「見る目」「祈る目」

仏教に詳しい先輩が、「薬師寺東京別院」で、奈良から持ってきた仏像を展示しているからと誘ってくれ、行って来た。(「仏教の二人の女神~吉祥天と弁財天~」)
私は結構仏像を見るのが好き、奈良の仏像が東京で見られるのは嬉しいと思ったのだが、この「仏像を見る」というのは、結構大きな間違いなのだと気づいた経験であった。

d0063149_23202239.jpgまた、奈良の薬師寺の別院が東京にあることは全く知らなかった。
場所は、五反田というと、ゴミゴミしているというイメージがあるだろうが、駅前からすぐの石畳の急な坂道を上がったところは、通称「池田山」と言って、美智子皇后の実家があったところとして有名な高級住宅地。
その急な坂道を上がってすぐのところに、「薬師寺東京別院」はあったので、池田山全体は見物しなかった。

d0063149_23155631.jpg先輩が「建物は、奈良の薬師寺とは全く違って、香道家の家を買い取ったもの」と説明してくれた。
そりゃ、そうだよね、東京に奈良の薬師寺みたいな建物があると聞いたことがないし、あったら、仏教のテーマパークになってしまう。(笑)
着くと、そこは、大きな鉄筋コンクリートの和風のお屋敷のようなきれいな建物であった。

ここで、写経ができる他、法話会が開かれ、お茶・お花・香道・書道なども習えるらしい。
(情報・文化の発信基地でありたいとのこと)

本堂というのだろうか、大きな畳敷きの集会場のようなところに、仏像が飾られていた。
まだ、法話が始まる前であり、仏像の前には、仏像を近くで拝見しようという人々が正座して順番を待っていた。
この段階でも、仏像を見る前に、自然なしぐさで、手を合わせてから見る人が多く、お寺で仏像を拝見するときには、やはり、手を合わせるものかと思った。
この段階で私も、仏像を拝見した。

その後、法話が始まった。
その話は、後日書くが、最後にお坊さんが「これから、奈良から来ている仏像をご覧ください。但し...」と言って、黒板に、「見る目」「祈る目」と書いて、「是非、ひざまずいて、『祈る目』で見られる方は、ご覧ください。『見る目』で仏像をご覧になりたいと思われる方はご遠慮ください」とおっしゃったのだ。

この言葉を聞いて、「ありゃ、こりゃだめだ」と思って、近寄らなかった。

物心ついてからというか、仏像を鑑賞ようになったのは、やはり、中三の京都奈良への修学旅行くらいからだと思うのだが、それから、今まで、色々なお寺、色々な博物館の展示会で見てきたが、私はあくまで、仏像を「古い時代の芸術作品・美術作品」としてしか見てこなかったことに気づいた。
じっと見て、その時代時代の美しさやふくよかさを味わうみたいな....。
また、後ろはどうなっているのかなと見たり、結局、「仏様」を見る態度ではなかったのだと理解した。
仏像を芸術作品とか、鑑賞物として扱ってきた自分がわかった。

そして、もう一つ、家に戻ってから気づいたのは、「祈る目」というのが理解できないのだ。
私の場合、祈るときには、目を瞑る。
目を開けて祈るということは考えられない、しかも、仏像を見ながら祈るというのはどうやれば、できるのだろう?(目を明けていると、集中できないのだ)
お坊さんは、仏像に向かって、お経を上げるが、お経を暗記している場合は、きっと仏像を見ながら、お経を上げているのかな?(真正面から見れないからわからないが)

また、私の仏様像というのは、目に見えないものであり、決して仏像を仏様と思っていないことに気づいた。(私は偶像崇拝ではないのだ、きっと)
仏像を仏様の仮の姿と思い、仏様というのは本当は形がないものと思い込んでいるかも知れない。

奈良の薬師寺という、西暦680年から続くお寺の別院に行って、1400年延々と、昔からの仏像に祈りを続けてきた文化に触れて、「私が間違っているかも」と思った。
(ま、現代の人には多いタイプだろうが)
でも、この仏像を鑑賞するという長年の癖は中々抜けないかも。
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by mw17mw | 2006-10-25 23:22 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)