中央区新川フラフラ

そうそう、人間、いつ何時どうなるのかわからないという悲しい実例を。
去年の12月まで、家の近所のグラフィックデザインの事務所に勤務するグラフィックデザイナーの40代前半くらいの男性が、母の時代からずっと、毎朝、自動車で事務所に来るとき、通り道にある我が家でたばこを1つずつ買ってくれていたのだ。(主には、商品カタログを作る事務所)
それが、突然、全然来なくなって、「どうしたのだろう?」と思っていたのだ。
2,3週間して、説明に来てくれ、何でも、住まいの近所で、ひどい怪我を負った野良ネコを発見、病院に連れて行こうと抱き上げようとしたとき、野良猫だから知らない人に捕まえられそうになって、必死に抵抗したのか、その手負いの猫に手を噛まれてしまい、その後、そこが膿んでしまったとのこと。
お医者さんに行ったら、そこから黴菌が入って、指を切除したほうが良いかもと言われ、自動車の運転もできなくなり、手術を控えてたばこは厳禁になったそう。
それでも、手術までまだ時間があり、何度か治療に通う内、少しは良くなったようで、指を切ることは免れたと聞いていた。
指は切らなかったけれど、何かの手術をして、それはうまく行き、完全ではないけれど、そこそこ治ったらしい。
その後、自動車の運転は再開できるようになったけれど、完全に指の機能が戻っていないからとたばこは禁煙のままとなって、毎朝、ちょっとお話していたそのお客さんとはほとんど話すことはなくなってしまった。(気持ちとしてはお友達だったのだ)
それでも、偶然、お祭りの頃、道で会ったので、その後のことを聞いたら、半年たったけれど、猫に噛まれる前の状態には完全に戻れないと笑いながら落ち着いて言っていた。

そうして、最近、その人がいつも自動車を停めておく場所に自動車がないことが多かったので、その人の会社の人に、「最近、彼は自動車通勤をやめたのですか?」と聞いたら、「猫に噛まれて以来、思うように指が動かなくて、1年近く経った今でも、カメラのシャッターが思うように切れないからと、とうとう会社をやめてしまった」とのこと、うぇ~、何て可哀そう。
気持ちの優しい人だから、道で出会ったひどい怪我をした猫を見捨てられずに、ついお医者さんにと思ったことから、長い間続けてきた仕事を失うなんて...絶句。
その人は、社長に後継ぎがいないため、事務所の将来を託されていた人だったのだ、一人だけではない皆の人生が狂ってしまった。
怪我をした野良猫、やはり、触らない方が良いというか、シロウトが捕まえてお医者さんに連れて行けないものらしい。
また、猫から移される黴菌、今の医療水準でも、完全に治せないものもあると知った。

−−−本題です−−−

今日はあいにくつめたい雨が降り出したけれど、何せ、そろそろ本格的、「観光の秋」。
明日から、結構遊ぶ話が入っているので、今まで書き損じていた「都内見物」の話を書く。

9月の中旬に、ハゲさんと新川の灯の番に行ってから、新川が気になり、ある土曜日、自転車で走り抜けてきた。
そうして、1,2週間前だったか、「じゅん散歩」という番組で、新川を特集していて、それを見て知った知識と合わせて書く。

箱崎の方から新川(霊岸島)に入り、永代通りを永代橋の方まで走ったら、隅田川に面した先端は、緑の公園になっていた。
下の地図は、北が左なのでわかりにくいが、新川から隅田川や江東区を見る位置に立っている地図と思うとわかりやすい。
d0063149_12084951.jpg

(この地図を見ると、新川が水に囲まれているから、埋め立て地とわかりやすいが、古地図や明治・大正・昭和の地図を見ると、新川だけでなく、日本橋の相当の地域に運河が巡らされており、徳川家康が江戸に出たとき、「日比谷の方からずっと浅瀬の海であった」とか言われているけれど、東京駅から先は皆埋め立て地に違いないと思える)

