園と違って、こちらは、地下水がまだ枯れていないのか、滝も池もまだ健在。
でも、今回は、芝生部分で結婚披露宴が行われていたので、池の方に近づけなかったのが残念。
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旧古河庭園に比べたら、規模が小さいけれど、遠くから見ても美しいし、その植木や岩の間を歩いても、変化があって楽しい。
詳しいことはよくわからなかったけれど、やはり、天才が作ったお庭という感じだろうか?
桜の時、紅葉の季節、素敵だろうな~。

このお庭、一般公開はされていないし、観覧のルールがはっきり公表されていない。
きっと、積極的には公開していないけれど、興味のある人で、常識を持って見てくれる人には、開かれているような気がする。
もし、庭の中も歩きたいのなら、私が習ったように、やはり、レストランやラウンジを利用した際に、「庭を見たい」と言って、許可をもらって、庭に入っていくのが良いと思う。
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by mw17mw | 2016-11-04 12:10 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

谷中フラフラ−「朝倉彫塑館」と「シャレースイスミニ」

先週の土曜日は、広島Iさんとお約束。
どこに行こうかと相談して、最初に決まったのが、先日、旧古河庭園のガイドさんに習った天才小川治兵衛さんの東京におけるもう一つの作品である国際文化会館のお庭訪問。
二人とも「国際文化会館」の存在すら知らなかったので、良くわからず、旧古河庭園のガイドさんの言によれば、「庭が見学のために開放されているわけではなく、レストランやカフェで食事すれば、見ることができる」とのこと。
ということは、国際文化会館でお昼を食べることに決定。

その後、広島Iさんが「俺のシリーズ」のどこかに行きたいと提案してくださり、女性二人だったら、イタリアンやフレンチより、割烹がたくさん種類を食べられそうということになった。
無事、銀座8丁目の「俺の割烹」の予約を広島Iさんが「5時」からで取ってくださった。

そうなると、夜しっかり食べるということは、国際文化会館の食事は、レストランのコース料理ではなく、カフェの方で軽い一品料理の軽食にすることとなった。

とここまでは決まったのだが、だったら、午前中は?ということになり、私の方から、他に何も浮かばないのなら、日暮里で待ち合せて、朝倉彫塑館を案内したいと提案した。

というのは、広島Iさんは、谷中は歩いたことがあるとのことだったが、行った場所を聞くと、朝倉彫塑館がなかったのだ。
私が思うに、谷中散策して、あんな素敵な朝倉彫塑館が抜けるなんて、あり得ないこと。(私の考えではですよ)
ということで、ちょっと強引に朝倉彫塑館を案内した。(後、朝倉彫塑館に行っておけば、二度と谷中に来なくても「見忘れはない」と言えると思うおせっかい<笑>)
私としては、台東区で一番好きな場所なので、趣味の押し付けをしてしまった。

でもね、朝倉彫塑館は、三人展という、「朝倉文夫」とお嬢さんの朝倉摂・響子さんの作品展をしていたのだ。
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悪いけれど、朝倉彫塑館とか庭園美術館とか、その建物と調度品が芸術的に優れている場合、他の作品を並べられると魅力が半減してしまうように思えた。

その上、耐震工事が終わって、今回見に行ったのが二度目なのだが、実は、真ん中の池の庭に置いてある巨大な石の並び方が耐震工事前と変っていて、全く、以前の意味をなしていない池となっていることに気づいてしまった。
その大きな5つの石は、「仁・義・礼・智・信」を表わすものとされ、耐震工事前のパンフには、朝倉文夫が、朝な夕なに、自分を戒めるために見ていたと書いてあった。
しかし、耐震工事で、ま~、やむを得ない事情かとは思うが、どういうわけか、石の並び方が台無しになっていた。(涙)
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(朝倉彫塑館は館内撮影禁止なのだが、屋上だからと画像を撮った)

旧古河庭園のガイドさんが、「戦前、お金持ちは、自分の庭に大きい石を飾ったものだ、それは富の象徴でもあったから」と習ったので、今まで気づかなかったけれど、朝倉文夫さんは、石の美しさに理解もあったのだろうが、著名人の銅像等を手掛けて関係で、お金に恵まれた芸術家であったから、あんな大きな石を5つも谷中のお庭に飾ることができたのだとわかった。

