カテゴリ:東京都内のお散歩・見物( 340 )

入谷・根岸 下町歩きツアー 3/3(主に、下谷の秘密の花園?)

最後は、快哉湯という廃業してしまったお風呂屋の前でそのお風呂屋さんの長所を聞いてから、とあるゲストハウスに連れられて行った。

この建物は、ごく普通のそこらへんにある建物で、二階の窓からは、沢山の洗濯ものが見えて、庶民的過ぎる、この建物のどこを見るというのか、想像できなかった。
その建物の一階は、ゲストハウスの受付&バーになっていた。
中に入ると、結構奥行きのない建物であることが分かり、裏口の奥にももう一軒家があるのがわかった、それが素敵そうな日本家屋だったのだ。


d0063149_17041337.jpg

こちらが、前の家から見た奥の家の入口。
完全に和風木造建築、これだったら、見学するというのはわかる。
と思ったが、この建物は、お客さんが泊まる客室があるので、中に入ることはできなかった。
その代わり、この玄関の手前を左に曲がると...。


d0063149_17042029.jpg

そこには、金魚が泳いでいる池があり、池にかかっている石橋を渡ると、ここが台東区の低地部分の下町であることを忘れて、京都にいるような気分になれる庭があったのだ、うわ~、これこそ、秘密の花園。(それに、池のお水は地下水?枯れていないのかな?)
外から見たら、まさか、窓から洗濯物を干している民家に隠れて、裏に、こんな素敵な庭があるなんて、絶対わからない。
下町版秘密の花園?


d0063149_17042610.jpg

ゲストハウスの客室である建物は、ずずっと縁側が回っていて、座敷と縁側の仕切りは障子戸、廊下の外はガラス戸がはめられた建物。
いいな~。

d0063149_17350929.jpg

このお庭の左隣は、小野照崎神社で、このお庭から、小野照崎の富士塚の裏側が見られるとのこと。
それにしても素敵なお庭なので、びっくり!
この建物がどういう歴史を持っているのかとか全くわかっていない。
ただ、まさかまさかの素敵な空間で、びっくりしてしまい、その意外性で、私としては、今回のツアーでは、このお庭が一番印象に残った。
細かいことは、良くわからないけれど、このお庭と建物をゲストハウスの経営者の方が生かして、残してくれて、ありがとうという感じ?


d0063149_17043161.jpg

で、このゲストハウスの名前は、「ゲストハウスtoco」とのこと。(その前に「古民家」がつくらしい)
TripAdvisorでも、4.5の評点だから、評判が良いのではと思う。


d0063149_17370077.jpg

通常は、チェックインが4時からで、バーは7時から営業だから、ここに泊まらない限りは、お庭を見学することができない筈。
でも、それが、今度の日曜日22日、10:00~17:00まで、7周年イベントとして、この裏の建物を使って「まぜこぜ自由市」というワークショップや飲食店が出る催し物が開かれるそう。
そう、このお庭を見たい方は、今度の日曜日だけがチャンスです。


d0063149_17364834.jpg

このtocoさんを見学して、言問い通りに面したレストランでお茶を飲んで解散となった。
雨だったし、予定を全て回れたわけではないのだが、有名な場所をしっかり書き込んだ地図をいただいたので、今度、見損なったところを見に行きたい。

<おまけ>
ずっと話題にしたかったのだが、短い話題なので、紹介できなかったお家を、今回はちょうど古民家関連の話題なので、ついでにご紹介。
本郷に真砂中央図書館があるのだけれど、そのはす向かいに、立派なお屋敷風日本家屋が残っているのだ。
(門の横に小さな部屋があり、「ここに、地方から出てきた書生を住まわせたのかな?」とか想像して楽しんでいる。そして、現在、表札がかかっておらず、誰かが住んでいるという感じを受けない)
この建物を見る度に、昔は、本郷中に、こういうお金持ちの中流家庭が住んでいたようなお屋敷が沢山あったのだなと思う、でも、今となってはそれらの殆どはマンションに代わってしまった。
先日まで真砂図書館が工事中で、半年だったか一年くらい近寄らなかったのだが、どうも工事が終わったらしいとのことで、行ってみたのだが、このお屋敷はまだあってホッ。
(この道を真っすぐ行くと、炭団(たどん)坂に出るのだが、その手前に、坪内逍遥が住んでいたという屋敷があったのだが、既にもう壊されている。炭団坂を下ると、小さな家が密集する下町となる。)


d0063149_11355210.jpg

今、記事を書くのにあたり、真砂坂上界隈のGoogle Mapを見たら、この家のこと「旧諸井恒平邸」と出てきた。
その人名をwikiで調べたら、「諸井恒平さんは、セメント王だった」そう。
やはり、そのくらいの名前のあるお金持ちのお屋敷だったのだ、納得。

[PR]

by mw17mw | 2017-10-19 17:40 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

入谷・根岸 下町歩きツアー 2/3(主に、旧陸奥宗光邸・矢嶋写真館)

子規庵を出た後、来た時とは別の路地、と言ってもホテル街をを歩いて、笹の雪の近くまで戻った。
そのホテル街の道も、明治時代は、一番正式な道で、正岡子規に会いに行く人たちが通った道だったとのこと。

そうして、横断歩道橋を通って、根岸小学校の方に渡り、その横の路地を歩いて、旧陸奥宗光邸に。
ここからは主に、古い建物見学になっていく。

何でも、1816年から1820年まで、陸奥宗光が欧州への留学中に、二番目の妻である亮子と先妻の子どもたちが、住んでいたらしい。
(その後、陸奥宗光が日本に戻ってくると、六本木に引っ越し、最終的には、駒込の現在の古河庭園に居を構えた。)
根岸には、他にも洋館があるけれど、実は、本当の西洋の洋館建築と、中身は和風建築ながら表面だけを洋館風にしたものがあるとのこと。
旧陸奥宗光邸は、完全な洋館建築で、屋根裏の梁の入れ方なぞ、西洋風なのだって。

