椿山荘から本郷まで
2012年 04月 10日
(その道はやたらにくねくねしているから、最初に通った神田上水路跡の道だとすぐわかった。こういう人間が掘った川って、流れを早くさせないためか、くねくねさせている場合が多いような気がする。)
そろそろ、最初に渡った橋の近くかなと思って、橋の名前を確認したら、「ふるかわばし」とのこと。
そうだ、ふるかわばしの近くに中村勘三郎邸があると教えていただいていたことを思い出し、そちら方面に進んだら、小高くなっている行き止まりにそれらしい、要塞のような建物を発見。(悪いから写真は撮らなかった。)
表札を見ると、三軒「波野」姓の表札が並んでいて、男性名二人は良くわからなかったが、女性名が「波野久里子」だったので、そこだとわかった。
(やはり、芸能人になるのだったら、芸名を持っていた方が良さそう)
その後、元来た道に戻ってずっと進むと、今度は、本法寺という大きなお寺があった。
そこの前に、このお寺が夏目漱石の菩提寺であると書かれていた。
夏目漱石の菩提寺というより、夏目家の菩提寺であり、夏目漱石の親族の他、坊っちゃんに出てくる清さんのお墓も、夏目漱石によってここに立てられたとあった。
夏目漱石の父親は、牛込あたりの名主であったというから、先祖代々ここのお寺が菩提寺なのだと思う。(夏目漱石のお墓は、五男で独立しているので、ここではなく、雑司ヶ谷霊園)
そのお寺を通り過ぎて、ずっと進むと、とうとう、国際仏教大学院大学まで戻ることができた。
そこをまた下って曲がって、お豆腐屋さんに行くも、残念ながら、絹ごし豆腐は売り切れであった。
このお店は、とても種類豊富なお店で、絹ごし豆腐も、「細雪」というものと「京とうふ」というものを売っているようだが、両方とも売り切れ。(何でも、細雪はにがりだけで固めたもの、京とうふは、にがりとカルシウムで固めたものだそうだ)
仕方がないので、寄せ豆腐を一つ買って来た。(甘くて、美味しかった。)
また、仏教大学の正面に戻り、左側の坂を上って行くと、右側の大学敷地に、古い石垣と古くて高い木立が沢山見えた。
(それにしても、広大な敷地で、徳川さんは明治になって没落したと思うのだが、やはり、没落の程度は、庶民からすると大したことなかったのではと思わせるものであった。←が、やはり、将軍時代から見たら絶対没落なのだろうけれど、貧窮したという感じには見えない敷地の広さであった)
どうせ、こういう邸宅や林を売り渡すなら、余裕のある宗教法人なぞだと、こういう風に一部だけでも昔の名残を残してくれるのかと思う。(目白台の竹林もデベロッパーではなく、宗教法人が買ってくれれば良かったのに)
(余談であるが、国際仏教大学院大学って、HPを見たら、5年制で、定員が一学年5人とか。
ということは全学年で、25人なのに、どうして、こんなに大きな敷地に大きな建物を建てたのか、不思議。)
で、その坂を上って行くと、どうも私の行きたいところに行けないような気がして、元の大学の正面に戻り、右側の、徳川邸の面影を全く残していない坂の方を上がって行くことにした。
そうしたら、無事、春日通りの竹早教員養成所の前のSHUNという洋菓子屋さんのところに出た。
最近、小日向近辺をうろうろした場合、竹早教員養成所の前のミニストップで、洗面所を借り、イートインできるコーナーでソフトクリームを食べ、コーヒーを飲んで、一休みしている。
(喫茶店とかドトールやファストフードのお店が余りない地域なので、ミニストップがあって良かった。)
無事、休んだ後は、またテクテク春日通りを歩き、富坂を下り、真砂坂を上ったところで、スカイツリーが迎えてくれた。
スカイツリーが見えてくると、もう少しで我が家と言う気持ちになる。(それにしても、最近は、スカイツリーになれてしまって、何だか、見えても嬉しくならなくなった。
その他、真砂坂上に出る手前に、新しいお総菜のお店を発見、その名は、Epi厨庵(エピキュリアン)。
美味しいか興味はあるけれど、この日は何も買わなかった。
ということで、本郷三丁目に留めてあった自転車に乗って、家まで帰って、この日の散歩は無事終わった。
ちょっと空気は冷たかったけれど、それでも春の日差しで、遠出しようという気分の天候だったし、とても楽しかったし、夜体重を計ったら、朝より減っていて、大満足の散歩であった。