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天性の「美味しい!状態に執着心」がある東京下町に棲息するおばさんのお料理・お菓子・道具・食材の他、散歩の記録を綴った日記です。by真凛馬


by mw17mw

夫婦愛

私のもらった表彰状の名前が母であったことについては、ブログでも反応を2ついただいているし、オフラインのお友達からも感想を聞いたりして、私も親孝行ができたな~とボーっと考えていたのだ。

でも、一週間近く経って、考えが変わった。

10月10日の我が父の十三回忌と母の三回忌の法要の時に、お坊さんが「十年周期で亡くなったとのことは、今後、お父さんの十七回忌とお母さんの七回忌、お父さんの二十三回忌とお母さんの十三回忌は、常に一緒に行うことになる」とおっしゃったのだ。
それを聞いた時、それが母の父への恩返しのように思えた。

いや、十年周期で亡くなったことで、今後同じ年にお経をあげていただくことになるとは思ったが、あくまでも、父の方は、5月の命日近辺に子供たちだけでひっそりと、母は十三回忌まで、親戚に来てもらって法要を行うのかなと思っていたのだ。

他の家の習慣はわからないが、我が家及び親戚では、十三回忌までは親戚を呼んで法要を行うが、それ以降は、子供たちだけでひっそりと本当の内輪だけで、法要を行うのがしきたりと聞いている。

でも、お坊さんがそうおっしゃたのだから、我が父は、母のおかげで、他の人より十年長く、親戚を呼んでの法要をすることが決定したのだ。

自慢ではないが、我が父と母は仲が悪かった。
それは色々な複雑な原因が絡まってのことであり、一概にどちらが悪いといえないところもあるが、基本的には、母側にいつまでも意に沿わない結婚をしたという気持ちが抜け切らなかったことも大きい。
だから、生前の母の父に対する態度には、同情とか共感が殆どなかった。

それでも、父がもうすぐ他界となった時点で母は長年逆らいながらも連れ添った父の存在の大きさに気づき、本当に親身になって看病をしたし、父が亡くなったときは、高血圧で倒れたりもした。

そして、母は、父のために大きな位牌を選んで、「私が死んだら、私をお父さんの隣に入れてくれ」と言っていた。
この時点で、母は父の存在を受け入れたのだなと私は思っていた。

父の死後、母は、「子供の世話になるのは嫌だから」ということと「商売やめるなんて、信じられない」と、規模を縮小して酒屋を再開した。
そして、酒屋が暇なときには、地下の父の机に沢山残された父の日記を読んで、「あのとき、お父さんはこんなことを考えていたのだ」とか、父を理解しようとしながら、お店番をしていた。

父の他界後は、そんな感じで「遅ればせながら父を理解しようとする母」であったけれど、生前は、父が「有難う」というようなことは殆どしなかったのかも知れない。(ま、子供を三人産んで育てたことは、それに値するけれど)

そういう状況だったので、この前の法要のときのお坊さんの言葉は、「母が父に有難うと恩返しをしたこと」に思えてならなかった。

それが、10月10日で、母の名前の表彰状が届いたのが10月26日。
これは、本当に偶然なのだけれど、この数日、実は、あれは、死んだ父からの母へのお礼ではないかという気がした。
父は賑やかなこととか親戚が大好きだったから、親戚を呼んでの法要が他の人より十年延びたことを感謝して、母が欲しがっていた表彰状をプレゼントしたことであるかのように思えてきた。

それは、「自分が死ぬかも知れない入院先の病院で、母がはっきりした形の自分への表彰状を欲しがっていた」ことを思い出したから、そう思えてきたのだ。
母が死んだ年は、77歳のときで、酒屋組合だったと思うが、その年の初めに、「今年77歳になることを知らせたので、そのうちお祝いが届く」と言っていた。
入院中に、その喜寿を祝うお祝いの品が届いたので、病院に届けて見せたら、「何だ、記念の盾か」とがっかりしていたのを覚えている。
それは、おめでたい鶴と亀の絵の盾だったが、あのがっかり仕様から、母が「77才まで酒屋を続けたこと、その頑張りを表彰いたします」とかいう表彰状が欲しかったのかも知れないと思う。

私はまだ母の年でないから、そして育った世代が違うから、その精神構造が良くわからないけれど、母の世代のように、専業主婦になるのが当たり前、奥さんになって、夫の影に隠れて、家庭を切り盛りしたり、お店を手伝ったりする人生を送ってきた女性は、やはり、自分のやってきたことに対して、ちゃんとした形での世間の評価が欲しかったのではということは、とても良く理解できる。

きっと、自分が夫亡き後一人でお店を頑張ったことに対して、世間から認められたという何かの証が欲しかったのだろう。(家族は、「お母さんは偉いよ、お店をちゃんとやって」とは言っていたけれど、そんな内輪の褒め言葉でなく、世間様から認められたという確証が欲しかったのだと思う。)

そのことを思い出したら、この表彰状は、内容はちょっと違うけれど、「酒屋組合からのもので母名義」、父が母が本当に欲しかったものを遅ればせながら、手配したもののように思えてならない。

何か、夫婦愛だな~と思ったのだ。
夫婦愛なんて、今は二人とも極楽浄土にいるのだから、こんな派手な形で私に見せ付けなくてもと一旦は思った。
でも、これもそこに深いわけを感じてしまった。

