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天性の「美味しい!状態に執着心」がある東京下町に棲息するおばさんのお料理・お菓子・道具・食材の他、散歩の記録を綴った日記です。by真凛馬


by mw17mw

決勝のときの気持ち

私は今回、出場を決めたとき、「天の時」だと思えた。
今より、若いときに話が来ても、銀行員という宮仕えの身だったり、母の面倒を見たり、忙しくて、多分話を受けられなかったと思う。(実際、予選で敗れた若い方たちは前日までぎっしり仕事があって、思うように勉強できなかったとのこと)

父他界後、母と一緒に生きて、母を見送った。
その後、店を継いで私がでんと家にいることが私と兄弟たち両方に一番良いことだと思って、その通りに行動した。
今、酒屋を継いで家にでんとして3年目だけれど、1年目も2年目も不慣れで、酒屋関係も家の近所や不動産関係も、色々なアクシデントが起きて、その対応で余裕がなかった。
2年が終わって3年目の今年は、ようやく酒屋稼業も全て低位で安定し、何かが起きてもどうにかこなせるようになった気がしていた。

また、数年後に話が来ても、老化が激しくて、気力体力が衰えて出る気が起きないかも知れない。
生活習慣病が出てきて、病院通いしている自分も考えられる。

そう考えると、今が、人間としての若いときの忙しい義務を一応終え、落ち着いていて、且つ自由のきく時期であるから、出るべきだと思えた。(それに、チャンスは前髪を掴め、というしね)

そして、合羽橋の近所に住んでいるので、「地の利」もある。

「天の時・地の利・人の和」が揃えば、勝つと思うけれど、まだ、「人の和」がない。
果たして、私にとっての「人の和」は何だろうと思って、ゲームに臨んだ。

(早押しの前に、司会者の人に「お気持ちは?」だったか「勝ちたいですか?」と聞かれ、「勝ちたいです。理由は、私は合羽橋を愛していますし、今まで、HPを作るということで合羽橋を応援して来ましたし、今後も応援し続けます。で、今後、一点の曇りのない心で合羽橋を応援したいから、勝ちたいです」と答えたが、多分、カットされていると思う。(一点の曇りのない心が受けたのか、撮影スタッフから笑い声が漏れたのを覚えている)

賞金も魅力的だけれど、負けたら、今後、HPを更新するたびに、テレビで負けたという古傷が疼きそうで、それだけは避けたかったのだ。やはり、今後も堂々と胸を張って、HPを続けていくには、勝つしかないのだと思っていた。)

決勝の前半は、大きいもの対決・値段対決・便利グッズ対決で、2:1で勝っていた。
大きいもの対決で負けたけれど、私は、木の胡椒挽きが実は余り好きではない。
好きなだけ、胡椒を出そうとすると、時間がかかるから。(そうだ、それに使うのに両手を使わなくてはいけないところも嫌い)
特に、料理をしているときに使うと、イライラする。
だから、実際一つ持っているけれど、あまり使っていないのが実情。
どちらかというと、グッチ裕三さんの電動の胡椒挽きが欲しいと思っている。
だから、負けたときは、第一問でもあったし、価値観が違うから仕方がないと思えた。

で、問題は、早押し。
出場交渉があったときから、「多分、年だから早押しがネックかも」と思っていたけれど、当っていた。
が、年のせいでだめだったわけではなく、機械物を予め勉強していなかったことが大きい。
最初に出たお団子製造機は、飯田製作所の前で見たことはあるし、昔のアド街のビデオで、あの機械を使って作っているところも見た筈なのに、ぼーっとしていた。

次の酒燗器も同じ状態で、2:3で逆転された。

実際にゲームに出てみると、「見たことがある」くらいでは中々答えられないものだ。
「どうなっているのだろう?」と興味が沸いたものとか、「人に詳しく説明を聞いた」もの、「好きなもの」など、心にしっかり根付いているものでないと、答えられないのだ。(相手の人もそう言っていた)

それと同時に、それまでのゲームと早押しというゲームの「答えるのに要求される早さ」の違いに心身とも付いて行ってないと思った。

テレビで見ると、次から次へ問題が進んでいくが、撮影の時は、一問一問、別々に撮影され、問題の合い間に結構時間があった。
そのときに、「ボタンを叩く練習していいですか?」と聞いて、何度か練習してみた。
自分の頭が「わかった」と思う瞬間に、同時に手が動かなくてはいけないからだ。
私の右手に、それを覚えさせるように練習した。(後から考えたら、こういう作業における私の利き腕は、右ではなく、左であった。←じゃんけん、ドリブル、手を上げるのは左手なのだ)