今では、この白い建物だけが旧陸奥宗光邸だけれど、実際に陸奥宗光の家族が使用していた明治時代には、左右前後の土地、全てがお屋敷の敷地であったそう、確か、2千坪だったとか。(今はそれらが切り売りされ、周囲にびっしり民家が細かく建っている)

場所は、言問い通り沿い、鶯台駅南口の向かい側から鶯谷駅北口向かい側に向かって路地を見ながら歩いていると、出てくる。(結構、わかりやすく、私も以前から知っていた。)



d0063149_12260165.jpg

この建物に案内板があって、陸奥宗光邸であったことと、その後に住んだちりめん本の成功者のことが書いてあった。
下の写真最下段の右から二番目の女性の横顔の写真が、陸奥宗光の二番目の奥さんである「陸奥亮子」。
本当にきれいな人で、日本においては、「鹿鳴館の華」、陸奥宗光が駐米大使になったとき、アメリカに行き、そこで、「ワシントン社交界の華」と評判になった女性だったとか。(確かに、この横顔の写真は見たことがある、昔の女性というより、現在の女性に通じる容貌)

ちりめん本は、長谷川武次郎さんという方が考案したもので、「欧文和装本で、和紙を使用し、木版多色刷りで挿絵を入れ、文章を活版で印刷し、縮緬布のような風合を持った絵入り本」。
これが海外で受け、輸出されていたらしい。(海外に輸出されていたものなので、日本には余り残っていないし、有名ではない)
その長谷川武次郎さんが、この家を買い取り、私宅と会社に使用していた、今でも、その子孫である西宮さんの所有で、実際に住まわれているとのこと。(だから、中に入ることはできない)


d0063149_12265382.jpg
次に「そら塾」や「世尊寺」も案内されたが、紹介を割愛。

元々は明治時代の建物で、何度か手を入れて使用してきたとのこと。
関東大震災では倒壊を免れ、戦災にも遭わず、今でも健在なのだが、今の形になったのは、昭和初めとのこと。
こちらは、案内役の中村さんが建物の保存が縁で懇意にされているとかで、特別、2Fの写真スタジオまで見せてくださった。
(何でも、2013年に後継者がいないとのことで、写真館は閉じて、この建物も建て替えようと思ったけれど、中村さんたちのこの建物に対する評価を聞いて、改めてその価値がわかり、当分の間、昔のまま使って行こうということになったそう。)
こちらの建物は、骨組み等、日本式の木造建築で、その表面を洋館風に飾ったもの。
(矢嶋写真館の2,3ブロック手前にも、似たような建築がある)

スタジオも良かった、スタジオと待合室を分けるドアの建具なぞ、もう今の時代では作れないような細工のドアであった。

d0063149_16251287.jpg
<にびきと山口煎り豆店>
矢嶋写真館の向かい側に、二軒、昔の木造家屋が残っていた。
にびきというふぐ料理のお店と山口煎り豆店。
昔は、この金杉通の両側には、こういう屋根の建物がずらっと並んでいたとのこと、その時代、街並みがきれいだったろう。
(実はこの様式のお家はまだまだ残っているらしいが、昭和の時代に、表面を今風に囲ってしまったり、わかりにくくなっているとのこと。建物は、横から見て、そういう囲いがないかどうかチェックすると良いとのこと)


d0063149_16340556.jpg

[PR]

by mw17mw | 2017-10-19 09:20 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

入谷・根岸 下町歩きツアー 1/3(主に、子規庵・鶯谷駅)

わ~い、実は、7月にジャパネットが、一日限定で特価で販売したエアウィーブの敷布団を注文したのだが、お届けが3か月後という条件だった。
それが...それが...とうとう今日届くと、佐川からメールが入ったのだ、すごく楽しみ!

---本題です---

先日、紹介した「good day 入谷 2017」という催し物 のページに、「入谷・根岸 下町ツアー」が10月15日に開催され、参加者を募集していたので、応募して、参加させていただいた。

鶯谷駅で午後1時に集合。


d0063149_17415750.jpg


主な立ち寄りスポットは「子規庵(正岡子規が過ごした住居)、旧陸奥宗光邸(西宮邸。住宅用として建てられた洋館では都内最古の現存例のひとつ)、矢島寫眞館(1918年開業)、そら塾(昭和初期の三軒長屋アートスペース)、金杉通り、下谷の路地など」で、案内してくださる方は、根岸地域が「奥村雅夫さん(根岸子規会会長、ご実家は根岸にある創業326年の豆富料理「笹乃雪」)、入谷地域が「中村出さん(たいとう歴史都市研究会理事、台東区根岸の矢島寫眞館の建物保存に携わる)」とのこと、期待できる。

それが前日から、まさかの一日小雨の天気予報、そして、そのまま、小雨の中決行された。(涙)
ま~、小雨だったので、そんなに辛かったりはしないけれど、何せ、片手は傘でふさがっているので、所々、名もないところで素敵なところがあっても、カメラが出せなかったり、地図を広げることができたなかったことが残念であった。

最初に、明治35年の根岸界隈の地図に見て歩く予定の場所を含む現在の有名な場所の位置ををかき込んだものを配ってくださった。
案内役の奥村さんから、「皆さんを明治35年頃、子規が亡くなった頃の根岸に案内したいので、大きな真っすぐの道路があったら、それは明治35年くらいにはなかったものなので、自分で景色から消してください」と告げられる。
今では、鶯谷駅に近い根岸は、変なホテルばかり乱立しているけれど、江戸時代から明治の中期の頃はもちろんそんなものはなく、線路で上野の山と分断されていない低地で、江戸のお金持ちの別荘地だったし、文人が多く住んでいる地域だったそう。

結論から言うと、とてもためになる良い会であったので、きっと、来年も同じ催し物が開かれるとしたら、参加されると良いと思う。
(入谷・根岸は、無名ではないが、谷根千ほど、マスコミに取り上げられることが少ないと思う)

