大人の遠足−大磯・小田原 2/3

そして、戦後、澤田美喜さんの半生と信仰、そして、戦後、行った「エリザベス・サンダース・ホーム」を作って、2千人以上の混血児を育てた事業についても、色々学ぶことができた。

澤田美喜さんは、三菱の創業者岩崎弥太郎の孫であり、その子供である岩崎久弥の長女として、文京区に生まれるとあるが、今は台東区になっている「旧岩崎庭園」で、誕生し、育った。
この旧岩崎庭園に行って、ジョサイア・コンドルが設計した洋館や庭を見れば、澤田美喜さんがその当時の日本の庶民の生活なぞを見ることも触れることもなく、贅沢に育ったことがわかる。
そして、20歳の時、お見合いで、外交官でクリスチャンの澤田廉三と結婚、その後、子供を4人産み育てながら、外交官夫人として、アルゼンチン、北京、ロンドン、パリ、ニューヨークで昭和11年まで外国生活をしていたとのこと。

その外国生活の間に、ロンドンで、子供たちの表情が明るい孤児院に行く経験もして、戦後、日本の混乱時代に、新たに望まれずに生まれて来て、捨てられる混血児たちを養い、育てることを決意する。

澤田美喜さんの一生を知るには、下記4つが参考になる。

Wikiの澤田美喜

三菱の人ゆかりの人 澤田美喜(上)

三菱の人ゆかりの人 澤田美喜(下)

その他、澤田美喜とキリスト教について

私は、それまで、澤田美喜さんの名前やエリザベス・サンダース・ホームについて、昔、週刊誌なぞで取り上げられることがあったので、混血児の子供たちの孤児院を作った人とその孤児院の名前ということは知っていた。

今回、この催し物で、刺激を受け、色々調べて、澤田美喜さんは、なぜ、このような事業ができたのだろう、する気になったのか、考えてみた。

澤田美喜さんは、恵まれた環境に生まれ、恵まれて育ち、どの段階でも幸せであったに違いない。
クリスチャンになったこと、良い伴侶に恵まれ、外交官夫人として外国で暮らしたこと、4人の母になったこと、全て、幸せだったのだろう。

だったら、彼女の人生に不幸はなかったのかというと、三男が戦死してしまったことがある。
そういう経験があるせいか、天性の感性のためか、クリスチャンとしての信仰と教育のせいかは良くわからないが、不幸な人々への同情心がある人のようだ。
大磯の旧岩崎別荘地には、混血の孤児のための「エリザベス・サンダース・ホーム」、また、その子供たちが町の学校に入学したらいじめられるだろうと、その子達用の小中学校「聖ステパノ学園」がある他、澤田美喜記念館には、江戸時代に迫害された隠れキリシタンの遺品がたくさん集められ、展示されていた。
この人は、孤児だけではなく、謂れのない迫害に遭う人すべてに同情し、寄りそう気持ちがあることを感じた。
(下記の画像は、鐘撞堂と、澤田美喜記念館)
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たぶん、外交官夫人時代に外国で学んだ、「慈善活動」の正しいそして成功した事例を見た経験も大きかったのだろう、それまでに恵まれた自分の人生の恩返しのように、恵まれない、見捨てられた子供たちのために、残りの人生を捧げることを天命と悟って行動をした。

そこがすごいし、素晴らしい!自分の恵まれてきた分をちゃんと社会に還元するのだから。

素質的には、岩崎弥太郎の直系の孫だし、恵まれた環境で育ち、物おじすることなく、伸びやかに生きることができた人生。
そこに、キリスト教の教えが入ってきて、弱い者、恵まれない人々に手を差し伸べることが「自分の天命」と思えたとき、きっと、おじいさん並みの行動力で、頑張ることができたのだろう。

また、以前と違って、今の時代、望まれない米兵の子供とか生まれなくなっているので、「エリザベス・サンダース・ホーム」はまだあるのか?もしかして、なくなってしまったかな?と思ったけれど、今は、普通の養護施設になって、恵まれない日本人の子供を預かっているそうだし、聖ステパノ学園も、エリザベス・サンダース・ホーム以外の子供も通う学校になっているそうだ。
下記画像は、「エリザベス・サンダース・ホーム」の看板が掲げられている建物。
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後、話はずれるけれど、由紀さおりとそのお姉さんである安田祥子さんが、コンビで童謡を歌うことが多いけれど、この安田祥子さんのご主人は、すでに他界されているようだが、澤田美喜さんの次男さんとのこと。
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by mw17mw | 2014-07-07 12:55 | 東京以外の遠出・温泉 | Comments(0)