奇跡に近い話-「大村しげの京のおばんざい」
2010年 07月 27日
やはり、大村しげさんの本の中では、大判(暮らしの設計シリーズ)の「大村しげの京のおばんざい」が一番良いとのこと。
しかし、大きい暮らしの設計シリーズは、既に絶版だし、Amazonを見ても、中古品でも売っている人はいない状態。
小さくて良いのなら、Amazonで、「京のおばんざい (中公文庫ビジュアル版)」が中古品で手に入るよう、これを手に入れれば、内容はわかるのだが、何だか小さい本だと迫力がなさそう。
私のように、大村しげさんが人気があった頃に、ブームに乗らなかった人はこういうところで苦労する。
どうせ買うなら、大きな本の方がいいのにどうしようと思っていたら、そのDMをくださった方が、以前古本屋さんで探して2冊持っているので、一冊を譲ってくださると、おっしゃってくださったのだ。
何たるラッキー!これは奇跡に近い。
そりゃ、自分の足で、古本屋を巡ればいつかは巡り合うかも知れないけれど、「絶対巡り合える」という保証はないし、巡り合っても、相当高価で手が出ないかも知れない。
それを今回、何の努力・労力も使わず、そんな貴重な本を譲っていただけるなんて、何だか、信じられなかった。
譲っていただいたら、大切にしようと心に誓う私であった。(本当に有難うございました)
で、その本は、昨晩、手元に到着したのだ、傷や汚れが全然ない状態であった。
昭和55年発行の本だから、今から30年前の出版だ。
まだ、細かに読んではいないけれど、ざっと読んだが、とても良い本で、気に入ってしまった。
何が良いかと言うと、勿論、お料理の本だから、料理の写真とレシピが多いのだが、何て言うか全体の構成、写真を見ても、京都全体の食生活が浮かび上がってくる感じの本であった。
京都の街中には、錦市場があって、沢山のおまんやさんがある。
その近隣には、丹波、宇治という、それぞれの名産がはぐくまれる豊かな農地があるし、伏見という酒造の一大産地もある。
また、京野菜を作る農場もあるし、若狭から塩をした魚を運んでくる鯖街道があるのだ。
そういう近隣の豊かな土壌・豊かな自然に支えられている町の食生活。
「材料表と作り方を並べた本」ではなく、京都の町で材料を揃えるために買い物に行く風景や、その材料が、どのように、どのような人たちによって作られ、運ばれ、売られているのかが浮かんでくる本。
また、京都の気候、風土、また、大切にしている一年中の行事を大村しげさんの文章を通して、感じることができる。(想像していたより、精神論が少ない本でもあった、もっと、使い切るとか勿体ないとか沢山出てくる本かと想像していたが)
そう、この本は、大村しげさんという、「京都の町で自らの手と足と舌で、京都流にお料理を長年作られて来た方」を通して、食を中心とした京都全体を描いた本であった。
それは、きっと、大村しげさんのように、生まれてこの本を出すまで、京都から出ないで、一市民として、京都で暮らし通した人だから、描ける風景、構成なのだと思った。
この本が人気があったのが良くわかる。
京都で暮らす人たちの息遣いが感じられる本である。
それにしても、「おばんざい」のレシピを色々見ていて思ったのだが、戦前の東京と似ているかも知れない。
従姉(父の姉の娘)から聞いたのだが、伯母の話によると、戦前、我が家でも、祖母は、自分の分・子ども・使用人の分の食事しか作らなかったとのこと。
一家の主である祖父のご飯は、仕出し屋さんから、取り寄せていたそうな。(戦争前までの話だろうが)
そして、私が知っている限り、昔は、お客さんが来たら、お寿司や鰻を取ったものである。
すなわち、戦前、家庭の主婦の作る料理というのは、「京のおばんざい」でいうところの「おぞよ」かもと思った。
京のおばんざいの本を眺めていたら、本には書いてはいないけれど、京都でも、きっとおばんざいは、女子供・使用人が食べる料理だったのではと思えて来た。(本当かどうかは、誰か京都の人に聞かないとわからないけれど)
しかし、この30年前の本の写真を見ると、本当に昔のまま。
茶摘みをする人は、着物姿にたすきに姉さんかぶり、漬けものは木の樽だし、鞍馬にある薪を焚いて、大豆を茹で、お豆腐を作っているお豆腐屋さん。
30年経った今、そういう昔の風景のどれくらいが失われてしまっただろう。
今や茶摘みに着物姿の人はいないで、もしかしたら、機械で茶葉を摘んでいるかも知れないし、鞍馬の薪で焚くかまどはもうないかも知れない。
それが淋しいと思った。
この10年以上、京都に行っていないけれど、今、どんなに変わってしまっているのだろう?
ほんのちょっと、ざっと本に目を通した感想でした。
また、読みこなして、まとめたいです。
僕は残念ながら(暮らしの設計シリーズ)を持っていませんが、3人共著の『京のおばんざい』(光村推古書院)のほうを持っています。こちらはレシピではなく、歳時記的な料理随筆です。1月から12月まで順に並べてあり、便利。昭和39年の1月から朝日新聞に連載されました。戦前と(ギリギリ)地続きだった昭和30年代に、その生活を封じ込めるように執筆された文章です。執筆していたころの彼女たちは、いまの自分よりも遙かに若かったのだ、ということを頭に置いて読むと、また、別の感慨が生まれます。
本当でっす、その方の親切に大感謝です。
3人共書の「京のおばんざい」は今図書館から借りて来ています。
この本も良い本だと思います。
しかし、あの本を書いた頃の彼女たちは、今の私より若いのですか?
気付きませんでした、私もそれを念頭に置いて、読むようにします。
それにしても、大村しげさんというのは、京都の昔の暮らし方を後世に残すために神様が選んだ方なのかなと思います。
で、大村しげさんの年齢を計算し直しました。大村さんは大正7年生まれ。あの本を執筆したのは昭和39年。46歳前後です(私はカン違いをしていて、30代後半だと思っていました)。遙かに若い、とは言えないかもしれませんね。
個人的なことですが、計算し直して、ちょっとしたことが判りました。私は、この本が執筆された年、昭和39年生まれです。で、今年46歳、この本を大村さんが執筆していたのと同じ年齢になります。単なる数字の符合ですが、小学校の頃から『暮らしの手帖』などで大村さんの文章を読んできた私としては、ちょっとした感慨があります。