大塚三丁目から鳩山会館

d0063149_22511657.jpgこの前の日曜日、大塚三丁目までバスで行き、そこから、音羽界隈や目白台の方を散歩して来た。

大塚三丁目の交差点を春日通りから護国寺方面に曲がると、まず目に入って来るのが、この看板。
レストランでもショップでもなさそうなのに、不二家の看板。
家に帰って調べたら、現在、ここが不二家の本社なのだそうだ、意外。

不忍通りから適当に路地に入って歩いてみると、余り音羽通りまで行かないところは、昔風の巨大なお庭の平屋建てのお家なぞあって、何だか、古き良き時代の昭和の中産階級という雰囲気があった。

で、とにかく適当に歩いたのだが、どうもお茶大の裏や筑波大学附属中学の裏にあたるみたい。
どんどん歩いて行ったら、有名な鼠坂に出た。
この坂を上ったら、何があるかなという興味で上ってみたら、何もないというか、丘の頂上のようなところに出て、そこから、平地がずっと続いていた。
このまま真っ直ぐ行ったら、春日通りに出られるかしらと思いながら、歩いて行ったら、先日行った小日向の小林豆腐店に行きあたった。(これでここらへんの地理がわかったような気がした。鼠坂をずんずん進んでも、春日通りに出るかというと、出るには出ると思うが、相当大変)

(それにしても、斜面を縦断している鼠坂は、人間が歩けるだけの坂で、勿論、自動車は通れない。
坂を横断する道路も細いし、少ないし、パトカーや消防車がぴたっと言われた住所に辿り着くのは相当大変そう。)

その後、また、鼠坂の方に戻り、左手に道があったので、そちらに進んでみたら、鳩山邸の裏玄関に出た。
大きな門があり、中の様子は良くわからなかったけれど、表札が2つと新聞受けが2つあり、こちらで暮らしている人がいそうな感じ。

そして、また鼠坂に戻って音羽通りに出て、鳩山会館に行った。

鳩山会館は、昔「音羽御殿」と呼ばれていて、我が近所の方では行ったことのある人が多かった。
というのは、文京区と台東区は同じ選挙区であり、鳩山家の地盤なので、後援会に入っていたり、その勧誘と言う目的で、商店の店主なぞは行っていたと思うのだ。(我が父も、確か、鳩山さんちに行って来たという記憶がある)
が、当然、私は行ったことがなかった。

d0063149_2247672.jpg今回、行ってみようと思ったのは、あのお坊ちゃん兄弟である鳩山兄弟がどのような環境で育ったか見たかったのだ。

鳩山会館は、急な斜面の上にあるので、「くの字」型の坂が続く。
その坂も個人の私邸としては信じられない程立派で、ランドセルを背負った半ズボンの幼い小学生がこの坂を下って学校に向かう姿を想像したら、やはり、「ここに育ったら、お坊ちゃんになるしかない」と思ってしまった。(笑)

坂が上り切ると、とてもきれいで大きな洋館とバラが咲き誇るお庭が見えてくる、坂も立派なら洋館もお庭もとても立派。

d0063149_22501569.jpg玄関近くからお庭を見たら、何故か、信楽焼の大きなたぬきがいた。
何で、ここにたぬきがと思うのだが、きっと、有力な支持者から贈られて、飾らないわけにいかなかったのかなと想像したが、本当のところはわからない。
これが唯一、この館に似合わないものだったと思う。

中に入ると受付があって、500円支払う。
1Fは、二つの応接室と食堂が繋がっており、その先にはサンルーム、お庭と続く。
(この邸宅は、地下にボイラー室があって、冬は完璧暖かそうだが、中庭がなくて、風が吹き抜けないので、エアコンがない時代、夏は暑かったのではと思った。)

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一番端の部屋では、鳩山家の人々と鳩山家の邸宅に関するビデオがずっと流れていたので、それをまず見てから、実際に見て歩いた。(このビデオのおかげで、ようやく鳩山家の代々の名前と業績が頭に入った。)

二階にも上がってみたが、二階のプライベートで使っていた部分は全て取り壊され、他のものに作り替えられていたので、余り面白くなかった。(別にプライバシーを覗きたいというのではなく、どのように家族が暮らしていたかとか、どんな部分にほっとして暮らしていたかを知りたかった。)
ただ、玄関上にあたる部分がバルコニーになっていて、そこは素敵。

全体、人に見せても良い、もしくは誰が見ても立派と思われる部分だけになっているところは余り面白くなかったけれど、(貴族でも財閥でもない)個人の邸宅としては、とても立派だし、一度は行ってみる価値があると思う。
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by mw17mw | 2012-06-04 22:53 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)