駒込駅から飛鳥山まで3/3 飛鳥山の渋沢史料館等

書き忘れたけれど、旧古河庭園に行こうと思ったら、山手線の駒込駅より、京浜東北の上中里駅の方が近い。
実は、旧古河庭園の後、平塚神社や滝野川公園を通り、上中里駅まで行きたかったのだが、時間の関係で割愛。
平塚神社や滝野川公園は行ったことないので一度足を踏み入れたかった。
上中里駅前は何度か通ったことがある。
その頃から建て替えが行われていなければ、この駅は本当に都内の駅という感じがしなくて、周囲にお店が殆どなく、枯れ葉が似合う郊外の住宅街の中の駅みたいな雰囲気があって、私は好き。(都会ぽくないという点では鶯谷駅に並ぶ)

さて、旧古河庭園を出て、本郷通りを飛鳥山・王子方面に歩くと、昔の大蔵省造幣局の大きな印刷工場が出現。
今は、「国立印刷局東京工場」というらしい、ずっと以前だが、大学入試の試験問題の漏洩があったのはここだっけ?
その前を通っていくと、すぐに南北線の西ヶ原駅の入口があった。
帰りはここから帰ろうと話しながら、まだまだ先に進む。
旧古河庭園から飛鳥山は想像していたより距離があった。(駒込駅から旧古河庭園と同じくらいの距離かも。でも、歩いたことがない道路だったので、余計遠くに感じた。)

何とか文庫とか、わけのわからない題名の建物が何かも全然わからないまま、それを目指したわけだが、程なくして、緑がこんもりした地域が出てきて、きっとここが「飛鳥山」の端っこなのだろうということは想像がついた、ほとんどが駐車場。
それを横目に見ながら、ずんずん進むと、駐車場が終わり、中に入る入口があって、「飛鳥山3つの博物館入口」とかなんとか書いてあり、その下に行きたい「渋沢史料館」や「晩香廬(ばんこうろ)」、「青淵文庫(せいえんぶんこ)」なぞの名前があったので、そこから中に入った。
庭の高い木々の向こうに建物が見えた。
d0063149_12075740.jpg


地図を見ながら、最初に目に入った建物の方に向かったら、そこは、「青淵文庫」であり、入口に、「15時45分閉園」と書いてあったかな?
d0063149_12075886.jpg

私たちが入った時はまだ内部の照明がついていたので、ステンドグラスが映えてもっときれいだった。

私と広島Iさんが青淵文庫に滑り込んだのは、閉園5分前。
なんだなんだ、こういう施設が5時までではなく、15時45分に閉まるなんて、ひどい!とか言いたくなった。
そして、入ってみると、表から見るより小さく、主な部屋は、応接間だけという感じであった。
表から見ると、平屋だけれど、奥まった方は二階もあるようだが、階段に公開していない旨が書かれていたので、すぐに見終えることができた。
そうしたら、係りのお姉さんが「晩香廬も急げば何とか見ることができます」とのことだったので、急ぎ足で、向かい側にある平屋建ての建物がそれらしかったので、またまた、滑り込む。

これも小さな建物で、中に入って、ざっと見て、とにかく、足を踏み入れたという証拠を作ってきたみたい。(笑)
こちらの方も、メインは応接間で、中の内装が殆ど茶色い木で山小屋風、落ち着く感じ。
d0063149_12075834.jpg


両方とも私を含めて慌てて見に入ったお客が出ると、建物から電気が消えた。

渋沢栄一さんは、明治・大正時代の実業の世界での成功者、その晩年を過ごした飛鳥山の環境は本当に素敵であった。
一度は散歩に行くと良いと思う。

で、入ってきたところを戻り、奥に進むと、今度は大きくて立派、しかも現代的建築の渋沢史料館があった。
ここは、4時半まで入館できて、閉館は、5時のよう。
そうして、ここもその日無料。
広島Iさんが切符の自動販売機を見たら、この3館(紙の博物館とか飛鳥山博物館)を見る共通券は、720円とのこと。
(渋沢史料館1館での入場料はよくわからなかったが、同じ敷地にある青淵文庫や晩香廬もその料金で一緒に見られるみたい)

都民の日は、10月1日で、大抵は平日なので、恩恵を受けるのは、学校がお休みになる高校生までであった。大人になってからは、恩恵は皆無。どうせなら、都民の日を10月1日ではなく、10月第一土曜日にしてくれたら、成人は恩恵を蒙れるのにね)

