台東区根岸のガスト近辺

ガストに興味を持ち、台東区の店舗を探したら、「鴬谷店」と「根岸店」があった。
鴬谷店は、言問通り沿いの駅前のビルの2Fで、簡単に見つかった。

根岸店は、根岸という町名の地域の北側三ノ輪寄りの、日光街道からちょっと奥まった「台東区立金曾木小学校」の隣にあった。

自転車で、その近辺を、ウロチョロ、走ってみた。
根岸4丁目、5丁目付近を走ったわけだが、何だか、本当に本格的住宅地域のようで、閑静でとても落ち着いた地域であるように感じられた。(どうも、そこら近辺の旧町名は、「下根岸町」という名前のようだ。)

まず、お店が少ない、職住混合の家も殆どない、超高級はなかったけれど、比較的大きな区画の民家とお寺が多い。
昭和時代の古い家屋と、平成になってから建て直したであろうモダンな家屋、高級マンションが入り混じった地域であった。
歩いている人も走っている車も極端に少ない地域。

台東区で、「閑静な住宅地」というと上野桜木があげられるが、他にもこういう住宅地域があったのだ。
(根岸という街は5丁目まである広い地域で、細長い。マスコミ等に良く取り上げられるのは、駅前から柳通りという飲食店が多い地域で、それより北側は、殆ど取り上げられることはないのだ。)

それにしても、根岸店の地図を見てもわかるように、周囲は全て碁盤の目状に区画整理されているのに、「根岸」という地域だけ、昔の田園の頃の地形のままで全く区画整理されていないのは、どういう理由か、とても不思議。

家に帰って調べると、このページに、「呉竹の根岸の里は、上野山を背景にした田園風景と清流 音無川の流れる静寂の地であった。江戸時代から「根岸の里の侘び住まい」といわれ多くの文人墨客が好んで住んだ。
 そのむかし、この付近には大きな池があった。そして上野山のもと(根)にあったことから、すでに室町時代には根岸と呼ばれていた。江戸時代初期、根岸は金杉村に属し、いくつかの民家が建っていた。風光明媚の地であったことから文化文政(1804~1830)の頃には別荘地として200戸余りになっていた。」という文章が見つかった。

江戸時代、風光明媚な田園であったことから、お金持ちの別荘地帯だったようだ。
その後、明治になっても、肺結核の正岡子規が療養のために住みついたのだから、相当空気がきれいな地域だったと思われる。

根岸の北の方、旧下根岸町は、鴬谷駅に近い地域よりも、その名残りを色濃く残すことができた地域かも知れない。
閑静・落ち着きがある・緑が多いが特徴か。

歴史上一度も賑わった地域になったことがなく、江戸時代の田園時代・別荘地時代から今の住宅地域時代と、ずっとずっとただひたすら静かな地域で在り続けたからこその雰囲気がある。(所謂、寂れた雰囲気もないし、淡々と、延々と、落ち着いて静かだったという雰囲気が感じられる)
垢抜けているという程ではないけれど、ずっと農村だった地域の静かさとは違う雰囲気。

で、そんな地域の中にガストはあるのだが、独立した平屋建てのお店で、隣の小学校の樹木がうっそうとしていて、本当に古くからの避暑地の中にあるファミレス的雰囲気。

ガストそのものが気に入ったというより、ガストに入るまでの近隣の閑静な雰囲気が良くて、このお店が気に入ってしまった。
同じ台東区の中に、避暑地や郊外のファミレスに入る雰囲気を味わえるお店を発見できて良かった。
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ただ、土日のお昼頃、小さな(騒ぐ)子供連れの家族が多いと、「古くからの避暑地的雰囲気」は台無しにされてしまうのだけれど、騒ぐ子どもがいないなら、このお店はお薦め。
ゆっくりと穏やかな雰囲気の中で、友だちとおしゃべりするのに、向いていると思う。

今まで、浜町のガストに行っていたが、今度から、こちらの根岸店も利用したいと思う。
(お店自体は、大きなビルの2Fにある浜町より根岸の方が好きだが、人形町・清澄白河方面に用があることも多く、そういう時は浜町店に行かざるを得ない)
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by mw17mw | 2010-05-10 23:03 | 東京都内のお散歩・見物 | Comments(0)