新川って、八丁堀の方から入ってくると、建物だらけだけれど、先端だけは、完全に新しく開発されたウォーターフロントというたたずまいで、住居としての環境が良さそうになる、また、実際にこの景色を一望できる高層マンションがあったのだ。
一瞬、この景色を毎日見られるのなら、これは素敵と思った。
下の画像は、隅田川越しに対岸の江東区を見たところ。
d0063149_12085077.jpg


その公園越しに右側を見ると、隣は橋で結ばれた佃島で、たくさんの高層マンション群が見えて、これも良い景色。
(あ、そうそう、我が家がビルになったとき、6Fから南側を見ると、佃島のマンションのてっぺんが見えたっけ)
今まで、ウォーターフロントの景色というと、豊洲とか品川とか、我が家から遠いところまで行かなくては味わえないと思っていたが、新川や佃島の突端から隅田川に向けても開発されているのだと知った。
で、この隅田川沿いの緑の細長い公園は、「新川公園」という名前であった、一番川に近い道を走りたかったが、自転車は入れなかったのが残念。
d0063149_12085035.jpg


余りいい加減なことは書けないのだが、どうも、この先端部分は、新川の東側の隅田川に面した部分は、越前福井藩の中屋敷の跡かしらね?

その後、多分、「八重洲通り」というのか、東京駅の鍛冶橋に繋がる通りを通った後、新川の真ん中の方も走ってみた。

オフィス街だから、飲食店はそこそこあるみたいなのだが、こういう古い土地ならではの「寂れた商店街の跡」が全くないのだ。
こうなると、もしかしたら、新川って、本当に主に倉庫街で、ずっと長い間、余り人が住んでいなかった地域ではないかと思わないでもない。(少しは町民が住んでいたとしても、皆、八丁堀に近い方だったろうし、一応、八丁堀の方に出れば、お店は揃っていただろうし)
テレビでも、明治以降は、酒問屋の倉庫ばかりだったというし。
そうして、スーパーもちょっとはあるみたいだけれど、この新川に引っ越してきたら、本当に買い物が大変そう。
あのウォーターフロントの高層マンション、素敵だけれど、私みたいな町育ちには絶対無理だと思う。
自動車と免許を持って一週間に一度くらい買い出しに行って暮らすか、生協とかで、日常品を調達するしかないもの。

その他、Wikiにも書いてあったけれど、明治22年から昭和の初めまで霊岸島汽船発着所が置かれて房総、伊豆半島、大島、八丈島などへの海上航路が栄えたとのこと、その後、竹芝桟橋に移ったのかな?

その他、新川というと、新川デリーとか、津々井といいう洋食屋さんが有名で前を通ってみたが、新川のデリーは結構奥地にあり、普通には行きにくい場所、残念ながら、お休みで掃除中であった。
津々井さんは、八丁堀から橋を渡ってすぐのところにあるが、土日は、平日とメニューが異なり、高めであった。
その他、じゅん散歩で、「翠江堂」という和菓子屋さんが紹介されていた、何でも、「いちご大福」の名店で、一年中、いちご大福を作っているとか、ここは、今度行ったときに買ってみたい。

さて、このくらいの情報しか得られず、新川を出て橋を渡ったら、「伊達志めビル」を発見。
一番上に、「伊達志め本舗」と書いてあった。
もしかして、「伊達じめ、伊達じめ」とか簡単に言うけれど、この会社が昔は一手に作っていたのかなとか想像できたが、本当かどうか。
でも、2Fのテナントが「伊達総合法律事務所」だから、本当に、伊達さんが発明したから「伊達志め」というのかも知れない。
(私は伊達しめって、仙台の伊達藩が関係しているのかも思っていた)
何だか、ここにきて、古い東京を想像できるものに出会えた。

また、そのうち、新川を巡ってみよう。
d0063149_12085034.jpg

[PR]

by mw17mw | 2016-10-28 16:54 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)