入谷・根岸 下町歩きツアー 2/3(主に、旧陸奥宗光邸・矢嶋写真館)

子規庵を出た後、来た時とは別の路地、と言ってもホテル街をを歩いて、笹の雪の近くまで戻った。
そのホテル街の道も、明治時代は、一番正式な道で、正岡子規に会いに行く人たちが通った道だったとのこと。

そうして、横断歩道橋を通って、根岸小学校の方に渡り、その横の路地を歩いて、旧陸奥宗光邸に。
ここからは主に、古い建物見学になっていく。

何でも、1816年から1820年まで、陸奥宗光が欧州への留学中に、二番目の妻である亮子と先妻の子どもたちが、住んでいたらしい。
(その後、陸奥宗光が日本に戻ってくると、六本木に引っ越し、最終的には、駒込の現在の古河庭園に居を構えた。)
根岸には、他にも洋館があるけれど、実は、本当の西洋の洋館建築と、中身は和風建築ながら表面だけを洋館風にしたものがあるとのこと。
旧陸奥宗光邸は、完全な洋館建築で、屋根裏の梁の入れ方なぞ、西洋風なのだって。

今では、この白い建物だけが旧陸奥宗光邸だけれど、実際に陸奥宗光の家族が使用していた明治時代には、左右前後の土地、全てがお屋敷の敷地であったそう、確か、2千坪だったとか。(今はそれらが切り売りされ、周囲にびっしり民家が細かく建っている)

場所は、言問い通り沿い、鶯台駅南口の向かい側から鶯谷駅北口向かい側に向かって路地を見ながら歩いていると、出てくる。(結構、わかりやすく、私も以前から知っていた。)



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この建物に案内板があって、陸奥宗光邸であったことと、その後に住んだちりめん本の成功者のことが書いてあった。
下の写真最下段の右から二番目の女性の横顔の写真が、陸奥宗光の二番目の奥さんである「陸奥亮子」。
本当にきれいな人で、日本においては、「鹿鳴館の華」、陸奥宗光が駐米大使になったとき、アメリカに行き、そこで、「ワシントン社交界の華」と評判になった女性だったとか。(確かに、この横顔の写真は見たことがある、昔の女性というより、現在の女性に通じる容貌)

ちりめん本は、長谷川武次郎さんという方が考案したもので、「欧文和装本で、和紙を使用し、木版多色刷りで挿絵を入れ、文章を活版で印刷し、縮緬布のような風合を持った絵入り本」。
これが海外で受け、輸出されていたらしい。(海外に輸出されていたものなので、日本には余り残っていないし、有名ではない)
その長谷川武次郎さんが、この家を買い取り、私宅と会社に使用していた、今でも、その子孫である西宮さんの所有で、実際に住まわれているとのこと。(だから、中に入ることはできない)


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次に「そら塾」や「世尊寺」も案内されたが、紹介を割愛。

元々は明治時代の建物で、何度か手を入れて使用してきたとのこと。
関東大震災では倒壊を免れ、戦災にも遭わず、今でも健在なのだが、今の形になったのは、昭和初めとのこと。
こちらは、案内役の中村さんが建物の保存が縁で懇意にされているとかで、特別、2Fの写真スタジオまで見せてくださった。
(何でも、2013年に後継者がいないとのことで、写真館は閉じて、この建物も建て替えようと思ったけれど、中村さんたちのこの建物に対する評価を聞いて、改めてその価値がわかり、当分の間、昔のまま使って行こうということになったそう。)
こちらの建物は、骨組み等、日本式の木造建築で、その表面を洋館風に飾ったもの。
(矢嶋写真館の2,3ブロック手前にも、似たような建築がある)

スタジオも良かった、スタジオと待合室を分けるドアの建具なぞ、もう今の時代では作れないような細工のドアであった。

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<にびきと山口煎り豆店>
矢嶋写真館の向かい側に、二軒、昔の木造家屋が残っていた。
にびきというふぐ料理のお店と山口煎り豆店。
昔は、この金杉通の両側には、こういう屋根の建物がずらっと並んでいたとのこと、その時代、街並みがきれいだったろう。
(実はこの様式のお家はまだまだ残っているらしいが、昭和の時代に、表面を今風に囲ってしまったり、わかりにくくなっているとのこと。建物は、横から見て、そういう囲いがないかどうかチェックすると良いとのこと)


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by mw17mw | 2017-10-19 09:20 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)