私は、ずっと昔、個人的興味で何度か自転車で探検したことがあったのと、今、根岸のタジマヤに通っているので、だいたいの地理はわかっている程度の知識。(でも、そこから深く入るような材料がないのだ)

何が良かったかというと、案内してくださった方が、本当に地元を愛し、長年研究されていて、どこに行っても、細かく色々なことを説明してくださること、その知識たるや、舌を巻いてしまうような、知らなかったことばかり。(根岸担当の奥村さんは、正岡子規研究家でも根岸を研究して20年、古地図とにらめっこすることが趣味で、まだまだ、根岸と正岡子規の研究者としては初心者と謙遜されていた)
とても、ためになったし、楽しかった。

まずは、鶯谷駅北口を出発して、笹の雪のところで、説明を受けた後、笹の雪の前からぐるっと回って、根岸三平堂へ。
故林家三平家は、結構路地裏にあってわかりにくいが、大きくて立派。


d0063149_17420442.jpg
そこをまた裏の方に回ると、子規庵や書道美術館なぞがある他、普通の家でも趣のある建物があったり、素敵な路地裏が存在していた。
子規庵は、勿論、子規存命中のものではなく、その後、2,3度建て直されたが、東京大空襲は免れたのに、その1か月後の空襲で燃やされてしまい、戦後、弟子たちが昔通りに建て直したものとのこと。


d0063149_17421010.jpg
中に入ると、5分くらいのビデオを見ることができ、その後、奥村さんが色々説明してくださった。

正岡子規の庵で、やはり、俳人仲間というのだろうか、正岡子規を慕って通ってくる多数の若者たちとの集合写真がとても印象的だった。
病気でも、正岡子規の文才と性格で、これだけの人に慕われていたのかと、それだけで、正岡子規の素晴らしさがわかるような写真であった。

正岡子規が伏していた部屋は、庭に面していて、テレビで描かれるとおり、部屋の先にヘチマがぶら下がっていた。


d0063149_09055798.jpg

奥村さんの話だと、正岡子規が生きていた頃、子規庵の周囲は、平屋ばかりだったので、正岡子規が庭に目を向けると、そこより遠くの方に上野の山の緑も見えた筈とのこと。
だから、子規は、療養中、自分の庭だけではなく、その先の上野の山の碧を楽しんでいたらしい。

子規庵は、縁側から庭に出られるので、庭を歩いてから、裏口から出てきた。

d0063149_09060018.jpg

裏口から出たところで、また奥村さんが説明をしてくれた。
子規庵があるところの横は、あの加賀百万石の前田家の敷地3千坪のお屋敷と庭だったそう。
(子規庵の大家さんも前田家だったのだって)
何でも、江戸幕府が終わり、前田家も本郷の上屋敷から出なくては行けなくなり、上屋敷の機能をいくつかに分け、明治5年に、隠居所の機能を根岸に持って来たとのこと。(その3千坪は、農地だったものを買いとったらしい)
その半分が隠居所で、残りの半分が使用人の家だったとか。

で、そのうち、隠居人たちも他界され、隠居所を置いておく必要がなくなり、お殿様の土地三千坪をそのまま買う人もなく、その土地は、買ってくれそうな結構身分の高い元武士の屋敷に合わせて、大きな区割りで売却されたとのこと。
それをまた時代が経ってから売却するときに一つの土地が広いので、個人で買うには大きすぎ、旅館やホテル業者に売れたらしい。(こういうホテルは盛り場の隣の駅にできるものとのことで、鶯谷駅は、上野駅の隣だから、そういう業者には恰好の場所だったのだ。←その事情は武家屋敷が沢山あった湯島も同じ)

へ~、まさかまさか、鶯谷駅近くの根岸に、前田家の屋敷があったとは、想像したこともなかった。

その他、本当に奥村さんは詳しいので、「鶯谷という地名がなかったらしいですが、何で、鶯谷という駅名になったのですか?」と聞いたら、明治35年の地図の中から、ちょうど上野の山と低地の境あたりに、「鶯町」という場所があったことを教えてくれた。
その鴬町のところに、木の絵が沢山描いてあったから、小さな林だったのかも知れない。
そして、そこが上野の山に対して、低地であったので、鶯谷という名前になったのかもね。
wikiの鶯谷に、「江戸時代に寛永寺の住職として、代々京都から皇族が駐在していた。その一人である公弁が、元禄年間に「江戸の鶯はなまっている」といって当時の文化人・尾形乾山に京都から鶯を運ばせて、この地域に鶯を放し、鶯の名所になったことに由来する。」と書いてあるが、その鶯を放した地域が「鶯町」かも)

今回、このツアーは、「入谷・根岸 下町歩きツアー」という名前であったが、実際は、今の住居表示の「入谷」には行かなかった。
というのは、入谷というのは、江戸から明治にかけては入谷村とか、入谷田圃というところだったので、古い物が何もないようなのだ。
今の昭和通りは、奥州街道の裏街道とのことで(ん?書いている私も意味は良くわからないが)、その両側は、町だったみたいで、都心に近い方が「坂本町」、北の方に行くと「金杉町」という名前だったのに、明治以降何度かの住居表示の変更を重ねるうちに、昭和通りの東側の住居表示は田圃から取った「入谷」に統一され、西側は「下谷」という地名がつけられたそう。(下谷という地名は元々はその近所にはなく、元々は現在の上野広小路あたりをいう地名であったとのこと)

今の入谷という地域が発展したのは、いつからかは不明だが、相当新しく、田んぼが埋め立てられ、人家ができてきて、金美館通りのような商店街が賑やかになった頃なのだろう。

そうそう、それに、今の住居表示の根岸という地域は、南北に細長くて、鶯谷駅前から三ノ輪駅の方まで5丁目まである広さなのだが、江戸時代からの遺物を語るとしたら、やはり、都心に近い鶯谷駅近くの上根岸・中根岸だけのよう。