不思議と、リードされても、「負けたら、どうしよう」とか「負けるかも知れない」という気持ちが全然起きなかった。
「どうしたら、勝てるか」しか頭になかった。
1点以上差がつかなかったこともあり、頭と手の動きを連動させることしか頭になかった。
今考えると、「勝ちたい」という心をどうやって頭と手に伝えるか、心の思うように頭と手を動かせるかが問題であった。

そして、私が最初逆転された2つの機械物について、間違えても、未練がなかったのだ。
両方とも大量生産の機械だし、「美味しい!」が好きの私としては、答えられなくても恥ずかしくない問題だと思えた。
特に、酒燗器なんて、「あの居酒屋の不味いお燗酒はこれで作られるのだ」と思うと、答えられなくても「くれてやれ!」とか、「正解できない方が私らしい」とも思えた。(笑)
私にとって、お燗は、「つける」ものであり、絶対「作る」ものではない。
どのようにお燗を美味しくつけるかは興味があるけれど、ただ単に、適正な温度に早くするような機械には、今後も興味がない。
(そういえば、私は、水出しコーヒーの機械のように、「何かをより美味しくしよう」という機械はちゃんと答えられるのだ。相手の人は、「物を作る機械・人」が好きなような気がした)

でも、相手の人が、リードすると、慎重になるタイプであったことに救われたのも事実。(後で、お互いに、追い詰められた方が強いタイプだねと笑った。)

本当に私はリードされても、もう後がない状態になっても、自分でも驚くほど、不思議と冷静であった。
何だろう、この冷静さはと思うと、何だか、18歳までの受験少女だったときの経験、銀行員として(その頃は余りうまくできなかったけれど)、常に冷静に客観的に動くことを強いられたことが役に立っているのかなと思った。
自分では意識していなかったけれど、こんな追い詰められるのは初めてじゃないし、沢山経験があるからこその冷静さだったと思う。
(人間、何か取り得があるものだけれど、私の場合は、高校受験・大学受験を逃げないで、馬鹿な頭で最高の結果を生み出すように自分なりに工夫して試行錯誤した経験が、気付かないうちに、血となり肉となっているような気がした。←だったら、この経験を肯定するの?というと、来世は違う若い時期を過ごしたい<笑>)

追い詰められても、諦めないで、自分を分析して、弱点を見つけては補正し、という作業をすれば、どうにかなる気がしていた。

その後、3:3、3:4でまた離されたが、どうにかこうにか、4:4まで追いつき、後一問で決着がつくというときに、撮影側の都合で、結果的に30分くらいの時間だったが、お休みが入った。

気はしっかりしていたが、こんなに追い詰められた状態にいるのは、本当に久々。
以前は、どんなことで追い詰められたか、全く思い出せないくらい、久しぶり。

逃げたかった。
逃げた方が楽そう。
例えば、知り合いの「裏で賞金山分けの約束をしてしまえば、どちらも泣かないよ」という冗談が頭に浮かぶ。
もし、これをしたら、逃げられるのだ。

でも、できなかった、何でだろう?

まずは、今回偶然だろうけれど、便利グッズ対決で、応援団を集めるように言われた。
(この番組は常に応援団を作るわけではない)
私にとって、私のために、貴重な時間を潰して、わざわざ応援に来てくださる方たちがいて、皆、笑顔で私を応援してくれたことがとても嬉しかった。
その光景が頭に浮かんだ。
実際に応援に来れなかったけれど、私を応援してくれている人たちのことも思い出した。
それに、近しい友人ではなくても、例えば、お店に買い物に行ったときに、「テレビに出る」というと、好意的に「頑張ってね、応援するから」と言ってくれた人たち。

そうだ、皆、ニコニコ、頑張ってって、言ってくれた。
多くの人に応援されながら、試合するって、いいものだって、初めての経験であった。
私が勝ったら、皆、また、どんなに嬉しそうな顔をしてくれるだろうか?
その嬉しそうな顔が想像できた。
そうだ、応援してくれる人たちを勝って喜ばせたいというのではなく、私が、そういう笑顔をまた見たいと思った。

負けたら?
きっと、皆、心の中でがっかりするだろうけれど、大人としての対応を私にしてくれるだろう。
そういう安心感があった。

そう、私は、皆を喜ばせるために戦うのではない、私が「私を応援してくれる人たちの再びの笑顔」を見るために頑張るのだと、心が決まった。

もう1つは、甥たちの存在。
甥たちは、もう高校2年生と中学3年生。
どんどん大人への道を歩み、好むと好まざると、今後、大学受験・就職試験なぞをこなさなくてはいけないのだ。
もし、私が逃げたら、彼らに、「頑張れ」と応援できなくなるではないか。
やっぱり、私が彼らの人生にこれから望むことは、「自分の頭で考えることができる人間になること」、「これと決めたことからは逃げないこと」、「負けてもめげないこと」なのだから、彼らの人生の先輩として、今後、お説教したり、励ますことができる伯母で有り続けるとしたら、やっぱり、今回、最後まで、勝つために努力をすることしかないのだと思えた。
甥たちとの関係のためにも、逃げないで最後まで頑張るしかない。