私は先程も書いたように、ものすごく夫婦仲の悪い家に育ったので、自分が適齢期になったとき、結婚とか夫婦仲の悪い例しか知らなくて、怖くて、結婚しようという気が全く起きなかったのだ。
穏やかで夫婦仲の良い父の姉夫婦の子供たちは、「結婚って、うまく行くかどうかわからないけれど、自分の両親がやっていたことを真似すればどうにかなるだろうと思って、結婚したんだ」とか言っていた。
私には、その誰かの真似をすればどうにかなるという確信がなく、親と同じことをすれば、もう1つ頭を抱えるような夫婦関係を抱えることになるという恐れがあったのだ。

父母にも、私が若いときはっきりそのことは伝えた。
(そうしないと、がむしゃらに結婚話をどこかから持ってきて、無理矢理私をそこに押し込もうとするから)

夫婦仲が悪いということは、子供にとっては、全く迷惑な話なのだけれど、当事者たちにとっては、自分たちの力だけではどうにもならないことの積み重ねでそういう事態を招いたという面もあり、父母はそのことについては、何も言わなかった。(でも、無理矢理の結婚話は持って来なくなった。)

何か、今回の、母が父の親戚出席での法要を十年延ばしたこと、また、そのことが明らかになった直後に、母への表彰状が届いたこと、これをまとめると、父が「真理子は、夫婦愛がわからない、男女の愛がお父さんたちの仲の悪い関係のせいでわからないと言っていたけれど、このことで、ちゃんと良い見本を見せたからな」と言っているような気がした。

わかりました、もう、お父さんたちが仲が悪かったから、結婚するのが怖いとか、言いません。
「両親に、夫婦のお互いに対する思いやりの交換の良い例を見せてもらって育ちました」と、今度から、世間に言うからねと、思った。
Commented by hacchima at 2005-11-02 15:45 x
こんにちは!
ご両親がたとえ子供から見て不仲であったとしても、mw17mwさんが健全でかつ、常識的に育ったのは、想定内ではなかったのではないでしょうか?
家庭内に問題があったら、どこか歪んだ性格に育つと思います。
年齢的にその時代の夫婦は、mw17mwさんのご両親は普通だと思いますよ。
私の両親もmw17mwさんのご両親と同じくらいの年齢だとおもいますが、特に夫婦仲が悪かったわけではありませんが、かと言って、
今思うと特に良かったとも思えませんでした。
ある程度分別のある大人になって、自分が置かれている状況を誰かのせいにするのは、大人げないと思いませんか?。
今回、mw17mwさんが達した結論は、ご両親にとってもmw17mwさんにとっても、本当に良かったと思いますよ~
偉そうに・・・ブってしまいました。
ごめんなさい<(_ _)>
Commented by mw17mw at 2005-11-02 16:56
hacchimaさん、こんにちは、その通りだと思います。
私の父母の世代は、「親が決めたとおりの結婚をするのが当たり前」だったのですよね。
(ま~、そういう時代が終わってよかったような気もします。)
そうね、私が健全かつ常識的に育ったのは、夫婦間で育ったのではなく、「家という骨組みの中で育った」からだと思います。
そう考えると、家制度がしっかりしているときは、親の言うなりの結婚してもどうにかなったのですよね。
家制度がしっかりしていない場合は、個人が「家庭を作る」という自覚のもと、相手を選ばないと、難しいのでしょうね。
ま~、私にとっても、最後、心のしこりが取れたように思っています。(考え過ぎ、結びつけ過ぎかも知れませんが)
Commented by もず at 2005-11-03 21:11 x
真理子さん
こんばんは。夫婦愛、いいですね。
うちも真理子さんのご両親と同じ年代ですが、やはり仲が悪いです。うちの場合は母が後妻ということもあり(私は両親の子供ですが)亡くなった先妻の子供とのこと、祖母との事、それは色々ありました。小さいときは徹底的に母の味方だったのですが、大人になるとけっこうどちらの言い分もわかるようになりました。今晩年を迎え、このときくらい仲良くして欲しいなあと思うんですが、両方、愚痴がつきません(笑)。けれど、どちらかが先に逝ったとき、残った方が「よかった。」と思ってくれたらいいかなと思ってます。真理子さんの日記で希望が持てました。ありがとうございます。
ちなみに仲の悪い両親で育った(かわいがられましたけど)私は、一人っ子ということもあってか、とにかく仲のよい夫だけは私の人生の必需品だと思っていました。変わりに子供は欲しくなかったです。そして今その通りの生活をしています。これも一つの親の姿を見た結果でしょうか?(笑)
Commented by mw17mw at 2005-11-04 16:20
もずさん、こんにちは。もずさんも小さい時、色々心を痛められていたのですね。でも、結婚はなさったとのことで、良かったです。お子さんは欲しくなかったとのことですが、小さい時、「気が重かった」部分って、ブラックホールというか、心の中の「?」という部分になってしまい、そのことについて、悪いこともしないのですが、前向きにも進めなくなってしまうのですよね。小さい時、何の心配もなくノホホンと育つことのできる人が本当に羨ましいです。では、では。
by mw17mw | 2005-10-30 13:54 | 日常生活 | Comments(4)