正岡子規が、元々文人が好んで住む土地柄であったことが気に入って移ってきたとのことだが、結核の療養に向いた、自然豊かで空気のきれいな地域であったことは間違いない。

[PR]

by mw17mw | 2017-10-18 09:09 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(1)

連休最後は、東京国立博物館の常設展へ

中途半端に時間があったので、先日、見損なった常設展示に、お金を払って行って来た。
私の見たいものは、本館にある筈と、本館に行ったら、今、一時間に一回「DOGU」という映画が有料で上映されていると書いてあった。


d0063149_20453824.jpg
(「DOGU]を「どぐう」と読める人は、教養のある人、私は、かっぱ橋近くの人間だから、「どうぐ」と読んでしまった。)
最近、縄文土器に興味がある私だし、上映開始時間も近かったので、東洋館の地下の上映場所に行って見て来た。
でもね、土偶だけは何のために作ったかとか、何に使ったか、解明できない道具とのことで、結論がないのだ。
ま、それでも、縄文時代は1万年続いて、弥生時代に比べて圧倒的に長かったことがわかったことが良かったかな?(というより、農業で米を作るようになった後、人類の進歩が早くなったかも)
周囲の子どもたちは、「面白かった~」と言っていたけれどね。

映画が終わって、東洋館の地下を通って、本館に戻ったのだけれど、東洋館の地下には、クメール文化というのだろうか、カンボジアの仏像が沢山あって、素敵であった。
本館で、作品の写真を撮っている人が沢山いたので、係りの人に聞いたら、「撮影禁止」のマークがついていなければ、ご自由に撮影してくださいとのことで、その後からは私も展示作品の写真を撮った。
もしかして、東洋館もそうだったかもしれない、クメールの仏像、写真を撮ってくれば良かった。


d0063149_20453336.jpg

その後、「運慶の後継者たち」という展示を見に、1Fの14という部屋を目指した。
その前だったか、その前の部屋が、刀を展示している部屋で、そこだけは、行列ができていてびっくりした。
テレビで時々「今、武将が人気とか、刀が人気だ」とか言っているのを見たことはあるが、実感したことはなかった。
しかし、この刀人気を見て、本当だ、若い人が刀や戦国時代に興味を持っているということを実感した。

運慶の後継者たちの主な展示物は、運慶の孫の康円という運慶の孫の作品であった。
それなりに良かったけれど、運慶は才能もあったけれど、ちょうど時代の過渡期に生きて、前の時代の技術も習得した後、後に続く時代の流れやニーズを敏感に感じて、進歩できたのだなと思った。(そういう時に恵まれるかどうかで、生まれる作品はずいぶん違うのだろう)

で、その部屋を出て15,16と回っていくと、その間だったかな、本館の裏側の真ん中くらいに出るみたいで、裏の庭に続きそうなガラスの戸があって、そこから出ると、バルコニーがあって、東博のお庭を見ることができて、素敵だった。

今まで、東博のお庭は春と秋の特別な期間にしか、歩けなくて、また、このように、本館の中からお庭を見ることができなかったと思うが、これはとても良いアイディアと思った
(一二度、東博のお庭を歩いたことがあるが、必ずしも、植物等の手入れが良いわけでもなく、池の水も汚く、一度歩けば、十分という印象だったと思う。でも、こうやって、1階のバルコニーから見ることができた方がきれいに見えると思う)
。(と言いながら、秋の庭園開放は、「10月24日から12月3日」 とのこと)


d0063149_20455482.jpg
天気の良い日で気持ちがよかった。


d0063149_20455808.jpg

建物の中に戻って、平成館の方に向かうと、ちょうど本館と平成館のつなぎ目のところに、現代的な休憩所があって、ソファも大きくて柔らかくて、こちらも素敵。(こちらからも庭を見ることができる)

d0063149_20460267.jpg
平成館の一階の半分くらいは、「日本の考古」
國學院大學も良いけれど、流石、東博だな~という品揃えで、珍しいものが種類多くある感じ。
(埴輪はこちらの方が揃っているかも、土器は、國學院かな?でも、東博は、沢山の所蔵物を展示していないだけかも)
こちらの多分右側の埴輪が「盛装の女子」?

d0063149_20460618.jpg

平成館の「日本の考古」を見た後、また、本館の1Fに戻ったのだけれど、玄関に近いところに、天井が思い切り高い、とても大きな休憩室を発見。
ここ、いいね~、フランスの映画に出てきそうな部屋、レトロ感が素敵。

本館全体、また、本館の前のお庭中、沢山椅子が用意されていて、いくらでも、休むことができるところが良い。

d0063149_20460986.jpg

この本館は、2Fに、貴賓室のような部屋があり、そこに、この建物が昭和13年に建てられたと書いてあった。
ということは、もうこの建物ができて79年?
そんなに古い感じはしなけれど、やはり、現代の建築とは違う雰囲気であることが素敵。


d0063149_20461309.jpg
2Fに飾られている「埴輪 盛装の男子」を見てから、博物館を後にした。(2Fまでは階段が長いので、エレベータで往復した)
行きは、五条天神や韻松亭の横の坂を上がってきたのだが、帰りは、東博からまっすぐ行くとある桜並木を通って帰ろうとしたら、何でも、「倒木の危険性あり」とのことで、桜並木の殆どが通行禁止になっていた。(両脇の道だけ歩くことが可能だったかな?私は自転車だから、Uターンして、五条天神の横から不忍池の方に出た)

[PR]

by mw17mw | 2017-10-14 19:15 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(2)

東京国立博物館「運慶」2/2

今回、私が飽きずに集中力を持ってみることができたのは、先日購入したモノキュラー(単眼鏡)4×12を持っていったこと、行く前にYoutubeで「運慶」で検索したら、結構教養番組が出てきて、それを見て、予習してから行ったことが大きかった。
特にyoutubeで見た「運慶」番組で、運慶の技法は、一木造りではなく、寄木造りだと知ったのだ。
有名な東大寺の仁王像の阿形像は、何と、3千パーツを組み立ててできていると聞いてびっくり。