負けたら、「それでも頑張ったのよ」と言えるかとか、「立派な態度が取れるか」どうか、それはわからないけれど、それは負けてから考えればいいことだと思えた。

そう考えると、私にとっての「人の和」というのは、甥たちも含めて、私を応援してくれる人たちの笑顔を再び見たいという自分の心であった。(本当の意味とは違うかも知れないけれど)

これで、私なりの「天の時・地の利・人の和」が揃った。
それは、私の長い人生の中でも初めての経験。
後は、神様が助けてくれるかも知れない。

その後だったか、(放送されなかったと思うが)再び試合になったとき、司会の人から、「応援してくださる方々からのプレッシャーは感じますか?」と聞かれたとき「ありません、自分との戦いあるのみです。勝つことしか考えていません」と答えた。
(だって、私を応援してくれる人たちは私にプレッシャーを与える人ではなく、私が喜ぶ顔をさせたい人であったから)

で、果たして、最後、神様は、年取って、こんなゲームで勝つチャンスが最後かも知れない、年上の私の方に味方をしてくれたようだ。

最後の問題、後で話したら、二人とも、最初から、「銅源サイトウ?」と頭に浮かんでいた。
何でわかったかというと、何となく雰囲気で、銅源サイトウさんの感じがしたのだ。
それから、画面がぱっぱと変わる。
私が「銅源サイトウ」だと確信を持てたのは、三番目の、黄色いホウロウのお鍋の列。

実は、私はいつもサイトウさんで、「ずいぶん昔流行ったこのお鍋類、何で、こんなに前の方に飾っているのだろう?やめた方がいいのでは...」と思っていたのだ。(笑)
今や、ホウロウと言えば、ルクルーゼ・ストウブの時代なのに、20年以上前の人気商品で、その当時の結婚式の引き出物になったようなお鍋を未だに並べているのは、合羽橋でもサイトウさんだけなのだ。

早くに当てられたことは、出題者側にとっては、意外だったようだ。(番組の収録中に「何でわかったか」を答えたのに、収録が終わってから、もう一度聞かれたもの)
出題者側の人たちにとって、一人鍋・一人天ぷらみたいな道具が、「サイトウさんの個性を表わす道具」に思えたのかも知れない。
しかし、私にとって、サイトウさんで一番目に付くのは、「国産鍋メーカーのお鍋群」だったのだ。
だから、出題者側としては、サイトウさんの一番個性がないと思われるものから、紹介していったのだろうが、それは実は私にとっては、一番サイトウさんをあらわすものであった。

こんなものだと思う。
合羽橋のような、「おもちゃ箱をひっくり返したような楽しさのある街」では、皆が同じお店を見ているのだけれど、実は、一人ひとりの目に入っているものは、人によって違っているのだ。
(最後の問題では、出題者と発想と嗜好が違う方が有利、それまでの問題では、出題者と発想と嗜好が同じ方が有利だと思った。)

だから、また、違う機会に、違う人が作った合羽橋に関する問題を競って、また、私が勝つとは限らないと思うし、「詳しい方だ」と思っていたけれど、自分の合羽橋に関する知識は穴だらけと自覚した。

ま~、とにもかくにも、勝って良かった。
合羽橋に通って15年、HPを作って10年だもの。
「チャンピオン」の意味するものはこれから考えるとして、とにかく、一枚しかない「チャンピオン」というレッテルをどうにかこうにか勝ち取った。

(おっと、喉元過ぎれば熱さを忘れるみたいで、忘れていました。)

応援してくださった皆様、本当に有難う!
おかげで、勝つことができました。

Commented by ゆきfromいわて at 2007-12-12 15:18 x
番組を見ていないので(岩手での放送は当分先のようです)この記事を読みながらどきどきしてしまいました。優勝されたんですね、おめでとうございます!放送見るのを楽しみにしています。
Commented by mw17mw at 2007-12-12 18:36
>ゆきさん
有難うございます。
試合終わった後、対決相手と戦友のようだねと話しました。
お互い、憎くて戦っているわけではないし、隣の人の様子なぞ気にする余裕もなかったのです。
あの最後の早押しの追い詰められた状態を話し合えるのは、お互い、対戦相手だけで、すっかり戦友になりました。
お正月だったら、見る余裕あるかしら?
DVD送ります。
by mw17mw | 2007-12-10 22:04 | 日常生活 | Comments(2)