で、渋沢史料館は1階に映画の上映室があり、最終回が4時半からと書いてあったので、2階の資料の展示を見に行った。
そこに置いてある史料によると、渋沢栄一さんは、60歳から91歳の臨終まで、この飛鳥山に住んでいたそう。
そうして、渋沢栄一さんの住居は、和館と西洋館と両方あったらしいのだが、戦争で燃えてしまったらしい。
その後に建てたのが、この渋沢史料館であるとのこと。
青淵文庫と晩香廬は、渋沢栄一さんが尊名中、弟子などの他の人からプレゼントされたもので、戦災の被害に遭わなかったらしい。
庭に作った客に会うための応接間主体の小さな建物という位置づけ?
そうか、ということは、あの青淵文庫晩香廬は、昔だったら、文人や金持ちは、庭に茶室を作るわけだが、日本の西洋化に生きた渋沢栄一さんの弟子たちは、和室の茶室ではなく、西洋風の応接間主体の家を作って贈ったのだ。
渋沢さんは、そこで客人と会ったのかな?
(晩香廬は、バンガローの当て字らしいと書いてあり、確かに、バンガロー風の建物であった)
この建物が、昭和6年の渋沢栄一さん没の年より前に作られたものと思うと、その当時、本当にモダンに見えたろうと思う。(今でも、通用する素敵さだから)

私は、高校の時、世界史を受験科目に選び、日本史を選ばなかったので、渋沢栄一さんについては学ばなかったし、よく知らなかったのだ。
ま、名前と日本の主だった大企業を明治時代次から次に作った実業の神様みたいな方くらいの知識しかなかった。
でも、今回色々調べたら、「「道徳経済合一主義」に基づき、経済道義を実践していた人らしく、経済面だけでなく、精神面でも、明治維新以降の日本の実業界の柱だった人らしい。(NHKの連ドラ「朝が来た」にも出てきた)
生まれた時からの軌跡や写真を順番に見て行ったのだが、途中で、「あ、そうだ、後で映画を見るから、映画を見ればすべてがわかるだろう」と思い、途中で、展示を見るのはやめて、展示スペースの裏にある休憩スペースに行ってしまった。
そこには、モダンなとても横に長い窓から飛鳥山の緑が良く見え、また椅子があったので、そこに座り、景色を楽しみながら、広島Iさんとおしゃべりをした。
この2階からの景色は本当に素敵。(写真は撮り忘れたか、館内撮影禁止だったのか?)

そうして、5分前に上映室に行くと、誰もいなくて、私たちが席に座ると、自動的に映画が始まった。
でも、その映画が本当に短く、殆ど内容がなかった、残念、あれだったら、ちゃんと二階で資料を見るのだったと反省。

その近所には、飛鳥山博物館、紙の博物館もあったけれど、その日はもう十分色々見物したし、時間も5時近かったので、南北線の西ヶ原駅まで戻り、喫茶店でもあったら、入りたいねと思ったけれど、駅の周辺には何もなかった、残念。
ま、王子駅まで行けば、色々あるのだろうけれど、もう王子駅まで歩く元気もなかったし、そのまま、南北線に乗って帰って来た。

私は、飛鳥山に足を踏み入れたのはこれが初めてなのだけれど、テレビで、例えば、「アド街で話題に上る飛鳥山とか、「江戸時代から桜の名所であった飛鳥山」というのは、王子駅の方からの地域ではないかと思う。
どうも、飛鳥山というのは、王子の駅前から西ヶ原の方に、細長い山で、私たちがその日に行ったのは、王子駅前の方が表とすると、渋沢史料館がある方は裏ということになるのではと思った。
だから、そのことを広島Iさんに話し、今日行ったのは、飛鳥山は飛鳥山だけれど、裏の方であり、あれだけのことで、「飛鳥山に行ったことがある」とは言えないのではと話した。

旧古河庭園も、渋沢栄一さんの晩年を過ごした飛鳥山も素敵だったけれど、近くに喫茶店とか休憩する場所が全然ないというのが、欠点。

飛鳥山の自然がきれいで、またいつか散歩に行きたい。
[PR]

by mw17mw | 2016-10-07 16:34 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)