5月の楽しかった日曜日 1/2

5月に1日だけ、盆と正月が一度に来たような日曜日があった。
あの時は幸せだったな~、その後、小さいけれど、いざこざが沢山起きて、ちょっと疲れた。
気分転換にあの日を振り返ってみよう。

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おじさんフレンドが、再び明神の湯に行きたいとのことで、まずは水元公園の先日歩かなかった部分を歩こうということになった。
その日は初夏を思わせるくらい、良い天気であった。
水元公園は、本当に広い。
森や草原(くさっぱら)が沢山あって、もっと写真で紹介したいくらいの自然が沢山ある。
一番左の写真は、子どもたちが浅い池で遊んでいるところ。
スカートか短パン姿で、ゴム草履を持って来れば、私も遊べそう。

次に見つけたのが、鷹匠のおじさん。
この鳥は大鷹だそうで、見るからに、「俺は他の鳥とは別格」という迫力があった。
訓練されているから、鷹匠の腕に止まっているし、水飲み場では、腕から降りてお水を飲んでいた。
こういう鳥は、人間を自ら攻撃することはないけれど、この鳥の前に、触ろうと思って、手を出すと、嘴で攻撃され、大怪我をするとのこと。
ま~、何と言うか、気迫のある雰囲気がすごいので、近寄ってこの鳥を見ていた人の中で、手を出した人はいなかった。
私とおじさんフレンドは、後ろから見て、「どの部分の羽が高いのかしら?」と値踏みしていた。(笑)
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今回は珍しく、看板を頼りに、水元公園近所の「讃岐うどん」のお店に入ってみた。
色々取ったけれど、写真のほたるイカのお刺身と、山菜の天ぷらが美味しかった。
何と言うか、爽やかな晴れた5月のお昼には、ほたるイカと山菜の天ぷらがとても合う感じ。
別に、初かつおでも良いのだろうけれど、魚の身を噛みしめるよりも、イカのつるっとした食感が、暑いお昼に合ったのかも知れない。
山菜の天ぷらも是非春に食べたい味。

他にも色々美味しかったけれど、不味かったのが、「讃岐うどん」。
全然腰が無く、「何で、これで『讃岐うどん』を名乗るの?」と思うくらい、普通のうどんだった。(普通のうどんよりも腰が無いかも)
だから、店名を出さないのだけれど、水元公園の入口の近所に讃岐うどんのお店は一軒しかないので、行けばわかる。
うどんは大したこと無いけれど、肴は中々美味しいお店であった。(家に帰ってインターネットで調べたら、他の人たちの評価も同じであった。<笑>)

この後、温泉に入って、自動車で戻り、おじさんフレンドと別れて、家で昼寝していたら、携帯が鳴った....。<明日に続く>

<おまけ>
秋田の小学生が殺された事件の犯人の女性の話がテレビで報道されている。
皆さんも同じことを感じていると思うのだけれど、この犯人って、何が何でも、自分を悲劇の女王にして、皆に「可哀そうに、大変ね」と言われたがっている人に見えてしょうがない。

何ていうのだろう、自分の子どもを殺して、それを他殺に見せかけたのに、事故死にされて、思い通りに自分に同情が集まらなかったからか、どうしても、自分を「子どもを殺された可哀想な母親」にしたくて、他所の子まで殺してしまったように見える。

それは勿論異常なことで、同情の余地は無い。
その犯人の半生が報道されているけれど、きっと食料は与えられたけれど、愛情を持って育てられた人ではないのだろう。
身体は大きくなっても、精神的に余り成長しないまま大人になって、年相応に、就職・結婚・出産をこなしたけれど、精神が育っていなかったら、全て受身か行き当たりばったりで、何もうまく行かない、面白くない、反って大変で仕方が無いという被害者意識が強かったのかも。

結婚した相手に借金があったとのことで、子どもが半年のときに離婚したというけれど、それから大変は大変だったのだろう。
子どもを生んだこと、離婚したこと、全部、自分の責任だ。
お金のこと、子育てのこと、全て自分でやるしかなくてやるのだけれど、全くうまく行かない、反対にどんどん大変になっていく。
何の見通しも立たない人生で、子どもは可愛いより、手に余って、邪魔にさえ思うようになったのかも知れない。

自分は大変なのに、自分の中では、自分がとても可哀想なのに、誰も「大変ね、可哀想にね」と言ってくれない。
自分の意思で、結婚相手を選んで子どもを生んで離婚したのでしょう?
大変だとは同情してくれる人もいたのかも知れないけれど、それよりも、世間一般から、自分が背負った責任を果たすことを要求され、それがやたらに重く感じる精神状態。
そんな状況から、本当は自分が被害者だという気持ちが強くて、皆から、「大変ね~、可哀想ね~」と言われたかったのかなと思った。
誰かに心から同情されて、辛くてどうしようもない気持ちを慰めて欲しかったのかも知れない。

彼女は、きっと、「被害者は本当は私なの、私は悪いこと何もしていないのに、小さい時から何もかもうまく行かなくて、子どもまで生まれてしまって、大変なのよ、誰かわかって、誰か助けて」と言いたかったのではと思う。

結局、子どもを正常な一人前の人間に育てるには、愛情を持って育ててくれる人がいること、助けてくれる人がいることが条件かと思った。
この犯人は本当に精神的に未熟で、優しい保護者が必要だったのだ。

精神の成長はとても大切、そして、子どもの精神が育っているかどうかは、中々注目されないことだ。
また、精神というのは、穏やかで優しい環境でしか育たないそうだ。

外れているかも知れないし、まとまりませんが、私見です。
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by mw17mw | 2006-06-06 22:20 | 飲食店・菓子店 | Comments(0)