世田谷八幡宮・世田谷城址

宮の坂駅の豪徳寺と反対側に、「世田谷八幡宮」があるとのことで、そちらも行ってみた。
友達の話によると、普段は静かな神社だけれど、お正月だけは初詣の人ですごく賑やかとのこと。

d0063149_18335058.jpg鳥居の右側を見ると、小さな池があり、「厳島神社」と書かれていた。
何で、世田谷で厳島神社なのかと友達と話したが、きっと、我が家の近所にも、色々な神社の中に富士山を模したと思われる小さな山があったりするから、江戸時代、厳島神社まで旅に行けない人のために作ったのかな~なんて、話しながら歩いた。(本当かどうかは定かではない)

そして、その厳島神社の小さな池に鴨が4尾泳いでいたのだが、何だか、不忍池にいる鴨より大柄で、ふっくら太っていた。(何と言うか、丸焼きにして、お皿に乗せたら、とても映えるような体型であった。)
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鴨は渡り鳥で、この4尾は、4尾だけ群れから離れてここで暮らしているのかしら?
不忍池の方が鴨の数が多いから、生存競争が激しくて、餌が少なくて、小柄なのかしら?
この世田谷八幡宮の鴨さんたちは、4尾で悠々と太りながら暮らしている感じ。(春に北方に飛んで帰る時、身体が重たいかも)
雄が1尾で、雌が3尾、一夫多妻制のようであった。

で、鳥居をくぐって、階段を上がっていくと、右手に、相撲の土俵がちらっと見えた。
階段を上がり切ると、土俵全体が見えたのだが、何と、観客席付きの土俵であった、立派。
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何だか、ローマのコロシアムみたいな作り。
今でも、奉納相撲が年に一回行われているらしい。
神社にある相撲の土俵は初めて見たので、大変興味深かった。

私は、蔵前に近いところの生まれ育ちだからのせいか、お相撲というと、蔵前国技館・両国国技館で行われ、テレビ放送されるものというイメージがあり、今まで見たことのある土俵は、国技館・近所の相撲部屋・ちゃんこ鍋屋さんにあるプロ用・商売用ものだけ。
「相撲は国技」と言われるけれど、こういう風に、全くプロの大相撲と関係ないところで、古来から民間で、相撲が盛んであった、民衆に愛されていたという証拠を初めて見たことになる。
(全国の神社などに、こういう土俵が沢山残されているのであれば、確かに、お相撲が国技だと言われているというのも納得できそう。)

また、世田谷八幡宮の狛犬は、何と、右も左も、子供を連れた狛犬であった、珍しい。
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お賽銭をあげて、手を合わせて、また、駅の方に戻り、そうだ、世田谷城址というところも行ってみようということになった。

駅前の近隣地図を見ると、世田谷城址は、豪徳寺の先であり、再び、豪徳寺の方に進む。
そうすると、程なく「世田谷城址公園」というところに出た。
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「世田谷城」という言葉から、もっと立派な城址を想像して行ったのだが、結構あっけない程、簡単な城址であった。(でも、本当は、近隣の豪徳寺まで含む大きな城塞だったようだ)
今は、それでも、公園にして、盛り土が落ちないようにと、小さめの石の石垣で覆われているのだが、以前は、それもなく、ただ、むき出しの土であったとのこと。(でも、本来は石垣があったのかも知れない。このページによると、徳川家康が江戸城築城時に、元の石垣を持って行ってしまったと書いてある。)

それでも、周囲より小高く作ってあり、低いところには水を流し、堀があったもよう。
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「城」というと、「江戸城」とか「大阪城」という巨大なものを思い浮かべてしまうが、安土桃山時代、全国制覇をもくろんで戦うような大きな武家ではなく、日本史の教科書に載ることもない地元の豪族に近いような領主のお城は、この規模で十分だったのかも。(以上、日本史に疎い私は間違った語彙を使っているだろうとは思うが、正しくはどう書いて良いか余りに難しいので、お許しください。私だって、日本史の年表に載っていることくらいは知っているのだが、そこから深く細かく、例えば、江戸時代前に関東各地ではどういう支配体制であったか、誰がどんな名称で支配していたのかとか、全く知らないのだ。また、きっと俄かに勉強しても、頭にこの時代についての知識の骨組みができていないので、きっと理解し、頭に入るまでものすごく時間がかかるだろう)

余りに小さな規模の城址だったけれど、周囲がずっと起伏のない平地であるし、4~500年前の日本人は相当小柄であったろうこと、数年前、このブログで教えてもらい、借りて来て見たクレヨンしんちゃんの劇場版の名作「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦」で見た同じ時代を描いたであろう城や戦いのイメージ、それから、2,3週間前にぶらタモリの上野動物園特集で、「日本古来の馬は、体高が120~130cmで小さかった」という話しが結びつき、何だか、目の前に広がる城址は、本当にリアリティのある、江戸時代以前の ほんの小さな領土のお城の跡であったという感じが湧いた。

この小高い物見台に立って見張っていれば、周囲の平地の彼方から、馬で走って来る敵の軍団を見つけるのは簡単だろうし、小さな体格の日本古来の馬に乗った敵が堀の水に足を取られ、大した高さではない石垣に登りあぐねるさまが想像できる。

失敗したのは、小高いところに登ったところから、周囲を見下ろす写真を撮らなかったこと。
今は、周囲の家が2~3階建ばかりだが、江戸時代より前、この周囲はきっと田んぼばかりだったろうから、ちょっと小高いところで見張っていたら、遠くから攻めてくる敵を簡単に見つけられたような気がする。

