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天性の「美味しい!状態に執着心」がある東京下町に棲息するおばさんのお料理・お菓子・道具・食材の他、散歩の記録を綴った日記です。by真凛馬


by mw17mw

沢村貞子さん論

2,3か月前だったと思うけれど、図書館で、沢村貞子さん関係の本を借りて読んだ。

私が沢村貞子さんのことがわかったと思えたのは、沢村貞子さんの自著ではなくて、中島信吾さんの「沢村貞子波瀾の生涯」という本であった。

沢村貞子さん、「波瀾の生涯」ということだけれど、多分、最後のご主人と一緒になってからは、外から見れば、「波瀾の人生」に見えても、本人にとっては、「波瀾」ではなかったのだと思う。

彼女は、どうも3回結婚したようだ。
一回目は、共産党活動の時、党の命令で結婚、その後、共産党から離れ、役者になって、どうも、俳優の藤原釜足さんと10年間結婚していたようだ。
その藤原釜足さんと別居中に、京都で知り合った妻子ある男性と恋に落ちる。
で、最後は、その妻子ある男性が、家庭と京都での新聞記者という仕事を捨て、東京に来てくれたのだ。
何て、激しい恋だったのだろう。
(その男性が明治男であることを考えると、奇跡的とも感じてしまう。妻子ある男性が妻子を捨てて他の女性と結婚するという話は良く聞くが、職業まで捨ててという話は他に聞いたことがない)

京都で活躍していた人が、いくつだか忘れたが、30~40才くらいで、突然、東京に来たら、自分の能力を生かす仕事に就けるかどうかもわからない不安、また、家庭を壊すということにだって、強い自責の念があるだろう。
それらのことをよくよく考えても、やはり、その男性は、東京の沢村貞子さんのところに走らざるを得なかった激しい恋だったと思う。

相手が東京に来てくれたことに、沢村貞子さんは、どんなに感謝したことだろう。
沢村貞子さんは、生まれて初めて、念願の「仲の良い夫婦」の相手との暮らしが実現できた。
それは、幼い頃からの夢であったと言う。

しかし、「夢が、念願が叶った」と言っても、手放しには喜べないことなのだ。
「夢が叶う=他人に迷惑をかける、相手に犠牲を強いたこと」だったから。

沢村貞子さんの立派なことは、夢が叶う、念願の生活に入ると同時に、十字架を背負うことを同時に受け入れて、生涯、それでも自分を幸せと思って、それに伴う苦労を苦労としなかったこと。

それは、相手の男性の捨ててきたものの大きさと痛みがわかり、また、自分が幸せを手に入れることにより、夫を失う妻と父を失う娘という犠牲者が二人もいるということのことの重大さを良くわかっていたからだと思う。

相手が東京に来てくれたことを心から感謝するとともに、相手に捨てさせたものの大きさ、心の痛みが我がことのようにわかったのだろう。

そんな痛みや犠牲がわかっていても手に入れたかった彼女の幸せ。
それが現実のものとなったとき、その幸せを守るために、全ての苦労を苦労と思わず、当然自分が背負うべきものとして、相手の幸せを第一に考えて、生活することになったと思う。

本には書いてなかったが、相手の元の妻に対してもそれ相応の慰謝料も払ったであろうし、子供についても、送金等、夫が遠慮しないでできるようにしていたし、子供とはその後夫は会っていたと書いてあった。

その他、東京で生活し始めた夫の能力が生かせる仕事、何でも、余り売れない映画批評の雑誌の編集長だったらしいが、その事業の赤字補填のためにも、大いに女優業に励んだとのこと。
生活費の他、ご主人の事業のお金を得るために、沢山の女優業をこなしながら、家事も必ず自分でやり、夫の言うことには何でも従い、夫が嫌がるからと泊りがけのロケがある芝居は断ったという。
その夫は、自分を信じて全てを捨てて東京に来てくれたのだ、東京では自分だけが頼りなのだという自覚と、東京に来てくれたことを心から有難いという気持ちが常にあったのだろう。
沢村貞子さんは、自分のために全てを捨てて東京に来てくれた夫が、幸せそうに自分のそばで暮らしてくれるのが、自分の一番の幸せだったのではないかしら?
ご主人が少しでも不安がったり、淋しがったりすることは、「もしかして、東京に来たことを後悔しているのでは」と思えて、耐えられないことだったのかも知れない。

この本を読んでいて、「大人」ということが良くわかったような気がする。
子供の頃、「願いが叶う、夢が叶う」とか、「幸せな結婚」というのは、そこでハッピーエンドなのだ。