今回良かったのは、いつもは、和館の三階の朝陽の間を見終えた後、一階の玄関近くに戻り、洋館の階段を上がって、洋館の屋上に上がるのだが、今回は、和館の三階から洋館の二階に通じる戸が開けられており、そのまま、洋館の二階に出て、急な外階段を上がって、屋上に行くことができたことくらい。

屋上には家庭菜園を初め、色々な植物が植えられていて、日本風庭園とは全く異なる趣で面白い。
また、上野台地のてっぺんに建てられた三階建ての建物の屋上から周囲が広い範囲で見ることができること、錯覚なのだろうけれど、空が近くに感じられることが楽しかった。

この前に朝倉彫塑館に来た時は確か雨で屋上に出られなかった覚えがある。
家の真ん中の和の庭園がグレードダウンした今、雨が降っていないで、屋上に出て、庭や空を見ることができることにすごく価値を感じた。
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朝倉彫塑館を出た後、山手線で駒込まで出て、南北線に乗り換え、「麻布十番」に行けば良いのだが、日暮里駅に戻るのも知恵がないので、朝倉彫塑館から出た道を真っすぐ歩き、「スイス人がなぜか、お墓とお塔婆のある谷中に、山小屋を建ててしまったの」というシャレースイスミニに案内。
(ここは表通りに建っていたら、絶対的に周囲の景観を壊す建物だけれど、道からちょっと奥まったところに建っているので、どうにか周囲の景観を壊さないで済んでいる。)
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小さな庭を歩いて、建物の中をちらっと見て終わりだったけれど....。
お庭隅の鶏小屋に相変わらず鶏はいなかったけれど、二階建てのうさぎ小屋があったのだが、どうも、うさぎが一匹専用で、一階と二階が結ばれていた。
ハローウィンだから、かぼちゃがあったけれど、こんな大きいかぼちゃ、本物とのこと。
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シャレースイスミニを出て、諏方神社に入り、「ここが、40年くらい前に池波志乃と中尾彬が結婚式を挙げた神社」と紹介、そのまま神社の境内を突き抜けて、崖にある階段を下り、山手線や京浜東北線の下に山手線の線路の中側から外側に通じるトンネルみたいな抜け道を紹介、歩いて出てきた。(こんなもの、わざわざ紹介する必要もないのだけれど、存在自体が面白いので)

そうして、無事、西日暮里駅について、山手線に乗り、駒込駅から、南北線に乗った。
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by mw17mw | 2016-11-01 20:22 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

寛永寺根本中堂と徳川歴代将軍霊廟 特別公開

この土日は2日とも都内各所を有意義に散歩してきた、全て楽しかった。

本来なら、土曜日の行動から話すべきなのだが、そちらは分けると4回にわたってしまうので、短い日曜日の催し物参加の話を先に書く。

8月だったか、台東区の広報で、「寛永寺根本中堂と徳川歴代将軍霊廟 特別公開」の募集を発見、応募したら、当たり、その開催日が昨日の日曜日であった。
実は、数年前も応募したけれど外れてしまった、覚えがある。
その後、1年に一度の募集をすっかり忘れていて、全然応募しなかったのだが、今年はラッキーにも台東区の広報を見た時、その募集が目に入ってきたので、応募し、当たった。
Wikiの寛永寺によると、「通常は一般公開されていないが、5名以上の団体に限り予約制で毎月3日間程度公開されている。また台東区役所が主催する特別公開が毎年秋に1日だけ行われている。」とのことで、団体を組まない限り、一人、二人で徳川家の霊廟をお参り&見学できるのは、この台東区の年に一回の催し物だけのよう。)

台東区役所が募集するけれど、別に台東区民に限るという縛りはないようで、昨日、寛永寺の集合場所に全員集まったところで、台東区民は手を挙げてと言われたが、台東区民でない人も多そうであった。

で、この特別公開の感想を先に言うと、とても良かった。
説明してくださったお坊さんが世襲の若い方だったのだけれど、とても話術が上手だったし、性格が明るそうだった。
(今まで、寛永寺のお坊さんというと、「怖そう」と思ったけれど、この方は、とてもフレンドリー)

ここにだいたいの昨日の記録を書くけれど、建物の外観は撮影可だけれど、根本中堂の中は、寛永寺さんの方針で撮影禁止、徳川の歴代将軍のお墓も、徳川家のプライベートな墓地なので、撮影禁止とのことで、画像が撮れなかったのは残念だけれど、ま、それが常識だろう。(と言いながら、帰ってきてから、ネットで検索すると、お墓の画像なぞ沢山出てくるのでびっくり)
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今は、寛永寺は江戸時代は、上野の山丸ごと寛永寺で、30万5千坪だったところ、徳川幕府の時代が終わって、確か、現在、3万坪の小さなお寺になったとか。(3万坪は墓地を入れて)