都内の古城址について」というページを見ると、東京の中心部でないところには、このような古い城址跡が沢山あるのがわかる。
世田谷城址のような昔の掘割等が残っている城址は8つあるとのこと、機会があったら、見てみたい。

世田谷八幡宮も世田谷城址も、吉良氏のものとのこと。
何だか、今回散歩して「世田谷」「世田谷」という言葉が耳にこびりついて、「世田谷って、元々どういう意味だったのだろう?世田という谷があったのかな?」と思い、家に帰ってから、語源を調べてみたら、このページに「世田谷の語源については諸説ありますが、中世末(安土桃山時代末)までは「せたかい」と発音され、文字にすると「せた峡」(せたかい)となり谷の意 味から「せたがや」と変わって、「世田谷」「世田ヶ谷」と書くようになったという説があります。また、古書によると多摩郡勢田(せた)郷に含まれていた関係で、「せた」と呼び文字は、瀬戸(狭い海峡)という文字から引用され 、狭い谷地の意味で瀬田(せた)と変化し、谷の多い土地の意味から世田谷と 呼ばれたとする説などがあるそうです。 」と書いてあった。(谷が多いということは、山や小高いところも多かった地形だったのだろうか、それを切り崩し、平地にして、田んぼが作られるようになったのだろうか?)

その他、不思議だったのは、ここは、住宅地になる前、とても豊かな農地ではなかったかと思うのだ。
しかし、全く川が流れていないのが不思議。
西に行けば、仙川・野川・多摩川があるけれど、そこまで全く川がないのだ。
農業や農地に疎い私としては、全然川がない地域なのに、農業ができたのかな?ということが不思議であった。
きっと、地下水とか湧水が豊富な地域なのかな?
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by mw17mw | 2011-12-09 08:55 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(10)

Commented by DIACKO at 2011-12-09 13:02 x
呼びました?世田谷は今でもそうですが水源には恵まれているらしく井戸のあるお宅が多い様です。祖母の家もコキコキこぐタイプのものがあったなあ。あとは川の多くは暗渠になっているみたいですよ。といいつつ私の自宅の前は川ですが・・。
Commented by world-easyken at 2011-12-09 17:27
豪徳寺周辺にも昔は川はありました、北沢川緑道として今は名残があります。
母が子供の頃はザリガニを採ったとか聴いてます。
それから、豪徳寺は境内と目の前の花屋さんで招き猫売ってますよ。
関東の城跡は空堀や土塁の城が多いですね。
年が明けると羽根木公園の梅もキレイですよ。
Commented by 桃猫 at 2011-12-09 22:56 x
自分が生まれ育った小学生の頃は、湧水も多く、小川も流れており、ザリガニなども採りました。いまは、暗渠で道路になってます。豪徳寺の建物も、松の木もそんなに古くはありません。松の木は成長が早いです。
Commented by mw17mw at 2011-12-09 22:58
>DIACKOさん
は~い、呼びました。(笑)
自然の川があったのでしょうかね、自然でもお堀でも、ま、細い川だから、宅地化とともに、姿を消して行ったのでしょうね。
それは下町と同じですね。(我が家の方は完全にお堀ですが)
Commented by mw17mw at 2011-12-09 23:01
>world-easykenさん
北沢川緑道、羽根木公園、今度調べてみますね。
ザリガニがいた頃、行きたかったです。
境内の中の招き猫売り場はわかりましたが、「目の前」に花屋さん、ありましたっけ?
本当に置物の招き猫しか置いてなく、携帯ストラップの招き猫を作った方が売れるのではないかと思いました。
Commented by mw17mw at 2011-12-09 23:04
>桃猫さん
桃猫さんの世代で、小川にザリガニですか、羨ましいです。
豪徳寺、松の木もそんなに古くないとのこと、でも、江戸時代からのものですよね~。(一応、Wikiに1633年に伽藍を創建と書いてありますが、その後、建て直したのかな?)
Commented by trintrin at 2011-12-10 08:41
世田谷城址公園
ずいぶんと整備されていて驚きました
城址をもう少し南に下るとボロ市通りにも
出くわします
北沢川緑道は下北沢辺りまで行くと桜がきれいです
世田谷は農家も多いですが植木屋さんや造園屋さんが
たくさんあったのです
みんなマンションになっちゃったけど・・・
Commented by 自他楽 at 2011-12-10 18:02 x
武蔵野台地と呼ばれる一帯は関東ローム層で水捌けがよいので、田んぼはほとんどありません。
宅地化する前は、かなり麦畑が広がっていました。
上野の山は台地の東南端に当たるので、吉原には田んぼがあったというのは、わかりやすい話です
Commented by mw17mw at 2011-12-10 20:35
>trintrinさん
今回も第一候補は、ボロ市のある日だったのですが、私に用があって、その日は見送りました。
でも、次回は、是非、ボロ市と松陰神社に行く予定です。
下高井戸や三軒茶屋は、地図を見ると渋谷や青山からすぐですものね~、宅地化は致し方ないかも知れません。
でも、今回色々歩いたのですが、我が家の方にところどころにニョキニョキ10階以上のマンションがなかったので、「いいな~」と思いました。
きっと住宅地域で高さ制限があるのでしょうね。
Commented by mw17mw at 2011-12-10 20:37
>自他楽さん
そうですか、関東ローム層は水はけが良過ぎて、稲作に向かないのですね。
だったら、江戸で消費されていたお米は全国から集められたものだったのですね。

そう言えば、多摩川以西になってしまうのですが、調布あたりは農家が沢山残っていましたが、果物や野菜を作り、稲作農家はなかったです。
それは、果物や野菜の方がお金になるからだとばかり、思っていました。