でも、現実の世界は、夢が叶ったり、手に入れたいものを手に入れたとしても、きっと、どこかに不幸な部分を背負うのが人間の人生なのだ。(絶対、人間は、全てを自分の思いのままに動かせないから。)
その不幸や苦労を苦にしないで、それはそれとして自分の人生に受け入れて、「それでも自分は幸せを掴むことができた」と神様に感謝し、謙虚に、夫の幸せを自分の幸せとして、その後の人生を全うしたところが、沢村貞子さんのすごいところだと思う。

沢村貞子さんは、そういう苦労や理屈を全て自分の中に飲み込み、淡々と平凡な日常生活を文章にしている。

山崎洋子さんの「沢村貞子という人」という本に、晩年、沢村貞子さんが、菩薩様のように美しかったと書いてあったが、沢村貞子さんの後半の生涯は、やはり、仏教で言うところの修業を終えた僧のそれと同価値のものだったと思う。

沢村貞子さんは、ご主人と二人の意志で、死後は散骨されたとのこと。
そのことだけ聞いたときには、何で散骨なのかなと思ったのだけれど、中島信吾さんの本を読んで、やはり、お二人とも、他の人に犠牲を強いた上で、自分たちが自分たちの愛を貫き通した生き方を心のどこかで恥と思っていたのかも知れないし、この世を二人で暮らせただけで十分だったと考えていたのではと思うと理解できる。
その謙虚さが良い。

世の中では、山崎洋子さんの「沢村貞子という人」の方が評価が高いかも知れない。
が、この本は、沢村貞子さんの最期の病床でのおしものことまで書いてあるらしい。
そのことがとても気に入らない。
どんな人だって、それは最期の最期のプライベートで、それを本に書いて公表するなんてと、私は思う。
それが、沢村貞子さんのイメージどおりのものであったにしろ、違っていたにしろ、それは、最期を看取る人の胸の中に呑み込んでおくものだと思う。
誰も、死ぬときのそういう具体的な様子は人に知られたくないと思うし、話すべきではない。(父母を見送ってそう思った)
(私は、幸か不幸か、その部分、斜め読みに読み飛ばしていた。他の人のブログで知った)
Commented by もず at 2008-04-25 22:55 x
「沢村貞子波乱の生涯」私も読もうと思ったり、迷ったりして、まだ読んでないんです。面白そうですね。

>「夢が叶う=他人に迷惑をかける、相手に犠牲を強いたこと」だったから。

これ、わかる気がします。向田邦子さんの寺内貫太郎一家で頑固者の貫太郎のセリフで長女の結婚に反対する理由としてその相手がバツイチ(長女が原因で離婚したわけではなく出会ったときには既に離婚していた)なことを「自分の娘が幸せになる日に誰かがどこかで泣いているというのが耐えられない。」と言った事でした。
今で言う略奪婚とは全く違うのに、それでもこういった前の奥さんに申し訳ないという気持ちをこの時代の人は持っていたんだと思います。
今はありえないと思いますが沢村さんの時代感覚ならやはり相当の覚悟だろうと思いました。
本当に今は少ない「大人」ですよね。
私もご本人は大橋さんと結婚されてからは「波乱」ではなかったと思います。自分が一番大切にしたいものを手に入れたのだから、後は辛抱できると言うかそういう心構えがおありなんだろうなと思いました。私もずっと自分が欲張りになりそうなときこのことを思い出しています。

Commented by mw17mw at 2008-04-26 08:41
>もずさん
早速の反応有難うございます。
>今はありえないと思いますが
本当にそうですね、時代が変わってしまったのですよね。
昔は、自分の我を通す、他人に迷惑をかけるということは「恥」だったのですよね。
今の時代は、「自分を活かす、自分の思い通りに生きる」ことが良しとされ、それはそれで良いのですが、反面、他人への迷惑への配慮とか、おろそかにされつつあるのかも知れません。
それと、法律上問題ないことをすれば、それでOkみたいな風潮?
昔は、法律の問題と同等に、「道義」的にも問題がないかに重きを置かれていたのですよね。
向田邦子さんもそういう時代の人だったのですね。
>自分が欲張りになりそうなとき
私もそうします。
でも、沢村さんの欲しいものを手に入れてからの謙虚さ、素敵ですよね、真似は難しいかも知れないですが。
Commented by anette at 2015-08-22 21:05 x
沢村貞子さんの御本20代前半に出会ってから、ずっと大好きです。

念のため、山崎洋子さんの「おしものはなし」は、
「最後まで自力で用を足したがり(周りは体力を消耗するので、そこまで無理しなくてもいいのに・・・・と思うなか)、実際亡くなるまで、トイレで用を足し続けた」という内容でした。

もし、知りたくない情報だとしたらコメントで反映しないで下さい。
by mw17mw | 2008-04-25 21:33 | その他 | Comments(3)