根岸散策-焙烙(ほうろく)
2006年 10月 14日
ずっと以前行ってみたいと思っていたお店のことを思い出し、また、新しい情報を確認するために、今日のダイエット散歩は、根岸にしてみた。(根岸と行っても、入谷の方から行くので、三平さんちの方には行っていない。)
根岸という地域は、風情がある。
明治時代、結核になった正岡子規が療養の地として住み、「根岸の里の侘び住まい」とうたった地区だから、その頃、草深く、空気もきれいだったのではと思う。
(どこかのHPに、「江戸時代の別荘地帯」とのこと、今の時代もそうだけれど、別荘を持てるって、お金持ちだけだよね。)
それに、地図を見ると、根岸だけ、区画が整理されていない。
台東区は、関東大震災で壊滅状態で、その反省から、道はまっすぐ通され、碁盤の目になるように整備されたと聞いているが、こと、根岸に限っては、地図を見ても、行き止まりばかりの田圃があった頃のままなのだ。
この地形は、大正時代には、田圃とか畑が多くて、地震の被害を受けなかったため、その後区画整理されなかったのかとも思うし、上野の山の中の谷中と同じで、お寺が多いからかと思う。
それに、「花柳界」があったこと、それだから、粋な感じがするのだろうか?
すなわち、台東区にあって、自然とお寺が多くて、金持ちが多く住んでいてた形跡があり、戦災の被害を受けず、色街があった、商業地域から離れた下町....、確かにそういう感じの街。
ここはここで、一種独特、ふらっと歩くと、色々な発見があって楽しい。
基本的にゴミゴミした住宅地なのだが、ところどころに、商店が連なるところもある。
昭和の雰囲気を残したお店や家がいたるところにあって、懐かしい。
その昭和の雰囲気が支配している地域という言い方もできるかも。
のんびりしていてのどかなのだけれど、所々に粋なお店がある感じかな?
高層化も余り進んでいない地域。
(写真は、金杉通りにある荒物屋さんと、隣は「ろうそくとお線香」のお店みたい)
但し、根岸という地域は、JRの鶯谷から入るのと、日比谷線入谷から行くのとでは、全く印象が違うかもと思う。(鶯谷から入ると、ホテルだらけの街に見える、入谷から入ると、そういうものを見なくて済むのだ。)
何の地図も持たずに、お店を探したが、だいたいが柳通りか、金杉通りか、竹隆庵岡埜に通ずる道沿いにあった。(それでも場所がわかったお店は、知りたかったお店の半分くらいかな?)
アド街っくで紹介された飲食店、皆、風情があった。
全部行ってみたい気がしている。
何で行かないのというと、きっと、我が家からだと徒歩か自転車かタクシーでないと行けないからかも知れない。
でも、今後、順次、チャンスを見つけて行ってみたい。
今日のおみやげは、胡麻を炒るための「焙烙(ほうろく)」
先日のテレビで、根岸の荒物屋さんがお奨めと宣伝していたから、何となく欲しくなって、行ってみたのだが、TV放映から一週間も経っているせいか、「TVに出てから人気が出ちゃって、皆売り切れてしまったの」とのこと。
問屋さんに電話したけれど、「もうない」と言われたなんて....。
もう生産していない製品だし、もう手に入らないかな、諦めるしかないかなと思って、お店を出ようとしたら、奇跡が...。
そのとき、赤茶のお皿を積み重ねたものを抱えたおじさんがそのお店に入ってきたのだ。
問屋さんが探したら、10枚出てきたとのことで、届けに来たのだ。
それが5分遅くても私は買えなかったと思う。
お値段は550円で、買うことができた。
焙烙は、赤土の植木鉢をお皿にしたようなもの、もっと現代的に言えば、日本版テラコッタかな?
不思議なことに、焙烙を買って帰ったら、ちょうど宅急便屋さんが、山梨の伯母からの胡麻を届けに来てくれたところだった。(笑)
(写真は、次に行ったお肉屋の話とまとめて書くつもりだったので、お肉と一緒に撮ってしまいました。)