この番組は最初から見てほしいけれど、4分55秒あたりから、3千ピースの話、3千ピースをコンピューターグラフィックスではめ込んでいく場面がみられる、すごくダイナミック。




この番組を見てから、展覧会に行ったものだから、ついつい、全ての作品に木と木の継ぎ目がないのか、モノキュラーを使って探してしまった。(笑)
でも、やはり、そこはプロ、「これは継ぎ目かな?」と思えるような個所は全作品で2か所くらいしか見つからなかった。

仁王像みたいに大きなものだから、3千パーツであり、今回展示されているごく普通の大きさの像は、寄木造りとは言え、そんなにパーツは多くないのではと思って、また、Youtubeを探したら、普通の大きさの寄木造りの仏像の彫り方が見つかった。
下記快慶を特集した美の巨人たちに出てくるのだが、頭部で、前と後ろの2パーツのよう。
(10分59秒~13分40秒の間の玉眼の作り方の一部として、仏像の頭の部分の作り方が解説されている。)





先日紹介した「仏像ミステリー 運慶とは何者か?」という2時間番組を見たが、何ていうのかな、だらだらした2時間番組で、「今、国宝級の仏像が、最新の科学技術で次々に調査されている。目的は800年前の天才仏師・運慶の謎の解明。」というところは最後の30分だけで、そこにたどり着くまで、別に芸人さんとか女優さんが悪いわけではないけれど、一般人を代表して出演している人たちにごく普通の感想を言わせたり、ボディビルダーを呼んできて、仏像と同じポーズを取らせたりと、私からすると余計なことが多くて、ちょっとがっかり。

その番組の後、引き続き、1時間半の長さの「北斎インパクト~世界が愛した超絶アート~」だったのでそれも見たけれど、「NHKは、大規模な特別展を今年開催した大英博物館の研究チームと、8K超高精細カメラを使って作品を調査。なぜ江戸の一浮世絵師が、世界にインパクトを与えたのか、解明に挑んだ。」という番組なのだけれど、そこに行きつくまで、他の話も多くて、辟易。

最近、読み切らなかったが、「伝え方が9割」という本が流行っているそう。
そうなのだ、伝え方の技術で全ての印象が決まってしまうし、必要なことが相手に伝わる、伝わらないも決まるというのに、どうして、NHKは、連休中に放映されるとは言え、1時間半とか2時間もかけて、あんなダラダラした番組を作るのかしらね?
全国民が暇だと思っているのかしらね?
言いたいことが実は1つではなく、3つも4つもあるのなら、30分番組を4つに分けるとか、1時間番組を2つにするとかにして欲しい。

と文句ばかり言ったが、面白かったのは、運慶の作る仏像の内部に色々な内臓物が入っていることが、CTスキャンなぞにかけることがわかったというところは良かった。
仏像によっては、中の空洞に、水晶の玉が入っていたり、運慶って、人間や仏様が持っている内面の美しさ・素晴らしさを外面に表わすだけではなく、その元である清い心なぞを形にして、埋め込んだのかな?
何だかね、運慶さんの作品を見たり、解説を聞くと、本当に人間としても自他ともの心を大切にした素晴らしい人だと思う。
(だから、アンドロイド研究家を出演させて、運慶への興味を語らせるのも、ずいぶん、的外れだと思う)

[PR]

by mw17mw | 2017-10-10 12:02 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(2)

東京国立博物館「運慶」1/2

本題に入る前に、明日のNHKBSプレミアムの番組について
2017年10月7日(土) 19時00分~21時00分に「仏像ミステリー 運慶とは何者か?」という番組があるみたい。
(「今、国宝級の仏像が、最新の科学技術で次々に調査されている。目的は800年前の天才仏師・運慶の謎の解明。」という番組らしい)
その後、引き続き、21時00分~22時30分は「北斎インパクト~世界が愛した超絶アート~」とのこと。
(「NHKは、大規模な特別展を今年開催した大英博物館の研究チームと、8K超高精細カメラを使って作品を調査。なぜ江戸の一浮世絵師が、世界にインパクトを与えたのか、解明に挑んだ。」という番組のよう)
両方、見なくては。

---本題です---

先週、土曜日の午後5時に東京国立博物館の「運慶」という特別展に行って来た。
確か、今まで、金曜日の夜だけ夜間開館だったと思うのだが、この運慶展は、金土と11月2日(木)は、午後9時まで開館とのこと。
ということで、土曜日の夜なら、行きやすいので、最初の土曜日、午後5時頃着くように行ってみたら、やはり、人気のある催し物だから、程好い混み方であった。(空いているという程でもなく、混んでいるという程でもなくという感じ)

しかし、運慶の作品だけではなく、そのお父さん、また、運慶の子どもたちの作品も展示されていて、それも殆ど、360度後ろからも見ることができる展示法だったので、目から入る情報量がものすごい。

私は、見出してから1時間半後の午後6時半頃に疲れを感じ、集中力が途切れた感じで、「もう一回来るから、後は次回にしよう」と思ってしまった。(笑)

で、良かったか悪かったかなぞ、私がとやかく言うレベルでもないので、作品以外の話をば。

1.本当に全てが揃うのは10/21~10/29だけのよう
目録をもらってきて、チェックしたのだが、運慶の22作品が全て揃うのは、実は、10/21~10/29の間だけ。
その期間以外、運慶作品22点すべては見られないことがわかった。(仏像の中に入っていた書は、途中で入れ替わるけれど、書だから、省略、また康慶の地蔵菩薩坐像も諦めて)

下記作品が全期間展示されないのだ。
 阿弥陀如来像&観音菩薩坐像      9/26~10/29
地蔵菩薩坐像 康慶作          10/31~11/26
阿弥陀如来坐像及び両脇侍坐像 運慶作  10/21~11/26
重源上人坐像              10/7~11/26

