余計なことかも知れないけれど...
2011年 02月 23日
この言葉は、本当に一人の親として自分の子供を見た場合の真実で、どこにも嘘はないし、自分の子供の頑張っている姿を優しく見守っている姿が現れていると思う。
でも、これが、美智子皇后だったら、こういう言い方をしないと思う。
「学校で怖い思いやつらい体験」と言い切ってしまうと、誰が聞いても、週刊誌に書いてあったとおり、誰かが愛子ちゃんを怖がらせたり、つらい思いをさせたと、想像してしまう。
美智子さんだったら、言い方はうまく思い付かないが、そういう余計な想像をさせないような、誰をも傷つけない配慮した言い方をすると思う。(美智子さんだったら、「和を以て尊しとす」ということを実践でき、誰をも悪者にしない解決法しか解決法ではないとわかっている。)
そう、なぜ、天皇・皇后が尊敬される存在であり続けるかというと、「自分たちの利益や気持ちより、まずは国民のため」という姿勢と「和を以て尊しとす」という姿勢があるからだと思う。
愛子ちゃんをいじめたと言われる男の子も国民なのだ、そして、その子にも未来があり、そして、今はいじめっ子かも知れないが、今後、立派な大人に変わって行く可能性もある。
そう、子供時代の子供同士のちょっとした行き違いや成長の違いによって起きた事故みたいなことで、愛子ちゃんが傷ついたというような言い方をしてこそ、国民から尊敬を得られる皇室の人なのだと思う。
今日の皇太子の記者会見は、平凡な普通のお父さんの言葉に聞こえ、「今上天皇の後継者」という自覚は余り感じられなかった。
(何だか、私って、皇太子さんの小姑みたい。<笑>)
その部分も確かにそうですよね。
こういう記者会見というのは、その人の価値観を白日の下にあらわにさらしますから、怖いですよね。
少なくとも、「皇太子」だから、お誕生日記者会見を放送するのであって、普通のマイホームパパなら、放送しないのにね。
何だか、この大切な前提の解釈を全く間違えているような気がします。
そのことを、自ら国民に知らしめているって、本人も周囲も気付いていないのかしらね?