今回特別公開への参加人数が80人ということで、二班に分けられ、私は一班、それぞれ、説明のお坊さんの後を付いて行き、説明を聞きながら見学。
「根本中堂集合→葵の間見学→靴を履いて徳川家霊廟→根本中堂の中を自由に見学」とのことだったが、一班は時間の関係で最後の根本中堂の中の見学が端折られてしまったのは残念だけれど、墓地から帰ってきたら、予定の終了時刻を過ぎていたので、致し方ないと思った。

最初に根本中堂にて、寛永寺の歴史や徳川家康の幼少のころからの菩提寺や宗派、昔の上野の山などについて、簡単に説明があった。
寛永寺は、徳川家の菩提寺として有名だけれど、実は、菩提寺として創建されたものではなく、「天海大僧正が、1625年、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため建立」したものとのことで、お坊さんは、「徳川家のお寺というのは間違いで、万民の平和を祈願するためのお寺でありますですので、皆さま、もっと何度でも寛永寺に来てください」と強調されていた。(そうそう寛永寺の創建は、家康の死(1616年)以降)

(そういう話の中で、あんみつのみはしは、店の前に堀があって、そこに三本の橋が架かっていたから、「みはし」というのは有名な話なのだが、その橋は、実は「将軍用」「大名用」「一般市民用」の三つの橋だったそうだ)

まずは、葵の間見学。
根本中堂の横から出て裏手に行くと渡り廊下があり、そこを渡る。
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渡り廊下を渡ったところが「大慈院」
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その中の葵の間は、幕末、徳川慶喜が謹慎をしたという部屋で、八畳くらいの二間続きの和室であった。
ずいぶん手を入れられているのだろう、古い感じがなく、新しいきれいな部屋であった、しかし、八畳二間程度という空間の狭さが、徳川将軍のいる場所にふさわしくないことだけは良く分かった。
やはり、江戸から明治に代わるとき、「大政奉還」をしているのに、官軍からの徳川幕府への攻撃は相当に執拗であったとのこと。

葵の間見学の後、本堂の方に戻って、靴を履いて、墓地の方へ。
墓地のところに古そうな立派な門があったけれど、何でも、上野の山が戦場になった戊辰戦争の時でも、古くからの徳川家墓地の施設は被害を受けなかったのに、第二次世界大戦の空襲では相当の痛手を受け、殆ど建物は焼けてしまい、残ったのはその赤い門だけとのこと。
(その近くに、徳川家が法要を上げるための建物もあったが、それは、戦後の建て直しとのこと)

この赤い門は、江戸時代のもので、戦災に負けずに残ったものとのこと。(ここから先、撮影は不許可)
当然と言っては当然なのだけれど、ここから先は墓地であるので、電線、電信柱、柵等全然ないのだ、そこも魅力。
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ここの石垣もそうだと思うのだが、明治以降、勝海舟は、徳川の墓所が荒らされないようにと、墓所の周囲に石垣の塀を巡らせたとのこと。
(勝海舟って、本当に、幕臣で、徳川家のことを第一に考えた一生だったのだろう)
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そんなことを聞きながら、最初には、徳川綱吉さんのお墓へ向かった。
徳川家の墓地はもちろん広くて、全体の配置はわからないけれど、樹木がたくさんの雑木林の中に、6つの将軍の墓地は点在しているのだと思う、。
私の勝手な感想だが、その雑木林は、江戸時代から続く上野の森の自然を残しているのではと思わせる雰囲気、表側の上野の公演だって、樹木がたくさんあるのだけれど、公園として、整備しているから、やはり、本当の自然ではない感じ。
今まで、不忍池に面している斜面(精養軒の裏の方)が一番上野の山の自然が残っていると聞いていたが、この徳川さんの霊廟には負ける気がする。
しかし、そこが雑木林のようと言っても、徳川の将軍の霊廟だから、道はきれいに確保されているし、ゴミや枯れ葉なぞは掃除されており、手入れの行き届きながらも、鬱蒼とした雑木林のようでとても良かった。
(ただ、惜しむらくは、少しは離れているが、上野の山の斜面の下の方を、JRの電車が走っているので、遠くの電車の音がうるさい。しかし、これが、徳川幕府が負けたということだろうなとも思う。もし、勝っていれば、墓地の近くに電車の線路を引かなかっただろう)