2.入場券をどこで買う?
品川Iさんに、いつもとは限らないが、金券ショップで前売り券の売れ残りなど、前売り券価格で売られていることがあると聞いたので、上野の山に行くときの道沿いにある、御徒町駅前の金券ショップ2軒を見てみたら、あるは、あるは、え~、美術展の入場券って、こういうところにあるの?とびっくり。(この金券ショップには、山梨に行くときの切符を買う以外近づいていないので、知らなかった。)
d0063149_17430565.jpg
Ticketyというお店で、運慶は、1500円だったが、数軒先の大黒屋では、1400円という前売り券値段だったので、大黒屋でお買い上げ。
なんだ、今まで、前売り券買い損なっていて、東博や上野駅の中とか、上野公園の中の売り場で定価で買うしかないと思っていたけれど、私の場合、御徒町で買えば良いのだ、一つ利口になった。(100円、200円の話しだから、家の近所にある、もしくは、定期の範囲内にある金券ショップが頼り)

3.朝日新聞の号外が素敵
展示場に入ると、まず、目録があるのだが、それをもらい、第一会場、第二会場を見た後だったか、お土産売り場の反対側に、椅子が並んだ休憩所があるのだが、そこに座っている人が皆、運慶の作品の写真が沢山載った新聞を見ていた。
よ~く周囲を見渡すと、その朝日新聞の号外という「運慶」特集が積み上げられていた。
一部もらってきたけれど、今回展示された運慶作品22点の写真が全て載っていて、後から、とても参考になった。
(運慶以外の作品は載っていないけれど、そこまで欲しいなら、図録を購入すべき)


d0063149_17430201.jpg

4.持っていれば、モノキュラー(単眼鏡)が役に立つ(上の画像の短い望遠鏡状のもの)
結構小さな作品も多く、色が残っている作品も多く、モノキュラーがあれば、裸眼で見るより、楽しく見ることができる。
今回、モノキュラーを結構使えたのだが、小さな作品をモノキュラーで見ると、片目はつぶっているので、自分の目に映るものは、モノキュラーを通した作品だけで、それ以外の周囲は全く見えないのだ。
勿論、細部まできれいに見えることもメリットなのだが、その分、一対一で対峙できたような充実感も味わえることを経験できた。
しかし、モノキュラーを持って見て回ると、周囲からは、何だか、熱心な人に見えるだろうなと恥ずかしくなるけれど。

運慶のお父さんの作品、運慶の作品、運慶の子どもたちの作品と、全部合わせると80体くらいの量があるようで、美術館に展示だから、後ろからも見えるように展示してあるものも多く、とにかく、目から入る情報量が凄かった。
5時に入って、最後の部屋に入ったのが、6時半だったけれど、すっかり疲れてしまって、集中力が切れてしまい、「え~い、再度見に来るから、最後の部屋は今回見ない」と思ってしまった。

この特別展の入場券は、入場当日なら、平常展も見ることができると書いてあるが、こちらの集中力の関係で、無理だと思った。

そういえば、以前、特別展の入場券の半券で、それから1か月か3か月の間だったら、平常展に入れたと記憶していたので、また、別の日に行けばいいと思ったのだが、家に帰って半券等良く読んだら、今は、当日以外は平常展に入れないらしい、残念。
「運慶の後継者たち」とか「埴輪 盛装の男子」なぞに興味津々。(東博さん、是非、以前の制度に戻してください。)
これも品川Iさんに習ったのだけれど、美術館等の半券を持っていると、アトレ上野で、色々な小さなサービスを受けられるらしい。(細かいサービスの内容は、こちら


d0063149_17430976.jpg

[PR]

by mw17mw | 2017-10-06 17:55 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(4)

入谷でパクチーレモンジンジャースカッシュ& good day 入谷2017


先日発見した「ヌンパンサンドウィッチ クロスタウンカフェ」に行って、気になっていた「パクチーレモンジンジャースカッシュ」のうたい文句「新感覚の食べるソーダ」が気になって、飲んできてしまった。
透明の普通の甘酸っぱいスカッシュに見えた。
レモンとジンジャーの味の他、パクチーの葉が沢山入っていた。

d0063149_12054875.jpg

パクチーは、私の知識では、葉っぱではなく、茎に独特の風味があるとのことだが、実際、ソーダに浮かんでいる茎を細かく切ったものがストローを通して口に入り、それを噛むとパクチーらしい風味と味が広がって、良い感じ。

お店のお兄さんに、「お店の前のポスターに「食べるソーダ」と書いてあるけれど、どこが食べるソーダ?」と聞いたら、パクチーの茎がストローを通して口に入ってくるので、それを食べると教えてくれたが、どう考えても、「食べる」というより「ちょっと齧る」程度の動作。(笑)
でも、レモンにジンジャーにパクチーで美味しいことは美味しいソーダであった、500円。
パクチーの葉っぱもストローの先に乗せて口に入れることは可能だったが、葉っぱのパクチーは余り味がしなかった。

d0063149_12055230.jpg
最近、入谷に行くと、色々なところに、「good day 入谷 2017」というB4くらいの大きさのパンフレットが置いてあったので、一部もらってきた。
何でも、入谷・根岸地域の26店舗が、10/9~10/15まで「特別なおもてなし」で皆さんをお迎えしますとのこと。

ただ、地図から参加しているお店をチェックすると、私が知っているお店なぞ、全然参加していないのだ。
例えば、金美館通りで言えば、「グーテルブレ」という大きなパン屋さん、千束のいせやさんも不参加だし、一本北に行ったところにできた角萬さんも、不参加。
ただ、昔良く言っていたTake-zoさんは参加のようで、懐かしい。
網羅している地域はとても広いのに、参加店舗が少ないのはちょっと残念。


d0063149_12055587.jpg
パンフを開けると、地図が出てくる。


d0063149_12055814.jpg

地図自体は、下の画像のQRコードを読み取るとスマホで表示される。
ただね、この参加26店舗は、定休日もあるし、この催し物の最中ずっと開いているわけではないらしく、一番最後のページにそのスケジュールとおもてなし内容が載っているのに、ネットではそのページを見ることができないのが残念。

