昭和が色濃く残る東上野の通り
2011年 05月 12日
東上野1,2,3丁目界隈は確かお寺がない地域なのに、何故に、「寺町」と思ったら、京都の「寺町二条」で修業された方のお店のよう。
このお店は、京料理とのことだが、本場風なのか、東京風にアレンジした味なのか、興味津々だったのだが、結論としては、寺町二条もランチ営業している筈なのに、その日のランチはメニューも暖簾も出ていなかったので、二羽に行ったのだ。
それにしても、清洲橋通りの一本西側の路地は結局今まで余り通り抜けることのなかったのだが、あらためて、その通りを南から北に通り抜けてみると、基本、とても昭和の風情や生活を感じさせる建物が残ってる上に、二羽とか寺町二条のような結構現代的なお店もちらほらできている素敵な通りだと発見した。
春日通りと浅草通りまでの清洲橋通りの一本御徒町側(西側)の路地。
駅で行ったら、銀座線稲荷町駅と大江戸線新御徒町からすぐの路地。
位置的には、春日通りを挟んで反対側が佐竹商店街の北側の入り口。
この私の気に入った路地には、名前がないようなのだ。
で、私は、春日通りの近くに住んでいるので、春日通りの方から説明する。
清洲橋通りと春日通りが交差する交差点に、ポプラというコンビニがあり、そこをすぐ曲がると、その「昭和の生活感溢れる路地」に入るのだが、全長の南半分、春日通り側に近い方は、既に、小さい土地が地上げ完了され、大きなビルへの建て替えがかなり進んでいて、面白くない。
ただ、ポプラを曲がってすぐ右側に「高島易断 神宮館」というビルがあって、「あ、あの年末になるともらうあの暦はこんな近所で発行しているのだ」ということがわかる。
そこを歩いて行くと、右側に文房具屋さんがあり、その前の通り(白鴎高校と昭和通りを結ぶ通り)を越した通りから、俄然、風情が出てくる。(写真右側の青い看板が文房具屋さん)
だいたい、文房具屋さんがまだ残っていること自体が、昭和っぽいと感じる。
「うお長」さんというふぐ屋さんがあったり
新しくてきれいなのだけれど、何となく和の風情を感じさせて、周囲の街並みに溶け込んでいる「美波」という喫茶店があるし、
考えてみれば、この2階でかき氷を食べていた頃から、40年以上も経ったのだ...もう営業はしていないようだけれど、当時を思い出させてくれる看板も建物も残っていて、嬉しい。
良く見ると、右隣の魚屋さんは、ちゃんと営業されているようだ。
この喫茶店もまだ現役。きっと常連さんに支えられているのだろう。
そう、今回紹介する通りは、食べ物屋さんだけでなく、薬局やお医者さんまでも古いタイプが残っているところが良いのだ。
ここももう営業していないけれど、テントに書かれた店名がいかにも昭和30~40年代という感じ。(電話番号の局番も3桁だ)
今は、差別用語に指定されて使えなくなってしまっているけれど、昔は普通の日常的な日本語であった。
私も日焼けした時なぞ、親からこう呼ばれていた。
とてもモダンなオシャレなお店を作ろうとタイルを工夫した感じが良い。
この通りには、私の小さい頃育った環境をを思い出させてくれるものが沢山残っている通りだが、数年したら、変わってしまうのだろうか?
この路地は浅草方面に抜ける時に時々通ります。良く隣の路地と間違えて,どっちにどんなお店があったか分からなくなりますが。
寺町二条の前は魚がおいしいと聞いていた定食屋さんだったのですが,行けないうちにお店が入れ替わってしまいました。田中食堂は,以前入ったら意外と若い方が調理担当でした。
ではまた。
隣の路地って、どこだろう?
下谷神社の裏通りのことでしょうか?
あそこらへんは、戦争で焼けなかった上で、バブルの時の地上げを逃れたお家が多く、本当に古い町並みが残っていますよね。
私としては、あ~いう街並みは、入谷や下谷に行かねばもう見られないと思っていたのですが、台東区南地方にも残っていたので、嬉しかったです。(でも、反対に、絶対もうすぐなくなってしまうのだろうなと思ってしまいます)
寺町二条の前は、これですよね?
http://makoto-craftbox.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_410a.html
私はこの通り、全くノーマークでこのお店は知りませんでした。
田中食堂、若い方が継いでらっしゃるのなら、安心ですね。
あの辺で魚だと,新し目のお店で海鮮丹後(だったかな)もありますね。
まさしくどっちの通りにあったかウロ覚えですが。
銅板葺きの建物や,表面にモルタルの板みたいのを張り付けた看板建築(と言うのかな)が結構残っていますが,これもここ何年かで消えていくのでしょうね。