寛永寺には、6人の将軍のお墓があるとのことだったが、今回は、綱吉・吉宗家定(篤姫の夫)と篤姫のお墓を案内してくれた。
その他、徳川慶喜は15代目で、大政奉還をして、徳川宗家の家督を養子に譲った。
その後、徳川宗家は、存続し、現在は、18代目とのこと。
そうして、谷中の墓地には、徳川さんの16代、17代の方のお墓もあり、案内してくださった。(江戸時代は、最初は、増上寺だけが徳川さんの菩提寺であり、寛永寺は、祈祷所の位置づけだったとのこと。しかし、4、5代の将軍が「寛永寺に埋葬を」と遺言を残して、それが実行されたが、6代目以降は、葬儀や埋める場所に関する遺言は公表されず、交互に増上寺と寛永寺に葬られるようになったとのこと)

また、綱吉・吉宗さんのお墓は、単独であり、正室のお墓も谷中の墓地にはあるのだけれど、将軍とは全く別の場所とのこと、江戸時代、夫婦で並んでお墓が作られることはなかったらしい。
ただ、大河ドラマで人気であった篤姫は、亡くなったのが明治時代ということ、江戸から明治の激動の時期に、徳川宗家を残すために並々ならぬ努力をしたとのことで、家定さんと並んだところに、お墓を作られることが許されたとのこと。

お坊さんの話によると、将軍が亡くなられたときの埋葬方法なぞはトップシークレットで、誰も見たこともないし、寛永寺の場合、お墓自体は、戦争で損傷されなかったので、開けたことがないのだけれど、増上寺は、太平洋戦争で被害を受けたことなどがあり、他の場所への改葬が行われ、徳川将軍の墓を開けて整理したことがあり、その時の記録によると、古文書に書かれていた通りの姿で埋葬されていたとのこと。
(何でも、将軍の亡きがらは、衣冠束帯のいでたちで、あぐらというか、足の裏を合わせた座り方で、江戸城の方を向いて座っているとのこと。篤姫さんも、十二単を着ているとのこと。<座り方の説明はなかった。>)
それは、テレビで見たことがあった、将軍は死しても、江戸を守るのだと。
テレビの篤姫で、確か、家定が危篤状態から、篤姫は家定に会えなくなり、亡くなってから相当後になって、確か、昔風の木の家庭用の縦長の湯船みたいな形の棺桶と対面したのが今生の別れとして描かれていたと覚えている。
あ~いう棺桶の中で、正装で座らされているのだと思い、やはり、将軍というのは、死しても、横になることを許されず、永久に「世の中を守るトップリーダー」の役割を捨てられないのだと思った。

しかし、徳川家とのお付き合いが長い寛永寺のお坊さんから、色々な将軍たちのエピソードを聞くのはとてもためになったし、巷では、有能な将軍、無能な将軍と色々に評価されるが、どの人の一生も全て大変だったろうな、その上、死んだ後も、衣冠束帯で座った姿勢で江戸の街を守るのだから、偉い人(将軍)に生まれついたら、本当に死んだ後も将軍なのだ、有能だろうと無能だろうと、どの人の人生も大変だったろうなと思った。(笑)

その後1班、2班が揃った後、案内してくださったお坊さんにお礼を言って、解散。
実は、寛永寺に行く途中で、芸大美術館で、「驚きの明治工芸」展ポスターを見て、「あ、見るのを忘れていた」ことを思い出した。
それがその日が最終日、また、寛永寺の特別公開が予定通り3時半で終われば、楽勝と思ったのに、実際に解散した時間が4時ちょっと前、美術館は5時までなので、慌てて、お寺の写真を撮り、急ぎ足で芸大美術館に向かったら、何とか展覧会に入ることができた。
テレビでよく取り上げられる明治工芸を集めた清水三年坂美術館程、華やかなものはなかったが、本当に細かい仕事がきちっとされた作品ばかりであった。(製作者の名前はあったが、現在誰が所有しているかが書いてなくてつまらなかった)
「昔の人は、良くこんな細かい仕事ができる」と驚き。

という充実の日曜日の午後、何も飲まずに、お墓巡りや美術館の展示巡りをしたら、喉が渇いて、最後、湯島のマンマミアでジェラートを食べて家路についた。

私としては、徳川家を尊敬できる人には、とてもお勧めの特別公開と思う。
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by mw17mw | 2016-10-31 17:43 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)