因みに、「ヌンパンサンドウィッチ クロスタウンカフェ」は、10/9と10/10が定休で休みの他、10月14日土曜日がおやすみのよう。
この10/9~10/15の間に、サンドウィッチを買うと、セットコーヒーかハス茶を1杯サービスとのこと。

d0063149_12060183.jpg

[PR]

by mw17mw | 2017-10-04 12:21 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

藝祭2017に行ってみた

私が、藝大の文化祭に行くのは、何と50年振り。
高校生の時、エムというグループサウンズのバンドが、藝大の文化祭で無料で野外コンサートを開くというので、行った記憶しかない。

今回は、「最後の秘境東京藝大」という本を読んだ影響もあり、藝大生を見てみたいと思うのと同時に、いつもは入れない音楽部の敷地に私の足跡をつけることを目的として、ちらっと行ってみた。

それにしても、藝祭の時って、上野公園の噴水広場から藝大まで、下の旗の下、全て藝大が使い切っているよう。
d0063149_12393469.jpg

d0063149_12261939.jpg
(そうそう、最近、藝祭の時以外でも、突如、奏楽堂の前あたりに、見慣れない芸術作品が設置されていたりする。最近では、この自由の女神の像なぞ、きっと、藝大生の作品だよね)


上野公園で唯一の大学だし、それで良いのだけれど、こういう風に都立公園を広く利用できる環境である限りは、藝大は上野から離れたくないだろうと思う。
噴水のところから藝大まで、また、藝大の中でも、学生による模擬店が沢山出ていて、普通の大学の学園祭との違いはというと、やはり、飲食店より物販店が多いことかなと思う。
(売っている人が皆、藝大生かなというと、皆普通の人と風体は違わないから良くわからないのだ。だからな~にと言われると、やはり、最後の秘境東京藝大を読んだせいか、あの本に出てくるような人に出合ってみたい感じがしたが、良くわからなかった。

でも、物売りの若い人たち、藝祭目当てで来た多くの人で、上野公園は本当に混んでいた。

藝大の敷地は、真ん中の道路を境に二つに分かれていて、美術の方の敷地には、美術館もあるし、勿論建物の中には入れないけれど、路地は適当にフラフラ散歩できるので、何度かフラフラしたけれど、音楽の方は、普段は、門のところでのチェックが厳しく、用がない人は中に入れないのだ。(何でも、高い楽器の盗難が多いのだって)
d0063149_12240924.jpg
そうしたら、やはり、藝祭の時は、特別なのか、誰でも、音楽部の敷地の中に入ることができて、「ふ~む、こういう建物があって、こういう構造になっているのだ」とか見て回ることができた。
d0063149_12241319.jpg

そうして、現在の芸大の奏楽堂が余りに大きくて、余りに立派でびっくり。(上野公園に明治時代の木で作られた奏楽堂は知っていたが、現代の奏楽堂は知らなかった。明治時代になるのだろうか、滝廉太郎の時代の奏楽堂は、座席も小さく、天井も低く、昔の日本人って小さかったのだと実感するが、現代の奏楽堂は、どんな大きな人にも対応できそうな建物であった。)

d0063149_12241879.jpg

できたら、コンサートも聞いてみたかったけれど、突然行って突然入れるものではなく、ちゃんと申し込んで、抽選で当たれば、コンサートのお客さんになれるみたい。

音楽部の方を一回りして、「あ、本当だ、音楽部の方にも学食があるのだ」とか、程度の高くないことを確認して歩いた後、美術の方に行ったら、こちらは、真ん中の広場のようなところが誰でも見ることができる野外の立ち見のコンサート会場になっていて、ちょうど、コトリンゴという女性が野外ステージで「悲しくてやりきれない」を歌うのを聞くのができた、中々良かった。(藝祭3日のうち、プロが出たのは、このコトリンゴさんだけみたいで、うまく良い時に当たったという感じであった。)

そうなのだ、私が50年前エムのコンサートに行った頃、この、フォーククルセダーズの「悲しくやり切れない」が流行った頃だったのだ、懐かしかったが、彼女の歌い方、アレンジの仕方が現代風で、50年の月日によって人の好む音楽がずいぶん洗練されたことを感じた。(コトリンゴさんって、経歴を読むと、凄い人なのだと初めて知った。)

そうそう、それと、音楽部の入口のところに「藝える(うえる) 1 東京藝術大学のいま、これから。」という、藝大の学長さんが表紙の雑誌が無料配布されていたので、もらってきた。

d0063149_12353617.jpg

「最後の秘境東京藝大」の筆者とこの学長さんの対談などが載っていて、色々なことがわかった。(しかし、「最後の秘境東京藝大」で一番恰好良く描かれていて、得をしたのは、この学長さんだと思った。何でも、藝祭の初日、学長あいさつで、「お前たちは素敵じゃ!将来の日本の文化をお前たちが下支えするのじゃ!」と言ったとか、描かれていて、私もこの場面が見たいなと思ったが、金曜日なので、仕事辞めてからにしようと思ったのだ。)←この方はそもそもバイオリニストで、音楽部の教授だったとか。藝大の学長さんは通常美術出身者が多いらしい。

で、この藝えるという雑誌の雑誌は40ページもあり、紙も立派な雑誌で、「藝大って、お金あるのかな?」とふと疑問に思ったが、最後のページに「藝大基金寄贈者ご芳名」があって、この一年間で寄付してくださった方の名前と金額が書いてあるのだが、何と、滝久雄さんという方が、一人で「10億500万円寄贈」、また、もう一人、湯川一枝さんという方が「1億円寄贈」と信じられな~い。世の中、こんなに寄付できるお金持ちがいて、しかも実践する人もいるのだ。(その後、500万円、100万円と続くが、このお二人は、突出した金額)

