人気ブログランキング | 話題のタグを見る

天性の「美味しい!状態に執着心」がある東京下町に棲息するおばさんのお料理・お菓子・道具・食材の他、散歩の記録を綴った日記です。by真凛馬


by mw17mw

「自分のために生きていける」ということ(寂しくて、退屈な人たちへ)

3月12日の朝にはなまるを見ていたら、ゲストがオードリーで、オードリー若林さんの話が興味深かった。

まずは、オードリー若林さんのお母さんからの、息子の芸への褒め言葉が沢山並んでいる最近の携帯メールを示してから、彼は説明し出した。

以前、テレビの某番組で、オードリー若林さんがなぜ結婚しないのか(だったか、恋人ができないか)を、心理学の先生に見てもらったら、「赤ちゃんの時、お母さんが一切彼を誉めずに育てたから、彼の心が『どうも自分は女性には受け入れられないようだ』と覚えてしまい、大人になって、女性を見ても、心が「きっと僕なんか受け入れてもらえないだろう」とはなから諦めてしまっている」と分析されたそうなのだ。
(オードリー若林さん曰く「当たっています」と言っていたような気が。)
何でも、オードリー若林さんは、赤ちゃんの時から理屈っぽく、可愛げのない子だったので、お母さんは、息子の言うことを受け入れないで、反論していたみたい。

その説明を聞いて、「本当、幼い時の経験って、怖い」と思った。
ましてや、何も夫婦間や家族間で問題のない家でも、こんなことが起きてしまうのだと、驚いた。

で、その分析を知ったお母さんは、反省して、現在、「育て直し」のつもりで、こまめに、息子を褒めるメールを送っているそうだ(笑)、成功を祈ってしまう(笑)

さて、本題です。
ワーカーホリックをネットで検索していて、巡り合った本の紹介。(台東区の図書館にあった)

「自分のために生きていける」ということ(寂しくて、退屈な人たちへ)という本。

一度読んで「良い本」だと思ったし、二度目に読み直したら、色々なページに、一度目では気づかなかった奥深い言葉が沢山あったので、Amazonで中古本を買ってしまった。(買った後で気づいたのだが、単行本は既に絶版なのだが、文庫本なら、まだ新刊で手に入るようだ。)

斎藤学さんという嗜癖の研究が専門の精神科医が著者。(相当有名な方らしい)
(嗜癖(しへき)=赤ちゃんの指しゃぶり、アルコール・ドラッグ・ニコチン・カフェイン・食べ物などの物質嗜癖、ギャンブル・ショッピングなどのプロセス嗜癖など)

単行本で254頁で分量が多いけれど、全体、優しい言葉でわかりやすく書いてあって、読みやすい。
私はこういう精神科医の書いた本を読むのはこれが初めてなので、他の本とは比較できないけれど、Amazonでレビューを読んでも、評判が良いようだ。

合わない人には合わないかも知れないが、私としては、この本には「救い」があって、今、嗜癖がある状態でも、将来治ったときに、「『それも自分には必要なことだった』と思えるよ」みたいなことがはっきり何度も書かれていて、そのおおらかさがとても心地良いと感じている。(でも、正しいとは思っていない部分もある。)

この本は、六章からなっていて、最初、嗜癖の具体的な例が説明され、どうして、そうなったのかが解説され、最後、どうやって直していくかが説明されている。

前書きに書いてあることと、私が一番気に入っている箇所をここで紹介すると、

はじめに
「退屈感や寂しさの基底には、自己認識の問題が横たわっている。私はこの本を自分が健康だと思っている人々のために書いたのだが、そうした人々が日常生活の中で感じるちょっとした違和感(例えば、職場や学校などで覚える「場違い」な感じ)や自信のなさが、私のクリニックに治療を求めてやってくる人々の「私なんか生きていてもしかたがない」という鋭い自己否定と質的に違うものとは思わない。これらはいずれも、現代を生きる者が抱え込まざるを得ない、厳しい自己監視装置から発していると思うからである。自己評価が低すぎて治療を必要とするまでに至っているか、否かの差は、その人が子供時代に受けたトラウマ(心の傷)の質や量によって決まるというのが私の考え方である。傷の程度の差はあっても、家族の中でのトラウマを完全に免れて大人になった人などいないから、人は誰でも自己否定的なところを抱えているのである。」

私が一番気に入っている箇所
「あなたは、これまでの数十年の人生を生きてきて、心の中に輝く宝物をいくつ持っているでしょうか?初めて友達の家に泊まりに行ったときの思い出や、ひとりで自転車に乗って遠出した帰り道、初恋の人との会話や、クラブ活動で強豪に勝ったときの感動かもしれません。旅先で出会った人、徹夜で同僚と仕事を仕上げた朝を思い出す人もいるでしょう。
あなたがいきいきと喜んだり、涙を流したりしたその経験は、心の奥深くに、エッセンスとなって残っているはずです。それは、何ものにも代え難い、貴重な宝です。預金通帳の金額よりも、本物のダイヤモンドや金貨よりも心の中のダイヤモンドが増えていき、心の中の金貨が増えていく、それが人生の豊かさではないでしょうか?」

確かに、自分の不幸さや忙しさなぞに心を奪われているときって、こういうことを忘れているな~と思うし、幼いときから、例えば、いじめに合うとか、家庭環境が劣悪ということは、こういう心の中に輝く宝物を増やせないという状況なのだとも思った。

元気がないとき、ちょっと自信がないときに読むと、ヒントが沢山見つかる本で、お奨め。
「自分のために生きていける」ということ(寂しくて、退屈な人たちへ)_d0063149_22161313.jpg
(ごめんなさい、今、画像ソフトが使えないので、横たわったままで失礼)

あ、そうそう、もう一つこの本でわかったことをご紹介。
例えば、嗜癖なぞが治って心が健康になった場合、例えば、ハッピーエンドというか、いつでも楽しい状態なのかというと、そんなことはなく、心が健康でも、やはり、寂しさや退屈感とか冷たさとか怒りを感じながら生きていくだけのようだ。
ただ、それに耐えられるようになるだけ。(変な形で人生を冷たい方向に引っ張らなくなるだけかも)
何て言うか、心が正常になるということは、喜怒哀楽全て感じるわけなのだけれど、それを自分で統制できるというようなイメージかな?
もしくは、自分が好きで大切にできると同時に、他人へも配慮ができる人間になるということかも。

そして、私の場合、この年末年始に、私より若い友人が二人病気で亡くなったことを知った。
そのことで、自分の思い通りにならないことや寂しさを感じるとき、彼女たちの不幸に比べら、そんなこと何でもないくらい小さなことなのだと思えるようになった。
by mw17mw | 2013-03-21 22:17 | 日常生活 | Comments(0)