北千住は古いものの宝庫 1/2

一月五日に、台東区の町あるきの会が主催した「千寿七福神巡り」に参加させていただき、北千住を3時間歩いて来た。
千寿七福神とは、(巡った順で)氷川神社→稲荷神社→八幡神社→千住神社→元宿神社→氷川神社→千住本氷川神社の7つ。
七福神巡りって、ただ、7つの神社やお寺をお参りするものとばかり思っていたら、それぞれの神社に、本体の神様とは別に、それぞれ割り当てられた七福神の像や祠があって、そこをお参りするものらしい。(ということに終わってから気づくくらいの無知な私であった)

その七福神の神社の中から印象深かったものと、北千住の街で見つけた古いものをご紹介。
北千住って、本当に古いものが沢山残っていて、今でも残っているものをこれからも残して行って欲しいけれど、どうなるのかな~という不安は感じる。

何でこれ程古いものが残っているかと言えば、第二次世界大戦で、東京大空襲の範囲の外であったことはすぐわかる。
だったら、関東大震災ではどうだったのかと思い、「北千住 関東大震災」で調べたら、この表が出て来て、北千住でも、建物の全壊も半壊も千戸以上だったそうで、その数は、都心に比べても、とても多いのがわかる。
しかし、その頃、南足立郡千住町だったから、浅草の方に比べて、建物が密集していないで、火事が起きなかったか、起きても、燃え広がらなかったのかも知れない。

まずは市場界隈を歩いたのだが、私はそこは二三度歩いたことがあるので端折る。
目新しい発見で目を引いたのは、日光街道沿い千住大橋の方から住液方向に向かう途中にあった「小鳥屋」さん。数年前、浅草千束の裏の方にこういう看板のお店を見つけたが、今はもうないようだ。
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ここは千住神社、とても歴史が古く立派な神社であった。
私は、日本史は習ったが、受験科目にしなかったので、詳しくないのだが、何でも、源八幡太郎義家(1039~1106年)の陣地だったところとか。
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この神社には、二基のお神輿が飾られていた。
一基は江戸時代、もう一基は明治14年のものとか。
明治のものは、ちょうど世の中が大変革期であり、昔からの技術が衰退していた時期なのかも知れない、それに比べて安定していたであろう江戸時代のものが立派で、もしかしたら、「鳥越神社のお神輿よりきれいかも」と思った。
そう思わせてくれるお神輿を見たのは初めての経験。

鳥越神社の江戸時代からのお神輿は、関東大震災で焼けてしまったらしい。
なにはともあれ、江戸時代のお神輿が残っているのは立派。
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千住神社を出た後、横の道を北東に歩き、墨堤通りという墨田区と同じ名前の通りに出て、そこを真っ直ぐ西新井橋に向かって歩いた、だいたい30分くらいかな?
北千住は、隅田川と荒川に挟まれた地域で、千住神社から元宿神社までは隅田川に近い地域で、なだらかな平野が広がっていた。
下の画像は、千住桜木という地名界隈にぽつんとあった「ミルクホール 珈琲モカ」。
本当に住宅地の真ん中に一軒だけある喫茶店で、良く商売になっていると思ってしまった。(笑)
しかし、家に帰って、食べログで調べてみると、結構な人気店のよう。
ここまで行くには、駅から歩くか、足立区の循環バスに乗るしかないらしい、ま~、行かないかな?(笑)
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これは、元宿(もとじゅく)神社。
北千住一帯で、鎌倉時代には集落ができた一番古い地域で、江戸から奥州に向かう奥州路もここを通っていたと言われている。
江戸時代初めに日光街道が整備されると、駅に近い地域に「千住宿」が整備され、その千住宿に対して、元宿と名乗るようになったらしい。
(そう言えば、江戸時代の日光街道の起点は北千住なのだそうだ。何でも、芭蕉なぞは、深川から北千住までは隅田川を船で上って、北千住から歩く旅に出たそうだ。でも、考えてみれば、馬はきっと江戸市中からずっと歩いたと思うのだが)
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また、安土桃山時代、ここには、甲州からの移民が入り、開墾をしたが、その土地も、いつの頃だろうか、荒川放水路の河川敷にされてしまい、その開墾者の子孫たちはこの土地を離れなくてはいけないという哀しい歴史があったとか。
ま、神社自体は小さいのだが、ドラマチックな歴史があるし、氏子の皆さんが参拝客に熱いお茶を振舞ってくれたり、良い神社であった。


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by mw17mw | 2013-01-12 21:58 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)