ちらっと検索したら、滝久雄さんというのは、ぐるなびの創業者
お名前が同姓同名で、これくらいの金額を寄付できる人がいるとも考えにくいから、この方かな?
もう一人の湯川一枝さんについても、この方かなという情報が出てきたが、当たっているかどうかは不明。
でも、こんなに寄付してくれる方がいるのだから、藝大って、世の中に愛されているのだと思う。

何だか、藝大を出て歩きながら、芸術ではなく、この金額を寄付できる人たちの人生に思いを馳せていた私であった。(笑)

[PR]

by mw17mw | 2017-09-19 12:49 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(1)

二度目の國學院大學博物館と「カフェラウンジ若木が丘」

山種美術館前という信号を広尾高等学校の方に渡り、次の信号の曲がり角を広尾高等学校に沿って曲がって、ずずっとまっすぐ行くと、國學院大學博物館に繋がっている。

今回は、「モノの力 ヒトの力 縄文から現代まで」という展示会に伴って開かれるミュージアムトーク「縄文造形の力」を聞きたかったのだ。
というのは、前回、この博物館で、縄文から古墳時代の土器なぞを見て行くと、圧倒的に縄文がデコラティブで力強いデザインなのに、その後の時代はとてもさっぱりしたデザインになってしまい、それが不思議だったのだ。
講師は、國學院大學の名誉教授 小林達雄先生 、何でも縄文時代研究の有名な方らしい 。
それにしても、文字がなかった時代の研究は大変ではないかと思う、研究法としてはその時代の遺跡の発掘の他、世界各地の同じ時代の遺跡なぞとの比較で、縄文人はどんな人たちかを探るようだ。

印象深かった話は、火焔型土器というのは、煮炊きの道具なのに、やたらに装飾されていて使いにくいデザインになっているということ。
世界中の色々な部族・人類を研究しても、道具の邪魔になるような文様を付けたのは、縄文人とパプアニューギニア人だけとのこと。
何だかな~、土器という道具の実用性を追求するのではなく、実用性を犠牲にして、模様をつけてしまう縄文人って、のんびりしているし、民族全体として、情緒を大切にする人類だったのかなと想像できた。
(縄文時代、朝鮮や大陸の人間と交流があったが、それらの人々は決して縄文土器に影響をうけなかったそうだ)
以上のような話しをされ、とても、楽しかった。

場所は、博物館のエントランスすぐが、ミュージアムホールになっており、こういう催し物のときは椅子が並べられて、講習会や勉強会が開かれるよう。

さて、余り時間がなかったので、今回の特別展をざっと見た後、何でも、この博物館のアンケートに答えると、この博物館のリーフレットをいただけるとのことで、アンケートに答えて、有難くリーフレットをいただいて出てきた。
で、この博物館で洗面所に行こうと思ったのだが、地図を見ても、場所が良く分からなかったのだ。

で、地下の博物館を出て、階段を上がって、道路に出て、郷土資料館というバス停の方に戻ろうとしたとき、前回、郷土資料館から恵比寿駅に向かうバスの中から、この博物館の手前に素敵なカフェみたいなところで人がくつろぐ風景を見たことを思い出したので、そちらに行けば、洗面所があるだろうと思ったのだ。(学術メディアセンター前の道路はハチ公バスのルートなのだ)

國學院大學博物館は、國學院大學の中の「学術メディアセンター」という大きなビルの地下の片隅にあるのだが、そこをちょっと上がっていくと、学生が使うホールなぞの大きな入口があったので、そこを入って行ったら、確かに左側に大きな食堂というかカフェというか、学生さんが利用しそうな広い食堂があったのだ。
名前が「カフェラウンジ若木が丘」という大きなスペースだった。
入って、並んで注文して受け取り、適当な席で飲食できるスペースで、学生以外も利用できるとのこと。

d0063149_09431114.jpg

d0063149_09431422.jpg
以下、今回、中に入らなかった私の勝手な見ただけの感想。
ご飯を食べる人も多いし、料理を作る場所も近いのか、やはり、空気が学食にありがちな、食べ物を匂いを含んでいたけれど、そんな贅沢は言えない。
でも、テラス席もあって、何せ、國學院大學は超高級住宅地の高台にあるので、恵比寿方面を遠くに下の方に望む景色が素敵。


d0063149_09430972.jpg
また、お店の前にこの一か月間の開店予定表があったけれど、確かに、夏休みは営業日が少ないであった。(日曜日は閉まっているみたいだし)
学校がお休みだと利用できないかも知れないが、山種美術館や國學院大學博物館に行った帰りにちょっと休むのにちょうど良いシチュエーション。


[PR]

by mw17mw | 2017-08-14 09:50 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)

寛永寺根本中堂と徳川歴代将軍霊廟 特別公開情報

先日、間違えて消してしまった記事を再度書きます。

ご存知のように、徳川家の歴代将軍霊廟は、寛永寺と増上寺に分かれています。

でも、10人の人を集めるのは大変、一人、二人の場合は、参拝できないのかというと、年に一回、上野の山文化ゾーンフェスティバルの行事として、募集されます。(でも抽選ですので、必ず参加できるというものではないですが)
今年は、10月30日開催だそうです。


私は、数年前一度外れ、昨年は当たったので、参加させていただきました。
とても、良かったです。(その時の記録

その他、下記企画も素敵そうです。(上野の山は、江戸時代、全て寛永寺のものであったのだが、明治維新で今の規模に縮小された。だから、寛永寺の五重塔とか、徳川家の家臣であった藤堂家の墓所は上野動物園の中にあったり、結構面白いです)


応募締め切りにはまだまだ時間がありますけれど、忘れないうちにご紹介。
また、応募は、往復はがきのみですので、ご注意を。

[PR]

by mw17mw | 2017-08-09 11:53 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(1)