関口から椿山荘

赤城神社を出て、少し神楽坂の大通りを歩いたが、神楽坂って、風情はあるけれど、ここに来たら、あれあが買いたいとか食べたいと言うものがなかったので、直に元来た道に戻った。
(神楽坂の商店街を歩くより、そのまま、市ヶ谷方面に出て歩き続けたい気もしたが、そうすると切りがないので、思いとどまった。)

元来た道を戻りながら、iPodに保存しておいた小さな地図を見ると、目白通りの一本手前の路地を左に行けば、関口という町名だから、そちらに行けば、神田川の桜の並木が見れると思い、そちらに進むことにした。

それにしても、文京区には「水道」という町名があって、目白通りを挟んだ反対側の新宿区には「水道町」という地名がある、新宿区の方は神田川を水道と読んでいたのだろうと想像がつくが、両方とも一歩も譲らず、この状態と言うのは、江戸時代から続いているのだろうか?

で、神田川や目白通りから中に入った路地は、窪地であり、製本などの印刷関係の町工場や倉庫が多い通りであった。(我が家の方に比べると、商業地域というより、製造業地域の色合いが強いような気がした。)

d0063149_18565793.jpgその路地を歩いて行くと、突然商店街らしきものが出現、その名は、「地蔵通り 横丁物語」。
これは、私が20年前に見つけた商店街かなと思って歩いてみたが、多分違うと思う。
私が20年前に発見した商店街はもっと飯田橋に近いと思うのだ。
鳥越のおかず横丁や佐竹に比べたら、まだまだ活気のある商店街であった。
(江戸川橋の浪花家を発見するも、ダイエット中につき、買わなかった。)
その商店街を突っ切って、大通りに出て、右に曲がって、江戸川橋の交差点に出た。

神田川の岸辺一方だけに桜の木が沢山植わっているようなので、まずはその対岸の高速道路の下を歩いて花見、次の橋で反対側に渡り、桜の木の下を歩いてみた。
こじんまりした桜並木ではあるが、やはり、川面に向かって枝を伸ばしている桜は風情があった。
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d0063149_18581290.jpgその後、元来た道を戻ろうかとしていたら、交差点のビルに、「椿山荘へは、このビルに沿って坂を上り、8分」と書いた標識が貼ってあったのだ。
そうだ、私は椿山荘に行ったことがないので、どんなところか見ておこうとその標識に書いてある→に沿って、そのビルの前をUターンするように歩き出した。

d0063149_18584029.jpg上り坂を上って行くと、程なく、古くて立派なお寺があったり、(私からすると)村の鎮守の神様の~という歌が似合いそうな古い神社があり、また、その隣には、鬱蒼とした大きな竹林が残っていて、何て良いところだろうと思った。
まさか、山手線の内側に、こんな大きな竹林が存在しているなんて、何と言う感激!

先日、文京ふるさと歴史館に行った時、音羽とか関口は江戸時代「村」であったと書いてあった覚えがあり、その村の時代の名残が未だに色濃く残っているように思えた、江戸・明治頃の名残りが残っていたのだ。

しかし、そのまま竹林を見ながら、歩いていたら、竹林を囲む塀に、「建設予定計画」なる看板が貼ってあり、何でも、この4月1日から、共同住宅の建築が始まると書いてあった。
そうか、今度ここを通る時、この竹林は跡形もなく、倒されているかも知れない。
淋しい、しかし、山手線の内側にもこの時代にこんな竹林が残っていたことを最後に見ることができて良かったと思った。

d0063149_18591495.jpgそのまま坂を上って行くと、すぐに椿山荘らしい木立が見えて来て、到着。
緑が多く、とても素敵な施設に見えたし、隣は、これまた緑に囲まれた「Four Seasons Hotel」のようだったが、ま、用がないので、門だけ見て終り。

d0063149_18594331.jpg椿山荘の先には何があるのだろう、景色を見ると、銀色の三角形の建物などがあり、興味が湧いたけれど、これから、伝通院の方まで徒歩で帰ることを考えて、その日は、椿山荘までの散歩とし、Uターンして戻ることにした。

今度は、事前に良く調べてから、また、目白を散策したいと思った。
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by mw17mw | 2012-04-09 19:03 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(2)

Commented by 齋藤 一郎 at 2012-04-11 18:34 x
桜がきれいですね。
伝通院は郷土の英雄清川八郎所縁のお寺です。
地元顕彰会の人はお墓詣りに行きます。
私にブログでご紹介ください。
Commented by mw17mw at 2012-04-11 22:06
>斎藤一郎さん
私は、幕末頃の血なまぐさい話が苦手で、清川八郎さんを知りませんでしたが、今、調べました。
大変な方だったのですね。
実は、私は若い頃3年間、伝通院のお墓が見えるアパートに住んでいました、知らずに、毎日清川八郎さんの墓所を見ていたのかも知れません。