2015秋 久しぶりの上野公園~本郷案内−2/3湯島から岩崎庭園

東大まで含めて一つにまとめようと思ったが、無理であったので、分けることにする。

−−−本題です−−−

その後、2時のボランティアガイドツアーにはちょっと早かったので、男坂を上って湯島天神方面へ。
湯島天神とその手前の神社でご朱印をいただいてから、ちょっと早めに岩崎庭園に着き、先にお庭に行ってみたら、撞球場の前で、フラワーアレンジメントのデモンストレーションの会が開かれていて、お花がとてもきれいだった。
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こちらは、切符売り場の裏手、そして洋館の玄関の向かいにある大きな大きな銀杏。
(この銀杏が黄色い時期も、岩崎庭園が美しい時期の一つ)
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そして、今回、洋館の右端の裏に、日本家屋の玄関があることに気づいた。
今は、スタッフ専用の玄関として使っているとのことだが、実際に、岩崎さんが住んでいた時、洋館はお客様用の迎賓館で、岩崎さん一家はこの日本家屋の玄関を出入り口としていたそうである。
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そして、次は、見学ツアーなのだが、私の場合、もう、5,6回目かも知れない。
ツアーで見学するものはいつも同じなのだが、ボランティアガイドさんによって、興味を持つところ、焦点の当て方、深く掘り下げる箇所が違うので、いつ行っても新しい発見があり、飽きない。(ガイドさんは、一回に1名だけでなく、複数名いらして、生の声が届くような少人数のグループで回ることができる)
実は、その前の週は従姉妹たちと一緒に岩崎庭園だったのだが、今回案内してくださるガイドさんが違ったので、また、新たな発見があり、楽しかった。

今回のガイドさんは、お屋敷の大きさとか、この屋敷を設計したジョサイア・コンドルの人生について、詳しい説明をしてくれた。
今まで謎だったのだが、この巨大な岩崎邸の跡地の西側路地を一本はさんだところに「三菱資料館」という立派な建物のがあって、そこはもともと岩崎さんちの何だったのだろう?女中たちが住んでいた場所だったのだろうか?と思っていたのだが、今回の説明で、岩崎邸専用の自家発電所があった場所らしいということがわかった。
(先週は、岩崎邸は、国が買い取るまで、春日通りに面したところまでが岩崎邸で、春日通りに面したところに玄関があったのに、国がその部分を売却して、湯島ハイタウンなるマンションができてしまったのだ。仕方がないので、岩崎邸の玄関は、今の位置に移ってきたとのこと。だから、どうも、その玄関の位置で、台東区や文京区かがきまるらしく、戦前の玄関の時は、本郷区だったのが、玄関が移ったことで、戦後、岩崎邸は、台東区表示になったとのこと、納得。)

(このブログに岩崎久弥さんのこの洋館で写した家族写真があるがとても素敵。一番左椅子に座っているのが奥さんで、後ろに写っている6人も子どもを産み育てたのに、この美しさは何だと思うくらい、きれい。また、おばあさんが写っているが、この方は、歴史上有名な、三菱財閥の創業者岩崎弥太郎さんの奥さん)

この岩崎邸は、敗戦とともにGHQに接収され、岩崎さんたちは、この屋敷の隅で暮らしていたらしい。
そうこうしているうちに、敗戦から一年くらいの時期に、日本政府は敗戦から立ち直る資金として、金持ちにものすごい税率の資産税をかけたので、岩崎さんは、この土地と建物を日本政府に物納したらしい。
で、GHQから返された時には、日本政府のものになっていたのだが、日本政府は、その立派な日本家屋の殆どを壊して、コンクリートの役所を建ててしまったとのこと。
どのガイドさんも、「それがとても残念。GHQだって、壊さなかったのに、日本政府が立派な日本建築を壊したのですよ」と嘆く。
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(洋館の後ろに見えるビルは、東大病院)

また、ハイタウンができるときだと思うけれど、政府は、1万5千坪あった岩崎邸のうち、1万坪を民間に売ってしまったらしい。
何だか、今となっては、昔のままであったら、どんなに良いだろうと思うけれど、戦後、日本は極端に貧乏になってしまったから仕方ないのかな?
でも、もうちょっと文化的価値がわかる人に整理して欲しかった。

先週の従姉妹たちも、今週の広島のIさんも、岩崎邸には満足されたようで、良かった。
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by mw17mw | 2015-12-03 08:49 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)